100:天井の刺客と青っ花城砦

 崖の底は狭い。あっという間に刈り取った背高草を束ねて隅に積む。ついでに、先に倒されていたヒソカニの抜け殻も拾い集めて端に寄せた。


 ヒソカニの残す素材も不気味だ。

 ミズスマッシュも硬い外殻を持つが、倒せば消えていく。モグーのヒレのように部分的に強化してあるんだろう。だからといって、カラセオイハエの羽やツタンカメンの甲羅といった、いかにも防具的な感じでもない。鋏のくっついた頭部のみを残して消えていく。本体は長方形で平べったいから、攻撃を補強するためかもな。


 無駄な考察と片付けを終えて振り向けば、シムシは火を点したランタンを手にしていた。

 そりゃ暗いもんな。

 手ぶらで入り込むシャリテイルの行動が強烈で霞んでいたが、砦兵たちだって灯りは持ち込んでいたじゃないか。

 俺も自前の子供用ランタンに火を点けさせてもらう。


「なるべくタロウは俺の真後ろを歩いてくれ」


 シムシの指示に肯くと、穴倉へと踏み入れる。ひんやりと湿った空気に、かび臭さが混ざって嫌な感じだ。

 入り口とは違い中の天井は高い。炎天族のエィジが手を伸ばしても届くかどうかといった高さがある。そう幅はないが普通に歩けるだけでもほっとする。


 一息つくも、奥から届いた物音に緊張は高まった。

 まだ微かではあるが、一歩進むごとに音は大きくなっていく。俺への依頼の中では、と注釈つきではあるものの、難易度が低い場所のはずだ。だからって出てくる魔物が、カピボーなどの生易しい相手のはずはない。

 間もなく視界の異常にも気が付いて、ランタンを持ち上げる。天井が、もぞもぞと動いた。


 ぎぃやあああぁ!


「さっそく居るな」


 え、進むのかよ。止まらないの?

 暗くとも、徐々に近づく天井がゆらゆらと蠢いているのが分かる。形を変え続ける洞窟なんかあってたまるか。


 その黒い塊は形を歪に変えながらも、こちらへと移動している。

 俺は鳥肌を立てながら先輩冒険者さんたちの間に縮こまりつつ、視線だけはしっかりと脅威から離さない。

 蠢く天井の下に差し掛かかろうとしたところで、不意にシムシは足を止める。


 ジャキン――揺らめく天井から一斉に、槍が降り注いだ。


 ひぃいいいぃ!

 こ、腰が抜ける。耐えろ、気をしっかり持つんだ。あ、足が震えているのは、武者震いなんだからね……!


 飛び上がったせいで激しく揺れるランタンの灯りが、蠢く影の正体を捉えた。

 天井にみっちりと折り重なるように張り付いた黒い物体は、コウモリの羽がついたイモリのような魔物。

 以前シャリテイルからも聞いた特徴に重なるのは……コイモリじゃねぇか!


「タロウ、頭を下げてろ!」

「チキェキュケケッ!」


 降って来たように見えた槍は尻尾のようで、すぐに天井へと戻っていく。

 コイモリは尻尾の特殊攻撃を放つも、当たらなかったことに腹を立てたのか、バタバタと無秩序に壁面を飛び跳ね始めた。

 正面に集まるコイモリに向けてシムシが長剣を振りぬくと、それだけで一息に掻き消えていく。

 だが攻撃を避けて壁面へと貼りつき、這ってくるコイモリは、俺たちのすぐ横まで流れるように移動してきた。


 ハリスンほどでないにしろ、四脚ケダマ程度には素早い。

 俺の腕が通用するかどうか以前に当たるかも分からないが、掴んだナイフの柄に力を込める。

 側面からはぐれたコイモリを、ポプュが細長い剣で串刺しにしていたが、低い位置から跳んできた一匹が俺の足元の地面を蹴ってジャンプする。

 迷わずナイフを突き出した。


「チェキュぅ!」


 よし、当たった!

