Ex1.リトル・ジュノー

「由々しいわ! まったくもって、由々しいわ!」

 ルーシー・フォスターは激しく憤懣を吐きながら、乱暴に部屋のドアを閉め、どすんとベッドに腰を下ろして、手に取ったクッションを絞め殺そうとでもするかのようにきつく抱き締めた。

 十才のルーシー・フォスターは、紛う事なく天使のような美少女だ。金色の巻毛と大きな青い目に真っ白な肌。やはり華やかな顔立ちの美人だった母親の血を受け継いで、既に人目を惹きつけずにはおかない輝きをあふれさせている。

 ただし、性格の方は少々かっとなりやすい苛烈な性質な上に、幼くして既に自身の美貌を自覚してしまっているせいで増長している所もあった。同年代の少年達はほとんどがルーシーの崇拝者だが、当の本人の方はと言えば、泥だらけで転げ回るような野良犬と大して変わらない男の子なんて自分にはふさわしくないとばかりに、歯牙にもかけていない。

 皆の羨む美貌に恵まれたルーシーだが、天は彼女に更に別の贈り物も授けてくれていた。服飾デザインと裁縫の類希なセンスだ。小さな頃からその才能を遺憾なく発揮したルーシーは、たった一人で大人顔負けの見事な衣装を縫い上げる。自分が着るための服を作るばかりでなく、小学校の友達や中等部の生徒からもハロウィン用の衣装の注文が山積みで、年間スケジュールをきっちり立てて作業を進めなくてはならないほどだ。

 天賦の才で愛情と尊敬を集める身とあっては、多少の自惚れは仕方ないだろう。そして、そんな傲慢ささえもかわいらしく見えてしまうのがまたルーシーの魅力だった。

 そして、そんなルーシーが、日頃から不満を募らせていた事柄がある。

 この件に関してはルーシーの手にも余り、渋々ながらも我慢を続けていたのだが、それが遂に爆発した。何しろそれは毎日の事なのだから、何としても解決しなくてはならないのだ。

「もう、パパの料理は我慢できないわ!」

 ルーシーの最大の悩み事。それは、毎日の食生活だった。

 田舎暮らしが性に合わなかった母が離婚して出て行ってから、フォスター家の食卓は父のラバンが預かってきた。しかし、その腕前はお世辞にも上手とは言えず、それどころか、はっきり下手くそと言ってやらねばならない代物だった。

 母の料理もそれほど上手な訳ではなかったが、父のそれは英国料理の悪評をすべて体現したと言っても過言ではない惨憺たる代物だ。

 それでも、男手一つで娘を育てる父親の苦労を幼いながらもおもんぱかって、ただ焼いただけの肉や、どろどろになるまで茹でただけの野菜や、味も何も全部抜け切ってボソボソになるまで茹でた魚にも、なるべく文句を言わずに我慢してきた。

 しかし、三年間溜まりに溜まった鬱憤は、父がホワイトソースを作ろうとしたと思われる牛乳とダマだらけの小麦粉の混合物をミキサーにかけるのを見るに至って我慢の限界を突破した。

 ルーシーとて、父の料理の惨状をただ指をくわえて見ていただけではない。自ら台所に立ってみようと考えた事もあるが、その度に鍋を丸焦げにした結果、自分の料理の才能は父譲りだと確信した。

「我が家には料理上手、せめて、人並みに料理ができる新しいママが必要だわ!」

 母親の事は、年の割にかなりドライに割り切っているので、父が良い相手を見つけて再婚するのであれば、ルーシーは賛成だ。ただ、問題は父にそういう気配がまるでない事だ。

「パパみたいに奥手なタイプには、周りが世話を焼いてあげなきゃダメね。ここは私が何とかするしかないわ!」

 ルーシーは決意を固めて、ぐっと拳を握り締めた。


§


「料理の上手な人? マッケンジーさんとこのお婆さん……。若くて独身の? だったら、コネリー先生じゃない?」

「そうね、デヒティン・ワトソンね。……もっと年上の、大人の? じゃあ、フィオナ・コネリー先生でしょ」

「フィオナは上手ね」

「コネリー先生のパイはすごく美味しかったわ!」

「フィオナ・コネリーじゃない?」

「フィオナよ。あの人、日本の料理も作るのよ。前に作ってくれた日本のシチューは美味しかったわね」

「若くて独身で料理上手となると、フォナ・コネリーね」


 ルーシーの希望する条件から聞き込んだ結果、筆頭候補はフィオナ・コネリーで間違いなさそうだった。

 二十七才独身、恋人なし、料理上手。中学校教師でルーシーの父ラバンの同僚というのも接点が多くてポイントが高い。三十三才の父となら、年齢のバランスもそう悪くないだろう。優しい先生だと生徒から評判もいいようだし、教師という職業柄もあってか真面目で世話好き、それに、そこそこの美人だ。──地味でファッションセンスは今一つだが。

