おとことおんな

藤村 綾

おとことおんな

 新幹線を待っていた。12時58分。新大阪行き。45分のこだまをぼーっと見送って58分のひかりが来るまでしばらくホームに立ちはだかり、遠くの赤い名鉄電車を見ていた。足下は黄色いぼつぼつの線がある。ここからは入ってはいけませんよ、と、目の見えない人にわかるように出来ている線。あたしはこの感触が楽しくて故意的にそこで足踏みをしていた。

『携帯カメラ、及び、カメラでの撮影は黄色い線の内側からお願い致しますー』

 駅員さんが遠くの方でマイク越しにあたしの方に目がけて声を張り上げている。遠いことに功を奏したとばかりに、駅員さんの顔を睨んでみる。豆粒ぐらいの駅員さんに。けれど写真など撮影していないのになぁ。怪訝に思いつつ頬を膨らませ、黄色い線から降りた。

 なんとなく、左横を見たら、ごついNikonのまるで報道カメラマンが使うようなカメラを構えたお兄さんが、腰を低くして頭をぺこっと下げた。なんだぁ。このお兄さんに注意したのか。なんだぁ。あたしも、ニコリと引きつり笑いをし、黄色い線の内側に足を揃え移動した

 【ブブ】

 メールが鳴り、ふと見たら、昔つき合っていた『男』からだった。

《今日今から時間できたけど》

 と。

 メールが来たと同時、新幹線がホームに滑り込んできた。雨の匂いをふわりと乗せたまま、新幹線があたしの前に停車した。どうしよう。何故このタイミングでメールが来るのだろう。新幹線の発車まで後2分。2分で考えなくてはならない。新大阪までの往復切符も買ってあり、帰りは日曜日の予定だった。仕事をかねての取材の為の旅だった。

【ピーーーーーーー】

 新幹線の発車の音がけたたましく鳴り響く。

 ドアがプシュと閉じ、新幹線はゆっくりと発車をした。たくさんの人が降り、同じくらいの人が乗った。同じくらいなので、新幹線内の人口は相違はないだろうな。きっと。などと思いつつ、あたしは新幹線に乗るのを辞めて男にメールを打った。

《逢えるの?》と。

 切符が無駄になってしまった。数秒の差。メールが後ならば、あたしは新幹線に乗っていた。ナイスタイミングというべきなのか。結果はわからない。けれど、あたしは男を選んだ。いつ逢えるのかわからない男。

《後、1時間くらいしたら。行ける》

《うん。わかった》

 先にホテルに入るとメールし、あたしは軽く買いものをしてホテルに先に入った。

 男は既婚者だ。逢うのはいつもホテル。ホテル以外行く所がない。好きだから逢いたいと思うことって、代弁をすると、セックスがしたいになるのだろうか。 なにせ、あたしたちが逢ったところでメリットなどはなにもなくあるのは、ただのデメリットだけなのだ。先のない恋。あたしは独身で男は既婚者。本当に先はない。このままいけば、あたしは誰とも婚姻をしないまま終わってしまうかもしれない。けれど、男には何も望んではいない。むしろ家庭を大事にしている男だから愛しているのかも。とも思う。

 けれど、メリットもデメリットもそんな単語などはこの際棚上げし、あたしは純粋に男に抱かれたいと切に思うのだ。都合のいい女でもいい。だって、身体を重ねるとき、この人になら殺されてもいいとすら思えるのだから。

 重傷だ。

 重い傷。言葉の通り、あたしは重い傷を背負ってしまった。色あせることのない恋は不倫。禁忌な恋のほうが俄然長続きをしてしまうという、因果な恋。


《403に。1階の駐車場に停めて》

 メールを打っておいた。部屋に入って10分ほどしてからだ。ホテルに1人でいると違和感がある。特に女が1人だ。いつもは男の方が先に部屋に入っている。

 先にホテルで待つ男の気持ちが分かるようなわからないようななんだか変な感じ。閉め切った窓をあけ、おもてを見たら、ささやかに雨が降ってきた。

 男と逢うときは雨が多い。偶然だ。多分男が雨男なのか、あたしが雨女なのかはわからない。しかし、そんな瑣末なことなどどうでもいい。

 他人のものだから意地で好きになっているとか、そんなくだらない理由などではない。明確に好きなのだ。ただ好き。それだけ。

 男がもし独身でも好き度合いはきっと同じだったと思う。あたしは仕事をしている男の姿を見たことがあり、その真摯な眼差しに惚れたのだから。

 汗をうっすらとかいていたので洋服を脱いだ。

 ブラジャーと下着はつけたままで、バスタオルで身体をくるむ。あたしの身体はすでに男を欲しがっている。逸る気持ちを押さえあたしはテレビのスイッチを押した。

 【カチャ】

 玄関から鍵の空く音がしたと同時に男が部屋に入ってきた。

「あ、雨降ってきた」

 唐突な物言いにあたしは、そう、とだけ呼応する。

 お互いの近況などを一通り話し終えたあと、男がしらっと、シャワーを浴びにいった。

 出てきた後をおうようにあたしもシャワーをする。

 薄暗い部屋。

 テレビは付いている。消して……。三文字が言えない。

 男があたしを背後から抱きしめ、あたしは男のものを舐めた。大きくなる性器は嬉しくもあり、悲しくもある。

 綯い交ぜな心の裏はいつも悲壮感と背徳感で溢れている。あたしはそれでも男を求める。淫らな声をあげ、羞恥に顔を歪め、あたしは男の性を享受する。

 男はあたしをおそろしくぞんざいに扱うが、おそろしいほど快楽を与える。あたしの身体を熟知している。何度も身体を逢わせ、唇を重ね積み上げてきたお互いの性。性は情と密接をしている。あたしは何度でも呟く。


すき。


 と。男は寡黙になる。まるで愛の言葉など訊いていないふりをする。受入れたくないと自制している男の顔はひどく哀愁がありそれでいて果敢でもある。

 性を放つときの男の声があたしの中で暴発をし、お互いに崩れ落ちていった。

 肩で息をしながらあたしと男は天井を見やる。

 珍しくテレビをともしたまま身体を重ねた。

 

 身体が離れたらまた他人になる。あたしは平然と笑ってのける。


 男が時計を気にしている。あたしは自分からシャワーをしに立ち上がった。窓ガラスに雨がぶつかる音がする。耳をそばだてて雨音を拾いながら目はうなだれている愛おしい男の横顔を見ている。

 わからなよう、悟られないように。そっと。雨のようにひっそりと。

 ちょうどテレビの放送は天気予報で、明日は晴れだとお天気お姉さんがマイクを持っていっている。


「明日はね、晴れるらしいよ」


 おもては雨が再び音を鳴らしこれでもか、と、雨の存在を誇示しているように聞こえる。

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おとことおんな 藤村 綾 @aya1228

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