 ナイフは羽を掠り、コイモリは一声鳴くも地面に張りつき、体勢を立て直す。

 うん、当たっただけだった……。


「ェキュッ!」


 再び飛び跳ねたコイモリはポプュが始末し、さらに壁に増えたコイモリに絶望しかけた俺の視界をエィジが遮った。


「ほらよっ」


 大して気合いの感じられない掛け声とは裏腹に、猛烈な勢いでエィジの鉄板が壁を撫でた。

 衝突の音が洞窟内に反響し遠ざかるよりも早く、ほとんどのコイモリが、ぶちぶちと潰れ瞬く間に消えていた。

 どんな武器だよそれ……。


「おぅ、便利だろ?」


 エィジはニカッと笑うと、鉄板を肩に担ぐ。

 鉄の板といっても、そのままだと掴みづらいからだろう、金属バットを潰したような造形で手元はやや細い。ただし、そのサイズは炎天族に合わせた代物で、本物のバットより二回りはでかい。

 こんな狭い場所で、うっかり掠って、すり潰されるなんて嫌な末路だ。


 取りこぼしたコイモリは、ポプュが素早く串団子にしていく。イメージ的にレイピアって感じの剣だが、よく見れば柄に大き目の魔技石が埋め込んであった。

 いいなあ、魔技使い。

 それにしても、ランタンの灯りも不十分な背後でこの動き。さすがは暗視スコープ並みの目を持つ森葉族だな。


「こっちもいいぞー。先に進もうぜ」


 ポプュの報告に肯いて歩き始めたシムシの後を、俺はさっきよりも頭を低くして追うことにする。

 はぁ、防具もフル装備で揃えたくなってくるな。

 でも頭を守るやつは高そうな気配があった。今の防具だって偶然ストンリの趣味で在庫にあったから安く買えただけだし、武器もどうしようかと悩み始めているしで、まだまだ先の話だな。しばらくは、あまり考えないでいた方がいいだろうか。

 シムシはランタンを掲げて周囲を確認しつつ、説明を始めた。


「タロウ、ご覧の通りだよ。この辺は、こうして天井から来るから、苔草に足を取られることも多いんだ。少しばかり歩き辛くってなぁ」


 ちょっと歩き辛いとかいうレベルは越えてるだろ。

 俺には天井や壁が気になりすぎて、まったく足元に気を配る余裕なんかない。

 こいつらは危なげなく動いていたというのに、それでも苔草に足を取られそうになるってことがおかしいんだよ。


「また、放置して大量に生やしてんだろ」

「ははは、そういえば北の洞窟で、苔草部屋を片付けたんだったな。残念ながら、あれほどの場所は他にない」


 残念さなど微塵もねえよ。

 まあ、あんな異常地域が幾つもないと知れたのは良かった。


「じゃあ、道々で見付けたヤツを引っこ抜いていけばいいのか」

「基本はそうだな。ただし奥から進めてもらおうかと思っている。この先に、特に足場の悪い場所があってな。気が付けば岩陰から生えていて困っている。まずはそこを片付けてほしいんだ」


 なんと、本当にただの苔草取りでいいのか。

 そうそうキング苔草なんか育ててもらっても困るが。

 そんなこと言いつつ、苔草ナイトとかメタル苔草とか、異常な奴が出てくるんだろ?


「ここだ」


 間もなく到着したのは、分かれ道だ。

 ただ、分岐する辺りが洞窟の入り口のように窄まっている上に、足元も岩がごろごろ転がっていて通り辛い。

 その周辺から、ぴちょんぴちょんと水の滴る音が聞こえ、奴の潜伏先に間違いないと確信する。


 近寄ってランタンを翳す。

 聞いた通りに岩の段差や、ひび割れた隙間を狙って苔草がびっしりと生え、ぐにょぐにょとした姿をさらしていた。

 これで、気が付けば生えていたで済ませるのか。

 お前らどう見ても目を逸らしているだろう。


 こんなこともあろうかと持ってきた大きめの道具袋の口を開くと、さっそく苔草へと手を伸ばす。

 掴んだ感触に違和感がある。

 滑らない!

 ぬめぬめしたものだし、効果はそこまで期待していなかったものの、滑り止め加工は苔草取りに向いてそうだと思い立った自分を褒めてやりたい。

 これなら、予想より早く終わるだろう。


「この量なら大して時間はかからないと思う。魔物の方は頼む」

「おぉ、頼もしいな。こっちは任せておけ!」


 隙間のやつを取るのは手間だろうが、正直なところ、端を埋めてる程度の量で気が抜けていた。

 キング苔草を倒し、苔草部屋を殲滅した後では、こんなもんただの雑魚だ。

 ダメージがあるとすれば、じめじめとした穴倉の中にしゃがみ込んで、えぐいキノコを毟ってるという光景を考えるだけで気が滅入るくらいのものだ。


 そう考えると、鉱山で働くってのも大変そうだ。

 体質的には向いていても、こんなことを毎日とは気が滅入る。

 専業の奴らはすごいもんだな。

 農業なんて知識がないし、冒険者で生きていくのが駄目だったら単純な力仕事といったイメージで鉱山に行こうなんて考えたこともあったが、無理そう。

 三日もすれば太陽の下に出たくて泣いてると思う。


 鉱山で働く奴らは冒険者ほど多くはないようだが、あんまりそれらしき人族を街なかでは見かけない。砦前広場にはわんさか居るし、たまに大通り沿いの食堂や酒場から出てくるのは見るものの、山を行き来する人数と合わないというか。