 目標も定まった所で、ルーシーは次はどうやって二人を接近させるか計画を練り始めた。


§


 ある日の放課後。

 ルーシーは中等部の教室に乗り込んだ。物怖じもせず、堂々とした態度で教室に足を踏み入れたルーシーの姿は注目を集めたが、当の本人は周りの目など意にも介さない。

「ハル・コネリー!」

 ルーシーは目当ての相手の姿を見つけると、遠慮なく声を張ってその名前を呼んだ。

 ルーシーよりも三つ年上だが、同じ年代の少年達に比べるとやや小柄なのは、東洋人の血筋の影響だろう。しかし、黒髪に黒い目のエキゾチックな風貌はなかなかハンサムで、それに、都会育ちで田舎の子供達に比べたら明らかにセンスと雰囲気が違う。気が小さくて優柔不断なのは難点だが、そういう部分も人によってはかわいい魅力として映るのかも知れない。

 名前を呼ばれたハルは、ルーシーの方を警戒するようにうかがっている。恐らく、ハロウィンの時にルーシー手製のゴシックロリータドレスで女装をさせられた心の傷のせいだろう。

「ルーシー・フォスター? ハルに何か用?」

 ハルが口を開くより先に、隣にいたモード・コリンズがハルをかばうようにして席を立った。ハルのクラスメイトで、艶やかな猫っ毛のブルネットに薄いスミレ色の目をした眼鏡の似合う知的な美少女だ。

「ハルに相談があるのよ。借りていくから、今日の所はイチャイチャするのは諦めて」

「な……!」

 ルーシーの言葉に、モードは真っ赤になって固まった。

 モード・コリンズと、村の外の学校に通っていて週末だけ帰ってくるシーダー・キーンの二人の少女がハル・コネリーを取り合って争っている事は周知の事実だ。

「さあ、ぼさっとしてないで。一緒に来なさい、ハル・コネリー」

 立ち尽くすモードの脇をすり抜けて、ルーシーはハルの腕をつかんだ。

「え……? ちょっと……」

「行くわよ、早く!」

 途惑うハルをぐいぐい引っ張って、ルーシーは教室を後にした。


§


「フィオナ先生の事を教えてちょうだい」

 口を開いたルーシーは真っ先にそう言った。

「フィオナ叔母さんの事? だったら、他のみんなに訊いた方がいいんじゃないかな? 僕よりずっと長くフィオナ叔母さんの授業を受けてるんだし──ふわっ!」

 言い終える前にハルは鼻の頭をぐいっと指でつつかれた。

「何するんだよ──」

「そんな事はいいのよ。ハルって本当にぼやぼやした人ね。由々しいわ」

 ルーシーはぴんと立ててハルの鼻を突いた指を、今度は指揮棒のようにくるくる振り回しながら言った。

 身長差があるので、ルーシーはハルを見上げるようにぐっと胸を反らして顔を上に向ける。無遠慮で強気な年下の少女の態度に、ハルはどこか既視感を覚えながら気圧されていた。

「私が知りたいのは、学校じゃ見えないフィオナ先生のプライベートの姿なの。普段のフィオナ先生がどんな風なのか、それを知らなきゃならないの。これは私にとってはとっても由々しい問題なんだから!」

 天使のように愛らしくて女王のように傲慢な少女。人の事などお構いなしで、ぐいぐい自分の言いたい事を押しつけてくるくせに、何だか妙に憎めない。そんな所で、ハルは先に感じた既視感の正体に気付いて思わず小さく笑みを洩らした。

「何、ニヤニヤしてるのよ?」

 ルーシーが眉間に皺を寄せた。

「何でもないよ」

 肩をすくめながら、ハルは赤毛の小さな魔女を思い浮かべていた。


§


 どうしてこうなったのか。

 週末の晩、ハルはフォスター家にいた。

「すまないね、ルーシーがわがままを言って」

「あ、いえ」

 と、ハルは頭を振った。

 ルーシーの父親であるラバン・フォスターは数学教師だ。長身で顔の下半分が髭で埋もれた風貌は厳めしいが、温厚な人となりで、学校でも生徒からは「怖そうだが優しい先生」と評判がよい。ルーシー曰く「パパはひょろ長いから髭でも生やしてないと迫力がなくてナメられるのよ」との事だ。

