回顧07-01 月と夜と神童と




「おい、お前ら。一体何を連れてきた」


 広場の遥か彼方を睨みながら、不機嫌そうにミシャグジ様が問う。内灘さんの雰囲気が、そしてミシャグジ様の雰囲気が一変した事を感じ取り、私とアラタも思わず身構えた。未だ呑気に見えるのは、双眼鏡を覗きながら左右に揺れる繰絡さんくらいだ。


「ミシャグジ、どうだ? あれが何だか分かるか?」

「ヨモツイクサ──いや、そんな生温なまぬるいもんじゃねーか。あれは、ツクヨミだな。産土神うぶすながみツヨクミノミコト。ガキども、お前らよくもまぁ……とんでもない上級神を連れてきたもんだ」


 状況が飲み込めないままの私とアラタに、繰絡さんがあっけらかんと言い放つ。


「梨沙ちゃん梨沙ちゃん、これは責任の取り甲斐がありますね。新太さんも、守り甲斐のある彼女さんで良かったですね」

「ま、まぁな」


 照れているのか誇っているのか、それとも戸惑っているのかよく分からない態度のアラタを他所よそに、内灘さんへと眼差しで問いかける。この状況は何なのか。責任とは何なのか──つまり私は一体、何を仕出かしてしまったのかと。


「梨沙ちゃん、覚えとくといい。オカルトってものは、その目にしちまった瞬間には、とっくにオカルトじゃないんだ。理不尽な『烏丸返し』も、君たちガキんちょを括る『道祖神ミシャグジ』も、あそこにいる『産土神ツクヨミノミコト』も──目に見えちまって、触れられちまって、時には意思の疎通まで出来ちまう。……そんなもん、現実だろうよ。受け入れるしかない現実でしかないよ」


 五分刈りの頭を無造作に掻き毟りながら、それでも殊勝な顔付きで内灘さんは続ける。


「けれどな、受け入れるには重過ぎる現実もあるんだわ。一人では背負えない、一人では取り切れない責任ってもんが、長い人生の中には確かに存在する。そんな時、人間ってやつは助けを求めるしかないんだよ──『人間』って名前の弱っちい生き物は、徒党を組む事で、誰かに縋る事で、何とかこの現代にまで生き延びてきたんだ」


 内灘さんの右手が、おもむろに私へと差し出された。それはごつごつと筋張った、いわおのように逞しい掌だ。非力で非才な私の手とは、似ても似つかない強さを宿している。


「梨沙ちゃん、俺たちに助けを求めるかい? 詳しい説明をしたいのも山々だけれど、何しろ時間が無さそうだ。決断を急いでほしい」

「先生、くれぐれもお支払いの説明だけはして下さいね。タダ働きはご免ですよ」


 戸惑いながらもその手を握ろうとした私を遮るように、繰絡さんの高い声が響いた。メガネの向こうから覗く大きな瞳が、手抜かりなく内灘さんを窘める。


「そうだな、糸織の言う通り、これは仕事だ。八百万師として請け負う、俺たちの仕事だ。だからもちろん、代金は頂こう。そうだな……梨沙ちゃんは未成年だから、お金よりも物にしようか。代金じゃなくて、相応の代償を頂くとしよう」

「相応の代償……」


 私の鸚鵡おうむ返しが、深い闇夜に間抜けに響いた。


「俺と糸織が、ツクヨミの撃退を依頼として請け負おう。そしてその代償として、梨沙ちゃんには俺の言う事を何でも一つ聞いてもらおうか」

「何でもとは……これまたひどく卑猥な響きですね先生」


 からかうような繰絡さんの目線と、咎めるような内灘さんの目線が交差する中、アラタが申し出た。


「内灘さん、俺も手伝うよ。だからエロいのだけは勘弁してやってくれ」

「そうか。正直に言って足手まといだがな──良いさ、好きにすれば良い」

「ありがとう。変態のおっさん」


 私の意思とは関係無く、アラタと内灘さんの間で一つの承諾が結ばれた。そして私は、こんな時でさえもアラタに救われるのだ。アラタの率直さを足掛かりにして、私はいつだって小さな決断を積み重ねてきた。


