170:帰還

 見慣れた場所にいながら、どこか知らないような感覚が拭えない。

 安いパイプベッドに机、ゲーム機の電源ボタンは小さく光り、モニターにはゲームのオープニングムービーが流れている。色彩豊かな景色が暗転し、青い文字が浮かび上がるのを、ぼうっとした頭で眺める。


『Produced By MINAKAMI』


 クレジットが消えれば、再びタイトルに切り替わり映像は繰り返される。


 先ほどまで居た世界が、モニターの中にある――現実だったものよりも、よほど色調鮮やかで、ある意味似ても似つかない。


 戻ってこれるとは思っていなかった。

 本当に、死んでなかったんだな。それどころか、ついさっき寝落ちただけという違和感。

 少しの重みと歪な形を手に感じて、持ち上げる。

 力が抜けたのか、汗で滑ったのか、ゆっくりと床に落ちた物を目で追った。


 もたれているベッドの感触も、視界に映る部屋も、手で触れていた感覚も、どこかガラスを隔てた向こう側のようにあやふやな中で――ごとんと床を鳴らした音だけが、じわりと頭に反響して後を引く。

 やけに生々しく、それだけが、ここが現実だと知らせる刺激だった。


 手から離れた無残に歪んだものを凝視する。

 コントローラーに間違いない。


 鼓動が跳ね口がぱくぱくと動く。

 言葉は何も出てこない。


 さっきまでいた世界が、夢なはずはない。

 けれど、いかに夢が生々しくとも住み慣れた日本の我が家にいる以上は、夢だと思うべきで。

 だというのに、残された現実はあまりに異様だ――。

 そうだ、漏電だと思ったじゃないか。

 コントローラーを握っていた俺は、気を失って夢を見ていたに違いない。

 なんとなく開いた手の平は、まっさら。綺麗なもんだった。

 こんなに手の肉は薄かったっけ。擦り傷やマメもない。

 慌てて時計を探す。


「嘘、だろ」


 混乱した頭でも、日付は、あの日のままだと告げていた。

 外は夕日に染まりつつある。


「たった、数時間……?」


 あんなに長い明晰夢を、このわずかな時間でなんて無理だろ。無理だよな……?


 不安に駆られて鏡を見たが、頭から煙をふいたり縮れてもいない。

 それよりも静かな衝撃が込み上げる。苦労して手に入れた装備がない。シャツとジーンズ姿に戻っている。随分と鍛えられたと思った体も、平均的な日本人らしい、細く貧相なものだ。

 やたら綺麗に思える鏡に映る、疲労だけが濃く残された自分の顔に、呆然と見入った。




 邪竜がいなくなって、魔物や魔脈も消えたのかな。

 カピボーやケダマと戯れていたことが懐かしく思える。

 それまでの生活の、根幹を支えてきたものがなくなったなら……始めは憂いがなくなり喜んでいても、急激な変化だ。また、人間同士の争いが起こるのかもしれない。


 ああ、でも、あの人魂邪神は、なんて言ってたっけ。

 邪竜の核を成す邪魔素が消滅した――あの世界の自然を作る素なんだから、全部が消えるはずはない。

 恐らく、鱗鰭族に憑かれた魔脈と邪魔素だけが消えたんだ。


 冒険者街ガーズの人々の大らかさを思い出せば、笑みが浮かぶ。

 たとえ魔脈が消えたって、あの街の奴らならどうにか乗り越えられる。逆に今までより発展したりするかもな。


 おかしいよな。

 こんなこと考えて。

 夢か、幻だったかもしれないのに。


「いいや、本物だった……」


 ゲームの開発者の中に俺を送り込んだやつがいるのだとしても、探す気にはなれなかった。

 お前が俺を異世界に送り込んだやつか、なんて聞いて回れば下手したら捕まる。俺に対する謝罪の気持ちが本物だとしても、守りたい家族が居るなら正直に答えが返ってくるとも思えない。


