第27話 死にたがりのフェンネル
アグリオスの剣が強引に空気を引き裂いてゆくと、生まれた空白地帯に雪崩れ込もうと風は混乱した群衆の様に入り乱れて渦を巻き、吸い込まれた
舞い散る鮮血を気にした様子もなく、少年は甲高い雄叫びを上げて初めて自分から前に出た。
アグリオスも目の前の子供が何かを狙っている事には気付いている。
だが如何に上手く立ち回っていたとしても攻撃を考えればどうしても防御がおろそかになる。
懐に入ろうとすれば炎に飛び込む羽虫と変わりないことになるはずだ。
だから雄叫びを聞いても仕掛けて来ると知らされただけの事、むしろチョコマカと逃げていた獲物がようやく仕留められると笑みさえ浮かんでいたほどだった。
地面に埋まった剣を振り上げ様とした時、『ガン』と鳴って剣が重みを増した。
見れば突進してきた子供は剣先で止まって足を載せているではないか。
『小賢しい。』
今までの死闘が嘘の様に、静かに視線が交差する。
「大層な気合をだした割にやったことは随分とささやかだな。」
「あなた相手ではこれでも命がけですから。でもこれで剣は封じましたよ。」
じつの所、この状態になってしまうとユウキは身動きが取れなくなる。
全体重をかけて剣を抑え込んでいるのでアグリオスの動きに合わせるしかないからだ。
『このまま諦めてくるのが一番いいけど、そうもいかないだろうな。せめて剣を放してくれれば適当に躱してマリーンを連れて逃げられるのだけど・・・。』
ユウキが命がけで避け続けているのは人質を捕られているからだ。
今までもユウキが離れすぎるとあからさまな殺気をマリーンに向けるので大きく距離を取って逃げ回る訳にはいかなかった。
一方、アグリオスはユウキの意図を掴みあぐねていた。
アグリオスの間合いは腕の長さも合わせれば剣先までは1シュード(成人の身長程)にもなる。
たしかに剣先に足を掛けられては如何に
だが、振り上げられなくともそれ自体は大して障害にはならない。
引き抜けば邪魔になるのは地面との摩擦だけしかなく、アグリオスにとってそんなものは水に入っているのと変わらない。
しかし、腕に力を込めて引き抜こうとした時に相手が何の反応もしない事に不信感が湧いてくる。
『この小僧には何度も動きを読まれていた。それが逃げもせずに残っているのはこのタイミングを狙っているのか?』
だからと言って何が出来るのかと思うが、この手の相手は調子に乗せると面倒くさい。
それに、チョコマカと逃げ回っていた相手がせっかく止まってくれたのだ。
逆にこれを利用しない手はなかった。
アグリオスは今まで片手で握っていた剣に両手を添えるとメキメキと音がしそうな勢いで力を込めた。
筋肉が倍になったかと膨れ上がると信じられない事にユウキを載せたままで
アグリオスが選んだのは極端な力技
空中に放り上げて体制を崩した所をそのまま斬捨てるつもりだ。
ユウキも流石に予想外だったのか慌てた様子でワタワタと手を振り回している。
手に引掛かって『バサリ』とマントが広がると声にならなかったのだろう、生地の向こうから息が「ヒュウー」と風が鳴って剣の重さが消えた。
思わず獰猛な笑みが浮かぶ。
だが剣を振り降ろそうと構えた時に目の前には誰もいなかった。
周りを見回しても隠れる様な場所など、どこにもない。
まさか空中にと見上げてももちろん居るはずはない。
珍しく得体のしれない不安が湧き上がった。
この時、ユウキは振り上げた剣に乗ってアグリオスの頭上を飛び越えていた。
背後に降り立つとすぐさま地面を蹴って飛び戻り、身体を捻りながら畳んだ肘を叩き込んだ。
子供とはいえタルタロスサーキットで引き上げられた力は大人であっても悶絶する威力になる。
さすがにアグリオスも苦しそうな叫び声をあげるが動きをとめたのは攻撃をしたユウキだった。
まるで木の幹を叩いたみたいな感触
叩いた腕がしびれていた。
ユウキの居場所に気づいたアグリオスが太い腕を振り回して殴り掛かる。
何とか頭を庇うことはできたが小さな体は為す術もなく飛ばされ、二度、三度と地面を跳ねると『ドン』と何かに当たってようやく止まった。
曲刀を振り上げたカマキリの様に痩せた男と視線が混じる。
「ヒャッハー。おまえの相手はあっちだ。これからいい所なんだからジャマをすんじゃねえよ。」
強かに腹を蹴られて元来た方へ転がされたが今度は防御することが出来ず、息が詰まってすぐには動けなくなった。
「ぎゃ~、いっ、痛てぇ~」
いつの間にか蹴った男の足には大ぶりのナイフが刺さっていた。
ドールガーデンを常時展開しているユウキに死角はない。
アスミの危機に気づくとマリーンの所に向かう計画を変更してこちらを優先した。
今の状態であればマリーンには直接的な危険はないからだ。
危険は人質を取られて行動を制限されているユウキにある。
そして、フェンネルの名を持つ者は自分の命の価値を客観的にしか判断しない。
ユウキは自分を含めた状況を冷徹に秤にかけて最も危ういアスミを救う事にしたのだ。
予定ではアグリオスを悶絶させた後にアスミの所に駆け寄るつもりだったのだが予想外の頑丈さに反撃を受けてしまった。
だが殴り飛ばされた方向は計算されたもの。
半ば自分で飛んでいるので大したダメージは入っていない。
そしてファルクス使いの男が振り向いた時、その腰にあったナイフを引き抜くと蹴り出された足に叩きつけた。
ただし、こちらは男の戦闘力を奪うことを優先した分、防御ができなかった。
痛みはタルタロスサーキットに流して無視できても物理的なダメージがなくなるわけではない。
動けないユウキの危険が急速に高まって行った。
一方で死を受け入れていたアスミの目に光りが戻る。
「子供に助けられるとは情けないですね。もう少しくらい頑張らないと顔向けできないじゃないですか。」
立ち上がったアスミだが対照的に目の前の男はガクガクと体を震わせて崩れ落ちた。
「ヒャハハ。オ、オレのナイフ・・・しびれ薬が・・・早く、げ、解毒薬を・・・」
既に言葉が出なくなり始めている。
振るえる手でポケットから小さなビンを取り出し、苦労して傾けたがアスミの細剣が無残にも叩き落とした。
男はしばらく苦しんでいたが直ぐに泡を吹いて動かなくなった。
この状況を驚愕の目で見ていた者がいた。
戦いの口火を切ったゴルゾフたちだ。
彼らはアグリオスがこれ程手間取る事やファルクス使いの男がよもや負けるなど考えてもいなかった。
徐々に形勢が傾いて行く状況に『足元が突然薄い氷に変わった』かの様な不安に襲われ始めていた。
それでもファミリアへの忠誠心に支えられて何とか踏みとどまっていたのだが、そんな彼らに最後の審判を告げる甲高い少女の声が響き渡った。
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