165:たかがゲーム

 スケイルに好きなように走ってもらいながら冷えた風を受けていると、茹だった頭も少しは正気を取り戻してくれた。


 スケイルは、今俺にできる精一杯を示してくれた。

 人間が意志を持ってできること。頭を捻って解決策を見出そうとすること。そこに捨て身の覚悟と根性も必要だろう。

 でもな、残念ながら俺は頭がいいとは言えない。面倒臭がりなところもある。それでいて気が多かったりと、いいところはどこだよ状態だ。


 だから馬鹿なりにも工夫を凝らして、自分のケツ叩いて、粘って強くなろう。

 そんなことを思っていた。

 普通一般の人族として生まれて、戦うのに向いていないなら。

 人生かけてやりゃいいじゃん。

 そう思った。

 そうしたらいつか――親父の歳になるころには、そこそこの中堅冒険者くらいにはなれてるんじゃないかってさ。

 戦闘力云々だけじゃなくて、ギルド職員が気にかけているような土台を支える仕事だってある。少ないポジションなら狙いどころだろ。戦闘がだめなら、総合的な経験を積めばいいんじゃないか、などと思ったりもした。


 でも食っていくのが第一だとしても、それだけじゃ心が死んじまうだろ。

 必死に食らいついてきたのは、熱に浮かされたような執着だった。改めて未来に続く道を作り直さなきゃならなかったから。


 そんな、自分にもチャンスはあるなどというのは幻想にすぎず、未来を考えても仕方のない危機があったのに。その可能性を知っていたし、現実に端々で散りばめられた片鱗を目にしてきたというのに。邪竜が甦る段階になって、ようやく視界を塞いでいたものが剥がれ落ちていく。

 たまたまスケイルを手に入れたから、いつの間にか勘違いしてたんだ。

 俺はただのモブなのに……こんな最終決戦の場に、どんな面して残ってられる。


《ぬ。この先で魔素濃度が高まっている。どうする主。迂回するか?》

「いや、行こう」


 森の中を木々を避けつつ走るスケイルだが、速度が落ちた感じはしない。

 示された地点に駆けると、地面がみるみる盛り上がり山を作るのが見えた。到着する寸前で天辺が割れ、巨大な毛並みの塔が立つ。それがこちらに倒れかかり、スケイルは横に跳ねた。

 ずるりと這い出る、もっさりした灰色の先端に丸い穴が開く。赤い、目だ。

 側面から巨大な主翼が持ち上がり、叩き潰そうと振り下ろされる。軽く避けたスケイルは、その平たい上部を走り胴体へと飛び乗った。

 毛柱の前方が持ち上がる。

 あれが首か?

 コントローラーに手を乗せ、スケイルからの攻撃指示を待つ。

 が、焦った声があがった。


《頭を下げろ!》


 様子を見るのに起こしていた頭を下げ、横を向いてスケイルの首にしっかりつけると、何かが脇を掠めていった。

 緑色で人の頭サイズだったような。

 すぐに掠めていったはずの物体が戻って通り過ぎ、毛柱の天辺に乗った。


「モグウウウゥ!」


 え、モグー?


「ヴリトラソード!」


 もう昨日から高出力モードにしたままだ。

 鞭のようにしなった刀身はビッグモグーの首に絡みつき、両腕で思い切り引っ張る。一本釣りだ!


「モグルウゥ……」


 首の毛並みがぼろぼろと青く崩れ、ゆっくりと頭部が滑り落ちる。伐り倒された木が倒れるような音を響かせると、胴体も形が揺らぎスケイルが跳躍。地面に着地すると同時に崩れ去った。

