プロローグ 予言の子

第1話 予言

 いつの間にか周囲は薄紫の霧に包まれており数歩先も見えなくなっていた。 コルドラン(神素の森)特有の奇妙な植物も疎らにしか目に入らず余計に寂しい雰囲気を醸し出している。

 通常の霧であれば葉や枝が濡れて歩くたびに水滴をまき散らすのだが幸いにも服が湿る事はなかった。

 ここはコルドランの中層、カウカソスの街から5日ほどの場所。

 周囲に立ち込めるのは水滴から成る霧ではなく”神素”と呼ばれる元素で出来ており、神話によれば神界から投げ落とされた焔から立ち昇っていると語られていた。

 神素にはいくつもの不思議な特性がある。

 最も知られているのは生物の体内で結晶化し”エリアル”と呼ばれる神素結晶を形成する事だ。

 しかも取り込んだ生物によって特性の異なるエリアル(神素結晶)になる事が知られており、用途に応じて様々な方面で利用されている。

 エネルギーとして、宝石として、素材として武器や防具、様々な魔導具にすることもある。

 ”エリアル”はこの文明を支えていると言っても過言ではない。


 このように神素とは人になくてはならない元素なのだが神素を取り込んでエリアル(神素結晶)が形成された生物は変異して”魔物”と呼ばれる別の存在になってしまう。

 魔物化すると能力が飛躍的に上がり、特殊な力も会得するのだが攻撃的になる場合が多く、人に危害を与える事も稀ではない。

 但し、人間はエリアル(神素結晶)ができる事も魔物化することもない。

 この理由は主神エフィメート様の御業として神話に語られている事以外は判っていない。



「ちッ!迷ったか。」

 その日、若きゴーザはコルドランを進むキャラバンで偵察の為進路を先行していたのだが、神素濃度が特に濃い場所に入り込んでしまい方向を見失っていた。

 コルドランでは常に霧状の神素が漂い視界は悪い。

 もっとも、探索者は”リュウケンの鏡”という魔導具を使って自分の周囲を立体模型を見る様に把握することができる.

 この技能は”ドールガーデン”とよばれ、神素から情報を読み取り自分を含めた周囲を箱庭を見る様に把握するもので認識範囲は使用者の適正により変わる。

 探索者は最低でも5シュード(成人男性の身長の5倍程)は認識できるのが当たり前であり、この技能ゆえに視界の効かないコルドランでも貴重なエリアル(神素結晶)を探すことや安全に移動することが可能なのだ。

 ゴーザは最大で50シュードのドールガーデンを使う事ができる。

 したがって見えなくても行動するのに不自由はないし、動き回っていればいづれ見知った場所が出てくるはずなのだが問題は”下層”や”底”(神素濃度に応じてそのように呼ばれる)に匹敵する神素濃度だ。

 一般に神素濃度はコルドランの中心部程濃く、外縁部に行くほど薄くなる。

 そして神素濃度が濃くなる程魔物化した際の変異が大きく、特殊な能力を持っていたり凶暴で強力な魔物になる事が多い。

 この神素濃度ではそれこそ数十人がかりで相手をする様な魔物に遭遇しても不思議はなく、戦うことになったらゴーザの運命は終わるだろう。

 もっとも自分程の認識範囲があれば大抵の場合は上手く逃げる自信があるのでゴーザに悲壮感はない。

 但し同じくらいのの認識範囲を持たない者にとっては死地に紛れ込んだに等しい。

 だから近づいてくる人影があっても特に不審に思う事はなかった。


「ゴーザ、同行してくれ。」

 声を掛けてきたのはユピテルという探索者で一緒に斥候に出た男だ。

 探索者としてはゴーザより少しだけ先輩にあたり、普段から何かと世話を焼きたがってはニコニコと近づいてきていた。

 新人探索者の中には「面倒見がいい」という者もいて周囲の評判は悪くないのだがゴーザはあの笑顔の下にのっぺりとした別の仮面がある様な気がしてあまり近づきたいとは思えなかった。


 キャラバンでの偵察は中層程度では探索範囲を広げる為に数人が単独行動し、下層より先では安全を考えて数人のグループで行動する。

 これまで、単独行動(といってもお互いの位置は大よそ把握していたのだが)をしていたユピテルが状況を見て合流したのだろう。

 ユピテルの認識範囲は10シュード程しかなく、出会いがしらに強力な魔物と遭遇すれば致命的な状態になるのでゴーザと合流したのはいい判断だと言える。

 それに、戦闘力はそれなりにあるのでゴーザとしても一緒に行動した方が都合がいい。


「ああ、ここから脱出するまではその方がいいだろう。後ろに付いてきてくれ。」

「いや、少しこの神素溜まりを調べてくれ。もしかしたら深奥並みのエリアル(神素結晶)があるかもしれない。」


 バカなのか?