 北西側の住宅地が鉱山の人族向け区画らしいから、その辺の店で済ましているのかも。まあ俺も、あっちには用がないからな。


 そんな坑内生活を想像して気が滅入りながらも、苔草退治にいそしんだ。




 恐らく、この街にいる誰よりも、俺は苔草を滅したに違いない。

 あれだけ苦労したら慣れもする。

 シムシは大げさに嘆息を吐き、頭を振っていた。


「いや、参った。あんなに苦労した苔草が、こうもあっさり片付くとは」

「フッ、やれやれ、こんな仕事など軽すぎてお話にならないな」


 余裕で終わって良い気分ということもあり、冗談のつもりで言ったんだが、こいつらに通じるはずもなかった。


「ぬぅ、見事だ。舐めていたわけじゃないが、俺だって幾度もこの武器で削り取ろうとしたんだ。だが、滑っていまいち効果がなかったんだぞ」

「俺だってそうだ。串刺しにしてやろうと突いても、暖簾を押すように切っ先を反らされて頭に来ていた……仇を討ってくれて、感謝の言葉もない」


 なぜ素直に手で毟らないんだよ。


「まだ一カ所だ。次に行こう」


 目に付いた苔草を引っこ抜きながら来た道を戻り、一度外へ出て別の洞窟へと向かったのだが、俺のテンションはすぐ下がった。

 すぐ近くの似たような崖下に、同じような洞窟があって、生え具合もお揃いのような洞窟だったのだ。

 中の分かれ道で繋がってないのが意外なほどだよ。というより、壁をぶち抜いたら繋げられるに違いない。


 目に付く苔草を引っこ抜くと、岩肌に貼りついた根っこのような粘膜っぽい部分を、拾った岩の欠片でこそぎ落とす。

 それで生えるのが遅くなるのかなど知りようもないが、気休めだとしても、やらないよりはマシだろう。

 その欠片も袋に放り込み、口を縛って立ち上がる。


「これで終わりだ」


 そう伝えたものの、どうも働いた気がしない。


「他に、少しでも気になる場所はないのか?」

「タロウが歩きながら片づけたのがそうだ。よし、終わったなら引き揚げよう」

「こんなじめついた場所に長居は無用だぜ」

「視界に嫌な影がないってのは、いいもんだな」


 三人の嬉しそうな様子は、本心からのようだ。

 他の依頼より少ない分量で、同じ報酬をもらうのは気が引けるという気持ちもあるけど、こいつらの気が済んだのなら良かった。


 なんとなく物足りない理由は外に出て分かった。

 まだ日が傾くにも早い時間だったのだ。

 シムシたちもゴミ用の袋を持ってきてくれていたから、外へ捨てに出入りする時間を短縮できて早く済んだのもある。

 暗い穴の中だと時間が過ぎるのも遅く感じたが、出入りと視界が悪い環境が大変というだけで、仕事自体に苦労はなかった。

 いつもと代わり映えしないと言えばそうだ。


 シムシたちは外に出ると穴を掘って、持ち出した苔草をぶちまけていた。

 前は時間も人手もなくて臨時で外に捨てたのだと思っていたが、今回もか。

 量がなければ、そうする決まりなのかも。

 いや、シャリテイルは放置しようとしてたな……あれは例外に違いない。

 初めの依頼ではキング苔草を持ち帰って捨てると聞いていたから、そういうものだと思っていたが、あれは量が量だったしな。