 ぽとりと回転葉だけが残される。


「なんで葉っぱは元のままなんだよ」

《体だけ融合したからではないか? あれは外部を取り込んだものだからな》


 口で長い時間かけて練ってるんだったな……。


「モグーが出たなら、他の魔物が動くんだよな?」

《その可能性は高い》

「なら、まずはこの辺を回ろう」


 回転葉に背を向け、近付くウニケダマの群れを目指した。

 もう、いつか使うかもなんて理由で拾う必要はない。

 なにより、ストンリ特製の鎧がある。これ以上、防御面でやれることはない。


 攻撃手段は――俺にあるのはコントローラーだけ、ヴリトラソードだけだ。

 こいつを使えるのが、このモブ野郎しかいないんだから、しょうがないだろ。


「だから、やるしかない」

「クァ?」

「あいつが寝ぼけてる間に、小道具の聖魔素を貯めまくるぞ!」

「クアァ!」


 いわゆる無能な働き者というやつかもしれないが、それでも、ここで動かなきゃ嘘だろ。人として。

 それに誰に何を言われたところで、俺がやれる範囲は変えられない。




 目に入る範囲から魔物が消えた今の内にと、水飲み休憩がてら改めてメモを広げて考える。

 ギルドの資料から抜き出した、四度の邪竜戦の流れと、復活する度に進化する内容についての考察などだ。


 まずは邪竜が生まれたことから始まった。

 戦争中だった人間勢に、山から飛び出した邪竜が襲い掛かった。人間側の被害は大きくとも、戦いは一日で終わった。


 二度目は邪竜が分身の術を覚えた。

 といっても馬サイズのミニ邪竜だったことと、個々が好き勝手に襲いかかるため、統制の取れた人間の軍勢が押し返したとのことだ。二週間はかかったらしい。


 三度目、現在の魔物の雛型は、ここで生まれた。

 己の体が地上での戦闘に向いてないと考えたらしい邪竜は、地形を反映した姿を分身に与えた。主にランチコアなどの獣の姿だ。数ヵ月の戦いの後に、どうにか邪竜を山に追い返すと分身も消えた。


 そして、四度目。

 俺たちが気にするべき戦いだろう。

 前回、邪竜は動かなかった。だからこそ完全な封印ができた。

 なんと戦況は二年以上も膠着状態だったというが、足元まで人間が近付いても露払いに魔物を呼び出し、自らも振り払う程度で、結界石に阻まれ動けなくなる限界まで山の上に留まっていたという。

 その理由は、魔物の自動生成装置を作り上げるため。


 スケイルは、その知恵の足りなさが勝機になりうると励ましてくれたんだろうが、もし前提が違ったら?


 寿命の感覚が人間と違うが故の、捨て試合だった可能性はある。

 それに、生物を絶滅させるまで止まらないつもりなら、幾らあの巨体だろうと世界に対しては届かない。

 それで手勢を増やしたのなら、今度こそ、本気で潰しに来る。


 不安を飲み込んでメモをしまった。

 短い休憩を終え、スケイルと共に駆け出す。

 ヴリトラソードを縦に持ち八脚ケダマの足の下を駆け抜ける。脚の毛盾諸共、胴体を両断……とはいかないが、青い火花を散らして半ばまで抉った手応えはあった。目に見えて動きが鈍り、簡単に頭に飛び乗ることができる。

 止めを刺しながらも魔物の様子を窺った。


 ざっと戦いの流れを見れば、とにかく邪竜は圧倒的な数で人間を叩き潰すことに執着しているようにも思える。

 魔物自体がそんなことを思考してる感じがないのは、そういった力を付与できないためかもしれない。邪竜自身がどうなのかは……もうすぐ嫌でも目にできるだろうが、じゃあ出来るなら今後の付与能力になるのかと言われると、どうも流れに噛み合わない気がする。


 根底に、いかに人類へ圧倒的な力で絶望を与えるかと、そんな行動に思えるんだ。

 いかにも悪者らしいというか。


 だから俺でも、躊躇なく立ち向かえる。

 自分の命がかかってるからと、他の感情を切り捨てるなんてのは……俺には無理だ。

 甘いと言われようが、平和な世界に過ごしていた感覚から抜けだすことはできない。

 人としての大切な感情や道理を、長い年月をかけて両親は教えようとしてくれた。

 それを裏切るようなことはしたくない。




 元から静かな宿だが、今は寂しげに見えた。

 まだ邪竜は現れていない。首まで形を取り戻したとのことだが、この速度なら明朝になるだろう。噴き出すマグや岩の雨に遮られ、とっくにジェッテブルク山には近付けないため、俺が行った山からの観測情報だ。砦の外には囲いを築き上げ、半数が寝ずに待ち構えている。騒然とした緊張が、ここまで届いていた。

