第36話 ある男の嘆き

その日、私は妻と娘を連れて教会に向かっていた。


トリキルティスの祭日なので街中に人が溢れており、いつもなら15Mミューも歩けば着く広場が1ザード経ってもまだ入れそうになかった。

本当は中央の教会本部の方がエフメート様の身元に届きやすいと言われているけれど、私の家からでは距離があり過ぎて一日並んでもたどり着けない。


妻と娘は一度くらい言ってみたいと言うけれど正直めんどう臭いので何ヶ所か設けられた仮設の聖火でガマンしてもらっていた。

仮設とは言ってもちゃんと中央の聖火から分け火されたものだし、何といってもエフメート様は全能の大神様おおがみさまなのだから少し目にされる順番が後になったところできっと変わりないに違いない。


ノロノロと動く人の流れに乗って進んでいると美味しそうな匂いが漂ってくる。

道の端には様々な屋台が店を広げており、そこに並んでいる品物を見たり売られている食べ物や飲み物に手を伸ばすのもこの日の楽しみの一つだ。


通り掛かった屋台から美味しそうな匂いがしてくると娘のお腹が小さく『くぅ~』と鳴った。

「あなた、あれ食べない?」

目の前の屋台には煮詰めた果物を薄いパンに挟んだ菓子が置いてあった。

昼前に食べるには少し重い気がしたが嬉しそうに笑った娘の顔を見ては反対する事はできない。


「そうだな。少し小腹も空いたし食べてみるか。」

「わぁー、ありがとう・・・おかあさん・・・・・


むぅ・・・こんな場合に感謝されるのは必ず妻の方だ。

反対に謝ることや何かを強請ねだる場合には私の方にやってくる。

なんだか不公平に思うが知り合いに聞いてもみんな似たようなものらしいし、お菓子を食べた妻と娘の笑顔が見られたので細かい事はいいかと思う。


それから30ミュー程人波に混じってようやく聖火の前に来ることが出来た。

投げ込む聖紙にはエフィメート様への誓いやお願いを書いておくのだが私には特に書きたい事があるわけではない。

本音を言えば早く家に帰ってゴロゴロしたいのだが流石に失礼なので『今の幸せが続きます様に』とだけ書いて聖火へと投げいれる事にした。


教会の用意する聖紙は燃えやすい加工がされている。

火に投げ込むと下まで落ちるのを待つことなくパッと燃えて煙になって行った。



その帰りの事だ。

突然、動機が激しくなり苦しくて思わず膝をついた。

妻と娘が駆け寄って来たが壁の向こうにいる様に感じてしまう。

それよりも胸に込み上げてきた感情に戸惑いを覚える。

出口を求めて爆発しそうなほど苦しいのにどこか甘美でいつまでも味わいたいような想い。

これは・・・そうだ子供の頃に好きだと打ち明けられずに身悶えていたあの感じだ。

だが、なぜ急にこんな感情が湧き上がるのだろう。


「お父さん!しっかりしてお父さん。私が分かる?」

「あなた、どうしたの。ねぇ、あなた、返事をして!!」


「あ、あ、あ、あ、あ、ああああああああああああああああああ――――――」

息苦しいほどに高まった感情に耐えきれず私は走り出した。


目的は・・・ある!

恐ろしい、心のどこかで私ではないワタシが叫んでいる。

妬み、羨望、欲情・・・

向かう先は幼馴染のガストンの家

美人の奥さんと結ばれ、独立して羽振りが良く、親に援助してもらって大きな家を建てた。


『ダカラ、アイツヲ殺シ女ヲ思イノママニ嬲リ、家ニ火ヲ付ケテ燃ヤシテヤル・・・』


嫌だ!私はそんなことをしたくない。

確かに羨ましいと思った事もある。

妻と比べて数段きれいな奥さんを見て、ついよからぬ考えが頭をよぎった事もない訳ではない。



だけど



アイツは


アイツは本当に好い奴なんだ。

親友だと言ってもいい。

それに、私は妻を愛している。

見た目なんかじゃない。

いや・・・見た目も悪い訳じゃないしガストンの奥さんが悪女という訳でもないけど・・・

妻の控えめで周りを明るくする性格が、仕草が私には最高に愛おしい存在なんだ。


だが黒々とした感情が抑えられない。


心臓が破れる程に走り続けるとガストンの家にはすぐに着いてしまった。

間の悪い事にガストンと奥さんが連れだって家から出てくる。


「ハリー、どうしたんだ!そんなに怖い顔をして。朝から広場に行ったんじゃないのか。」

「あなた!ミューズさんとジュリちゃんに何かあったのかもしれないわ。私たちの助けが必要なの?そうなの?」


余程ひどい顔をしていたのだろう。

ガストンたちは心配してくれたがもう一人のワタシがしようとしている事はそんな事じゃない。


一歩、二歩と近づくがガストンたちは逃げることなく私を待っている。


モウ少シデ・・・


あと少しで手が届く所で体の奥が猛烈に熱くなっていった。


アツイ!

アツイ!

アツイ!


「ウォーーーーーーー」

獣の様な叫び声を上げると私の中のもう一人のワタシが赤黒く燃えていた。

そして新たな欲望


『許セナイ・・・アノ子供ヲ・・・ふぇんねるノ子供ヲ・・・探セ・・・探セ・・』


さっきまでの高ぶりを上回る激しい想いに突き動かされて、私はガストンたちを置いてどこかに向かって駆け出した。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 



気が付けば私は大群衆と共に子供を追いかけていた。


遠くに見える姿は娘のジュリと同じくらいだろうか。

まだ幼い子供が懸命に走っている。


もう一人のワタシはずっと『ユルサナイ』と繰り返し、あの子供を滅茶苦茶にする事だけを考えていた。

周りにいる奴らも同じことを呟き、同じように胸に火を揺らしている。


同ジデイル事ガ心地ヨイ


だけど私は・・・そんなことはしたくない。


そして、恐ろしい。


もしあの子供を捕まえてしまったら、一番激しい欲望がなくなってしまったら・・・

もう一人のワタシはガストンを殺しに行くに違いなかった。


嫌だ


嫌だ


お願いだ

会ったこともない子供に願うのも筋違いだけど

お願いだから逃げ続けてくれ。


でなければ私は・・・・



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る