 教室では見慣れたラバンの姿だが、こうしてリビングで向かい合っているのは奇妙な気分だった。

 キッチンの方からは夕食の香りが漂って来て空腹を刺激する。叔母のフィオナが腕を振るっており、ルーシーもその傍についているはずだ。

 ──パパの料理はヒドいんだもの。たまには美味しい家庭料理が食べたいわ。

 と、ルーシーが料理上手のフィオナに頼み込む際に、仲立ちをさせられたのがハルだった。

 そして、その際にルーシーの企みの本当の狙いについても聞かされていた。

 ──パパには新しいお嫁さんが、私には新しいママが必要だわ。私の見た所、一番ぴったりなのはフィオナ先生ね。だから、この機会にパパとフィオナ先生の距離をぐっと近づけるのよ!

 鼻息も荒く語るルーシーは本気のようだったが、ハルとしては周りが余計なお節介を焼くのはどうだろうとも思う。しかし、結局はルーシーの気迫に呑まれて首を縦に振らされる羽目になった。やはり、強気で押されると弱いのはどうにもならないらしい。

「家で誰かに料理を作ってもらうというのは久し振りだけど、いいものだね」

 バターの香り、スパイスの香り、甘い香りは砂糖と林檎を煮詰めたものか──アップルソースを作っているのだろう──、様々な香りに混ざって笑い声が聞こえてくるキッチンに目を向けて、ラバンは呟いた。

「ルーシーも、口には出さないけれど、母親がいなくて寂しかったのだろうね」

 そう呟くラバンは、歯がゆいような、ふがいないような、そんな自嘲めいた顔をしていた。

「ルーシーは……すごく元気そうですけどね」

「ああ。利発でしっかりした子だからね。親に心配をかけまいとしている所もあるんだろう。よくできた子さ……いや、親馬鹿だね」

 そう言って、ラバンは優しい顔で笑った。


§


 ルーシーの目に映るキッチンの光景はまるで魔法だった。

 いくつもの鍋やフライパンの中でフィオナが踊る。

 野菜を刻み、ジャガイモを茹で、ソースを煮込み、魚を捌き、スープを煮込み、ソーセージを焼いて、そして、いつの間にかオーブンではソーダブレッドが焼き上がっている。数え切れないほどの手順が同時に動いているように見えた。

 何をどんな順番でどうやっているのかさっぱりわからない。一つのフライパンに向かっていたかと思えば、手を離した時には別の鍋に丁度のタイミングで手を加えている。並行して進むステップの切れ目切れ目が別のステップとぴったり重なっていて、まるで無駄がなく、絶え間なく進んでいく。

「ルーシー、お塩ちょうだい。それから、冷蔵庫のサラダを出しておいて」

「あ、うん、はい」

 圧倒されながらフィオナの指示に従って動く。

「後ろ危ないわよ」

 言われて振り返ると、台の上の皿にぶつかりそうになっていた。こちらを見もせずに気付いたのは、キッチンの中の何がどうなっているかをすべて把握しているからだろうか。

 今日、初めて使うキッチンをフィオナは完全に支配していた。フィオナが魔法の杖を一振りすれば、鍋も皿も指揮に合わせてキッチンの舞台を所狭しと一糸乱れず歌い踊る。そんな場面が広がっているように思えた。

 フィオナ・コネリーはどちらかと言えば地味な印象の女性だ。ふわりとした柔らかい茶色の髪も、たれ気味のおっとりした雰囲気の目も、どこか純朴な愛らしさを感じさせるものがあって、決して悪くない。しかし、地味な髪型や野暮ったい眼鏡に田舎臭い服装のせいで、どうにも垢抜けない。いかにも田舎のかわいいけれど地味な女の子がそのまま大人になったようで、穏やかな素朴さは確かに魅力ではあるが、華やかさには縁遠い。

