タロウ部屋の遺品整理
タロウは決戦に向けて、戦いに直接必要のない荷物は全て宿に残していった。
部屋の入り口に立ち室内を見回すのは、宿の主であるキープ・エヌエン。タロウがおっさんと呼び親しんでいた人物だ。
生き残った街の者は荒れた街を、途方に暮れたように黙々と片付けていた。人手は要るが疎開した住人からわずかな人数を呼び戻しただけで、さして進みが良いわけではない。多くの家屋が倒れて居場所が足りないためだ。
雪が降り始めたこともあり、まずは街道までの道をしっかり通れるようにすると、一旦休憩を挟むことになった。
とはいえ、働き手を増やすべく寝床となる場所を空けて、疎開させた住人から働ける者を呼び戻したり、必要物資をジェネレション領から運ぶなどの準備もある。
忙しくなる前に、ささやかながら慰霊会が、お山の上で執り行われた。
まだ何もないため、捧げものは雪弾き草の花くらいのものだ。雪が積もると弾けるように雪上を割って花開く草花だ。
草と言えば……最大の功労者である人物に因んで様々な草を持ち寄った。
キープ初め多くの人族にとっては初めて訪れた場所である。
しかし元の姿を知らずとも、目にした深い傷跡は戦いの過酷さを容易に想像させるもので、各々が痛まし気に辺りを見つめていた。
それでこの地で倒れた全ての者のために、聖なる世へと祈りを捧げたのだった。
山の様子を思い返しながらキープは、邪竜が失せてから初めて、タロウの泊まっていた部屋へと足を踏み入れた。
砦前広場周辺の陣地構築内にはぎりぎり、この宿も含まれていたため、崩れるほどの被害は免れていた。
それでも客室内を確かめることを後回しにしていたのは、単純にその暇がなかったからではある。
しかし心理的に後回しにしたことは否めない。魔物の海が引いた後に残された光景はそれだけ無残なものだったのだ。
なにより――もう、この部屋の泊り客は戻らないのだと、シャリテイルから伝えられていたこともある。
遺体はないというが、真っ赤な目で言われては受け入れざるを得なかった。
判別の難しいものもあるのだから、むごい姿を見るよりは良かったのだろうか。
山の上に残された、至る所が割れて大きく抉れていた光景。
あれでは人の身でどうにかできるものではなかったろう。それでもタロウは果敢に挑んだのだと、この冷えた部屋に居ては痛感させられる。
手近な箪笥へ近づく。
腰までの高さで三段しかないものだが、中には少しの衣類と大量の虫よけしか入っていない。
その箪笥とベッドの間に、小さな台を置いてある。
本来は水差しを置く程度のものなのに、器用に書き物机として利用されていた。
台の壁際に置かれた、大きな葉っぱを折って作ったらしい手のひらに乗る物入れには、書き損じたらしい丸めた紙屑が入っている。その横には硬い葉っぱを筒状に縛って乾燥させたらしい縦長の物入れがあり、ペンやヒソカニ鋏が立ててある。
手前には覚え書きを書いた紙切れが乗り、持ち主の性格を表すように不器用ながら几帳面に配置されているのだが――今は道具袋が場所を占めていた。
部屋に渡した洗濯物を干すための縄も解かれて、輪にして箪笥の上に置かれてあり、ベッドも整えてある。
冒険者だったからという理由はあれど、疎開せず残って頑張ろうと言いながら、とった行動はその真逆といってもいい。
きちんと整頓された状態は、二度と戻る気がなかったのだと言われても頷いてしまいそうだった。
真っ先に最も危険な場所、山の上へと駆け出していった――そう聞いている。
その話と合わせればなお一層、初めから腹を括って出て行ったようにしか思えず、胸が痛むのを感じていた。
いよいよ山の主が目覚めようかという数日で交わした会話や、不安げな姿を思い返しながら、窓にかかっていた覆いを巻き上げた。
通常は靴の泥除けなどの簡易の敷物に使われる草を、日を遮るために利用したものだ。焼け焦げ跡の残る、歪な編み目を見てぼそりと呟く。
「不思議なもんばかり作る」
