雨女さんと気象を観測する人形
東城 恵介
第1話ウェザーノイドは起動する
あれは大雨が降り続いた、2035年7月2日の夜のこと。
降谷主任研究員が何者かによって殺害された。
死因は腕を切り取られたことによる多量出血と頭部打撲による脳挫傷である。
わずかだが加害者に対して抵抗したと考えられるが、研究所に何者かが侵入した形跡はない。だがそのような不可解さはあったにも関わらず、事件そのものはあっさり解決した。
加害者は研究所で製作された機械人形〈ヒマワリ〉。
事件の原因は彼女の誤作動による暴走と結論づけられる。
以下はその事件のすべてを見ていた機械人形〈ヒマワリ〉の音声データと彼女の内証を言語化し復元したものである。そして彼女が降谷研究員を殺害した原因の特定し、今後の研究に役立てて欲しい。 水島虹子
起きろ、という声とともに私は瞼を開けました。
起きろって何。ああそうか。
起きろ、とは目を覚ますこと。内蔵されたOSを起動してデータを読み込むこと。
気象衛星から送られるデータを自身の内部に取り込むこと。やること、たくさんあって私は頭をふらふらさせます。
最後に「ウェザーノイド〈ヒマワリ〉、起動しました」と私を起動してくれた人にお伝えします。その人の名前は降谷紘一。私は彼をファザーと呼称します。
畳の部屋には卵型の機械が置いてあり、私はそこに丸くなっています。
縁側まで配線が伸びていて、古いお屋敷の板壁にはモニタがたくさん並んでいる。庭に、ヒマワリ畑。私の名前とおんなじだ。
目の前にいるファザーとその横にいるのは、助手の水島虹子さん。
私に命を与えてくれた人たち。
「天気はどうだ」
空はーーー晴れ。雲ひとつない、夏の青い空が広がっている。
「今日は1日、快晴。とっても暑くなります」
満足そうに、ファザーは微笑みました。
助手の虹子さんがコーヒーを飲みながらファザーと目を合わせています。
そしてゆっくりとコーヒーカップを、私が眠っている卵型の機械に置いて言いました。
「起動された目的はわかってる?」
「はい。この島に起きている不可解な気象の原因を調べるためです」
ウェザーノイドは気象衛星から送られる天気予報を人間に教えること、それから時折、衛星では確認できない不思議な気象の謎を解くためにいます。
これは起動した際に読み込んだ既存のデータを参照しました。
「よし。問題ないみたいだな。じゃあ、さっそくだが昨日この島を覆っていた雨雲のことについて調べてくれ」
昨日の雨雲。
気象衛星に映らなかった雨雲が、昨夜この猫島に雨を降らせたみたいです。
私は立ち上がり、電源のコードを引っ張ります。
よいしょ、う、う? 抜けない。。。えっと、もっと腰を低くして―――あ、抜けたっ! 抜けましたっ!
もうシミュレーションの中だけじゃなくてお外に出歩けるのですねっ!!
なんて喜んだのはいいのですけれど、その拍子に腰を畳みに打ってしまいました。い、いたい。ファザーと助手の虹子さんはくすくすと笑います。そんな笑わなくてもいいのに。
ふん、と鼻から息を吐いて私は立ち上がる。ついでに頬を膨らませました。怒った表情、できているでしょうか。
「かわいい子ね。さ、そろそろ行きなさい」
私は怒っていたはずなのですが、助手の虹子さんの笑みをみているとすっかり忘れてしまいました。
「ではさっそく調査に向かいます」
私は元気よく敬礼すると、不慣れな足を稼働させて一歩一歩前進します。
茶色の髪の毛を編み込んで、薄桃色なワンピースに真っ白な靴下、そして赤いエナメルの靴を履いて。それからそれから。つば広の麦わら帽子と肩掛けのビニル製のポーチ。そこに猫のシールを貼ります。
そして最後に玄関前に座っている猫に「なー」と挨拶をして歩き出しました。
太陽が降り注いでいる。
ひたいに庇を作り、空を見上げる。
なんて青い空。夏なのに風が心地いいのは、海から吹く潮風のせいでしょうか。
この島は猫島と呼ばれる、とっても猫が多い島。人よりも猫が多いくらい。そんなところに研究所を建てて私を作るなんてお二人は変わり者なのでしょうか。