 もう、あいつに悔いはないだろう。目的は果たしたなら、これ以上、他の誰かの人生に影響を与える心配はないんだ。忘れていい。

 それに、過去として乗り越え、現実を生きたいと願っているように思えた。

 俺もそうだ。

 こうしてうずくまってるよりは、何かしなければ。現実を思い出すために。

 時間を確認すると、外を見たくなり家を出た。




 数ヵ月ぶりに見た、ような気がする現代日本の街並みは、やけに四角張って見えた。ガーズに比べて遥かに多い人間が行き交うが、誰もかれもが見知らぬ人間だ。

 つい通り過ぎる人を視線で追ってしまうが、どこかで見覚えのある奴などいないし、挨拶を交わすほどの相手と偶然に擦れ違うことなど滅多にない。格好も色とりどりだが、目を楽しませるどころか、まるで映像の中のように存在が遠い。


 なんというか……ものすごく平和で。気を張ることもなく穏やかでさ。

 この世界は、こんなに物が溢れていたのかと驚かされる。


 避けるように視線を地面に落とせば、足の裏にはアスファルトや舗装された石の硬い感触が強くなる。歪ではあったが、柔らかでひんやりした土の上を歩く感触が恋しい。

 あっちと似た感覚は肌寒さと、吐くと白くなる息だけだ。


 少しでも動転した気持ちを宥めたかったなら、あのまま寝てしまっても良かったかもな。

 いざ外に出て見れば、自分の体が、まるで感情が抜け落ちた抜け殻のように思えて違和感は拭えず、途方に暮れていた。

 疲れきっているだけだと思いたかった。

 邪竜は消えた。

 俺に、やれた。

 そして戻って来れた。

 万々歳のはずじゃないか。


 それなのに、なんで、こんなに……何もかもを失ったような気分なんだよ。


 そりゃ、急に別の場所に別の体で投げ出されれば、混乱するに決まってる。

 そんな気持ちを誤魔化せるか元の感覚が戻るかと、予定通りに誕生会とやらに参加することを決めたが、早まっただろうか。

 やっぱ、帰ろう。


「太郎、こっちだ!」


 不意にかけられた声に驚いて振り返ってしまった。

 まともな発音で呼ばれるなんて久々だ。本当は、一日ぶり、なんだよな。


「待ちきれずに早く来るかと思ったら、ぎりぎりとは大した自信だな」

「……張り切りすぎたんだよ」

「その全く気合いの入ってない恰好で? まあ、間に合って良かった」


 今日の主催者である友達だ。

 場所は繁華街の少し入り組んだ路地の狭間に入り口がある、趣のある洒落たレストランらしい。分かり辛いという意味だ。もうすぐ着くとメッセージを送ってしまってたから、表に出てきてくれたようだ。

 狭い扉の向こうは、思ったよりは広々としていた。すでに奥の仕切り席には人が集まっている。衝立の手前で止められた。


「それでだな……俺、あっちの子狙い」


 小さな声で言われ、ちらと目を向ける。

 ゆるく巻いたロールパンのような明るい色の髪、丸い目を黒い隈取りでさらに大きく見せて、あざとい笑みを浮かべるギャル系だ。

 隣の子に顔を寄せて何か話している。俺たちと似たような話だろうな。頷いた方は、肩下ほどの長さの真っ直ぐな黒髪で、一房さらりと肩を滑り落ちる。笑いあってる様子は仲が良さそうだ。

