番怪 空木コダマの困惑
百怪対策室のソファに寝転んで、僕はまどろんでいた。
今日は『怪』も持ち込まれていないし、室長はちょっと出かけているし、笠酒寄もおうちの事情で休み。
つまり、暇。僕の安息を乱すような要素が今のところ、ここには存在していない。
家ではいつ小唄の襲撃があるのかがわからないから気を抜けないけれども、百怪対策室ならば別だ。頭が痛くなるような妹の
いまここは、僕のプライベート空間と化していた。
・・・・・・万歳。平穏、万歳。
世界中がこのぐらいに平和だったのならば、きっと人類の繁栄は約束されたようなモノだというのに。
かなり久々の安堵感に包まれている僕は、やがて睡魔に襲われ始めた。
だけど、いい。これでいい。
このところ緊張の連続だったのだから、たまにはまどろんでも良いじゃないか。
そう考えて、僕はそのまま身を任せた。
・・・・・・んあ。今何時だ。
腕時計で確認すると、すでに午後六時。
今日はやることがないっていうのならば、帰った方がいいかもしれない。
最近はあまりこの時間に家にいることもないし。
ソファから身を起こして、気付く。
いつの間にか室長が戻ってきていた。
「あ、帰ってたんですか」
「ああ、キミがあまりにも幸せそうに寝ているから起こすのを
非常に珍しいことなのだけど、室長はやけに分厚い本を開いていた。
僕の対面のソファに座って、目線は紙面上に落としたままで、決して僕の方を見ることなく言葉をかけてくる。
・・・・・・なんだ、この違和感は。
いつもの室長ならば、もっとこう、毒舌をカマしてくるはずだ。
もしくは寝ている間に僕の顔に落書きしているとか。
む。その可能性はあるな。
素早くスマホのカメラを起動。
インカメラに切り替えると僕の顔が見える。
だが、特になにもいたずらされていない。見慣れた顔が映っているだけだった。
「なんだ? 熱でもあるのか?」
「いえ、別にそういうわけじゃな・・・・・・ってどうしたんですか?」
分厚い本を閉じて、室長は僕の隣に座る。なぜに?
「なんですか室長。近くに来ないでくださいよ。嫌な予感がビシビシにやってくるから離れてもらっていいですか?」
「断る」
嫌な予感が三割増しだ。
こいつはまずい感じ。思い出すのは最初のアプローチ。
僕の能力を抑えこむために吸血したあの夏休みの一幕。
走った悪寒に、思わず首筋を抑える。
「何を警戒しているんだ? 私がキミを取って食うとでも思っているのか? 心外だな」
いやまあそうなんだけど。今まで僕を室長が直接的に害してきた事例は少ない。
それでも、なんとなく距離を置きたくなってしまうのは本能的なものだろうか。それとも・・・・・・。
「なにか、考え事をしているようだな、コダマ」
「ええそうですけ・・・・・・どぉっ⁉」
突然に室長は僕の額に自分の額を重ねる。
近い近い近い! 顔が近いって!
あまりにも予想外の事態に僕の思考能力は簡単に処理限界を迎えて、そのままオーバーヒートしそうになる。
あと十秒、そのままだったら僕はそのまま倒れていたかもしれない。
しかし、それを知っているかのようなタイミングで僕達の額は離れた。
「熱はないみたいだな。発熱を
「は、は、始めから僕はいつも通りデスヨ?」
「裏返っているぞ」
「僕は時々裏返ってみるタイプの声帯をしているんですよ」
苦し紛れここに極まれり。どんな声帯だと自分で突っ込みを入れたくなる。
当然、室長ならばもっと苛烈にいじってくるだろう。
「ふふ、なんだそれは? まるで声帯が自分のモノじゃないみたいだな」
なんだこれ? どういうことだこれ。一体何が起こっている?
他愛もない冗談を聞いたかのように室長は微笑んだだけだ。
おお、なんだこの悪寒は。初めてクラスの超弩級。全身に震えが走る。
だけど、同時に奇妙な安息を得ている僕もいる。
容赦のない毒舌とからかいに晒され続けてきた僕だからこそ、今の室長がどれだけ貴重な状態なのかということがわかる。
「・・・・・・声帯だったな。私がちょっとみてやる」
室長の手が僕の喉に伸びる。
白くて、細い手だ。
一瞬、首を絞められるかもしれないと緊張するが、その手つきがとても優しかったので僕の警戒心は氷解してしまう。我ながら単純なヤツだ。
撫でるように、掃くように、室長の手が僕の喉をくすぐる。
むずがゆさと、そして、気恥ずかしさから、思わず僕は少しばかり乱暴に手を払ってしまった。
・・・・・・あ。
目を見開いて、室長は驚愕の表情を浮かべている。
「す、すいません室長。ちょっと・・・・・・むずがゆくって」
なんで僕はこんなに罪悪感を覚えているのだろう。
室長の顔が、まるで恋人に拒絶された少女みたいだったからか? いやいや、何を考えているだ僕は。くそ。
「・・・・・・私に、触られるのは嫌か?」
ぽつりと漏らすような言葉。
極小の音量で発せられたそれは、やけに大きく僕の心に響いた。
払われた手を思わず握ってしまっている室長の姿をいじましいと思ってしまう。
見た目は僕よりも年下の少女なのだから、当然の感情・・・・・・じゃねえよ!
中身は四百歳だ。だまされるな空木コダマ。僕はちゃんと知っているだろうがっ!
調子を取り戻すために二回頬を張る。
・・・・・・よし!
