第八章 シンガーの品格②

 鉄槌公園、と呼ばれる場所がある。

 手狭な空き地なのだが、その石畳の中央部には、神が拳を叩きつけて出来たような、放射状の罅を周囲に放つ大きな窪みがあり、中では水が湧いて、立派な泉になっているのだった。

 なぜこのような場所が形成されたのかは、ニューアリア史研究者をして、調査するにもニッチだということで不明のままだが、当の市民達にとっては、「他とは多少趣の違った噴水」でしかなく、裏名所としてのアイデンティティは確立されており、今日までの保護に至っている。

 

 ジャックは、澄んだ泉の底を、気を遠くしながら見詰めていた。

 稲妻の形に割れた石畳の隙間に湛えられ、常に水面は凪いでいる。

 鉄槌広場に来るのは、初めてではない。ジャックは改めて、この場所が、噴水と言うよりは泉という所感を自分に抱かせる事を、確認した。

 人の作り上げた街に存在するとは言え、人の意思を介さずに誕生した以上、これもある種の自然であると、ジャックは結論付けた。

 リンダとレイラは、ジャックが少し目を離したすきに何処からか、桶を二つと、小さな革袋を用意してきた。

 窃盗かどうか聞いておかなければ共犯になるのだろうか。

 そんな思案に没頭してしまったのがいけなかった。

 桶になみなみ、泉から水を汲んだ姉妹が後ろから近づいてくるのに気付いた時にはもう、手遅れだった。

 二つの桶がジャックの頭の上でひっくり返され、足の先まで、ずぶ濡れにされてしまった。

 季節は温暖に向かっているとはいえ、水は心臓を止めるほど冷たい。

 痙攣を始めた唇で、なんとか文句の一つでも言ってやろうと思った矢先、レイラが、今度は革袋の中身を、ジャックにぶちまけた。

 消毒粉だった。

 なぜわかったかというと、以前投獄された際、同じように看守から塗されたからだ。

 リンダとレイラも、同じ目にあったのだろうか。

 ジャックはふと、彼女達がこんなことをするのは、これが三人の共有する、特別な経験だからなのかもしれないと思った。

 手紙に、お互いにしか分からない記号を意味もなく取り入れるような甘い連帯に、ジャックは囚われる。


「おら、吐けよ、吐けったら!」


 ずぶ濡れで消毒粉を浴びせられたジャック。

 デッキブラシで体を擦られ、あっという間に全身泡だらけになった。

 

 リンダは執拗に、ジャックがゴミ捨て場で寝そべっていた理由を聞きだそうとした。

 

 リンダとレイラに、その意識があったかどうかは計りかねるが、毛羽立ったブラシによる刺激は、拷問のように効いた。

 ジャックは口に入り込んだ苦い泡を飛ばしつつ、事情を説明するしかなかった。


「腰ぬけ」

 

 広場の隅にまで走った細い罅の一本からは、何故か強く乾燥した温風を吹き出すのを、ジャックは知っていた。

 三人はそこで、ジャックの服が乾くのを待ちながら、話に耽った。

 上だけでも脱いで干したらどうだ、というリンダの意見を、ジャックは恥じらって、採用しなかった。

 リンダの胸元も、飛沫を浴びて斑に透けていたが、彼女が気にする様子はない。

 彼女のようには、なれそうもなかった。


「前にも言ったけど、どうしてやり返さねーんだ」

 

 ジャックは、自分がエルフの鼻っ面に一発お見舞いして、『また俺に、ちょっかい掛けやがったら、次はそのとがった顎を平らにしてやる』と言い放つのを想像してみる。

 口の中、歯の間に僅かに残った消毒粉の苦みに顔をしかめながら、ジャックは答えた。


「報復をすると、向こうも報復をしてくるだろう? 僕が無抵抗だから、相手も必要最低限の暴力で満足してくれるんだ。報復のし合いになると、多勢の相手の、暴力の底を見る羽目になるから」


「バカだな、ジャック」


「君の恋人は、真逆のことを言ってたけど」

 

 ジャックの指摘の効果は、「君の恋人」というフレーズでもって、リンダを嬉しがらせるにとどまった。


「頭の中に教科書が入ってるだけだ。引き出し方がなっちゃいねー。クローゼットに服詰め込んでよーが、センスが悪けりゃどうしようもねーのと同じだ」

 

