123:ヴリトラソード

 寝た記憶もないままに、目覚めると朝だった。

 夢も見ず寝付けるのはいいことなんだろうが、眠った実感がなく、たまに損した気分になる。

 顔を掻いたら頬に段差がある。サイドテーブルに手を伸ばして鏡を取り確かめたら、カニハサミの跡がついていた。枕にしてしまっていたようだ。


 二度寝防止に飛び起きて着替えに手を伸ばしつつ、徐々に頭がはっきりしてきて、昨晩の予定を思い出した。


「あ、伝言忘れてた!」


 シャリテイルに話ができないか、ギルドに言付けようと考えていたのに、余計なことに気を取られるから……。

 しょうがない、あまり先延ばしにしたくはないが急ぎというわけでもないし。

 下手したら仕事の邪魔するだけだもんな。




 準備を終えて階下へ降りると、おっさんはニコニコしていた。


「おはようさん。繁殖期で大変だろうが、頑張れよ!」


 昨晩の内に宿代をまとめ払いしたからだろう。

 これは、あれがあるな。

 ごくりと、緊張に知らず喉がなる。


 これまでは、気が付けば台無しになっていた例のブツ。

 ほかほかの野菜汁のてっぺんに、歪にスライスされたものが乗っている。

 いつもは埋もれているものが、てっぺんにだぞ?


「にくだー」


 うう……四枚ある。うまい!

 ようやく、なんの邪魔もなくボーナスタイムを満喫できた喜びに胸いっぱいだ。


 ああ、頑張るとも。まだ頑張れるさ、肉パワーで!

 この世に肉ゲージが存在するなら、最高の肉技を放てるに違いない。昨日の夜にカピボー退治をさぼった分、奥の森で頑張ろうじゃないか。気合いを漲らせて宿を飛び出す。


 今日も普段よりは多いだろうが、午後に花畑に出かけたときにはスリバッチも減っていたようだし、繁殖期の方も落ち着き始めてるだろうな。なるべく広範囲を移動できるよう考えてみるか? それともケダマ草狩りに集中するか。


 ちょっとした予定を考えつつ、勇んで通りを小走りっていると、同じく走って追い越した冒険者たちが速度を落として声をかけてきた。


「おっと、タロウじゃねえか。ちょうどよかった!」


 何度かそんな風に呼び止められたから、また草刈り依頼の件だろうと思ったら違った。


「素材回収を始めたんだってな!」


 誰の仕業だ!


「ヒソカニをぶちのめしてたとか、西で話題になってたぜ。手を広げてんなー」


 心当たりは、ヤミドゥリ?

 あいつは、わざと魔物を残したり低ランクに恨みでもあるのか。いや、これまでの噂話と何も変わらないよな。


「あまり根を詰めるなよ。準備できたら草退治も頼むぜ。他にも、できりゃ頼みたいことがあるんだ。急ぐんで、またな!」


 そんな話を聞かされ、ひきつり笑いで送り出す。ほっとしたところ、今度は向かいから走ってきた奴らに止められた。

 そんな風に、みんな似たようなことを言って去っていく。

 もう、これさ。ギルド長に丸投げでいいよな。俺に勝手はできないし。魔震の確認作業を終えたら、今度こそきっぱりとギルド長に物申してやる!


 冷や汗をかきつつで、南の森までがやけに長く感じたぞ。

 それにしてもおかしいな。やけに、走り回る冒険者たちが増えていたような。

 魔物の数はかなり減っていたから繁殖期の対処ではないんだろうか?


 今回の魔震は揺れも大きく長かったし、急ぐ中を俺に声をかけるくらいだ。崩れた場所でもありそうだ。

 山の中で、シャリテイルたちが折れた木の除去に溜息をついていたのや、入り口が崖下にある洞穴の場所なんかが思い出された。

 前回は結局、話は来なかったが、運び仕事に人が欲しいのかもしれない。


 ああいったことが、あちこちで起こったなら、魔物の処理と併せて相当な激務なんだろうな。文字通りのデスマーチ。嫌すぎる。


 少し前なら、あいつらに感謝しつつも、そんな立場でなくて良かったと軽く流していたのに……。

 何もできないことに、今は悔しさを感じてしまう。


「よし、俺も昨日決めた通り、泥沼に行くぞ!」


 自分自身のことも他の色々も気にはなるが、とにかく稼ぐ。

 本日もまずまず多い四脚ケダマを蹴散らして、沼地へ辿り着いた。




 奥の森だけでなく、沼地周辺もざっと片づける。

 考えたら、この辺にもハリスンが居たっておかしくはないのに見た覚えがない。

 南側というか、街道周辺が低めのレベル帯っぽいのは、祠のおかげかな?