 目が、吸い寄せられていた。


 自分の部屋から、コントローラーから、ゲームから、記憶から、逃げるように出てきた。

 それは、意図されていたのかもしれない。


 青い光が彼女の周りで、ちらついた気がしたんだ。


「あのこは」

「また地味なのに目を付けたな」


 極細のワイヤーを編み込んで作られたような、花飾り付きの眼鏡をかけている。赤色で、青い要素はない。ああ、ブルーライトカットコーティングというやつかな。

 それはともかく、どこかシャリテイルを思い起こさせた。骨格的な違いもあり、顔立ちが似てるとは思わない……髪型か。だとしても。


「地味だ? 節穴か!」

「あー、ゲーム好きらしいから。波長が合ったか?」

「しかもゲーム好き……」

「気に入ったなら隣行け。いやぁかち合わなくて良かったわ」


 ニヤニヤ顔を無視して示された席に座る。


「なんのないしょ話?」

「こいつゲームして遅れたって」


 なに遅れたことにしてんだ。

 くすくすとした女の子たちの笑い声があがっても、まるで今いる場所に現実感が湧かない。つられて愛想笑いすると、ロールパンがからかい気味に声を掛けてきた。


「ゲームオタク?」

「そりゃもう……筋金入り!」


 堂々と答えてやる。ゲームの世界に行っちゃうくらいだぞ。極めすぎだろ。


「そこで気合いいれちゃうんだー」

「そんな前評判のいい新作なんてあったか?」

「いや昔のやつ。つい夢中になって」

「あるある。こんな日に? ねーよ!」


 今日は、いじられ役決定だな。まあ仕方ない。

 適当な音頭で騒ぎが始まった。知らない奴もいるからと軽く自己紹介をしていき、彼女の番が来た。


「えっと、水上です」


 知り合いにはいないはずなのに、名前に聞き覚えがある。

 聞いた通りに真っ先にゲーム好きと言い放っていた。本物だ。何系かと聞かれ、ちょっとだけマイナー趣味と返していたが、ロールパンが変なのばっかり遊んでると茶化す。


「お婆さん無限に増やすとか、舌噛みそーな奴とかねー」

「えーお婆さんは流行ってたよ? 舌噛みそうなのは……うん、マイナーかな?」


 気にはなるものの、やっぱり光景はどこか遠くに感じる。

 どこもかしこもピカピカで、木製のテーブルは角さえささくれてない。おっさんとこの食堂とは違う。

 そうだ違う世界なんだ――ここが居るべき場所のはずなのに、そんなことばかりが頭の中を巡る。


「英雄シャソラシュバルの軌跡って、タイトルが変なだけ。普通のゲームよ」


 突然、光景が現実感を取り戻した。

 やっぱ言いづらいといった笑い声の後には皆、別の話題に移る。すかさず隣に声をかけた。迷ったのは一瞬だった。


「さっき言ってたやつ遊んでて、遅れるところだったから驚いて」


 驚いた顔が見上げた。

 ははは偶然だよなって、わざとらしー! 数年前のゲームだ。すげぇ不自然だろ。

 本当だと訴えるために具体的に話して、余計胡散臭いことになってしまった。

 これはだめだ……。


「すごい必死」


 意外にも、笑ってくれた。

 それどころか負けてられないと言って、俺以上に語られた。なんだこの展開。

 濃いゲーム談義をしていたらしく、ふと周囲を見れば引かれていた。


 シャリテイルに似てる気がしたのは、やっぱり少し髪型を意識していたらしい。

 当たり前だが話してみたら全くの別人だ。

 そのことには安堵した。

 シャリテイルに似ている気がしたことは切っ掛けで、いいなと思ったのは彼女自身に対してだ。

 この短い時間だっていうのに。

 彼女の控えめな笑い方や話し方は、豪快なガーズの人間とは違う。内容には危険に関することなど微塵もない。


 この世界が、ようやく、たまらなく懐かしくなっていた。


 懐かしいというのも、おかしいけど。こうして戻ってるんだし。

 数時間の空白が、何ヶ月にもなっていたんだ。それが与えた影響は、足元がぐらつくように不安定な感覚だ。

 一度は戻るのを諦めた。

 だから、この世界とは心が隔絶してしまったのではないか、このまま一生、馴染めずにいたらどうしようと、どうしようもなく不安だったことに気付かされたんだ。

 あの人魂も、ずっとこんな気持ちでいたのかもな。


 緊張が、解けていく。

 不思議なことに、しょうもない些細な会話が現実感を取り戻してくれた。

 以前の俺の日常は、こんな他愛もない話で済むことだったから。

 そして、そんな日常を、どれほど望んでいたのか思い出させてくれたんだ。


「うっわー今日は楽しかったです。また話しましょうね!」


 また、ときたよ。しかも連絡先まで。よっしゃ!

