怪人名仁男由隆の遺言

分身

第1話

 この文章は小説家・批評家である名仁男由隆氏の死の直前に収録されたインタビューを原稿に起こしたものである。なお氏はこの収録の一ヶ月後平成九年二月十九日に他界した。


第一章 宇宙と文学


——先生は宇宙に強い関心があるそうですね。


 僕の頃は宇宙の熱的死というのがあって、熱力学の法則からすると宇宙が溶けたガラスのように薄く広がっていくと熱も均等に分布してやがて絶対零度のあたりで均衡する。均衡するというのは動かないということですから死に体だという話です。しかし人類はとっくに滅んでしまうとしても宇宙は無限であってほしい。永遠に続いてほしいという願望がどこかにある。そういうロマンを科学が打ち砕いたというのは陰鬱で救いがなかった。がっかりというか、すごく虚無的になった反面宇宙が滅ぶというのも希有壮大でそのビジョンに多いに惹かれた。いつか宇宙が滅ぶ文学が書きたいと。


——熱的死のモデルは最近では否定されています。


 研究がどんどん進んで僕の勉強が追っ付かない。禅の公案のようで頭がぐちゃぐちゃになる。しかし分からないことは面白いです。宇宙は奥が深い。文学をものにしようと思う人は宇宙に目を向けるべきです。


——宇宙と文学はどういう関係になりますか。


 冷静になって考えると人間は常に宇宙のなかにいる。ですから自分を考えるというのは宇宙を考えていることになる。意識というのは宇宙と繋がっている。古代ギリシアのデルポイの神殿に汝自身を知れとありましたが、あれは宇宙と関連して考えないといけない。人間も宇宙もコスモスなんです。


——調子がでてきました。なにか一つ書いてみてください。


 やってみますか。どうなるか。


 君が宇宙を考えるとき宇宙は君を考えている。この瞬間も君は宇宙に考えられている。宇宙の謎は君の謎である。君が宇宙の不思議に悩むとき、宇宙は君の不思議に首をかしげるだろう。君は宇宙と連絡し通底してうちふるえ、からだのなかを感情がさざめき伝わってゆく。君は宇宙をいつくしみ宇宙は君を抱きよせる。君の両手は銀河となり光が君の言葉になる。私は新しい宇宙となった君と会話する。私は君に光の暗号を送り、君の笑い声は宇宙を満たすだろう。数億光年の距離を隔てて私はそれを観測する。


 こういうのはどうですか。


——先生は宇宙にならないんですか。


 僕は文字の人間だから記録するほうです。しかしあなたは僕のことを記録しておいてください。僕の言ったことを誰かに伝えてほしい。僕が何を考えて何を喋ったか。というのは僕の書いたものは残るけれども僕は残らない。僕は伝えたいことが沢山あるんですが時間がない。


——記録して伝えます。


 あなたに言って気がついたのだけど、ひょっとすると僕は死ぬということが怖いのかもしれない。宇宙になりたいというのはそういうことのあらわれかもしれない。人間には不死の願望が根強くあって、これは聖書にも書いてあるんですけど人間は死後復活する。霊魂だけじゃなくて肉体も復活する。そうして肉体ごと宙に浮いて天国に入る。


——そんなことが書いてあるんですか。肉体ごとですか。


 ちょっと日本人の感覚だとわからないんですけど、いざ自分が死ぬとなると復活というのはリアリティがある。若いままの姿でもう一度生きかえるというイデーはすごく魅力がある。老人には切実に訴えるものがある。そういうことを書いたのはパウロという人ですけれども、この人も迫害されていたので、やはり死の予感はあったわけです。復活願望、不死の願望というのがどうしても出てくる。


——死ぬということは怖いですか。


 自分がゼロになるというのは恐ろしい。そういうことを子供のころ寝ながら考えて泣いたことがある。しかし今は足が弱ったり手が痺れたりして毎日少しづつ死に向かっているので、死ぬ練習をやってるというか死ぬことに馴らされていくという感じ。ぼうっとしていることが多くなったですけれども、ああいう感じが持続してそのまま死んでいくというか電池切れになる予感はあります。最近は夕方ごろが寂しくて誰もいないのが怖い。太陽が沈むころに怖くなるというのは理性より動物本能が勝ってきた証拠かもしれません。マルクスは宗教は阿片だと言ったですけれども、あれは必要悪と言ったので人間が死を恐れるかぎり宗教はなくならない。怖いというのは本能なのでどうしようもない。あなたが来てくれるのはありがたいです。


——明日もおじゃまします。


 あなたは僕を刺激してください。どうかすると興が乗って書けるときがある。僕はアフォリズムが好きで、短いのを書き散らしてからそのイデーに即した登場人物を考えて、その登場人物を組み合わせて話を考えるスタイルでずっとやってきたのだけれども、最近はパッと頭が閃かない。寝てることが多いから。どうもね。

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