 改めて辺りを見渡すが、いつもと変わらず沼は静かだ。

 前回と同じく石を投げ入れる。

 ネボチョ――嫌な感じの音を立てて沼の真ん中辺りに着弾。

 ごぽごぽと泡が泥水を押し上げて山を作る。


 あのでかさはノマズか?

 そう思って、沼の外までおびき寄せる用の石を手に待つ。


 泥山は膨れる。

 さらに膨れる。

 もういっちょふくれ……どこまで膨れるんだよ!


 ぶくぶくと人間の半分くらいは盛り上がったかというところで、泥の噴水はぴたっと止まる。

 突如ビターンと、飛び出た山は倒れた。


「なにがしたかったんだ」


 どうしようと困惑して固まるが、ずるり、と泥柱が這いずり始めたのを見て、頭が危険信号を発する。


「まま、まさか、おまえ」


 石を投げ捨て、慌ててその場を離れた。

 どうする。

 知らせなきゃ。

 今なら余裕で、こいつが街へ到着する前に人を呼べるだろう。


 でも、足は動かなかった。

 昨日もっと頑張っておけばよかったといった後悔なんて、俺の勝手な思い込みだけど。

 這いずる泥溜りの位置を見失わない程度に距離を取り、木陰から見つつも、道具袋の紐を解く。


 取り出したのはコントローラーだ。

 ここに来るまでで、数万は稼いでいるはず。

 ノーマルモードなら、数回は使える。

 こいつを試してからでも遅くない。


「いよいよ、お前の初陣だ」


 高出力は確かに切ってあるのをスライドスイッチの位置で確認。

 いちいち遅い文字表示を見ずとも、元々の連打機能オン状態で、高出力モードになると確認したしな。

 そう考えると、なんとなくだが元のコントローラーの機能も踏襲してるのか?


 そんなことは後でいい。まずはあいつだ。

 気が付けば、沼の境目辺りまで移動していた。

 そこで止まると泥柱の両側から水たまりが広がっていき、それが支え棒のようになって泥柱が持ち上がる。

 完全に起き上がると人ほどの高さになり、泥柱の下の方が二股に分かれた。


「やっぱ、ビチャーチャかよ……」


 でも、こいつが前に現れたのは、繁殖期の後半辺りだったような。

 あの時は、南に人員が足りてなかったからだっけ。


 沼地のキャパを超えて数が流れ込むために例外の魔物ビチャーチャが生まれる、という俺の推測は当たってたのか?

 どうでもいいところで当たるなよ。

 そうなると、夜の間に相当数の魔物が流れ込んだってことになるから、昼間に頑張ったところで意味はなかったのかもしれない。


「ま、早期発見、早期ぶっ殺だ」


 のちゃりのちゃりと街を目指して歩き始めるビチャーチャに、側面からコントローラーを向けてじりじりと近付く。

 残念ながらヴリトラソードのリーチは短い。取り落とすのが怖いため偽柄は掴まないつもりだから、あまり距離を取れない。

 高出力なら届くんだが、いくらあいつが遅いからって外したら燃料が終わる。


 そもそも、こいつは防御全振り野郎だったな。

 他の魔物のように一発で消滅するか疑問だ。

 念のため、当てたらすぐに下がり、刃も即座に収納することにしよう。


 駄目だったら、人を呼びにいくとして。

 そうだな、こいつの移動速度と俺の鈍足を天秤にかけるなら、南の森との境目。

 標の位置までなら、こいつが街に到着する前にギルドまで走って戻ってこれる。


 あと、もう少し。

 泥人形は速度を落とし、ゆっくりとこちらを向く。

 車一台分の距離までつめると、やっぱり近い目標を狙うようだ。

 これ以上近付くと、あいつの腕が伸びる。

 こんな場所で捕まったら終わりだ。

 マグを搾り取られて死ぬ……人間って、マグが空になったらどうなるんだろう。

 干からびたりすんのか?