 胸に広がる、甘いような恥ずかしいような期待に、憂いは吹っ飛んでいた。

 そうだ、俺はこんな単純なやつだったよ。




 誰がなんといおうとも、あの世界は決して夢でも妄想なんかでもない。

 夢だったとしても……様々な冒険で少しは強くなれたはずだ。

 色んな感情を抱いた。体験できた。本来なら社会に出てから味わうような類の、貴重な一時だったろう。

 けれど、それがあの世界で経験できたことに悔いはない。


 もうあっちは大丈夫なんだ。

 あの世界で異質だった俺が戻ってこれたなら、必要なくなったってことだ。

 だから、本当に平和になったはずだという実感はある。

 心残りがないとは言わないが、みんなに……あの時、山を登ってこれた奴らだけだが、せめて感謝の言葉を伝えることはできた。

 この世界に戻ってきたのなら、俺は俺の人生を精一杯歩まなければならない。

 その内何か起きて、またあいつらに出会うことがあったとしても、胸を張れるように。


 俺を送ったのが実際はどんな奴かはわからないが、あの世界を救えたことに対する感謝は本物だったと思う。ようやく過去の呪縛から逃れられた解放感への安堵も。


「水上さんか」


 彼女との出会いは、俺に与えられたささやかな褒美なんだろうかと、そう思えた。

 出会いの機会だけで後は俺次第。

 それでも、十分だ。


「……帰ったら、親父たちにも感謝しないとな」


 お土産でも買って帰るかと道を歩き出し、ふと足を止める。


 どっかに神様がいるなら……ありがとうと言いたくなった。邪神ではなくな。

 なんとなく上を向いて、届いていますようにと願って呟くと、どこか体が軽く晴れ晴れとした気持ちになる。

 それを届いたのだと思うことにして、俺は前を向いた。

 前だけを見て、歩き出していた。




 その晩、帰ってきた親父を見たとたんに泣いていた。

 いい歳して恥ずかしすぎる。


「ヒーローはすごいって、よく分かった」


 親父は困ったように、でもどこか嬉しそうに宥めてくれた。

 その後、否応なく一緒にヴリトラマンを見る流れになり、親父と並んで座ると虚ろな目をテレビに向けていたが……子供の時とは違う感覚で話を受け止めている俺がいた。




 ◇◇◇




 気が付けば、見覚えのある通りに立っていた。

 というか、ガーズじゃねえか!

 また送り返しやがったのかと人魂邪神をひとしきり罵ってから、自分の体の境目が曖昧なことに気付く。


 ――夢の中で垣間見ることができた。


 そんなことを聞いた気が……ああ、これがそうなのか?

 なんとなく近くの家に伸ばした自分の手は、壁に触れることはできなかった。かといって、幽霊のイメージのように物体を通り抜けることもできない。

 移動するが、歩いているのとも違った。あそこへ行こうと足を踏み出すと、そこへフェードインしている感じだ。


 聖なる世か。

 思えば、あの青い光の満ちた世界で、あやふやな人魂だった感覚と同じだ。

 わずかながら人の形を取り、ここに来たときの恰好なのは、その印象が強く残ってるからだろうか。


 荒れた街を、薄っすらと雪が覆い隠した街並みは、やけに静かだった。

 少ないながら戻ってきた住人が、後片付けをしているのだが、どこか寂しい。

 それにしても、雰囲気が妙だ。

 すでに砦前広場の陣地は撤去されてる。

 おかしいな……邪竜を倒した後、何日か経ってる?


 黒い山を見上げた。

 晴れ渡る空に浮かぶ姿からは、恐ろしい存在がいたとは思えない穏やかさだ。抉れたりと歪に形を変えた山肌に、名残りが見えるだけだった。

 そこにスケイルや邪竜の姿が重なる。


 邪竜……もしも、あれが鱗鰭うろこひれ族の生への執着が残したものだったなら、聖獣はどうなんだろう?

 ちらと書庫で見た本が脳裏に浮かぶ。


 色々混ざってたとはいえ、スケイルも基本の印象は邪竜と同じく蜥蜴だ。牛要素もあったが水牛だったな。鳥の種類はよく知らないが。そういえば魔物のカワセミは駄洒落だが、川辺の鳥の名だ……いやただの駄洒落だろう。

 とにかく、魔物と同じく聖獣にも森の雫種など水場に関係しそうな姿が多かったことを考えると、やっぱりあの土地が関係してるんだろう。ジェッテブルク山が生まれたときに、でかい海だか湖だかを潰してしまったらしいから。