 虫よけ用に持ち帰りたいだけにしては、多すぎた。


「タロウ、その袋も貸せ」

「ありが……ああ、いや、俺は持ち帰るよ。虫よけを作りたいと思ってたんだ」


 そうだよ、すっかり忘れていた。

 シャリテイルから、虫よけ薬なら道具屋のフラフィエか、薬屋のドラグに作ってもらえると聞いたんだった。


「虫よけなら、その大袋一つ分あれば作れるぞ」

「へえ、そんなもんなんだ」


 乾燥させるというし、念のために多めに確保はするとして、残りは捨てよう。

 作業を交代して邪悪な苔草を埋め立てると、不意に空いた時間をどうしようかと考えながら、俺たちは帰路についた。




 東の森内にある洞窟の苔草群生地にて、潜伏する障害物の撤去活動を終えたタロウは、不意に足を止めた班長の背から力が抜けたのを見る。

 我ら山道整備班は砦近くの結界柵まで無事に帰還したのだ。

 振り返った班長シムシは、気の抜けたような笑みを浮かべて振り返った。


「いい休養できたなー」


 あれでかよ……まあ、こいつらにはそうだろうな。

 仕事が終わったというのに、まだ明るい道をのんびり歩いていると、気分が暇でナレーションつけながら帰ってきてしまった。


「タロウ、噂通り今日の仕事ぶりも見事だった。いずれは岩場方面も頼む」


 全力でお断りだ。


 街に戻っても日が暮れる気配はなかったが、シムシたちに無理矢理どこかへ連れ去られることもなく解散だ。

 たんに俺が大袋を抱えているせいかもしれないし、線引きのしっかりした人たちなのかもしれない。

 やはりオトギルたちパーティーが、異様に突っ走る性質だったに違いない。


 シムシ、エィジ、ポプュは手を振ると、のんびりと歩きながら、ギルドではないどこかへ去っていった。砦の横を抜けて西へ向かうなら、岩場方面の連絡所と呼ばれている小屋に報告でもするのかもしれない。で、ついでに俺のホラ話を吹聴するのだろう洞だけに。

 そうしてシムシたちと別れると、俺は一度宿まで戻ることにした。


 苔草袋は持ち歩くには大きすぎるし、水気もあるから重さもあるため、いったん宿に置いておこうと思ったんだ。


 井戸の側から桶を拝借すると袋を突っ込み、部屋に戻ると椅子に置く。側の机には、魔物帳やら書き散らしたメモが乗ったままだ。

 ぺらとめくって、ゲーム情報の他に新たに知ったコイモリの特徴も書き加える。


「天井トラップ、四脚ケダマなみに這う動きがキモイ、結構柔らかい……っと」


 レベル17のコイモリを倒せた、かもしれなかった。

 攻撃して羽を裂いてやったし、傷を負わせたのだから倒したに等しい!

 虚しいからやめよう。

 そもそも団体行動する内の一匹と向かい合って、どうにか掠り傷を与えられた程度だからな。

 あーやだやだ、これだから最弱種族はさー。


 おっと、くだを巻いてる場合じゃなかった。

 日がある内に出かけなきゃ。

 苔草のべたつきも気になるが、どうせ汚れるし時間が惜しい。洗濯もなし。


 宿を飛び出して空を見れば、日差しは黄色くなりかかっているところだ。

 時間は十分にある。

 青っ花……挑戦してみるか?