 しかし、そんなフィオナがキッチンでは眩しいほど生き生きと輝いて見える。まるでステージでスポットライトを浴びるスターのようだ。

 これは魔法だ。キッチンの中のフィオナは魔法使いに違いない。ルーシーは湧き上がるわくわくした思いに胸が熱くなった。

「さあ、お皿を出して。どんどん盛り付けて運んじゃいましょう」

「うん!」

 ルーシーはぱあっと満面の笑みを浮かべた。


§


「これは……すごいな」

 テーブルの上に広がる光景を目にして、ラバンは思わず感嘆の声を上げた。

 ぱりっとしたレタスにトマトとラディッシュとゆで卵のスライスを散りばめた色味も鮮やかなサラダ。シンプルながらも強く香り立ち食欲をそそるマッシュルームのスープ。レモンとパセリバターでさっぱりと仕上げたサバのグリル。こんがりと焼き目のついたカンバーランドソーセージには甘さと酸味がよりいっそう味を引き立てるアップルソースを添えて。マッシュポテトに細切りキャベツの塩茹でを混ぜ合わせたアイルランドの伝統料理コルカノンは、熱々のところに落としたバターの塊が湯気の中でとろりと金色に溶けている。

「ちょっと、頑張りすぎちゃったわ」

 温かいソーダブレッドを切りながら、フィオナは照れ臭そうに笑った。

 確かに、頑張りすぎと言っても過言ではないほど品数の富んだ豪勢な食卓だった。日頃からフィオナの料理は上質だが、さすがにテーブルからあふれそうなほど皿を並べるこんな有様はクリスマス以来だ。

「デザートもあるのよ。ルバーブのケーキを焼いたわ!」

 ルーシーが喜々として言った。

「ルーシーがたくさん手伝ってくれたものね。おかげで助かったわ」

 フィオナにほめられたルーシーが頬を染めた。

「フィオナってすごいの! 色んな料理がいっぺんにどんどん出来上がっちゃうの! まるで魔法使いみたいだったわ!」

 興奮冷めやらぬ様子のルーシーはキラキラ輝く憧憬の眼差しでフィオナを見つめていた。

「……ありがとう、そんな風に言われると照れちゃうわね。さあ、冷めないうちにどうぞ」

 そして、フィオナの料理を口に入れた誰もが、思わず感心して声を上げた。日頃からフィオナの料理を食べ慣れているハルでもだ。

 一流のシェフが作る繊細で芸術的な高級料理ではない。素朴な田舎の家庭の料理。しかし、とても丁寧で優しい、毎日の食卓が恋しくなる料理だ。

 山盛りの料理が水を飲むようにすいすいと胃の中へ入っていく。

 満腹になるまで詰め込んだはずが、デザートのルバーブケーキまでしっかりと平らげてしまった。


§


「アップルソースは冷凍しておくから。マッシュポテトの残りは、明日にでも、適当な大きさにまとめて小麦粉をまぶして焼いて食べるといいわよ。フライパンで、油は引かないで焼いてね」

「ああ、ありがとう」

 テキパキと片付けをするフィオナに、ラバンは皿を洗いながら答えた。後片づけくらいは、と思ったのだが、フィオナにしてみると、最後まで面倒を見ないと気が済まないらしい。

「ルーシーがあんなにはしゃぐのは久し振りだよ。今日は本当にありがとう」

「いいの。私も楽しかったから。いつもはハルと二人分だけだし、大勢の分の料理をたくさん作るのって楽しいから。ルーシーも手伝いをするのが楽しそうだったし」

 ラバンが洗った皿をフィオナが受け取って拭く。

 こんな風に誰かと一緒に料理の後片付けをするなんていつ以来だろう、とフィオナは記憶を掘り起こした。ハルの母親が生きていた頃、一緒にクリスマスパーティの片付けをして以来かも知れない。

「やはり、母親がいないというのが寂しいのかも知れないな」

 ぽつりとラバンが呟きを洩らした。

「ルーシーのお母さんは?」

「別れて出て行って、それっきりさ。この前、再婚したって知らせが届いたよ」

「そう……」

「悪い人ではなかったさ。ルーシーの事もちゃんと愛していたしね。ただ、田舎では暮らせない人だったんだ。ここで七年も我慢したのは、よく頑張ったと思うよ」

「逆は……できなかったの?」

「僕は田舎でしか暮らせないからね。彼女が都会でしか生きていけないように、僕はこの村の暮らしを捨てられない。この村で生まれて、グラスゴーの学校へは行ったけれど、やはりこの村に帰って来て、この村で生きて、この村で死ぬつもりだよ」

