星を追う人
夏鴉
星を追う人
凍空。藍深く、数多の玉を砕き撒いたかのような空が何処までも広がっている。かふり。息を吐く。白い靄が、高く上って行く。
生きている。
「起きたか」
笑いの響きがある声。重い瞼を一度閉じ、開いて、瞳を動かす。白い地面の上に毛皮。その上に寝かされている。傍らには、繊細な刺繍の刻まれた布が波打っていた。ゆるりと視線で布を辿る。布はローブだった。ローブであるからには、着ている者も、当然いる。
「まだ寝坊助か」
くつくつ。何が面白いのか、笑い声を転がして、ローブを纏った男は――そう、恐らく、そうだ。いやに綺麗な顔をしているが――おれの額に掌を触れさせた。見た目の印象より、ずっと温かな手だった。
「熱は、出ていないようだな。重畳なことだ」
「何故だ」
愉快そうなそれから柔らかな微笑に表情を変えた男におれは声をぶつけた。
「何故、とは」
「放って置いてくれればよかった」
「死ぬのをか」
「もう行き場がなかった」
「それで川に身を投げたか。この、凍りかけの、激流に」
全く、その通りだ。何故、助けた。何故、助けられた。
「それは、悪かったな」
軽い口調で男は答える。
「だがな、見殺しには出来んさ。生憎と、俺はそこまで非情にはなれんさね。お前はまだこどもだしな」
「何の関係もないじゃないか」
「こどもは大事さ。それに、お前みたいな死にたがりのこどもは、放って置けん」
「身勝手なことを」
助けて、それでお仕舞いのくせに。大人はいつもそうだ。利がなければ、簡単に切り捨てる。
「身寄りもない。村ではもう用済み。金も、食い物も、なにもない」
「丁度良い。なら、何処へでも行ける」
「何もないのに」
「俺がいる」
さらり。男の口から言葉が放られる。ぱきり。赤く燃える焚き火が音を立てた。
「何も無責任に助けた訳ではない。助けたからには、それなりの責任を持つさ。衣食住、きちんと面倒は見てやろう」
氷の色をした瞳が細められる。暖かそうだった。でも。
「そんな都合の良いことがあるもんか」
「随分とこまっしゃくれたこどもだな。そうか、なら、理由があれば良いのか」
ふむ、なんてこれ見よがしに顎に手を当てて考え込んだ男ははたと手を打って、ずっと被っていたフードを脱いだ。ぱさり。青みがかった黒髪が溢れ、背中に流れていく。
「身体は起こせるか」
何のつもりだろう。頷いて、座り直すと男はおれの肩を抱いて、空の一点を指差した。藍の透き通った空。そのずっと遠くに、一つの星。他のどの星よりも蒼く輝く、星。
「何が見える」
「星……青い、すごく輝く星が」
「そうか、見えるか。なら早い。お前は特別だ」
「……どうして」
「あれはな、普通の人間には見えんのさ」
楽しそうに男は言う。
「【星】と、俺達も呼ぶが、あれは本当の星ではない。【星】という名前を冠した、古い遺物だ」
「いぶつ」
「ああ。ずっとずっと昔の魔術師に作られたという、自律する羅針盤さ」
膝に肘を突いて、男は星を見詰める。妙に熱っぽい視線だった。
「かつての魔術師達が遺した宝、魔術を指し示し、導く装置――だった」
「だった?」
「壊れてしまったのさ」
ふふ、と男は困ったように笑う。
「今でも【星】は何かを指し示している。だが、それは決して古き秘宝などではない。何の変哲もない建物であったり、馬車であったり、石ころであったり。そしてそれを誰かが暴けば、また別の何かを指し示す。壊れた【星】は、もはや指し示す機能しか残ってはおらんのさ。ただ、指し示すという己の使命のみを果たす、何処へも導けぬ哀れな羅針盤に成り下がってしまった」
だが、と男は言葉を継ぐ。
「その壊れた羅針盤に夢を抱く者も、いる。例えば、俺とか」
「無駄なことじゃないか」
「無駄かもしれんな。だが、時に思いがけないものを指し示すのさ、あの【星】は」
蒼く輝く星を見据えて、男はやれやれと息を吐く。白い靄が生まれて、消える。
「だから夢を見る。不幸にも魔術によって隠されていた筈の【星】を見つけてしまった者はな。いつか、あの【星】が本当の宝を指し示すのではないかと」
「……それに、おれを巻き込むのか」
「そういうことになるな」
うう、と呻いてフードを被り直した男は、軽く言ってのける。
「見えるのは、貴重な人材さ。俺も永遠に生きられる訳でなし、どうせなら、弟子くらいいても良いだろう」
随分と勝手な言い草だ。
「おれにも星探しさせるのか」
「星は追うのさ。俺達はそう言う。
「そんなのどうだっていいだろ」
「大事なことさ、俺と共に来るのならな」
さて、と立ち上がった男はおれを見て、しゃがみ込んだ。
「行くか」
「は?」
「本当は近くの村で宿をとでも思ったんだが、あそこがお前を死に駆り立てたのなら寄らない方が良いだろう。なら、此処はもう発ってしまおう」
「移動手段はあるのか」
「勿論、これでも長く旅しているんでな。だから、さっさと立て」
言いながら、男は手を差し出してきた。
思ったよりも、温かな手。
おれは、知っている。
馬鹿馬鹿しい話だ。星なんて知ったこっちゃない。この男だって、怪しくって仕方が無い。
でも、おれは、もう知っている。
だから、少しだけ、この男に付き合ってやってもいい。
「……分かった」
手を伸ばして、男のそれを掴む。
やっぱり、温かかった。
星を追う人 夏鴉 @natsucrow_820
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