 と声には出さなかったが顔に出たのだろう。

 相手が不愉快そうに睨んできた。

 しかしゴーザの能力を当てにしている男は説得の為に口数が多くなる。

「なあ、考えてもみろよチャンスなんだぜ。こんな浅い場所で深奥並みの神素濃度があったら何十日もコルドランを進む事も中層や下層で魔物の相手をする必要もなく、いきなり価値の高いエリアル(神素結晶)にありつけるってことだぞ。事によったら領主様や国王様から表彰されて爵位を賜る事もできるかもしれない。」

 うっとりするように考えを語る男は非常に不愉快だった。

 だが一応は年上なので一般論としてキャラバンに合流してから考えると答えたのだが更に自分勝手な理屈を展開していく。

「バカだなぁ。それじゃあキャラバン・リーダーの手柄になるじゃないか。

 ある程度二人で探索して直接ギルドに報告するんだよ。あるいはここの事は秘密にしてお宝を独占してもいい。もっともその場合はお前には俺の下についてもらわないとだけどな。」

 饒舌になって本音まで口に出している。

 後半はさすがにつぶやく様に小声になって行ったがしっかりと聞こえていた。


 呆れて言い返す気にもならない。

 ゴーザがいう事を聞くと思っているのも腹が立つが浮かれて現実が判っていない事に侮蔑すら覚える。

 深奥並みのエリアル?それは深奥並みの魔物がいる事であって二人でどうにかできる物ではないだろう。

 それに、キャラバンの仲間が知らずに迷い込んだら自分たちと同じ危険に陥る事になる。

 ゴーザにとって、というより探索者としてこれは無視していいことではない。

 元々探索者のキャラバンは過酷なコルドランで死なない為に互助組織の役割がある。

 それでも”ある条件”がそろってしまうと仲間を殺さなければならない事があるので、余計にキャラバンの仲間を大切にし、助け合う事が骨身にしみている。

 この男の言動は探索者のプライドを汚し、許しがたい裏切りにしか聞こえなかった。


 ゴーザは黙って歩き始めた。

 意見や議論をする気はなくなっていた。

 議論とは言葉を介して考えや意見、意識をすり合わせる事だ。

 そこには考え方に違いはあれど相手を対等と認める事で成り立つ信頼(例え最低限であっても)がなければならない。

 間違っても犬・猫と議論することはないのだ。


 くだらない夢物語をユピテルは喋り続けていたがもはや虫の一種だと思って意識するのをやめた。

 付いてくるなら好きにすればいい。

 どうせゴーザの探知能力がなければ満足に進む事も出来ないのだから気にしなければ大したことはない。



 1ザード(時間の単位:1日は20ザード)程歩いただろうか、今の所対処できない魔物には出会わなかった。

 仮にも探索者を名のる者にとってこの程度の時間を歩いても何ほどでもないのだが一向に抜け出す様子もない状況は精神的な疲労を蓄積させていく。


 広すぎる。


 これ程の規模の神素溜まりが今まで知られていないとは考えられなかった。

 ユピテルがいかに能天気だったとしてもただ事ではないと気付いて口数が少なくなっていた。


「大丈夫なんだろうな!」

 ゴーザが立ち止まったので鬱憤を晴らすかのように怒鳴るが答える者はなかった。

 代わりに殺気を漲らせてたゴーザが剣に手を掛けると裂帛の気合と共に斬撃を放つ。

「ひっ!」

 突然の戦闘行動に身の危険を感じたが自分に向けられたものではない事に気づくと別感情が湧き上がってくる。

「おい!何の真似だ」

 ユピテルとて今までゴーザが無視していたことは気付いている。

 それでもここを抜けるまでは利用するつもりで我慢していたのだが後ろ暗さもあって余計に怒りが抑えられなくなっていた。

「おい何とか言ってみろ!バカにするのも大概に・・・」

 言いかけてふと気づく。


 ゴーザは何故剣を抜いた?


 何かがいる・・・いや何かが突然湧き出している。

 認識領域が狭いとはいえこの男も探索者だ、

 ゴーザを頼っていても自分でもドールガーデンは展開していた。

 直前まで自分の認識領域に”入ってきた”・・・・・ものはないのに

 今は直ぐ目の前に何かがおり、ゴーザと戦っているのだ。

 しかもどうやらゴーザの方が翻弄されている様に見える。

 ゴーザの実力は知っている。

 認識領域の広さだけでなく戦闘力でも規格外の強さがあり年下ではあるが自分では到底かなわない。

 だからこそ先程は必死に懐柔(と本人は思っている)を繰り返していたのだがそのゴーザの旗色が明らかに悪い。

 ヒュンッ ヒュンッ ヒュンッ

 動きを捉える事は出来ないが三度風切音が響く。

 しかし何かを切ったり打ち付けた様子はなく「くッ!」というゴーザの声だけがする。

 ここに至って男はある事にやっと思い至る。

 ”深奥並みの神素濃度があるのなら深奥並みの魔物がいても不思議ではない”