「そう……」

 少ししんみりしてフィオナも頷いた。

「私も……都会は苦手。この村が好きだわ。私が田舎から離れられないものだから、学生時代のボーイフレンドはレザージャケットの似合う女の子とロンドンへ逃げちゃったわ」

「その男は惜しい事をしたね。君を離さずにおけば、毎日こんな旨い料理が食べられたものを」

「……あ、うん……。あなたの前の奥さんだって惜しい事をしたわ。お料理を手伝ってくれるかわいい娘と、お皿洗いを手伝ってくれる優しい旦那様を置いて行っちゃったんだもの」

「……そうかな?」

「……そうよ」

 お互い、妙に気恥ずかしさを覚えて、口を噤んで目を逸らした。


§


「……うふふ。結構、いい雰囲気っぽいわね」

 キッチンの様子を覗き見ていたルーシーは、気付かれないようにそっと足音を忍ばせてその場を離れた。

「ハル!」

 リビングに戻ったルーシーは、食休み中のハルの腕をぐいっとつかんで引きずり起こした。

「何? どうしたの?」

「いいから、こっち来なさい。ほら、上着も着て。外は寒いわよ」

「え? 外?」

「いいから、早く!」

 ルーシーに引きずられるまま、コートを羽織ったハルは一緒に玄関から表へ出ると、ポーチに腰を下ろした。

「折角、二人がイイ感じなんだから、邪魔しないようにしばらく外に出てるのよ!」

「……ああ、そういう事」

 ハルはふうっと溜め息を吐いた。

「うふふ、これをきっかけにパパとフィオナがどんどん仲良くなって結婚すれば、私の計画通りだわ」

 にっこりと、ルーシーは心底嬉しそうに笑った。

「ルーシー」

「何?」

「ルーシーは……、その、お母さんの事は……」

「ああ、ママ? それはちゃんと好きよ。でも、ママはママの人生、パパや私とは別の人生を選んだの。だから、ママが私達を引きずっちゃダメだし、私達がママを引きずってもダメなの。ママはママでちゃんと幸せにやってるみたいだから、私達だって私達で幸せにならなきゃ」

「……ルーシーは、すごいね」

 十才の少女にしては何ともませた発言に、ハルは感心して恐れ入った。

「……ハルは、ママが恋しい?」

 ルーシーの言葉にハルはどきりとした。

 死別した母を思えば、胸に寂しさが押し寄せる。母の死からはまだ一年も経っていないのだ。

「私もママが出て行っちゃった時は、やっぱり寂しかった。でも、あんまりウジウジしてると周りのみんなが心配するわよ」

「……うん。ありがとう、ルーシー」

 ハルは頷いてにこりと笑う。ルーシーは少し照れたようにそっぽを向いた。

「……だいたい、ハルは贅沢だわ。天然女たらしでモテまくってるくせに。シーダー・キーンか、モード・コリンズか、早くはっきりした方がいいわよ」

「な……! 何で、そんな話に……」

 急に悩みの種の話を振られて、ハルはあたふたと取り乱した。

「うふふ。何、バカみたいに慌ててるのよ」

 真っ赤になるハルの様子に、ルーシーはくすくす笑った。

「……でも、そうね、もしもどっちともうまくいかなかったら……、私がガールフレンドになってあげてもいいわよ」

 ちゅっ、と頬にふれる柔らかく温かい感触。

「手伝ってくれたお礼」

 不意打ちでハルの頬にキスをしたルーシーは、跳ね起きるように立ち上がって玄関の扉へ向かった。

「寒いから中に戻るわ。でも、ハルはもうちょっと外で用事があるみたいね」

「え?」

「ふふーん、由々しい事になりそうね」

 そう言って、ルーシーはにやりと悪戯っぽく笑うと、一人で家の中へ戻って扉を閉めた。

「え? どういう……」

 ルーシーの消えた扉に向かって言いかけた途端、ハルは背筋にぞくりと猛烈な悪寒を感じて振り返った。

「今のなぁに?」

「どういう事かしら?」

「……シーダー、……モード」

 赤毛の魔女と黒髪の才女が二人揃ってハルに射るような視線を向けていた。

「キスしてたでしょ?」

「キスしてたわね」

「ええと……、やあ、これは……、その……」

「うんうん、なぁに?」

「じっくり聞かせて欲しいわね」

 二人は両側からハルの腕をがっちりと捕まえる。

 冬の寒空の下だというのに、ハルの全身からは滝のような汗が流れだしていた。

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