 そんな死に方は嫌だな。


 そういえば、どっちが前だか分からんが、わざわざ振り向くってことは前後がある?

 距離を保ったまま背後へと回り込むと、やはり回転する。


「ヴリトラソード!」


 刃先が当たる位置を見越して精一杯腕を伸ばす。

 伸びた刃は見事にビチャーチャの頭部に直撃!


「うわっ! くっ……解除」


 当たった反動で刃先は天へと弾かれた。

 思わぬ衝撃の重さに取り落としそうになり、慌てて刃を消して後ずさる。


 木陰から様子を見ると、頭の泥饅頭が齧られたように抉れているが、マグが流れるでもなく立ち止まっている。

 やっぱキツッキと同じようにはいかないのか。


 ダメージにならない?

 ああ、当たり前だ。泥なんて異物の塊じゃないか。だったらヴリトラソードが通るはずない。

 いや、でもそれなら、こんな衝撃はないはず。


 モグーの葉っぱと同じでマグで形を保っているから、その繋ぎを破壊しているってことだよな。本体へのダメージではなく。

 抉れる程度の攻撃力か……意味、あるかね。


 ビチャーチャは立ち止まったまま、ぷるぷると震え始めた。

 きめぇ……。

 なにが起こるんだよと思えば、体を覆う泥が波打ち始める。さながらミキサー車のかき混ぜる生コンのようだ。

 それが体の表面を横に渦巻きながら頭部へと登っていき、欠けた部分を覆った。


 はい、饅頭は元通り。さすビチャ!

 高ランクの打撃しか受け付けないだけのことはあるぜ。


「意外と回復速度が早いな。どうしたもんか……」


 下がりつつ、さらにに二、三度の攻撃を加えてみる。

 一度は両手でしっかりコントローラーを掴んで胴体に当ててみたら、うっすらとマグが吸収されたのは確認できた。

 だから、わずかでもダメージにはなってると思うが、みっちりと纏った泥がすぐに傷を埋めていく。

 抉った部分に、再度ヴリトラソードを当てられればいけそうなんだ。ただ、あまりに押し返す衝撃が強くて、当てたまま腕を固定できなかった。


 動作は遅くとも、振り向くだけなら短い時間だ。泥の手が伸びてくるから奴が半回転すると離れなければならない。

 それに多分、あの横向きに捏ねてる泥の威力が意外とあるんだろう。


 どうせ後数発しか出せないし、それで倒れる目算はない。

 こうなったら、あれを使うしかないだろう。

 一度大きく距離を取ってから、スライドスイッチに指をかける。

 短い封印だったな。


「フッ、俺に隠された力を解放させるとは大した奴よ」


 コントローラーを手に、ビチャーチャと真っ直ぐに向き合った。

 わずかに踏み込み、再び恥辱の言葉を詠む。


「真、ヴリトラソード!」


 ちょうどこちらを向き終えたビチャーチャの胸辺りに、青い光の道筋が伸びる。


「はぎゃ!」


 これまでの衝撃の比じゃない。

 胸全体が抉れて激しく泥を撒き散らしたが、その衝撃に耐えられず腕が上がり、やはり刃は頭部を裂くようにして宙に抜け――消えた。

 マグ切れだ。


「分かってた……おえっ!」


 ビチャーチャの抉れた胸から赤いゼリーが覗いていて、しかもそこから幾つもの突起が生えて伸びたり縮んだりしつつ、ぷるぷると波打っている。

 まさか、マグがそのまんま埋まってるとは……ノマズだか、なにか別の形の魔物が潜んでると思ってたのに。その穴も、ずるずると埋まっていく。

 コントローラーを道具袋にしまい、全力で反転した。


「俺に倒せるわけないもんね!」


 ビチャーチャの位置を確認しつつ森を突っ切る。

 マグの残量があれば、いけたんだけどなー。マグがあったらいけたわー。

 走りながら、はたと気付いた。

 もし倒してたら、やばかったんじゃね?

 どうやって倒したか説明しなきゃならないじゃん。


 複雑な気分だが、結果的に良かったのかもしれない。




 懸命に走るが俺の鈍足より、通りすがりの冒険者に伝言した方がいいだろう。

 と思ったときには、誰もいねぇ!


