166:決戦を前にして

 黒い山が鈍い呻きを上げていた。

 朝焼けのせいだけではない赤く染まる空に、今にも雪が降りそうに濁った筋状の雲が、獣が爪で引き裂いたように張り付いている。

 下水道に濁流が押し寄せるような地響きは足元をおぼつかなくさせるが、地面が歪んだように感じるのは気のせいだ。


 歪んでいるのは、周囲の山並みなのだから。


 ジェッテブルク山の麓、岩場方面の草原地帯だった場所に黒い畝が浮いている。

 徐々に朝日が強く差し込み鮮明になるほどに、異様さがはっきりする。

 黒いと思った壁には、赤いマグが透けていた。

 マグ水晶を含んだ岩は魔脈の壁だ。亀裂が走り、血のようにマグが滴っている。

 まるで、邪竜が内臓をさらけ出しているようだった。


 余計な荷物を全部置いて、スケイルと共に宿の入り口から一歩を踏み出し、思わず足を止めて見入った光景だ。

 そこには、不吉さしかない。


 目を山から引き剥がし、周囲へも意識を向ける。

 未だ周囲の尾根から三本の煙が、絶えることなく立ち昇っていた。邪竜が現れたことを知らせる狼煙だが、周囲に対する近付くなという警告でもある。

 どちらにしろ、もう遅い。


 崩れかけの黒い稜線に、別の影も浮かんでいる。

 麓からでも蠢く輪郭が視認できるサイズのそれは、狭い穴から這い出ようとしている邪竜なんだろう。

 あんな巨大なものが素早く動くとなれば、どれほどの被害が出るか。


 素早く……昨日の違和感はこれか。過去には飛び出したといった記述が目立ったのに、今回は出てくるのにやけに時間がかかっている。

 後から人間が穴を埋めたとは書かれてなかったし、山を変質させてまで穴を広げなければならないほど、力がないのか?

 置かれていたでかい結界石を壊すのに、これだけ時間がかかってるのかもな。

 後は、顕現に時間をかけている可能性。スケイルがマグ量を増やして強化するようなことを、邪竜もやってるかもしれないと思うと、この猶予が不安になる。

 戦力は、現在、この場に居る者だけなんだ。


 スケイルの首を叩いて合図をし、並んで広場に走る。

 砦が見えると、嫌な会話が思い出されて眉間に皺が寄る。

 ビオにしては余計な話も多かった。

 その理由に気付いた。

 あの部屋に居たのは、なんらかの指揮権を持つ者――そんな奴らは、奥に引っ込んでるのではなく前に出るもんらしい。

 最も、死線に近い者だ。

 まるで死を前にした懺悔……。


「冗談じゃない」


 ギルド長の望むような名誉なんぞは御免被る。

 そんなもん、ビオにも誰にも望んでほしくない。周囲から望まれてほしくもない。

 たまらなく苛つく。

 本当に、超えられない価値観の壁なのか?


 今さら考えを変える事なんかできはしないだろう。

 たった一言で、これまで過ごした時間の重みが帳消しになることなんかない。

 それでも言いたい。叫びたい。


 なんで皆で生きようって、言えねえんだよ!


 後から気付くから、どうにもならないんだ俺は。




 最小限の言葉しか交わされることのない、それぞれが動き回る、今は狭く見える広場を見渡す。

 真っ先にビオの姿に目がいった。杖を両手で握り、頭をつけて集中している。ゆっくり近づくと、ビオの手元に青い光が集まり、それが小さな黒い石を青く変えるのが見えた。それを柵沿いに埋めては繰り返す。結界を補強しているんだ。

 特に魔物の押し寄せる道筋に。


 柵から少し離れた位置に結界石付きのバリケードが幾つも据えられ、その陰で休む者と交代しながら冒険者たちが戦っている。積極的ではない防戦。ギルド長は、あいつの動きを待っているんだろうか。