「代償……分かりました。何でも払います。ただし、いやらしい事じゃなければ」


 私は、変態のおっさんの手を握る。その手触りは想像の何倍も硬質で、強固な頼もしさに満ちていた。


「よし、契約成立。この内灘広葉は、確かに屶鋼梨沙の言質げんちを取った。スペシャルオプションとして、道祖神ミシャグジもその手を貸そう。即決してくれたお礼だ、サービスしなきゃな」

「おいおい、俺様を勝手に契約内容に加えんなよ」


 長い尾を逆立てて、ミシャグジ様が異議を申し立てる。


「また一つ、美しい友情が芽生えましたね」

「おいメガネっ娘。俺様を気安く友だちの輪に加えんじゃねー」


 戯れ合うその姿は、不思議な微笑ましさを感じさせた。神様と言えども、やはり孤独は耐え難いのだろうか。どこか嬉しそうにさえ見えるミシャグジ様に、内灘さんが提案を持ちかける。


「ミシャグジ、お前にも報酬が必要だわな。んー、こんなのはどうだ? そう遠くない未来に、お前にダチを作ってやる。もうすぐ六歳を迎えるハナたれ坊主なんだが、俺の自慢の一人息子だ。泥人形と遊ぶのにもそろそろ飽きただろうよ。どうだ、それで手を打たねーか?」

「ったく、広葉は相変わらずのインチキっぷりだぜ」

「ふはは、インテリの間違いだろ?」


 ミシャグジ様はわずかな逡巡の末、「分かった。手を打つぜ」と悪びれた態度で了承した。内灘さんの息子さんが、悍ましいミシャグジ様の姿に泣き出す絵が浮かばないでもなかったけれど、これはこれで美しく話が纏まったと解釈しても良いだろう。


 それにしても、神様の位置付けというものが分からない。神様という存在は、私が思うよりもずっと身近なものなのだろうか。少なくとも内灘さんとミシャグジ様のやり取りは、私とアラタとはまた一味違った『悪友』という言葉を連想させる。


「さてさて、役者は揃いましたね。梨沙ちゃんも新太さんも、心の準備は宜しいですか?」


 繰絡さんがショルダーバッグに双眼鏡を押し込み、ミシャグジ様が刺又の先を闇の向こうへと向け直した。内灘さんは入念な屈伸運動をはじめ、アラタは竹刀を、私は刀を構えて立つ。


「ぐははは、嬢ちゃん、少年、俺様を味方に引き入れて、命拾いしたなんて思うなよ。月と夜の神、ツクヨミノミコト──立派なお月さんの輝く夜にアイツに楯突こうだなんて、自殺行為に等しいぜ。先に断っておくが、アイツは腹ペコの俺様の手には余るからな」

「なぁ、どうして戦うのが前提なんだ? ミシャグジ様みたいに、案外話せる神様かもしれないだろ」


 私の中にも、アラタと同じ疑問が浮かんでいた。結果だけを見れば、私たちとミシャグジ様は戦わずして和解している。たとえそれが、内灘さんという仲介者あってこその結果であっても。


「少年、神様ってのはよー、寝起きはすこぶる機嫌が悪いんだよ。大昔からそういうふうに相場が決まってんだ」

「まるで先生みたいですね」

「バカヤロー、俺は寝起きから絶好調だ。毎朝決まってコサックダンスで目覚めるぜ」


 寝起きという言葉が、抜けない棘のように引っ掛かった。やっぱりそうだ、そういう事なのだ。私が叩き起こしてしまった──神様の安眠を、私が妨げてしまったのだ。


「あーあ、お前らカラスマピープルが俺様への信仰心さえ忘れなきゃ、ツクヨミが相手だろうが一捻りだったのにな。ある意味自業自得だぜ」

「乱れる伝統に、忘れ去られた道祖神──確かに課題は山積みだけれども、まずは目の前の問題を片付けなきゃな」


 気落ちする私に、内灘さんが顎の動きで促した。薄闇に目を細めれば、ツクヨミノミコトと称されたその神様の姿が、私やアラタの肉眼でもくっきりと捉えられる距離にあった。白蛇姿のミシャグジ様とはまるで対極に位置する、どう見ても人間にしか見えない神様の姿。




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