 そんな空気の中、薄暗い食堂で、おっさんと飯を食っている。


「早く家族団らんで飯食える日が戻るといいな」

「元々、手の空いたもんから食って片付けてだ。言われてみりゃ、声をかける相手も居ないというのは初めてになるか。寂しいもんだな」


 生活環境によって変わる……そうだよな。現代日本だって出張が多いとか夜勤のお父さんたちは多い。心情はともかくとして、無理に家族そろって飯を食うことが幸せとは限らないか。

 俺には、まるで平和の象徴のようだったエヌエン一家。

 この宿には、これまでと変わらずにいてほしい。


 静かに椀を啜り終えたおっさんが、盆に食器を重ねていく。


「明日も早めに朝飯を作っておく。少しは眠れよ。人族の長所を無駄にしないためにもな」


 俺も起きてようと思っていたが、素直に頷いて部屋に戻った。今後どうなるか分からないなら、少しは予想のつく今だけでも休むべきなんだろう。




 眠れる気はしなかったが、部屋に戻るとベッドに寝転がった。

 ビオの話、シャリテイルの意志、禄でもないオッサンどもの私怨やら。それらが強烈で、これまで言い聞かせてきた自己暗示が根底から揺らいだ。

 今さら、どうにもできない場面に来て怯む自分に失望した。

 その失望は、思ったより深いらしい。

 手が強張り強く握り込む。


 命を捧げるつもりなんかない。


 腹を括るとして、誰も本気で死ぬことなど考えて災難に立ち向かうわけではないはずだ。

 そりゃ想像はつく。

 呼吸も辛いほど胸が潰れそうに不安で、逃げ出したくなる。


 憎悪といった強い感情もなく、それでいて厳しいと理解できる戦いに挑むのに、どんな覚悟が要るだろう。

 周囲の人たちには返しきれない恩を受けた。世話になりっぱなしだ。心底感謝しているのは本当だ。


 それでも……大切なものを比べてしまうのは、どうしようもない。

 守りたい人物はと問われれば、真っ先に浮かぶのは日本の家族だ。

 見栄を張ったところで、自分の命が危ないというときに実際、どれだけ行動できる?


 ギルド長の思惑から芽生えた感情が、影を落としている。

 嫌な世界だ。

 初めて、そう思った。

 ビオの話で、それはさらに大きくなった。

 糞だと、はっきりと感じた。


 愛着だけではどうしようもない。嫌な感情の方が喚く声も大きく、目を曇らせる。

 いざという時に膨れ上がって足を引っ張るんじゃないかと、この先の自分の行動を信じきれないでいる。


 ――こんな糞な場所に、一生懸命になる必要があるか?


 それを理由に投げ出してしまわないと、どうして言える。


 耳を塞いだ。

 そんなことで、心の声を消すことなんかできないってのに。


 目を開くと、スケイルが枕の端に顎を乗せてじっと見ていた。

 無機質な顔だが、瞳孔に覗く青い魔素が、感情の揺れを隠せていない。


《これより主がどのような選択をしようとも、我は共にある》


 幾ら懐いてくれても、スケイルは邪竜との戦いを避けて欲しいとは考えないようだった。一時的に逃げ延びたところで、また次が来ると知っているから。それに、ギルド長が言ったようなことが美徳だと、前の主からも学んだに違いない。