 幾つか埋め終えたビオが、こちらを向く。


「あれが動き出す前に会えて良かった。渡したい物がある」


 天幕を示され後をついていく。

 中には大枝嬢だけだ。制服ではない、防具で簀巻きのような姿に会釈する。

 ビオに指示を受けたお付きの兵が、壁沿いの木箱を開けて取り出したのは、小さめの木箱だ。


 ビオは俺に、国の嫌な部分を話して聞かせた。

 一人だけ知識も覚悟も足りてないのがいては困るから、補う必要があると考えただけとは思えない。この期に及んで、逃げ出しかねない情報を与えたのは理由がある。

 強い人だと思った、そんな人の懺悔だなどとは思いたくない。

 勝手な言い分なのは分かってる。


「あんなことを聞かせたのは、なんでだ」


 結局、俺はここにいる。

 少しでいいから、無性に誰かの本音が聞きたかった。


「……感傷だ」


 ビオは振り返り、悲し気に微笑んだ。いつもより艶のない金の髪が、傾げた頬で揺れる。

 意外にも、答えてくれるつもりらしい。


「生まれた時から決められていた人生だからこそ、自ら望む理由を欲していた。母が残した封じの使命を受け継ぐべきは、私以外にないのだと」


 机に置かれた幾つもの箱を開け、中から取り出されたのは、煉瓦のような物体だ。


「そんな時、ウディエストと会った。話を共有し、その想いが私一人のものではないと知れた」


 差し出された煉瓦は、半透明の赤。


「此度も場を導くのは、先の戦いと同じくジェネレション高爵家の者であるギルド長。ウディエストが居て、ファイリー家の子カイエンが居る。そして――」


 訳が分からず受け取った煉瓦をスケイルが即座に舌で巻き取るのを一瞥し、ビオを見た。


「タロウ――英雄シャソラシュバルよ。再び貴方が居る」


 シャリテイルの話を聞いたときの気分が、そのまま甦ったようだった。

 とても、苦い感覚だ。


 運命か何かのように考えることにしたと言いたいのか。

 色んな話を聞いてからでは、英雄一行の血を引いた者が揃うのも当たり前のように思えるってのに。

 前の英雄が子を残したかどうかは分からない。居たとしても、特殊な肉体を受け継いでなければただの人族だ。親の後を継ぐといって出てきてないなら、知らされてないか存在しないか。

 それはともかく、逆に一人だけ足りないのが、惜しかったのかもな。


 許された自由の中で、せめてもの望みが、先代の意志を継いだと思いたいことだというのか。

 ビオでも、そんな浪漫に憧れるんだな。


「そのようなわけでな、実は……すでに正式に触れを出してある」


 へ?


「英雄シャソラシュバルが現れた、しかも人族の中からとな。防衛に携わる者たちの士気を上げているそうだ」

「すでに?」

「一度話す機会があり、人となりは、それなりに知れたのでな。タロウなら大丈夫だと伝えてある」


 何を根拠に!


「私の態度を思い返せば、あの時の境遇にあってなお聖魔素を扱えることを、口軽く漏らさなかったことは賞賛に値する」


 いや、そんな確固とした理由じゃなかった……。

 みんながコントローラーの存在を知ってしまったら、元の世界なんてものがあって、もう帰れないんだと身につまされるから考えたくなかったというか……泣き言だった。


「また、誤解を与えるような言い方をしてしまったな。感謝しているのだ。そのおかげで、今、ここにいるということに……あの時に知ったなら、王都に連れて行かねばならなかった」


 ビオは苦々しそうに言った。

 やっぱり、連行されるかもという勘は当たっていたのか。


「だが、強くなると約束してくれただろう?」


 う、そんな素直に微笑まれると……はい、言いました。

 だから一緒に戦おうと、そういうことか。

 スケイルが舌で巻いた煉瓦を象のようにぶらぶらさせて、わざとらしく俺の前を横切る。


「えーそれで、これは?」


 つい誤魔化すように尋ねる。


「高圧縮されたマグだ。冒険者らから徴収したものだよ」


 金の延べ棒ならぬマグの延べ棒?

 こんな場所に、金?

 マグそのものなら、ここで幾らでも回収できるし、ギルドだって貯め込んでいる。


「そんなものが、なんの役に」

「常に繁殖期並みの戦闘を続けるならば、魔技を放つにも、魔技石の作成に必要なマグ収集も間に合うまい。そんなに驚くようなことか?」


 不意打ちを受けたようだった。

 税金の内訳なんて、深く考えたことなんかなかった。特に、そんな理由でとは。そもそも、なんでもマグでややこしいんだよ。


 外側は特殊加工のマグ水晶らしいが、マグ読み取り器を通すだけではなく、本人の魔素に直接書き換えることが可能らしい。魔技石のように外側まで消えるもんではないということだ。

 要は魔技石と同じということになるが……。

 スケイルのまん丸に見開かれた目玉は煉瓦に釘付けだ。


 表に出ると、土嚢の脇に今見たような木箱が積んである。皆に配ったんだろう。

 天を仰いだビオは、考え込む様子で口を開いた。


「邪の道は魔物という」


 ……慣用句?