 こういうときは、みんなに伝わる方がいいかとギルドに駆けこむなり叫んだ。


「ビチャーチャが出た!」

「なんだって!」


 飛び上がって答えたのは、トキメだけだった。


「あ、あれ? 他の職員は?」


 いつもはもう一人くらい待機してるのに。


「まったく、忙しさは重なるもんだな。現場が込み入っててね。タロウ、申し訳ないが、ここで待っていてくれないか? すぐに当番を呼んでくるから」

「ああ、頼む」


 俺が答えるより早くトキメは裏手へと駆け出していった。

 待つって、誰か来たら伝えろってことだよな。高ランクの当番を呼びに行ったんだろうけど、ギルド内に待機ではなかったはずだ。そうシャリテイルから聞いたような気がする。

 ギルドは二十四時間開いてるから宿直室とかありそうだけど、さすがに職員専用だろうと思う。


 がらーん。

 誰もいない。

 不思議な踊りを披露するなら、今の内だろうか。




 両手を頭の高さに上げつつポーズを考えていると、すぐ背後は頭上から声が降ってきた。


「なにしてんだ?」

「ひい! ふ、不審者じゃないですまだ!」

「タロウ、待たせたね。慌てるのも当然だ、こんな時にビチャーチャとはな」


 振り返ると、声をかけてきた炎天族とトキメがいた。普通に入り口の扉が開いている。

 どっから帰ってきてんだよ!


「久しぶり」


 俺とトキメの緊張をものともせず軽く挨拶したのは、キグスだった。

 また、お前が当番か。運が悪いのかなんなのか。


「発見場所は?」

「まだ森の中だ。多分、標を過ぎたころだと思う」

「ふーん、そうか。タロウは先に行って、位置を把握してくれるか」

「あ、ああ、もちろん。じゃ」


 キグスから指示を受けると慌ててギルドを走り出る。

 ん?

 なんで、あいつ一緒に来ないんだ?


 ビチャーチャの位置から、なるべく真っ直ぐ南の森を抜けて来たから、出てくる場所の見当はついている。南の森は木々の間隔も広いし見通しはいい。近くに来ていれば、すぐに見つかるだろう。

 しかし、奥の森との境まできても見当たらない。そろそろ鬱蒼としてきて見渡せなくなってくる。

 標の近くに泥の道筋はあるが、それは蛇行していた。


「そうだ、俺はバカかよ」


 鬱蒼としてるのに、あの太い泥饅頭が真っ直ぐ抜けられるはずないじゃんか。

 ふぅ……こういうときこそ、慌てず、地面の泥跡を追うんだ。


 そこから追えば、やや西側にずれた位置に発見した。

 遠目に回り込んで街側へ出る。


 結界柵に腰かけて、伸びをする男の姿が目に入る。


「キグス、あっちからくる!」

「おう、了解」


 よっこいしょと立ち上がったキグスは、のんびりと俺が示した方向へ向かった。

 うわあああ、じれったいいい! これだから強者は!


「森ん中でやっか」


 後をついていくと、キグスは立ち止まって森へと視線を向ける。

 あれ? ビチャーチャの位置、把握してる?

 そういや、カイエンもそんな節があった。


 木々の狭間に、うっすら泥影が見えたところで、キグスはピックハンマーもどきを取り出した。指だけでくるりと回転させると、大きく一歩を踏み出す。

 ウィズーが思い切り踏み込んだときの比ではない振動が伝わった。まるでボーリングでもしてるようなフォームで、ハンマーを振り上げる。もちろん、あんなのんびりさではなく、目で追えるギリギリの素早さだ。

 と同時に、でかい爆発音が木立に響き渡った。


「ぎひぃ!」


 腹に響く轟音に飛び上がって森を見ると、泥団子の影はない。ついでにギェシャシャピーと、カピケダコンビの叫びも響き渡る。

 最後にキグスは、もう一度ハンマーを回転させつつホルダーへ収めた。


「ほい、おしまい」

「お、お見事です」

「んじゃ、残りは頼むぜ」


 それだけ言って、キグスは背を向ける。

 ほんと素っ気ないな。


「ん、残り?」


 振り返ると、最弱魔物ご一行様が跳ね飛んでいた。音に誘き寄せられた奴らが炙り出されたようだ。


「あ、あああの野郎ぉ!」


 慌ててナイフを取り出し切り込んだ。

 あの人、腕はいいんだけどねと言ったシャリテイルの呆れ声を思い出す。

 それが実感できたよ!

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