第14話 出発


 手術後を過ごす回復室は目の前であったものの、まだ麻酔も完全には抜けていないレイリアへの面会を遠慮した捲瑠が退陣してから一時。

「アニー」

 レイエスは特別室へと戻りかけたアニーを呼び止めた。

「意識は戻りそうですか?」

 それを聞いたアニーは、はっとして首を竦めた。

「えっと……」

 ここで戻っていないと言えば嘘になる。しかしながら先のあれを、どう報告すべきかを悩んだ末に――。

「その。実はちょっとだけ、なんですけど……」

「目を覚まされたのですか?」

 レイエスだけではなく、カールたち守護騎士の面々も集って口々に告げた。


「おおい。意識が戻ったのなら戻ったって、ドクターコールを押せと言われてるだろう?」

「何のために傍についてる? 知らせるのも役目だろうが?」

「それで? マスターは何かおっしゃられたのか?」

 質問攻めに合ったアニーは眉も潜めた。恐らく、皆が求めている答えとは大よそ違うと分かっているからにして。それでも事実は事実。述べなければの口を、もごもごと動かした。

「うん……、と。その……」

 口籠るかつての弟子に、カールは業を煮やした。

「何だよ。普段は後さき考えずにズバズバものを言う癖に。男らしくはっきり言え。マスターは何とおっしゃられたのだ?」


 アニーは問いかけた師匠に対してではなく、レイエスを見上げた。

「――友達になって欲しいって……言われた」

 そんな返答を受けた一同は、無言で視線をキャッチボールさせた数秒の間を置いて、滅多に感情の起伏を見せないレイエスが、静かに口火を切っていた。

「……それで? あなたは何と答えたのです?」

 一度は反らした視線を、二度目はしっかりと見据えながらアニーは発した。

「守護騎士として、友としても。ずっと傍にいるって誓った」


 聞き届けたレイエスは、穏やかに息を吸っては吐いて目を閉じた。これもあの子が望むものなら。己は全てを受け入れるまで――、とでも考えていたのだろう、薄らの目をゆっくりと開く。

「……ならば戻り、友としての役目も果たしなさい」

 踵を返しながら、友の部分を強調して告げたレイエスは。背中越しで切れ長の視線をアニーに流す。

「いついかなる時も。その誓いを忘れぬよう」

 念を押されたアニーとて、あるじのもとへ戻る一歩を踏み出しながら応じる。

「果たすよ。何があっても」

 許しを得た騎士は強い。芯から曲げないものが、ぴんと太きに一本通るから――。

 こうしてアニーは、守護騎士としての再出発を果たしていた。


 しかしながら、現実的な問題は何ひとつとして解決していない。

 トゥエルヴ家の現当主、レイリア公がこん睡している間にも。世界は刻一刻と動いている。

 実際的にトゥエルヴ公城には、当主の安否を憂う連絡がひっきりなしに寄せられていて、今後の顛末を急く問い合わせに応じるだけでも手一杯な状態であるものを。当面の当主代理として帰城したレイエスが、一手に取り仕切り始めたばかりであった。


 レイエスが、ルナザヴェルダの紋をつけたスーツの上着を椅子の背に脱ぎ置いて、今後の公務訪問先へ連絡を入れていると。トゥエルヴ家の第一執事が恭しく礼を施しながら、扉も開けっ放しにされている執務室へ入室して来た。

「レイエス様」

 あと少し、なる指を立てつつ、待つよう促してからものの数秒後。訪問中止の話をつけたレイエスは、白いシャツの袖を腕まくりながら通信を切った。

「ウィル。待たせました」

 彼が銀の盆を持っていないのであれば、仕事合間の茶を運んできたわけではないことなど明白。

「失礼いたします――」許しを得て室内へと進んだウィルは、病院から連絡を受けた旨を告げていた。「お呼びにございます」


 忙しなくしている間は、主が危篤である焦燥を忘れられる――。否、考えないようにとしていた心理が一気に現実へと引き戻されて。豊かな感情表現を呈さない能面でさえ、さっと血の気を引かせていた。

 黒々しかった頭髪にも白髪を混じらせるようになったウィルは、用件を述べる。

「マスターが、わたくしも含め。レイエス様のお越しを望んでおられるとの事にございます」

 よもやまさかの。覚悟を決めよ、なる受け入れ難い知らせだろうか。

 レイエスは事務的に告げた。

「……すぐに参ります」


「ティグを待機させております」

 形ばかりの返答をしたウィルにとっても、赤子の頃からレイリアの世話をしてきた親代わりのようなもの。心中穏やかではないものを、そこは執事の中の執事としての威厳を保ち。折目も正しく「――お待ちしております」の礼を施してから、第一執事としての面構えも崩さぬままで執務室を後にして行った。


 レイエスもまた、何時も通りに冷静でいようと気構えているつもりであっただろうに。椅子の背にひっかけていた上着を取ろうとした手が滑り、床に落ちるのをただ眺めてしまう。

 震えていた。その手をまじまじと眺めてもやはり、震えている。

 ――あの子を失う? そんな!

 生まれて初めて、えも言われぬ恐怖に襲われていた。

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