「タロウ、お前はどれだけの街を巡ったことがある」


 ないです……とは言えない。


「直接ガーズに来たから、他は……」

「そうか。なら知らずとも仕方がない。この場に、どこよりも重要な戦力があるのは確かなのだ」


 国が逃げた理由でも聞かせるつもりかよ。

 まだ、なにかを伝えようとしてくれている?

 もしかして、俺が飛び出したから言えなかったんだろうか。


「動ける者を全て寄越したとて、確実に退けられるとはいえまい」


 人口が少ないなら、確かにそうだ。精鋭だろうウル隊長らやビオの護衛団と比べて、ここの上位者が劣ってるとは全く思わない。

 四六時中、魔物退治を義務付けられているような場所だった。誰だって、嫌でもレベルが上がる。多分、ずっとこの街に住み着いて守って来た者たちが、一番よく分かってる。

 こんな場所を維持し続けてきた俺たちで退けられないならば、他に誰ができると。


「砦で話したことは、醜いと思ったろう。あれを聞かせたのは、理解、いや信じて欲しいことが一つあるからだ。それらを成した当人ではないが、現王もまた然りと」


 それ、まだ禄でもないことするって言ってるようなもんだよな?


「王は、事態を理解している。絶望的に思えるからこそ、生き延びた者を迎える場所を残さなければならない。そのためならば死守するよ、あの王は」


 確かに、前線を広げたら守れるものも守れない。

 そのためなら見極めた上で何かを切り捨てる。

 それはそれで覚悟なんだろうが……。


「結界石を送るよう研究院に要請したとき、私は、これらを託された。ささやかだが、王の支援なのだ」


 こっそり王様のポケットマネー貰ったってこと?