 血の気が引いていくのがはっきり判った。

 緊張で倒れそうになるが今は拙い。


 ニゲナケレバ


 最早頭にあるのはそのことだけとなり、「助けを探してくる」と出来もしない事を口実にして逃げて行った。


 ゴーザはそんな同行者に気を使う余裕はなかった。

 何度か切り付けたが相手を捉える事は出来ず、それどころか相手が何かさえ判らない。

 自分の認識領域に何かの存在は捉えている。

 通常であればドールガーデンは視覚以上の情報を伝えてくるはずなのに、未だにそれが”何か”さえ判らない。


 今ゴーザは腰に佩いていた刀で切り付けている。

 剣速と斬撃に特化しており5キルド(1キルドは軽く手の平を広げたくらいの長さ・1/10シュード)程の刀身を持つ。

 特別な能力などはないが良く手に馴染んでおり対人戦においては絶対の自信を持っていた。

 それが悉くことごとく空を切っていれば自分の戦闘力に疑問を持っても不思議ではない。

 しかしゴーザは戦士ではない。

 戦闘力は手段でしかなく、目標に向かう意志こそ自分の拠り所とするものだ。


 そう思い定めて更に剣速を上げる。

 空振りを繰り返すのも構わず切り付け続ける。


 踏み込んで右上段から切りつけるとまたもや空を切るが今度は振り切る途中でもう一歩踏み込むと、左手で背負っているもう一本の剣を掴むと軌道を追いかけるように2本目の斬撃を放つ。

 2本目は威力重視の大剣でつばに魔道具が仕込まれている。

 この大剣を一撃だけとはいえ右手の刀に劣らぬ速さで振り切るのだから大概である。

 しかも片手になって振り切った刀は捻じられた身体が軋みを上げるのにも構わず力任せに切り返し、横一文字に切り付ける。

 一撃目が通り過ぎた直後、通常なら剣先を注視しているべき刹那のタイミングで二撃目が迫り更に切り返しの三撃目が角度を変えて襲うのだ。

 今度こそ躱せるものではない。


  ブウォン


 とは鳴らず時間が止まったかのように一瞬の静寂が訪れる。


「ひどいなぁ。いきなり切り付けるなんてボクは敵じゃないのに。」

 ゴーザの大剣と刀を素手で受け止めた男は『小枝がはねた』とでも言うように暢気な声で話しかける。

 しかも女性が見たらうっとりしそうな爽やかな笑顔を浮かべ、貴族が私室でくつろぐ様な緩やかな服を纏っている。

 対するゴーザは奇襲の二刀流で相手を捉えたものの流れを止められ、渾身の力を込めた競り合いは大地を相手にしているかのように微動だにしなかい。


「あれほどの殺気を放っておいて味方のはずはないからな。この神素溜まりもお前の仕業か。何をするつもりだ。」

 絶望を振り払うかのように言葉を叩き付ける。何でもいいから切っ掛けが欲しかった。

「心外だなぁ。ボクは英雄の顔を見に来ただけだよぉ。」

「何のことだ。」

「そうだなぁ。全ての始まりかな。君はやがて英雄と呼ばれ、多くの人々が君の名前を畏怖と憧れの代名詞のように使う事になる。しかしそれは始まりに過ぎない。君の血に連なる者が力を得て幾つもの試練の果てに神々と同じように名前を呼ばれることになる。

 ボクはその時を楽しみにしているんだよ。ワクワクしすぎて抜け駆けしてしまうほどにね。ああ、この神素はボクが来たことのおまけみたいなものだよ。うっかり払って来るのを忘れただけだから心配しなくてもいい。」

「お前、神か!だがふざけるのも大概にするがいいッ!」

 ゴーザの剣が炎を纏い神の笑顔を焼き尽くすが如く吹き上がった。

 尋問をしながら思考論理回路ロジックサーキットの一つを使って大剣の魔導具を発動させたのだ。

 相手が怯んだ一瞬を逃さず左右の武器で再び切りかかる。

 しかしそこまでだった。

 目の前にいた敵が煙の様に実態を失い消え失せていた。


「ボクの言ったことを忘れないでね。君の決断で世界の行く末が決まる可能性もあるのだから。まあ、ボクには面白ければどうなってもいいのだけれどねぇ。」


 声だけを残して気配も消えていた。

 やがて、神素も薄れて行き、全てが夢だったかのように見なれたコルドランの姿が目の前に現れた。


 後に幾多の冒険の末に英雄となったゴーザ:フェンネルの逸話にこの出来事は語られていない。

 しかし晩年のゴーザはこの出来事の為に苦悩と後悔をすることになる。



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