第九章 フューシャ・スライと世界が廻る⑤

 ジョニーは、シュリセの矛先が、思わぬ形で自分から完全に逸れたことにより、一先ずは安堵した。

 

 だが、シュリセに詰め寄られる前から災いとなっていた少女三人組の勢いが、巻き返しはじめていた。

 喧嘩腰に迫られるのならば、三対一でも構わないのだ。

 リンダ、レイラと時計塔の下で対峙した時と同じようにするだけである。

 しかし、幾ら百戦錬磨を自負していた所で、ここまで公然とスキンシップを図られた経験など、さすがにあるはずもなかった。

 リンダと身体を重ねたミクシア祭から、数日も経っていないことを思い出し、なんとか正気を保つ。

 日頃から軟派な振る舞いをしつつも、根は違っているのだ。

 本命がいる間は、他のどんな女から秋波を送られようとも、同じように恋人にも悪い虫が付いているのではないかと、不安に駆られるのみである。

 誘惑をかけてくるのが、グラビアアイドルだろうがハリウッド女優だろうが、ジョニーは毅然と対応する自信を、これまでは持っていた。

 

 しかし、ああ、しかし。

 今回ばかりは、事情が違う。

 

 この世界には、腕を何本も生やしたやつがいれば、尾ひれの付いたやつもいるし、羽が生えてたり、肌が緑色だったりするやつもいる。

 こんなにも規格外が、うようよとしている中で、「美しさ」という要素に関してだけ、全ての化物がジョニーのいた世界の規格内に収まってくれるはずも無かったのだ。

 

 エルフ達が美男美女の集まりだと言うことは知っていた。

 しかし、それでもついさっきまでは、シュリセとの会話の中で育った、「なんていけすかない奴らなんだ」という嫌悪が勝っていたというのに。

 三人娘から甘い言葉がささやかれるたびに、この少女達だけなら認めてやってもいいのではないかという思いが、否応なく膨らんでいく。

 

 郵便番号の書かれたメモを押し付けてきた少女が、ジョニーの目をうっとりと見詰めている。

 先程フューシャから、「清らか」である可能性が高いと評されていた少女だ。 

 尖った耳の先が恋の羞恥に平静を保てず、小刻みに震えている。

 可憐だった。

 小顔を、耳の長さがより一層引き立てている。

 二十二世紀までに、日本でも必ず、耳を彼女達のようにするための整形手術が流行るだろうと、ジョニーは確信した。

 

 くだらない思考を慌てて打ち切る。

 このまま勢いに飲まれてしまうことを恐れたジョニーは、何とかアプローチを受け流そうと、少女達の視線から逃れるように、背を向けた。

 

 そしてジョニーは、自分の目を疑った。

 振り返った先に、なんとリンダがいたのである。

 

 ジョニーは歓喜した。

 リンダの手さえ借りられれば、エルフの少女達の誘惑を断ち切ること等、一瞬で済むだろう。

 リンダは、しゃがみこみ、石畳に空いた穴に向かって、デッキブラシの柄を伸ばしている。

 その体勢に関して、ジョニーは何の疑問も持たなかった。

 街中でワカサギ釣りができると言われたって、ニューアリアなら有り得る話のように思えた。

 

 ジョニーは、急いでリンダの元に駆け寄ると、屈んでいた彼女の脇の下に手を回した。

そのまま、持ち上げるようにしてリンダを立ち上がらせ、自分の方を向かせた。


「なんて丁度いいところに!」


「ちょっと、え……ジョニー!?」

 

 リンダは驚いた拍子に、デッキブラシを穴の中に落としてしまった。

 穴の中で、重たい何かが底に叩きつけられる音と呻き声が上がったが、気が急いているジョニーにとって、それどころではなかった。


「恋人だ」

 

 リンダの肩を抱き、エルフの少女達の元へ連れて行く。

 効果は覿面だった。

 少女達は、三人の中から誰を選ぶのか、というスタンスから一転する。


「嘘……ジンハウス姉妹?」

「酷いよ……よりによって、こんな女」

「街で一番のロクデナシよ?」


 あろうことか、リンダに中傷を浴びせ始めた。

 ジョニーは眉をひそめ、反論する。


「ロクデナシなもんか。週に三日は街のどこかを掃除してる!」

 

 強く声を張って恋人を庇う自分を、ジョニーは再評価した。

 そして先程までの、少女達に詰め寄られ、うろたえていた自分を激しく詰った。

 これからは、いかなる時も常に、恋人を腕に抱いている心持で過ごそうと固く誓った。


「見ての通り、愛してるんだ……けどまあ、おっかねえのも確かだ。浮気したら俺をどうするって言ってたか、教えてやりたいくらいだが、それは二人だけの秘密だ。なあ……」

 

 ジョニーはリンダの瞳を見詰め、そして。

 

 何かがおかしいと、思った。

 

 ジョニーの知っているリンダなら、この時点で、罵ってきたエルフの少女達に二言ずつ言い返して黙らせてから、とっくにふんぞりかえっているはずだった。

 

 だが今のリンダは、一方的に肩を抱かれながら石のようになったきりだ。

 目の端に薄く、涙まで浮かべている。

 

 ジョニーには、リンダが何故こんな態度をとるのか、さっぱりわからなかった。

 ミクシア祭の夜、安宿のベッドの上で服を脱ぐ前の彼女に戻ってしまったかのようだった。


「頭蓋骨くいしばれ!」

 

 リンダの声がした。

 奇妙だった。

 彼女は自分の隣にいるというのに、声だけが背後から響いてきて

 

 ジョニーの脳天に、衝撃が弾けた。

 

 稲妻の如き痺れが全身を駆け抜け、ジョニーは叫びとともに、ひざから崩れ落ちた。

 

 疼痛を何とか堪え、振り返ると、誰に襲われたのかは一目了然だった。

 デッキブラシを手にした、恋人の姿がそこにあった。

 

 リンダだと、すぐに分かった。

 双子は、顔こそ全く同一だったが、ヤンキー系の迫力はリンダの専売特許だったためだ。

 

 だが、噛みあわない点が幾つもあった。

 今の今まで、ジョニーに肩を抱かれていたはずのリンダは、デッキブラシなんて手にしていなかったはずだし、何より、こんなに泥にまみれてもいなかったはずなのに。

 

 矛盾はあっけなく氷解した。


「浮気……しかも、よりによってレイラにまで……」

 

 姉の胸に顔を埋め、レイラが涙を流しているのを見た時、ジョニーは、自分の犯した致命的な勘違いに気付かされた。

 

 リンダが、吠える。


「約束通り、二階から落としてやる!」


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