 思い立った勢いで、俺は草原を越えて花畑の端に立っている。


「血迷ったかタロウ……」


 仕方ないんじゃ。

 大枝嬢の笑顔を思い出すと、どうにも期待に応えたくなってしまう。

 す、少しだけだ……。


 問題は、未だスリバッチを倒せるかどうかは未検証ということ。

 仮にも花畑最強のコチョウを倒せたならば、レベルの落ちるスリバッチも倒さない訳にはいかない。

 どうせやりかけだったんだし、どのみち次は挑戦しようと思っていたから、良いタイミングだったとも。


 大きく深呼吸すると、草とは違う甘みを含んだ青臭い匂いが鼻腔を抜けた。

 あ、こっちにも花粉症とかあるんだろうか。

 幸いにも元の世界では発症してなかったが、こっちでも罹らないとは限らない。

 見るからに、ここの花は強そうだし。

 そんな心配は今はいい。討伐できるかどうかが先だ。


 こんなところに入り浸るのは嫌だが、俺に選択できるほどの行き先などない。

 もし、うまくスリバッチに対処できるなら、巡回ルートに入れざるを得ないだろう。


「行ってやろうじゃないか」


 力強く一歩を踏み出したところで、こんだけ花がでかいなら花粉も鼻に引っかからないのではないかと思った。

 広々としているし風も遠くまで薙いでいくが、時に何か飛ぶのは虫だったり葉屑だったりする。目が痒くなったこともないから、そんなに飛来するものではなさそうだ。


 ゆっくりと目的の場所へと近付く。

 青っ花が咲く一角に、飛んだり花に乗ったりしている蜂が数匹。

 恐らく学校のプールの端と端ほど離れているはずだが、十分に何か判断できる。

 サイズのせいで距離感がおかしい。騙し絵を見ている気分だ。


 緊張から額を汗が伝う。

 一人でここまで近付いたのは初めてだ。

 遠距離からの攻撃で気を引いて逃げる戦法でいくつもりだが、俺に扱えるのは石ころだけだ。

 それもボールほど思ったように投げられるものでもないから飛距離は期待できない。あまりに素早く動こうとすると、走るときと同じく制動がかかる感覚があるからな。

 もっと昨日よりも近づかないと。


 逃げる方向を振り返る。結界柵のある街側だ。


 目的のスリバッチ一体にあたりを付けると、石が届きそうな位置を見定めて足を止め、深呼吸した。


 なぁにコチョウに劣るレベルなんだ。

 それでもスリバッチの方が恐ろしく見えるのは、やっぱりあの機敏な動きと硬そうな上に、数匹が固まっているからだろう。


 おもむろに腕を上げ、覚悟を決める。

 そして石を、投げる!

 山なりに飛んでいく石を目で追いつつ、すぐさま手は剣を掴む。リーチが欲しいから殻の剣だ。

 そうだ。

 ストンリが言ったように、低級素材の殻製の剣だろうと、低ランクの魔物ならば問題なく斬れるはずなんだ。

 これまでの手応えからしても確かなことだ。

 無暗に怖がる必要はない。いけるいける。


 石が、背を向けていたスリバッチの横を掠めて落ち、青い花をしならせた。


「ブビッ!」

「げっ! なんかすごい怒ってる!」


 慌てて回れ右して走るが、うわこいつすばやい。


「ヴビビー!」


 二匹が全く同じような動きで前後しつつ飛んできた。

 行動範囲を調べようと、ちらちらと背後を見るが、少し離れた程度では諦めてはくれないらしい。

 しかも、花畑が途切れようかという場所に差し掛かったが、まだ速度を落とさない。

 くそっ、レベルが低い分、結界にも反発しづらいのか。盲点だったぜ!


 コチョウと違い無駄な動きはない。

 しかも、二匹は飛びつつもさらに前傾するのが目に入った。

 まだ早く飛ぶ気かよ!


 そう思った瞬間には、物凄い勢いですっ飛ぶ。


「ひいぃ!」


 ゲームにはなかったが、他の魔物と同様に突撃だとかの特殊攻撃なのかもしれない。

 そんな考えが浮かんだときには、すでに背後まで迫っていた。

 二匹の黒い複眼顔がはっきりと見えるほどだ、ここで反撃しないとまずい。

 体ごとひねって走る勢いと力を乗せた剣を、袈裟懸けに振り下ろしていた。


「うぉらああぁ!」

「ブヴャッ!」

「ビャッ!」


 でたらめに振り抜いた剣は一匹目を叩くと、勢いのまま二匹目を巻き込み地面へと落ちる。刃の方じゃなくて平の方が当たってしまった……。

 地面に叩き付けてダメージを与えようにも、花のクッションに遮られるのが問題だ。

 落ちたスリバッチは花に押し返される。起き上がる前に倒さなければ!