 リンダが、ジャックの服の裾を引っ張る。


「何事もやりようだ。丁度、良い方法がある。まずは大元のエルフからだ」


「あなたの憎しみ、お金儲けに使ってみない?」

 

 リンダとレイラが、両脇から身を乗り出してくる。

 リンダが無邪気に、レイラがゆったりと。

 思わず見惚れてしまい、ジャックは、自分が悪の道に誘われていることに、この時点では、いまいちピンと来ていなかった。


「でかいヤマ、抱えてんだ。メグラチカ通り、知ってるだろ? あそこに、スペーノ・キュロスっていう河童ウォーター・インプの爺さんがやってる医療実験塔がある。看板は肛門器治療を謳っちゃいるが、実際は、麻酔かけてる間に客の尻子玉を勝手に抜いて、夜な夜な競りに出してる変態野郎だ。最近、新聞を騒がしてる、『尻子玉闇オークション』の元締めってーのは、実はスペーノの事なんだ」


「なんだって!?」


 ジャックは仰天した。


「すぐ、警察に連絡を」


「するわけねーよな」


 リンダは、手持ちの肩がけバッグから、なんと鳥籠を取り出した。

 それ以外に、バッグの中には何も見えない。教科書の一冊も。

 

 これまで接してきた印象から統合するに、ジンハウス姉妹は片羽と言えど、(それとも『片羽だからこそ』なのだろうか)、その斜に構えた態度の中に、ハーピーという種族への、比較的強い帰属意識を隠している。

 鳥籠の中に捕えられているのは、だから当然、鳥類ではなかった。

 

 植物だ。


「石膏花だ。獲物を丸呑みした後、獲物と、その獲物そっくりの石像を吐きだすっていう、自然の芸術家さ」

 

 石膏花は、細い茎の上に肉厚で瘤状の、殆ど球体に近い形をした、緑色の花弁を一枚つけているのが特徴だった。

 確か、獲物を捉える際には、花弁を風船のように大きく膨張させ、花弁の中腹にある、唇を思わせる裂け目を開き、取り込むのだったか。

 鳥籠の中に土が盛られているはずもなく、根は露出しているものの、乾いた様子はなく水々しい。

 捕えられている、といった風情ではなく、穏やかに寝そべっているだけのように見えた。

 まさか、姉妹になついているのだろうか。


「競りに出されるのは、尻子玉だけじゃねえ。私らも一枚噛むぞ。オークションの目玉に、世にも美しいエルフの彫刻はいかが、って、スペーノに売り込んでやるんだ。こいつは小ぶりの花だが、それでも二手二足系の下半身くらいまでなら、十分呑んじまえる。河童のじいさんなら、ケツだけついてりゃ文句は言わねーだろ。万に一つも、私らにとばっちりはねー。臭い飯はスペーノが食ってくれるだろうし、エルフのやつらに、赤っ恥もかかせられる。金は勿論、交渉次第で、単位だって手に入る」


「よくもまあ次から次へと、とんでもないことを考えつくね。君は」


「まさか。ほとんどレイラが考えた。私は、自分が今話したことの半分くらいしか理解してねーよ。後の半分をお前に理解してもらうために、探してたんだから」

 

 ジャックは一周回って、感心した。

 それでよく、教科書とクローゼットの講釈なんか垂れたものだ、と。

 

 リンダは、レイラの傍に寄ると肩を抱き寄せた。


「私の自慢だ。嘘と詐欺じゃ首席だって張れる。全く、レイラに惚れられた男は、幸せものだよなー」

 

 ジャックは、どう反応していいか、困った。

 リンダの口上では、売り込まれているのか脅されているのか、分かったものではない。


「服もそれだけ乾けば十分だろ、そろそろ時間だ。すべからく奪うものだぜ。金も、単位も……」

 

 リンダは左手で、腰まである髪を掴んで束にし、捻じり、立ち上がった拍子に、その手を放した。

 リンダの動きに合わせ、髪が腰元で、美しく広がった。


「恋もな」


 突然の『演出』に、呆気にとられたジャックに先んじ、リンダはメグラチカ方面に歩き始める。

 

 レイラに視線を送ると、肩をすくめながら説明してくれた。


「処女膜が頭についてたのよ、きっと」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る