ケーキと紅茶と君との時間

蒔田舞莉

プロローグ

フルーツいっぱいのタルト。

大きな栗が乗ったモンブラン。

カラフルで小さなマカロン。

宝石のようなそれが並んでいる景色は壮観だった。


小学校の一年生だっただろうか。ゴールデンウィークに家族で遊びに出かけた。

午前中は美術館と博物館。当時から芸術センスのあった上の姉は美術館ではしゃいでいたし、生き物が好きな下の姉は博物館で目を輝かせた。

僕はというとそのどちらもそこそこ楽しかったが、姉たちほど楽しむことはできなかった。

しかしそのあと行ったケーキバイキング。それが僕の将来を決めることになる。


カタカナの難しい名前のプレートが並んだ、キラキラしたショーケースを眺め、幼い僕は歓声を上げた。

美しいと思った。直前に行った美術館の高尚な絵や彫刻よりも、ずっと。

マジパンで作られていく花が、まるで魔法のように思えた。


「僕、ケーキ作る人になりたい」


親に、姉に、そう告げた。

うちの家族はそれぞれのやりたいことを尊重するタイプで、その時も笑って応援してくれた。

そして、応援してくれたのがもう一人。

僕の尊敬してやまない人だ。


「お、キミ、パティシエになりたいのか」


高い背に、金髪。白い帽子と服、赤いタイを付けたその人は、ニコリと笑った。


「ぱてぃしえ?」

「うん、パティシエ。ケーキを作る人をそう呼ぶんだ。おじさんも、そう。あそこのケーキ作ったのはな、俺なんだ」

「えっ、本当?!」

「ああ、本当」


おじさん、という自称の割に随分と若々しいその人は、そう言って少し自慢気な、誇らしげな表情を見せた。


「どうやったら、おじさんみたいになれる?」

「そうだな、ケーキのことを沢山知って、勉強して。それから何よりも、ケーキを好きになること、かな」

「もうケーキのこと大好きだよ?」

「今よりもっとだ。もっともっと、ケーキを好きになるといい」


そう言って、大きな掌で頭を撫でられる。こんな大きな手が、どうしてあんなに繊細なケーキを作れるのかと不思議に思った。


「わかった。ケーキをもっと大好きになって、たくさん勉強して、いつかおじさんみたいにキレイなケーキ、いっぱい作る!」


―――そして月日は流れ。


「い……よっしゃあぁぁぁぁ!!」


中学三年、冬。

僕は推薦で、甘楽高校製菓科に合格した。

……ただひとつ、問題が。

僕の住む県は所謂田舎で、県庁所在地でもそこまで人がいない。当然、ただでさえ珍しい製菓科など県内では見つからず、県外である。ちなみに寮はない。

つまり、下宿なり一人暮らしなりをしなければならないのだ。

どうしようかと頭を捻っていたところ、あの人の店が、テレビで放送されその県にあることがわかった。店名はパティスリー・コントゥ・ドゥ・フェ、おじさんの名前は一ノ瀬礼というらしかった。

ホームページを検索すると、下の方に小さく住み込みアルバイト募集というリンクがあった。クリックすると、細かい要項と申し込みフォームが開かれる。

学生可、三食付き、甘楽高校徒歩十分。

あとは、ケーキが好きなこと。

言われた言葉が蘇る。

フォームに必要事項を記入し、送信する。一言の欄にはその時のことを書いた。

それから、三日後。

部屋で作ったケーキを食べていると、母に呼ばれた。


「蛍都ー?電話よー」

「んあ?誰?」

「一ノ瀬さんって人から」


瞬間、部屋を飛び出し階段を駆け下りる。急ぎすぎて途中転びかけたが、なんとか電話にたどり着く。


「はい、蛍都です!」

『こんにちはー。久しぶりだね」

「お、覚えてくれてたんですか?」

『いやぁ、あれほど熱意持って話してくれた少年、後にも先にもキミしかいなかったしね』


当時と変わらない声であっはっはと笑われる。

覚えていてくれたということに、心底驚いた。


『さて、それじゃあ本題だけど。応募ありがとね。甘楽高校合格したって?倍率高くて大変だったでしょー』

「ええ、まあ。確か三点四倍くらいだったかと」

『みたいだね。うちの娘がいってたよ、いつもに増して倍率高いって』

「……娘さんがいらっしゃるんですか?」

『うん、キミと同い年。甘楽高校の商業科。それと息子が一人。今年専門学校卒業して、春からうちでパティシエやることになってる』


へえ。仲良くなれるだろうか。というか製菓じゃないんだな、と少し意外に思う。

息子さんの方は専門学校だから、丁度二十くらいなのだろうか。


『まあ、そういうのもあって、キミに頼もうと思うんだ。住み込み』

「……へ」


何の気なしに言われたものだから、反応が遅れる。


「本当ですか?」

『うん。キミなら大丈夫そうだし。やる気があるのが一番、ってね。まあ何せ俺がしばらく店空けるからさ。人手必要なんだ』

「ありがとうございます……ええと、店を空ける、っていうのは」

『パリの方で研究というかなんというか。そういうことしようと思って。……まあ、俺には及ばないけど息子の腕もいいからね。大丈夫だと判断したんだ。だから、何かあれば息子に聞くといい。親の俺が言うのもなんだけど結構優秀だからね』


そうなのか。少し残念な気もするが、あのケーキがまだ進化し続けているのだと思うと、ワクワクした。


「わかりました。頑張ります!」

『うん。来る日が決まったらまた言って。子供達に駅まで迎えに行かせる。最寄りはホームページに載せてるし、質問あったら電話なりメールなりしてくれればいいから』


そして最後にもう一度よろしくね、と言って電話が切れた。


今僕は、電車に乗っている。

服やら何やら詰めたボストンバックを一つだけ持って。

もうすぐでトンネルを抜けて、新しい街が見えてくるのだ。

僕の胸は、新生活にふさわしい、希望で満ち溢れていた。

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