 などと意気込み過ぎたのが敗因だろうか。


「びぇ!」


 これはスリバッチではなく俺の口から出た呻きだ。

 思い切り体を回転させたために、そのまま俺もスリバッチ二匹の上へと重なるように落ちていた。


「ヴャッ!」

「ビャヴヴっ……」


 巨大花に埋もれながら、赤いマグが体にまとわりつくのを、俺は死んだ目で見ているだろう。 

 押し潰して殺してしまうとは。


「……うわーい、たおせたぞー」


 これが俺クオリティ。

 いいんだ。倒せたことは倒せたんだし。

 いや余裕。もう余裕でいいだろ。


 のそりと起き上がり花の狭間から頭を出す。

 飛んできた二匹以外のやつらは、青っ花周辺に留まったままだ。

 どうやらスリバッチは縄張りを守ろうとする方が優先らしい。


「残り、三匹か……」


 数が減ったやつらが同じ行動をとるかは分からないが、低ランクの魔物の行動パターンは貧困だ。

 次も一、二匹で来てくれればいいけど。三匹に追われると厳しいな。

 とはいえ、偶然に……いや俺の確かな身のこなしによる実力で数を減らした今しか攻めるチャンスはない。

 俺は膝立ちのまま、石を投げた元の位置まで花の海を泳いだ。





 素材名、青っぱな

 誰しもが採取依頼を青っ花と呼んでいるのは確認済みだ。

 しかし正しく必要な部分は、青っ花の蜜だ。

 まあ蜜以外に用途はないから、そのまま呼ばれているんだろう。


 思えばゲーム内のアイコンも花の絵だったが、花ごと毟るのではないことは、フラフィエとの採集作業でも知ったことだ。

 スリバッチらが種子を集めて育てているのだとすれば、これもケダマ草と同じく人の手による生育が難しいんだろうと思う。

 それとも利用先が限定的で、商売にするほどは儲けが出ないためだろうか。


 そう考えれば、なるべく花を傷つけないように戦った方がいいんだろうな。

 傷つけられるほど、近寄って戦う身体能力なんかないけどさ。


 とにかく確実に欲しがっている層がいる。マニア垂涎のアイテムと言うと、結構なお宝に見えてこなくもない。報酬は安いらしいが。

 その求めていた素材が、燦然と眼下に輝いている。

 のだが、俺は恨めしい気分で見下ろしていた。

 指をくわえて眺めるしかできないからだ。


 せっかく恐ろしいスリバッチ軍団を倒しきったというのに、採取道具がない。まさか倒せるとは思ってなかったんだよ。そこまで自分を信用してない。


「悔しすぎる」


 定期的に来るなら、毎回スリバッチと戦わなければならないんだ。いつまでも物欲し気に見ていないで、今は諦めて帰ろう。


「ふぅ……どっこいしょ」


 じっと眺めていたのは、また膝が震えていたからだよ。せめて、もう少し素早さがあればなぁ。

 先ほどの戦闘を思い返して溜息を吐いた。




 俺の祈りも空しく、残りのスリバッチは三匹とも一斉に襲ってきたのだ。

 ひーひー言いながら逃げるも、三方から攻められてはまずい死ぬ。先制攻撃だと、突進が来る前傾姿勢を見た瞬間に振り返って剣を振っていた。

 三匹を斬る!

 などと気合いを入れようとも格好良い殺陣など披露できるはずもない。

 しかし、ぶれぶれの一撃は偶然にも、先頭を飛んでいたスリバッチのすり鉢を叩き落した。


 あれ外れるんだ。

 意識がすり鉢へ向いたものの、当のスリバッチも敵の存在を忘れたように、転がるすり鉢を追いかけ花々へと頭から飛び込んだ。その先は俺の足元だ。とっさに羽を掴んだら意外と軽かった。


 他の二匹も一瞬すり鉢に意識が向いたように空中で静止したが、すぐに気を取り直して飛んできたから、考える間もなく掴んだスリバッチを振り回していた。

 ぶつかった衝撃で掴んでいたやつは羽が千切れ、ぶつけた一匹と共に地面へ転がる。

 そのすぐ側にいた一匹が反射的に避けて停止した隙に胴体を掴み、そいつも地面の二匹へぶつけるように放り投げた。


「ヴャバッ!」


 同じサイズだからか、俺が押し潰したときほどの衝撃はないらしい。ぶえぶえ鳴きながらも体勢を立て直そうと、必死に短い脚で互いの胴を足場にしようとして余計に絡まり目を回すスリバッチ。

 だが、油断は禁物。ここは確実な技でもって仕留める!

 俺は片腕を曲げて持ち上げると、殻の肘当てをスリバッチ球へと照準を合わせて飛び込んでいた。


「喰らえ!」


 闇の果てまでをも穿つ閃光の如き、肘――エルボー・イン・ザ・シェル!


「ヴビゃヴャーッ!」


 初めの二匹を押しつぶしたときに、うまいこと肘が刺さったようだったから試してみた。思った通り殻装備の威力でも十分だったようで、三匹の胴をまとめて叩き折ることができた。また欠けたかもな。でも装備なんて使ってなんぼじゃい。




 それから這いずるようにして青っ花の元に到達し、足を休めがてら溜息をついていたのだった。


「こいつは使えるのか?」


 スリバッチが落とした小さなすり鉢を手に取る。

 フラフィエが拾っていた記憶はない。ゲームでも、すり鉢は落としてなかった。誰かに聞いてみればいいか。

 ささやかな戦利品を道具袋に突っ込むと、のろのろと街を目指した。

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