炎天族の秘技・後編

 あまりに呆気ない、高効率の狩り。

 しかも、たった一頭。

 ならば、もう少しでも狩って備えるべきではないのか。


 残念ながら、彼らの一日はひどく短い。

 狩りに参加した男衆は、獲物を持って帰れば、待ち受けている者に渡す。解体などは別の者の仕事だ。

 身体を清めて天幕に戻ると昼寝をし、あとはごろごろして過ごす。

 老いた者、女子供、そして怪我を負って狩り働きのできない者。非戦闘員が身近な生活を支える。

 どちらの働きも必要不可欠なものだ。


 彼らには、時間をかけられない理由がある。

 狩りを確かなものにする肉体を強靭にする秘技を、生活から切り離すことは難しい。

 しかし、使用できるのは日に一度きりといってよかった。代償を伴うのだ。

 無理を押せば二度三度使えるだろう。しかし、肌が石のように頑丈になるというものではない。

 通常であれば傷を負うほどの力を、秘技が代わりに損傷しながら相殺しているに過ぎなかった。解除後にも、肉体には相応の疲労は残るのだ。

 それは、一日の力を、一時に凝縮しているのだと考えられている。


 そういった知識があるのは、狩りが生活の一部に組み込まれているため、垣間見る機会があるからだ。

 時に、秘技で肉体を強固にしようとも、当たりどころが悪ければ怪我を負う。

 ときにタウロッスの角で貫かれ、強靭な顎で折られる者もある。

 それが秘技を使用中の負傷で、体の内が露わになると目にするのだ。不自然な色が筋のように張り巡らされているのを。

 血肉とは違う、赤い塊。

 外気に曝されれば、弾けるように形を失うものだが、似た状況下では必ず現れた。


 それは人の身だけでなく、タウロッスでさえもだ。

 傷を負わせて動ける状態にあると、危機感か、怒りのためか、タウロッスの四肢が膨れ上がり異常な速度の突進行動を起こすことがある。

 それが彼らの秘技と共通のものらしいと伝えられてきた。

 実際に、その状態の腿を切り裂けば、彼らのものと同じく夕焼け色の赤が散った。


 だからこそタウロッスを狩る際には、まず脚を狙うようになった。

 他の獲物に似た状態が認められたことはないが、思いもよらぬ動作を起こすことは知られている。

 はっきりとした形で目にするには、体の大きさが必要なのではないかと、今のところはいわれている。


 その得体の知れぬ力の源を、マジカルな存在だとして、いつしか彼らはマグと呼ぶようになった。




 一際大きな天幕の中心で、板切れに皮を敷いただけの寝床に横になり、オヤジは働く者達を眺める。

 狩ったばかりのタウロッスが解体されているのが、開かれた幕の外に見えた。

 室内では石をくり抜いた器で薬草を磨り潰している者、獲物の骨を磨いて武器や食器などを作る者、煮炊きをしている者など、様々な手仕事に励んでいる。

 彼らの働きによる音以外はない、静かな空間だ。


 一日が短ければ、出来ることも多くはない。

 会話で疲労することさえ、少ない時間を削る。

 そのため、言語も変化し単純化している。


 言葉は指示に必要なものであり、したがって声をかけるのはオヤジからだ。

 目を合わせて一人一人に仕事を割り振る。声を掛けられた者は頷きで返せばよい。

 相手は名を知らぬ者のない家族だ。

 だから、まずは相手の名前で呼びかけ、獲物を見張れといった用件を短く伝えて終わる。

 お前だとか、あいつ、といった言葉は存在を忘れられたように埃を被っている。


 会話を楽しむといった習慣はないが、だからといって何も表現できないわけではない。

 ちょっとした表情や仕草でも、十分に伝わるものだ。

 特にオヤジの立場から、常に気を配っていることだからでもあるだろう。

 全て彼自身が守るべき家族。それらの光景を、落ちる目蓋の隙間から見たオヤジは、微笑みながらまどろみに身を委ねた。



 家族の心を一つにするために、誰よりも力を求められるオヤジという立場。

 では、誰が彼の心を引き上げるのだろうか。


 成人を認められた男子が行う儀式がある。

 初めて己が手で仕留めた獲物の心の臓を、赤々と燃える夕日に掲げ、滴る血を贄に、赤を支配する神へと祈りを捧げるものだ。

 この簡易化したものをオヤジは日常的に行っていた。

 昼寝から目覚めれば、日が傾いている。夜の食事の前に、頭骨の杯に血を湛え、夕焼け空へと掲げた。


 赤は、命の象徴だ。

 現に死せば、瞬く間に赤は鮮やかさを失う。褪せた色は、不毛の荒野の色だ。熱い地では、食べ物を長く保存することも難しい。

 だからこそ狩りで力を示せることが、彼らにとっては重要な価値観だ。


 夕暮れ時の色は、彼らの肉体に宿る赤き力と同じ。力の象徴だ。

 故に、彼は祈る。

 弱き我らが生きるために、赤の神は秘技を与えたもうたのだ――そう、オヤジは考えて、狩りの度に心で祈る。

 そして夕方の杯には、明日も獲物を一頭与えたまへと、家族が腹を空かせることのないようにと祈るのだ。


 一日に動ける時間の短い彼らに、文明文化の育つ余力はない。

 身を寄せ合って生きねばならぬ我らに、慈悲をと、オヤジは全身全霊で以って祈り続けた。



 その祈りが、通じたのだろうか。



 ある日、大地が揺れた。大揺れに揺れた。

 それが続いたある日、タウロッスの移動を追う任にある者が、遠い空に霞むものを見つけた。

 毒の水場があるという方向だ。

 青い陽炎は消え、あるのは山だけだという。

 ならば周囲の緑に覆われた山並みに近付くこともできるだろう。

 毒が消えたとなれば、乾いた地に暮らすよりも、よほど自然の恵みを得ることが叶う。

 遥かに安定した恵みを、家族と分かち合うことが叶う。


 オヤジは目を閉じ、迷いに息を深く吐く。

 目を開けると、ちょうど青が赤へと変わりゆく空。

 赤の神が、何かを告げているように思えた。


 意を決してオヤジは、彼の地を目指すと宣言する。


 こうして荒野の西側に居た天幕の一団は、希望を胸に、新たな地を目指して旅立った。


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