 無駄に豪遊してるわけでは、なかったんだな。

 確かに……レリアスの王様は、邪竜のことを誰よりも真剣に考えているのかもしれない。

 王様自身の感情とは別にして、多くの民のことを考えてのって意味でだろうが。


「例の小道具には役立つと思ったのだが、違ったか?」

「……そういうことなら、ありがたくいただきます」

《我らへの貢物なのだな!》


 アホ毛をぶんぶん振りながらねだってくるから頷いたら、ザクっと舌で刺してちゅーちゅーと吸い始めた。その舌どうなってる……。


「タロウ、私は、この場を持ちこたえさせてみせる。人類のためではなく、この場に居る者たちのために」


 ビオは、杖でトンと地面を突く。動き辛そうなローブ姿だし戦えそうには見えないが、研究だけでなく戦闘技術も身に付けなければならなかっただろう。

 ビオが言うように、足場が無くなれば、それこそ反撃の機会はなくなる。

 一つ、大きく息を吐きだした。

 俺は、戦う側だ。

 だったら背後のことなんかは、それが重要だと思ってる奴らに任せりゃいい。


「信じてる」


 ビオは、はにかむように笑顔を浮かべた。


 柵越しにビオと並んで、魔物で揺らいで見える鉱山道を見つめる。

 ウニケダマやケルベルス、冒険者たちが食い止めている魔物は異様だった。

 ランチコアと戦ったときに見たものと同じで、他の魔物が勢いの余り仲間を殺してしまうと、そのマグが流れる。そして、膨らみ強化されている。

 やっぱり、人間のレベルアップと同じだ……。

 即座に人間側が倒すから、どうにかなってるが、これが邪竜によって推し進められたらどうなるんだ。


 そんな不吉な魔脈とその眷属が視界を遮るが、悪いものだけではなかった。

 今は、青い光点が見えている。


「これかスケイル。協力を頼む必要がないってのは」


 奥底に沈んでいた聖獣だ。必死に喰らいついて、抗っている。

 そう思ったのは、小さな点だった青く淡い光が、徐々に広がっていたからだ。その聖獣同士の聖魔素が互いに触れては離れ、それでも繋いでいる。

 スケイルは首回りの羽で大事そうにマグ煉瓦を抱えて答えた。


《聖魔素は邪魔素に比べ、少量で強大な力を引き出すのでな。ああして、互いの聖魔素を繋げ、荒ぶる魔脈を鎮める》


 長いこと、天然の結界だったんだ。

 邪竜の存在が、バランスを大きく崩してしまっただけで。

 そもそも、ここに多くの聖獣が集っているのは、おかしくはなかったんだ。

 急に減少したと人間が思ったのは、聖獣たちが原因であるこの地を目指したせいもありそうだ。


 だとしたらこれは、人と魔物の戦いではない。

 邪魔素と、聖魔素の戦い。

 魔物と、人間による代理戦争。

 そんな風に考えると、壮大すぎて抗おうと考えることすら虚しくなってくる。


 いや、今は、運がいいと思おう。ああしてくれてる内に、俺たちも活路を見出せる。

 興味をそそられたらしいビオに説明すると、しきりに納得して頷いていた。


 不穏に震える魔脈は、聖魔素を払おうとする邪竜の意志だろうか。本当に、まだ顕現中なのか、それとも欺いて様子見しているだけなのか。

 ぴりぴりとした風を受けながら、空気にそぐわないビオの穏やかな声が届く。


「タロウ、シャソラシュバルの里に暮らしていたのだろう? よければ、聞かせてくれないか」


 とうとう聞かれてしまった。種族差や過去の諍いの問題もあり、互いに踏み込むことがないから深く聞かれることはなかった。

 これまでなら動揺する質問だ。

 でも、そうなんだ実際。


「直接に会ったことはないんだ」


 多分、同じ国に住んでいた。こっちの世界の中と比べれば、俺とそいつは無関係どころじゃない。

 事実かどうかも、この際どうだっていい。確かなことはある。


「詳しい資料が残されていた。所感やら願いも込めて。多分、この小道具を手にした者に託すつもりだったんだと思う」


 コントローラーというか、これで遊んでたゲームのことだけどな。


「小道具にマグが認識されて、俺だけが知ってしまったんだ」

「だから危険を押してまで、出てきてくれたのだな。彼が残した資料は幾度も見返した。密かに仕掛けを施した物を、故郷へ残していて当然だ」


 ビオの感嘆の声に頷いてみせた。

 それが事実として話せる精一杯だったが、ビオは満足そうだ。ほっと小さく詰めていた息を吐き出した。

 ビオが不快感を滲ませた視線を上空に向け、杖を掴む手に力を込める。


「来るぞ」


 ビオが柵の外で指示を飛ばしていたギルド長を呼び、ギルド長は即座に応える。


「魔技列、前へ!」


 立っているのもやっとの地揺れ。

 山が動いた。

 動き始めた。

 岩陰から覗いていた魔物の群れが、気が付けば増えている。

 バリケードの合間に杖持ちが立ち並ぶと号令。


「放てぇ!」


 赤い礫が外側に向けて放たれ、赤い一つの剣閃を作った。

 魔技の一つ一つは強力でなくとも、何千もの石礫を同時に受けるようなものだ。

 群れを成していた魔物は瞬く間に砕け散る。

 その合間をかいくぐる魔物らを、楯の陰から飛び出した者が蹴散らしていく。


 本格的な攻防が始まっていた。

 まだ結界の効果は効くのか、辛うじてという感じだが留めているようだ。

 俺もスケイルの背に乗り、柵沿いに待機する。


 砦長は槍を掲げ、山を、敵を見上げて吠えた。


「今度は間に合ったぞ。勝負だ、山の主よ!」


 睨むでもなく、ここであり別の場所を見ているようだった。

