第八章 シンガーの品格③

「作戦を説明するわ」


 メグラチカの通りに面する、二階建てアパートメントと、スペーノ塔の間に挟まれた路地に到着した。

 

 メグラチカは、寂れた通りだった。

 学術塔の建設許可は、一応為されている地区のようだったが、一般住居も多く併設されていることから、ここが学術塔専用地域ではないことがわかる。

 こう言った場所は一般市民に配慮して、研究に大きく制限がつく。

 結果として、生徒を思うように集められず、廃業寸前の教授達の集まる負け犬区画となるのだった。

 

 ジャックもオークという種族柄、敷居の高い塔から通学許可が出ることは少ないので、研究塔に蜘蛛の巣が張っていたりしても気になどはしないが、今、ジャックが背中をあずけているスペーノ塔には、また別の趣があった。


「まず、スペーノは気にしなくて大丈夫。調査によると、彼は最近ずっと引きこもって、愛玩キュウキュウリリ・ワイフで孤独を紛らわすのに夢中になってる」

 

 スペーノ塔の壁を見詰めながら、ジャックはレイラの説明に耳を傾けていた。

 ブロックの隙間には、溶接材代わりか、緑の藻が繁殖している。

 スペーノ塔は三階建て、丸屋根の、学術塔としてはかなり小規模なもので、中からは今、出来ることなら長いこと聞いていたくないような、何かに、唾液交じりに吸いつく音が聞こえてきていた。


「エルフ達は、今日の午後から芸術院傘下の分塔で授業を受けることになってるわ。メグラチカの先のね。つまりターゲットはもうじき、ここを通りかかる」

 

 レイラが、目の前のメグラチカ通りの風景を、左から右へ、指でなぞりながら、説明していく。


「スペーノ塔が廃塔寸前なのが幸いして、元々人通りは少ないの。スペーノ塔の前に、いくつか落とし穴を作ってあるわ」

 

 ジャックは、路地から僅かに顔を出し、メグラチカの様相を窺った。

 人通りは皆無であった。

 地面に、ところどころ不自然な隆起が見られる。

 姉妹が落とし穴の為に一度、石畳を剥がしたせいなのか、それとも都市整備要綱からメグラチカが除外されているせいなのかは、判然としなかった。


「話は簡単よ。誰かしらエルフが落とし穴に嵌ったら、石膏花を投げ込む。花は、落とし穴の外に石膏像を吐きだすよう調教してあるの。やつらが慌てふためいている間に、私達は下半身の彫刻をこっそり回収。その後すぐ、スペーノ塔の中まで走って身を隠す。その時は、塔の壁にそって走るのを、忘れないでね。そうしないと、落とし穴に落ちちゃうから」

 

 出来立てほやほやの品を、売り込みに行くと言うわけだ。

 リンダが、左手に掲げた鳥かごを、揺らす。

 石膏花は、髪を振り乱すような仕草で、威勢よく戦意を表明している。

 レイラは、ジャックに向かって、肩をすくめて見せた。

『簡単でしょ?』。

 前科に乏しいジャックは、不安を紛らわそうと、計画に見られるとりあえずの瑕疵を、指摘する。

 

 スペーノ塔の玄関に掛かった錠前を指差す。


「鍵が、かかってるんじゃないの?」


 姉妹の回答はシンプルだった。

 おもむろに路地から出ていったリンダが、悠然と塔の前まで歩み寄る。

 デッキブラシの柄で、難なくドアノブごと、刺し貫いて見せた。


「……失敗したら?」

 

 ジャックは続けて質問する。

 戻ってきたリンダが、鳥かごをジャックに突きつける。


「お前の下半身をこいつに吸わせることになる」


 石膏花が、花弁の裂け目から、ちろりと雄しべを覗かせていた。

 二股に分かれた、蛇人ナーガの舌に似ていた。


「安心しろ、石膏なんだ。ご丁寧に緑に塗ったりしねー限り、スペーノにゃわからねーよ」

 

 結局、作戦のキモは、リンダのそんな台詞に集約されていた。

 ジャックは吹っ切れた。

 少なくともこれ以上、ロズをターゲットから外すことを、どのように進言したものか思案する必要はなさそうだった。




 エルフ達を待つ間に、ジャックの覚悟の糸は、幾度となく千切れかけた。

「やっぱりだめだよ」「力技すぎる」「ああ、どうして僕たちみんな、顔だけ隠しても無駄なやつらばかりなんだろう!」。

 ジャックの勇気を縫いとめておくため、リンダから八回、レイラから三回の蹴りが放たれた。

 姉妹はそれぞれ、姉もしくは妹以外の相棒がこんなにも心もとないものであることを初めて学んだようで、ウンザリしていた。

 リンダがジャックを落ちつかせるため、デッキブラシの毛の本数を、数えさせ始めた時だった。


「来たわ!」

 

 レイラの声に、リンダの表情が引き締まる。

 ジャックも不思議と冷静になり、双子に協力しなければという使命感に駆られた。

 

 メグラチカ通りの入り口に、エルフの一団が差しかかっていた。

 こんな寂れた通りを、本当にエルフ達が利用するのか懐疑的だったが、しっかりとやってきた。

 人通りが少ないのが、人気者にとっては、かえって煩わしくなくていいのかもしれない。

 

 十五人ほどいる。

 皆、ステラボウルズの一員のようだ。

 フルではないにしろ、ゴールデンメンバーとよんで差し支えない顔ぶれである。


 シュリセとロズも、輪の中心にいる。


 ジャックは生唾を呑んだ。集中状態に入ったリンダとレイラの目は、狩りに挑む獣の据わり方をしていた。

 

 鼓動が早まる。

 スペーノ塔の前まで、エルフ達は、後十歩というところまで迫って来ていた。


 先頭を歩いているのは、シュリセだ。このまま行けば、落とし穴に嵌り、闇オークションに下半身を流通させるのは、彼ということになるだろう。

 

 ジャックは、シュリセの歩調に合わせて、十、九、八、七、と頭の中でカウントを減らしていった。

 塔内のスペーノ・キュロスまで、一体何を盛り上がってるのか、吸いつき音のBGMを加速させていく。

 

 三、二……。


 レイラが低く屈み、走り出す構えをとり、リンダは鳥かごを持つ手に力を込めた。

 ジャックは、リンダのデッキブラシを代わりに持ちながら、殴らなくて済むように、それでも、殴らなければ姉妹を守れない時には、どうか自分にその勇気をくださいと、神と龍に祈りをささげた。

 

 ……一.

 

 ジャック達のいる場所と、スペーノ塔を挟んで反対側にある路地から一人の男が飛び出し、シュリセ達の目の前に躍り出た。


「遅かったな、待ちくたびれ」

 

 そして次の瞬間、男の足元の石畳が崩落。


 声もなく落とし穴に吸い込まれ、消えた。


「……………………」

 

 ジャックも、リンダもレイラも、シュリセ達も、何一つ言葉を発しなかった。

 

 シュリセ達は、そろって真顔で固まっている。

 彼らにとって、目の前で起こった出来事は、余りに一瞬かつ唐突であり、何が起こったのか、それが本当に起こったことだったのか、果たして自分達に関係のあることだったのか、その全てにおいて理解しかねているようだった。

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