手を振ると、身体がずんずん前に進むのでぶんぶん、ずんずん。ぶんぶん、ずんずん。ヒマワリ畑を眺めながら畦道を歩きます。
猫の鳴き声に連れられて、私は駄菓子屋の前に辿り着きました。
「あのー」、なんて声をかけてもにゃーという返事。
駄菓子が並んだお店の奥で、おばあちゃんが眠っていました。
「あのーこの辺りの天気についてお聞きしたいのですがあー」、「あのー」、「天気についてー」、「それでー」、「調査にー」何度も訊ねているとおばあちゃんは「うるさいねっ!」と台風みたいな声を上げました。
「なんだい。ウェザーノイドかい。客じゃないなら帰んな」
おばあちゃんは寝起きで不機嫌みたいで。お話するのがちょっと怖い。
「昨夜の雨について伺いたいのですっ!」
「べつにいつものとおりだよ。だーっと降ってばーっとやんだよ」
「なるほどっ! 『だーっ』で『ばーっ』ですねっ!」
私は何度も頷いていると、おばあちゃんはなぜか深いため息を吐きました。どうしてでしょう。
「もっと聞くことがあるだろうに。あんた調査に来たんだろ。昨夜の雨はきっと、あの子の仕業だよ」
「あの子?」
猫が私の横で小首を傾げています。つられて私も首を傾げます。そのとき、ゴロロ、と空が雄たけびを上げました。
私は気象観測機にアクセスをする。けれど、青空予報。雲一つない空のはず。さっきの音は、隣にいる猫が喉を鳴らした音でしょうか。
「あれはもう何年前だったかねえ。大雨で川に流されて亡くなった子がいてね。私はね、思うのさ。きっと、ときどき不思議な雨が降るのはあの子のせいなんじゃないかってね」
おばあちゃんの目に少しだけ、寂しそうな、そして悲し気な影がさしました。
「さ、老人の昔話は若い子に嫌われるからね。さっさと帰んな」
そう言って微笑んだおばあちゃんは私の手のひらに銀紙に包まれたチョコレートを乗せてくれました。
私はおばあちゃんにお礼を言って、アイスを入れた冷凍ケースの上に座る猫の顎をさわさわして駄菓子屋を出ました。
そのときです。
―――ぽたり。
土の地面に斑点がぽつぽつとついたかと思うと、それはまるで蛙の卵みたいにどんどん増えて、やがて地面はこげ茶色に濡れました。
あっという間。
さっきのゴロロはやっぱり雷だったのです。
雨が降って、軒先の雨どいから水が落ちてきます。
空を見上げる。そこには蛇のお腹みたいにうねる雨雲。低く、低く、下がってきて山を押しつぶしてしまいそう。
私には苦手なことが一つだけあります。
それは人みたいに気配をうまく察知することができないのです。機械ですから。
だから、隣に人が立ったことも気づかずに、空を覆う雨雲に首を傾げていました。
「傘……いる?」
突然話かけられて、飛び上がりそうになりました。
隣にはいつの間にか、セーラー服に緑色の合羽を重ね着した女の子が立っていたのです。しかも背中にはたくさんの傘を背負って。
緑がかった髪の毛は日ざしを浴びたらきっと綺麗でしょう。けれど、今は雨。彼女の髪の毛は水に濡れてごわごわしていて、なんだか曇り空が続いた日の向日葵みたいに元気がないのです。
「傘はいりません。私、ウェザーノイドですから。防水加工なのです」
「……そう」
女の子は寂しそうにランドセルみたいにして傘を背負いなおしました。
「あの、どちらさまですか?」、失礼のないように私は言葉を選びます。
「私はアマネ。雨女のアマネ。あなたは?」
「私はウェザーノイドのヒマワリです。猫島に降る不思議な雨を調査中です」
ぐっと私は胸を張りました。私が起動された理由。私がここにいる理由。
するとアマネさんは悲しそうな顔をして自分の手に持っている傘を開きました。
「それ……私のせい―――。もういくね。そしたらやむから」
そう言い残して、アマネさんは軒先から道に出ると消えてしまいました。
アマネさんは、悲しそうでした。
ひどいことを、言ってしまったのでしょうか。そして本当に。アマネさんが言ったとおりに、さっきまで空を覆っていた雨雲は青空に溶けていったのです。
それはとても不思議な光景でした。
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