「嫌とか嫌じゃないとかじゃなくてですね、これまでの経験則からロクなことにならないのは想像出来るんですよ。それを易々と許容するほど僕はあんぽんたんじゃありません」
「・・・・・・私が、そんなことをキミにすると思っているのか?」
「ええ思っていますよ。自分が何やってきたのか覚えていないんですか? だったら箇条書きにして目の前に突きつけてあげますから紙をくだ・・・・・・さ・・・・・・い」
言い切ったのだけど、言い切れなかったのと々ぐらいには尻すぼみになってしまった。
なぜなら、室長が涙目になっているのだから。
??????????????????
「確かに、私の所業を
なぜ必死に
「・・・・・・だが、知っておいて欲しいんだ。・・・・・・私の、気持ちを」
そんなのを知ってどうするんですか? 僕は助手ですよね? それ以外に感情が存在するような余地は無かったと
僕の頭が大混乱を起こしている隙をついて、室長は僕の頭を両手でホールド。
そのまま唇を重ねてきた。
!?!?!?!?!?!!!?!??!?!?!?!??!?!?!?!?!?!?!?!
?!?!?!?!??!?!?!?!?!?!?!?!?!?!??!??!?!??!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!!
何が、起こってる?
なぜ、室長は僕にキスしてる? 僕はなぜ室長とキスしてる?
室長ってなんだ? 僕って何だ? 宇宙の真理とは一体? あ、宇宙とチューってちょっと似てないか? これは大発見かもしれないので可及的速やかに日本語学会に報告して国語辞典に登録しないと――――。
じゃっねぇっよっ!
「ぷわっ! 何するんですか⁉」
ホールドを無理矢理
「・・・・・・私の・・・・・・キミに対する気持ちだ。知って欲しかったんだ」
しおらしい顔で言ってんじゃねえよぉ! 訳がわからねぇ!
もう、しっちゃかめっちゃかだ。僕の頭は正常に機能していない。
ただただ起こった事象に対してあらん限りの対策を講じようとして、全力で棄却するという無為な行為を繰り返しているだけだ。
人はそれを固まっている、と表現する。
室長が顔を、上げる。
同時に、ほろりと一粒の涙がこぼれた。
「コダマ、愛してる」
「・・・・・・あの・・・・・・そのですね、室長――――」
「室長じゃない。『ヴィクトリア』と呼んでくれ」
名前でぇ⁉
再び混乱の渦に呑み込まれた僕の脳みそなんぞ知ったことじゃないとばかりに、再び室長は僕と唇を重ねてきた。
鼓動が伝わってくる。
そんなモノが伝わるはずなんて無いのだけど。ほのかに上気した頬も、潤んでいる瞳も、そして震えている手も、全てが視えていた。
ああ、これは、逆らえないヤツだ。
僕は、室長の体に手を回そうとして――――。
目が覚めた。
見えるのは百怪対策室の天井。
感触からして、僕はソファに寝転がっている。
そして、いるのは僕一人だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああっっっっっ‼ なんつう夢みてるんだよっ僕はっ‼ アホか⁉ 馬鹿なのか⁉ それとも思春期特有の爆発する性欲があんな夢を見せたのか⁉ だったら僕は自分自身を許せないッ! これ以上なく許せない!
「コダマー、いるのかー? 伊勢堂の新作を買ってきたんだ。私が賞味しているのを横から指をくわえて眺めている権利をくれてやる」
のけぞるような姿勢になって後悔している僕は室長の声を聞いた。
一瞬でソファに戻った早業だけは自分でも評価して良いと思う。
「何をやっているんだキミは。奇行は自分の部屋の中だけにしておけ」
ばっちり見られてはいたみたいだけど。
「・・・・・・はい」
下手に反論すると余計な傷を負うだけなので返事だけしておく。
こういう時には黙っているのが一番だ。
「いやー、まったく伊勢堂も精力的に商品開発にいそしんでくれるから、私の品評が追いつかなくて困るな。ふふん、しかし。私がちょっとやそっとで甘い物を諦めると思ったら大間違いだ。これでも味にはうるさいし、しつこいタイプだからな」
知ってる。が、僕は沈黙を保つ。
あんな夢を見てしまった後なので、どういう顔をして室長に接して良いのかがわからない。
ゆえにそっぽを向いていた僕なのだけど、室長の動きが止まったことを察知して思わず見てしまった。
「コダマ、ちょっと上を向いてみろ」
「は? え? なんでですか?」
「いいからいいから」
素直に上を向く。と同時に僕の顎を衝撃が襲った。
揺れる。脳みそが揺れる。ぐらぐら、ぐるぐる、揺れる。
「ガッ⁉」
ぎりぎり。本当にぎりぎりのラインでなんとか意識だけは繋ぎ止めた。
「何すんですかっ⁉」
視界が回復するのと同時に食ってかかる。
が。
何かを室長が掴んでいた。
ギィギィと耳障りな鳴き声を上げるソレは、コウモリかなにかの親戚みたいだった。
「なんですか、それ?」
「夢魔の一種だな。多分、夢を見せてその幸福感からエネルギーを得ているタイプだ。キミに取り憑いているのが見えたから、ちょっと殴って追い出した」
どうやら顎辺りを殴られたみたいだ。
しかし、問題が一つ。
「・・・・・・これが取り憑いていたってことは、夢を見せられていたんじゃないのか? どうなんだコダマ? えぇ? どうなんだ?」
すっげー愉快そうな顔の室長が出現していた。
獲物を見つけた猫みたいだ。
「何も! ありま! せんでしたっ!」
今日一番の大声で僕は全力で否定した。
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