第九章 フューシャ・スライと世界が廻る④

 ジョニーは、エルフの少女達の頭越しに、ステラボウルズ対フューシャ・スライの戦いが大きな転換期を迎えたことを見てとった。

 

 十人のエルフ達で構成された囲いを、なんと一人で突破してみせたフューシャが、花嫁を抱くがごとき優雅さでロズの身体を持ち上げたのだ。

 

 これには、さしものロズも驚きを隠せていなかった。

 ジョニーは、ロズの反応に違和感を覚えた。

 まるで、フューシャに捕まれば自分がどんな表情を浮かべることになるだろうかということ自体を予想できていなかったかのような、あどけない取り乱し振りだった。


 ジョニーは、ロズとはまだ、まともな言葉すら交わしていないにも拘わらず、彼女が酷くおかしな方法で現実を認知しているのでは、と悟った。

 ロズにとって、仲間であるステラボウルズの存在は、映画のスクリーンのようなもので、彼女は常にそれを通す形で、現実感が排除された世界を捉えているのではないか、と。

 この世界に映画があるかどうか知らないが、もしかしたら、彼女はずっと、アクション映画でも見ているような気分だったのかもしれない。

 だとすれば、得心がいく。

 スクリーンから伸びてきた腕に掴まれ、映画の中に引っ張られることを予期していなかったとしても、不思議ではないからだ。

 

 フューシャはロズを抱えたまま、メグラチカを駆け、やがて追手を撒くため、横道の内の一本に逸れた。

 エルフ達も、息を切らせ続く。

 一人だけ、その流れに逆行し、ジョニーの方へ向かってくるエルフの影があった。

 

 シュリセだった。

 呼吸のたびに弾む肩と、必死の形相にも拘わらず、金の直毛だけは凪ぎ、一本の枝毛も見せてはいなかった。

 ジョニーをきゃっきゃと取り囲んでいた少女達が、さっ、とシュリセの後ろに回り、厳粛な顔を作り、加勢するそぶりを見せる。

 この上無くわざとらしかったが、シュリセが咎める様子は無い。

 今のシュリセにとって、少女達の存在は、三人丸ごと些事のようだった。

 ジョニーに詰め寄り、がなりたてる。


「はやくあいつを止めろ!」


「はあ!? どうして俺が」


「最終警告だ! もし出来ないなどと言おうものなら、こちらには君を叩きのめした上で牢屋にぶち込んでやる覚悟がある!」


「んな無茶苦茶な!」

 

 なぜ、そんな役割を押し付けられなくてはならないのか。

 なぜ、シュリセがこうも執拗に、ジョニーとフューシャを関連付けて考えるのか。

 ジョニーには、皆目見当が付かなかった。

 かといってこのまま何もしないでいても、目の前のシュリセが、ただで解放してくれるとも思えない。

 

 悩みに悩み、ジョニーはこれまでの人生経験を掘り起こし、この状況で自分の取るべき、もっとも効果の期待できる行動を導き出した。

 中腰の構えをとり、右の掌底を、フューシャの消えて行った方角に向かって突きだした。


「はああああああああああああああっ!」

 

 やけくそだった。

 ジョニーは、この騒動に関わった人間全てに最良の結末が訪れますようにと願いながら、精一杯の気を放った。

 誰も自分を責められないと、ジョニーは確信していた。

 どんなに考えた所で、自分に出来ることはこれ以上無いように思えた。


 …     …     …


「ジョニいいいいいおらああああああああああああああ……んあんっ!」


 ジョニーが奇声を発した瞬間、騒がしく隣を走っていた、姉の姿が消えた。

 

 レイラは思わず目を剥いた。

 

 しかしすぐに、何の事はないと気がついた。

 逆上した姉が、自分達の掘った落とし穴の位置情報を、頭からすっ飛ばしていただけに過ぎなかった。


 足元を見る。

 レイラ達の身長程度の深さに掘られた穴の底から、尻餅をついたリンダが、涙目でこちらを見上げていた。

「大丈夫?」と声をかければ、間違いなく姉は泣いてしまうだろうなと思った。

 かといって、姉の方から「助けてくれ」と口を開いてくるまで待ったところで、同じことになるのは目に見えていた。

 

 レイラは無言で、デッキブラシのヘッドを、穴の底に向かって差しだした。

 リンダが、弱弱しく手に取る。


 いつの間にか、裏路地を一周したフューシャが、再びメグラチカに姿を現わしていた。

 フューシャは、何とも器用な事にロズを抱えたまま、建物達の不揃いな塀の出っ張りを駆けあがり、スペーノ塔二階、開いた窓枠の上に、翼種を思わせるバランス感覚でもって着地した。


「清らかなる森の乙女よ。我に力をあずけるがよい。全ては、伝承の魔王を打倒せんがため!」

 

 腕の中にいるのにあんな大声で語りかけられてはたまらないだろうと、ロズの長い耳を横目に見詰めながら、レイラは思った。


「冒険小説の読み過ぎか? バカが!」

 

 ベグがフューシャに向かって叫んだ。

 エルフ達は、スペーノ塔の麓に固まっていた。

 フューシャの動きはもはや曲芸の域を超えている。

 パフォーマーとしての身体を鍛えていたところで、フューシャのように建物をよじ登るなどというのは、さすがのステラボウルズであれ専門外らしく、引きずり降ろす手立ては無いようだ。


「汚え手でロズに触るんじゃねえ。伝承だか何だか知らねえが、人違いだ」


「有り得ぬわ、痴れ者が。汝らの委細については、街に着いてからの巡察により、熟知しておるが故!」


 相変わらず珍妙な言葉遣いではあったものの、初めて自分達の言葉に応えてきたフューシャに、ステラボウルズ達は僅かにうろたえた。


「伝承に予言されしこの時代、この街。この歳にしていまだ清らかであるエルフは、この娘しかおらぬ! まさに伝承の戦士の証!」

 

 姉を引っ張り上げる為、右腕に力を込めつつ、レイラは首を傾げた。

 

 フューシャの口にした、『この歳にして』という言い回しが、レイラの中で妙に引っ掛かっていた。

 その言い方ではまるで、『清らかさ』が、年齢という要素に、強く依存ずる性質を持っているかのようだった。

 確かに、年を取るにつれ狭量になる者は多い。

 それでも、ベグの弁ではないが、冒険小説においても、賢者というのは大体、年老いているものである。

 なのにフューシャは、普通ロズ程度の年齢ならば清らかさは失っていて当然、と考えているかのようだった。

 

 年齢に纏わる清らかさ。

 

 まさかな、と、冗談めいた気軽さでもって、レイラはシュリセの姿を探していた。

 レイラと同じ発想に辿り着いたステラボウルズのメンバー達も、努めて好意的に、シュリセへと目配せした。

 当のシュリセは、思考の読めない無表情だった。これだけの視線を集めて、なお泰然としていられるのならば、シャンディーノも、塔をガラス製にした甲斐があったというものだろう。

 

 フューシャが言った。


「もっとも、この娘以外の可能性が、悉く消散したというわけでもない。……諸姉らも、崇高なる使命への参加を、絶念することなかれ。有望なる者はまだ存在する。汝に汝、それから、汝も……」


「その馬鹿の口を今すぐ塞げ!」

 

 シュリセが、口を顔の半分の大きさにまで開いて叫んだかと思うと、フューシャの元へ駆けだして行った。

 そのまま体当たりをかませばスペーノ塔を傾けられるのではというような、おおよそ彼にふさわしくない、汗臭い突進であった。






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