 ただ、それで滅亡して恨んだ割には、邪竜が生まれるまでに空白期間がある。

 誰かが天罰と嘆いていた心配は、的外れでもなかったということなのかな。後のレリアスとパイロの争いが、無念を抱えたまま眠っていた魂に火をつけたのかもしれない。


 ならば聖獣は、彼らの良心が形作ったのかもしれないな。


 だとしたら、安らかに眠ってくれただろうか。魔物も聖獣も。

 邪竜を倒した場所へ行こうとして、足が竦んだ。


 恐怖。


 邪竜と対峙したことではなく。

 日本に戻れたというのが夢で、やっぱり俺は死んでいて……魂だけが彷徨い、自分の体が実は、まだ山にあるのではないかと思えた。

 そんな考えを振り切り山の中腹へと跳ぶ。


 最後に戦った辺りは大きく抉れている。

 そこには思いもしなかった光景があって息をのんだ。


 ひび割れた大きな窪地の中心に人だかりが出来ていた。

 地面には花束が置かれている。花以外にも、なぜか背高草や苔草に転草……言及はすまい。その周囲へと目を向ける。


 シャリテイル、大枝嬢やギルド長らギルド職員、砦長率いる砦兵たち、エヌエン一家、ストンリにフラフィエ。よく見知った人達だけでなく、顔見知りの冒険者がずらっと囲み、あまり関わることのなかった農地や商店街のみんなまで集まっている。


「体は見つからないんだろ?」

「本当にタロウは……死んじまったのかな」

「魔物と一緒に、聖獣もみんな消えちまったし……」

「あんな聖魔素の量なんて見たことないですもん……師匠は、大地に溶けちゃったんですよ……」

「邪竜を打ち倒す、あれだけの聖質の魔素に飲み込まれたのだ。タロウは、この大地の一部になったのだろう」

「山ん中に眠って、今も見てるのかもしんねぇな」


 おい、やめてくれよ……そんな湿っぽい顔なんか、らしくない。


 擦り切れた青い布を首元から翻しながら、一人が前に出た。


「タロウは、正真正銘の英雄だった」


 砦長だ。

 次に、その言葉を受けてか、ギルド長が踏み出し厳かに続ける。


「シャソラシュバルの名に、ふさわしい英雄だった」


 その隣にビオが並んで、頷く。


「その通りだ。タロウは救世の英雄シャソラシュバルとして、レリアスで語り継がれるだろう。私がそうさせる!」


 ビオの後には大枝嬢も続ける。


「そうですネ。私も樹人族の国に末永く伝えるように働きかけまス」


 や、やめてくれ……!

 いや、やめてほしいけど……これはみんなが望んでくれてるってことなんだ。

 今なら少しは、胸を張ってもいいよな?


「笑って送ろうぜ」


 そんなことを言ったカイエンは、相変わらず気まずそうな笑みを浮かべ、片手を上げて目の上に翳す。


「なによ、それ」


 シャリテイルが不審な顔を向ける。


「タロウが、お祈りみたいなもんだと言っていた」


 そういえば、敬礼の意味を聞かれて答えたな。覚えてたのか。


「……そう、タロウの信仰なのね」


 し、信仰?

 シャリテイルが真似をすると、他の皆も見よう見まねで敬礼する。

 嫌な気分を誤魔化すおまじないのようなもので、大した意味はなかったが……まさか、俺が捧げられる側になるとは思わなかったな。


 これが故人をしのぶということなのかな。

 皆が俺と過ごした日々を語りながら、ぎこちない笑みを浮かべる。

 いつも草にまみれていた、ケダマを相手に情けない顔して殴っていただとか、たわいもないことだ。やめろ。

 次第に、皆の笑い声は高まっていく。

 そんなことまで見られていたのかと思うも、恥ずかしさよりも可笑しくて、つられて笑ってしまった。

 でも、もう俺の声は届かないんだよな。


 みんな……ありがとう。

 とても俺が助けたなんて威張れない。

 ずっと、お荷物だった俺を、ただ受け入れて、見守ってくれて。

 死んだ後も気にかけてくれて、本当にありがとう。


 皆の口には登らない、この場に足りない者へと思いを馳せる。

 スケイル――聖なる世で会おうと言っておきながら、青い空間には現れなかった。

 良い方に考えれば、元の姿である聖魔素として大地へ還ったんだろう。

 だから、こっちに生まれることでもあれば、また会えるかもな。


 それに応えるように、ふいに風が吹き上げ草が空へと舞う。それを追うように皆が空を仰ぎ、笑い声をも天へと運んでいく。

 もう空は強烈な赤色ではなく虹色も元通りだ。

 俺も、皆と見上げる。

 抜けるように澄んだ青空に、聖なる色と万感の想いを重ねて、佇んでいた。



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