 なのに、こんなことを言ってくれるまでになったのか。


 逃げ出した後に、他の犠牲の上で邪竜が再び眠りにつけば、うまくすれば人間の俺は戦わずに一生を終えられるかもしれない。

 お前がいるからでもあるんだよ、この葛藤は。

 自分だけ、この場から逃げ切ることができるだろうから。


 それじゃ、顔を合わせられなくなるのは分かってる。

 暢気に主だと呼ばれる度に、辛くなるに違いない。

 堂々と一緒に歩き続けたいなら、他にできることはない。


「……最後まで、よろしくな」

「ケルルゥ……」


 お前の主は、また先に逝きそうだ。


 無理やり目を閉じた。

 何か策はないか考えようと思うのに、昔のことが浮かんでしまう。

 多分、理由を探してるんだ。踏みとどまるための。



 ◇



 こっちに来てからずっと、生活で手一杯だった。当然、遊ぶどころの話ではない。

 俺にとって遊びといえばゲームだったが、ここにはないからか未練も薄い。

 特に十代後半は、ほぼ費やした。あんなに必死だったのにな。


 そこまで入れ込むことになった切っ掛けは、実のところ、あまりいい思い出ではない。なのに、全力で思い出すのを回避してきた情けない自分を振り返っていた。

 多くの人間を苦しめるだろう思春期というやつだ。

 ありきたりのつまらない理由かもしれないが、普通に暮らしてたつもりだし、はたから見て劇的な事件なんか起きたことはない。


 あの頃は、とにかく訳も分からずイライラしていた。暴れたりはしなかったが、ひたすら不貞腐れていた。自分でも苛立ちをどうにもできないことが余計に腹立たしくて、それが態度にも表れてくる。そんな時期だと言われたところで不快さは消えないし、気分を切り替えて耐えられるほどの人生経験もなかった。すぐ顔に出るだけでなく口にも出てしまう方だし。

 簡単に言えば、ガキだ。

 一々、親に言われるちょっとしたことで癇癪起こして、したり顔で屁理屈をこねる。どんなに大人ぶろうとしたって、ただのクソガキだった。

 自分の体なのに言うことを聞いてくれず、口を開けば相手を傷つける言葉をぶつけてしまう。

 そんなの自分でも嫌に決まってる。だから単純に口を閉じることにした。

 後で、それが余計に悪かったのかもしれないと思う。

 決定的になったのは、呆れ果てた母さんが親父に投げたときだ。


「ほんと男の子は気難しいわねー。ほら、お父さんも大きな男の子でしょ。二人でご飯でも食べてきたら?」


 ほとんど家のことは母さん任せの親父だが、あまりに酷い時は別だ。俺も、いい加減に怒られる頃合いだと身構えた。

 なのに親父は、母さんが部屋に引っ込むと困ったように笑った。


「あまり母さんを困らせるな。まあ、たまには好きなものだけ食べようか」


 それが面倒な奴の機嫌を伺ってるみたいで、どうにも情けなく見えたんだ。


「なんだよそれ、人の顔色みて……いつまでもガキの気分でヒーローごっこやってるくせに、情けねぇ。なにがヴリトラマンだ。タロウとか、だっせー名前つけやがって!」


 細部は覚えてないし思い出したくもないが、そんなことを言った。


「……ごめんな」


 やっぱり怒りもせず、なぜか謝った親父は背を向けた。


 ださいのは俺だよ。

 あんな風にショック受けてくたびれた親父の顔なんか見たくなかった。俺が、そんな顔をさせた。失望させたと思うと泣きたかった。


 だから、今度は部屋にこもることにした。

 じっとしてられる性格じゃないが、毎日友達と出かけられるはずもないし、どのみち夜は自宅だ。腹の立つ自分を部屋に押し込めておくのに、ゲームはいい仕事してくれた。それから、そんな自分に慣れるまでそうしていた。時が経って冷めたのかは分からないが、ある日突然、全てが馬鹿馬鹿しくなった。

 乗り越えて成長したと言えば聞こえはいいが、内心で絶叫したよ。


 正気になんか戻りたくなかったああああああぁ……!


 もちろん二人に謝った。それで無かったことにはできないが、それが墨野家だけのドラマだ。

 しばらく俺には枕に顔を埋めて悶える罰が下った。


 ゲームを動作させるだけの機材や、手元になんらかの技術なりが残る訳でもないデジタルデータ。そんなものに金と時間を取られることがバカバカしいと、悩まなかったときがないと言えば嘘になる。


 でも、あの時は本当に救われたと思うんだ。


 だから、もしゲームの方が誰かの助けを必要としているなら――。


 貸りたもんを返すだけだ。

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