窓から通りを眺める視線は、外ではなく己の心に向いていた。
短いながら、この宿の客としては最長期間の滞在記録を残した客の思い出に。
もう、住んでたようなものだった。
ベッド脇に戻ると、遺された道具袋を手に取った。
袋の中身を慎重に取り出すと、大量の紙束が出てくる。
冒険者が持ち歩く依頼用にしても多すぎる。
そこには、よれた線で様々なものが描かれ、注釈が残されている。
タロウが日々書き記したであろう、主に魔物の資料だった。
キープは、その扱いをどうしたものかと悩んだ。
この宿の主であるから、客の残したものを扱う権利のある唯一の人間である。
しかし、それはただの端書きではない。道具屋で見たことのある、研究家の資料のように詳細なものだ。
「ここまでの学があって、なんでこんな危険な街で冒険者なんかやるんだと、思ってたがよ」
キープは、まるでタロウがそこに居るかのように語り掛けた。
「まさか、前の英雄の遺志を継いでたとはなぁ。そりゃあ、折れらんねえよな……聞いてりゃ、もっと言いようがあったかもしれねえってのに」
思い詰めた様子のタロウに、よからぬ後押しとなるようなことを言ってしまったのではないかと考えてしまい、キープは渋い気持ちを眉間に皺をよせて表す。タロウとの会話を一つ一つ思い返していたはずが、徐々に思い出を追うものとなった。
息子のシェファと並んで話しているところは、兄弟のようだと思えた。
タロウは気が付いてないようだったが、農地の年頃の娘はタロウを見かけると、「噂の草ころがしよ!」と囁き合い悪からぬ視線を送っていた。
だからその内、嫁を貰ったシェファの近所にタロウも家を構えて、ずっと暮らしていくんじゃないかと、そんな先のことまで浮かんでしまったほどだ。
怪我なんかしてきた日には、よっぽど冒険者をやめてうちで働けと言いたいのを抑えたものだ。
どこか幼い顔つきがシェファと同い年くらいに思わせたせいもある。だが意見ははっきりしていたこともあり、もう少し年上なのだろうとは伺えた。
では、あの時に何ができたか何が言えただろうかと、考えは戻ってしまう。
「……いざとなると、うまいこと言えねえもんだな」
頭を振って物思いから意識を戻す。
「俺にゃよく分からねぇ。これは引き取ってもらうぞ」
やはり貴重なものとして自分だけで判断してよいものではないだろうと考えたキープは、もっとよく理解している相手に任せることにした。冒険者ギルドだ。
ギルドで調べたものはあるし、もうこの世界には必要ないものではある。
タロウの手によって魔物を生み出す根源が断たれたのだから。
しかし、この魔物帳は別の意味で貴重だろう。英雄自ら残したものとして。
それなら王立研究院に贈るべきだろうとギルド長は提案し、ジェッテブルク山の調査のために残っているビオへと、大枝嬢から届けられた。
そうして、書き損じたぐにゃぐにゃのケダマの落書きも、全部まとめて渡ることになった。
足がどこについているのかさえ分からない、ぎざぎざの円形を見てビオは呟く。
「うむ、よく特徴を捉えている」
もう、これが今を生きる者の記憶にしか存在しないものであるからこそ、貴重な記録であることに間違いない。
ビオは顔を上げて大枝嬢へと力強く約束した。
「しかと受け取った。研究院にて厳重に保管しよう。紙片の劣化を防ぐマグの加工技術もあるのでな」
「安心しましタ。よければ複製を依頼してもよろしいでしょうか? 私も樹人族にタロウさんの……英雄の存在を確かな形で伝えたいのでス」
「それは願ってもない。是非ともお願いする」
ビオは聖なる世を探して空を仰いだ。
「タロウ、我が英雄よ。貴方の残した決死の記録。この国ある限り遺されよう」
天上で、青い光が揺らめいた気がした。
それを喜んでくれたのだと考え、ビオは微笑んで見せた。
実際の意味は違った。
『やめろおぉ! そんなもん残すなああああぁぁ!』
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