 前回の決戦では封印直後に到着したと言っていた。それが、砦長の人生を変えてしまったんだ。その時に見た光景が残り、苛み続けるというなら分かる。

 けれど、わざわざこの場で生計を立てるために、国を移るほどの悔恨というのは理解できない。

 ただ、ビオもギルド長もそんな価値観だからというだけでなく、それぞれが自分だけの持つ理由で、この場に立たせているのだと思った。


「救援が来た!」


 緊張した中、背後から声が届き、ギルド長が柵を飛び越えて戻ってくる。


「なに、救援?」


 結界石を設置し続けていたビオも振り返る。その頬は緩んでいる。


「ギルド長、私の考えが誤りだった。陸地にありながら、この閉塞感。援助が届くだろうという期待があるだけでも、確かに重要なものだ」


 まず到着したのは黒い馬を率いた一団で、全身上等な金属鎧で身を包んでいる。ビオのお付き鎧よりも重そうだが、動作は軽々としている。

 乗っているのは馬……だと思うが、胴体は縦にがっしりしているし、頭も面長というより四角い。角がありそうな位置は丸い。角のない牛と言ってもいいような……。


《どうした主よ。言いたいことがあるなら横目に見るのではなく、堂々と言うがいい。このような状況とはいえ、我を気遣いすぎる必要はないぞ》


 スケイルの胴体を思い出したが気のせいだろう。


「知らせを受けてパイロより参った。ショーン殿、元気そうだな!」


 炎天族だけで固められた部隊は、真っ先に砦長に声をかけた。知り合いかよ。

 ディプフから来た一隊は、こちらも馬と思うが、鹿のように細い。彼らはギルド長の前に出て挨拶をする。


「我らは長老が選別した最高の戦士だ。当てにしてくれていい」


 こちらは冒険者とほぼ変わらない軽装備。森葉族の背後に、数人の首羽族が混ざっている。


 どちらも救援部隊と言った。自分の国にまで被害があるのが分かっていて、救援もくそもないだろと思うが。

 ともかく、援軍は援軍だ。ここに来るまでだって激動の道中だったろう。既に、くたびれた様子だが、目には力強さがある。ことの深刻さは理解してくれているのは伝わった。時間もないが、ギルド長の指揮下となるが全力で協力し合うことを、なんの躊躇いもなく了承してくれた。

 肝心のレリアスが送ってこないんじゃ話にならないが、既に聖者一行が居るお陰で不審には思われていない。


「聖者が居て、我ら三国の勇士が揃ったならば退けられよう」


 臆面もなくギルド長が言い切ったことに、どちらの隊も疑問なく肯いていた。

 いや、レリアス本隊はジェネレションから送られた小隊がそうなんだ。

 実質は、ジェネレション領にも危機が迫るから送り込んだだけで、それにかこつけて国も約束を守ったということにしたようだが。ギルド長も、そう思わせるように言った。

 そりゃ、今ここで対立している場合ではないからと、頭では分かっている。


「なにより、我らには勝利を導く存在がついている!」


 ギルド長が俺を示し、一斉に向けられる疑わしさと期待の混ざる視線。

 余計な不安を掻き立てないように、俺は口を閉じて大きく頷いた。

 スケイルの背に跨り、視線を連れて柵を飛び越える。


「おお!」


 見るべきは、居もしない英雄じゃないぞ。

 感嘆のどよめきは、緊迫したものに変わっていく。

 呼応するように魔物が動き出していたからだ。まだ邪竜の尻尾は穴から出きっていないというのに。


 低い唸り声が響き渡り、魔脈から魔物の波が溢れた。


 ギルド長の指示に、それぞれの隊からも伝える声が飛ぶ。皆が柵沿いに敵に備える。

 餌が、一カ所に集まっているんだ。

 我慢できずに攻撃を指示したんだろうが、こっちには都合がいい。

 敵を探して走り回る手間はなく、その分の運動量を全て倒すことに集中できる。少ない人数で相手取るなら、出来る限り固まって倒した方がいい。

 ただし、時間との勝負だ。


 たとえ終わりが見えないほど魔物が溢れようとも。

 互いの姿が見えないほどであろうと。


 片っ端から潰していくしかない。


 本体に、届くまで。


 獣の声や動きは、地面を、大気を伝って存在を知らしめる。森全体を埋めるようにして葉が騒めき、強風が吹き込んだように騒然とする。

 邪竜の活性化で、魔物も力を得るのか。これほどの距離に近付くことなどできないランクの魔物が姿を現し、さらに姿を変えていく。


 岩間から這い出てきたカピボーがキツッキになり、キツッキがヤドカラになり、ヤドカラが、ミズスマッシュになり、ケダマがケムシダマになり、ヤブリンになり、ノマズになり……地形に依存する形状の魔物から、地上を蹂躙できる形へと、逆再生されていく――獣の姿へ。


 最上の、殺戮に適した形へと姿を変えていく。


 体へと直接マグを送り込まれているようで、融合することなく個々が強化されていく。

 力を弱めるために分裂していたものが、今は、結界を押し切れるだけの力を得ようとしている。

 数が減らないどころか、まだまだ増えていく。

 大問題だ。


 誰もが息をのんだ。

 俺なんかの低ランクより、中ランクが、さらにはその上位者が、そしてずっとずっと戦い続けてきただろう高ランクに近い奴ほど、怯んで見えた。

 きっと、自分の事も相手のことも分かり過ぎているからこそ余計に、悪夢として映っている。


「だから……」



 ――不確定要素が要るんだ。



「こんな状況も覆せると、信じて戦い続けられるようなことが」


 コントローラーを強く掴んだ。

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