あるマグ研究家の記録と、使者の気苦労・後編

 間もなく訪れた砦は、想像通りに怒号の飛び交う別の戦地と化していた。兵らが準備に走り回る中、アローインらを出迎えたのは年若い次期当主だ。ジェネレション高爵は、自ら隊を率いて出ており留守とのことだった。


「話は伺っております。現在までの報告をまとめてありますので、書斎へどうぞ」


 ありがたいことに、ジェネレション高爵は調査の重要性を理解してくれていた。

 書斎に案内されたのは、他の部屋が手一杯のためもあるようだ。怪我人が集められ、介抱する姿もあちこちに見られた。アローインが胸を痛めながらも、書斎へ着き報告書を手渡されるや、アゥトブがひったくるようにして広げ目を走らせる。

 アローインとサイも待てずに、横から覗き見た。


「これは……大発見だ!」


 各々が驚きの声を上げた。

 理由は分からないが、魔脈周辺に聖質の魔素が集まるような現象が起こっていることを、王立研究院の調査隊が発見したのだ。




 発見は偶然だったようだ。

 元からその場にあったのか、邪竜にまつわる現象が形作ったのか。


 そこは湖沼地帯で岩盤などがなく、まるで魔脈が血管のように浮き沈みすると噂の地域を調べていたときのことだ。

 歩ける場所も足が沈みそうな土に覆われているのだが、突如、激しく揺れ、柔らかな地面が裂けて地中が露わになった。恐らく邪竜の復活に呼応したのだろうと、すぐ後に彼らも知る。


 その浮き上がって崩れかけた断層の一部は、マグを内側に取り込み保持する水晶を含む鉱床だった。それを調べようと採掘していると、研究員の一人が緊迫した声を上げた。


「聖魔素のにおいだ!」


 さらに掘り進めたところ、あるものが見つかった。採掘者は痛みを訴え触れることができない。周囲に聖質の魔素を集めた、自然の結界。

 それは、形を持っていた。


「このような異形など、見聞きしたことはない……一体、どういうことなんだ」

「だが、紛れもなく聖質で出来ているぞ。聖魔素を持つ私ですら、触れるのは憚られるほど、純粋な聖魔素だ!」


 邪竜の如くマグで作られたらしいそれは、ぷよぷよと蠢くものの攻撃などはしてこない。

 邪質ではなく、聖質のマグで作られた存在だったのだ。


『ピチョーン!』


 この時見つかったのは、透明な雫型の異形。

 後に森の雫種と呼ばれるようになった聖獣だった。


 聖獣と呼ばれるに至ったのは、それらの調査を進めるうちに、同じく聖魔素で作られた中では恐らく最大の種となるであろう、鳥のような蜥蜴のような、見方を変えれば牛でもあるような四足の個体が見つかったからである。

 様々な形態を持つものをまとめて呼ぶのに、最上の獣から聖獣と名付けたのだ。




 アローインは感嘆の声を上げた。


「いやはやレーク殿、おみそれしました。調査を続けるよう忠告した、貴方の言った通りだった!」

「やはり、多くの人間が動けば発見も早いものだな」


 アゥトブとサイは、聖魔素で形作られた異形についての報告に幾度も目を通す。

 自身が長いこと追ってきた研究の一部が、他の者の手によって異例の速さで露わになっているのだが、アゥトブには焦りや悔しさによる気負いは見えない。

 逆にサイは、言葉は柔らかだが興奮を覗かせていた。


「そう……そうだったの。これが、地上から聖魔素が消えつつあるように見えた原因なのね」


 三人は、各々の見解を口にし熟考する。


 集められた報告を俯瞰してみれば、魔脈に吸い寄せられている。聖魔素は、そうとしか思えない動きを見せていた。


 しかし、反発するはずのものを邪竜が引き寄せるだろうか。違うとするなら、逆なのだ。聖魔素が、邪魔素の働きを抑えようと押し寄せている。

 それが何故かまでは、はっきりしないが、この分であれば近い内に答えに近付けそうである。


 国は、厳密にこれを調べろといった指示は出していない。邪竜や、それが現れてより異変を見せる魔脈に関連しそうなものならば、些細なことでもよいから調べろということらしかった。アゥトブは不満どころか、多角的な視点を得られてありがたいと考えていた。


「でも、なぜなのかしら……」


 サイは頭の中であれこれと仮説を立てているのだろう。それがしっくりこないと、都度に何故だと繰り返す。

 それらの何故に、アゥトブなりの自問自答を繰り返す。


 どちらが先なのだろうか。

 聖魔素は、邪竜より先に姿を取り入れていたのか?

 場に応じた形だ。

 それを、邪竜も学んだのだろうか。


 だが、それはどちらかの影響によるものか、各々が学んだ末に集約した結果なのだろうか。

 調べるしかないと、アゥトブは呟く。

 彼らしく体を動かし、考え過ぎるのではなく、ありのままを観察するのだ。



 ◇



 翌朝、起き抜けに上着を手に取り出かけようとするアゥトブを、サイは欠伸をしつつ恨めし気に見、アローインは溜息を吐くと、今すぐですかと文句を言いつつ追いかけた。


 今も多くの兵が戦っているであろう平原を避けて、アゥトブ隊は山に入り込んでいた。

 ジェッテブルク山を中心にして輪になるよう囲んだ山並みの中だ。原野の半ばを区切り、人間の軍勢を阻むように突如生まれたという。以前はなかったものと聞いたアゥトブは、調査するのにこの場所を選んだ。


 元は低木が生い茂る地帯だったようで、急に地面ごと持ち上げられたために、木々の伸びる方向は天ではなくあちこちを向いている。

 道もなく、根が絡まり浮き出ては沈み、岩がせり出ているかと思えば、地盤が緩んで足を取られる危険な場所もある。まったく気を抜けない道のりだ。


 しかし森葉族は、身軽さに長じた種族である。しかも元よりどこまでも続くような大森林で暮らしていたのだ。独自の判断で選んだ道筋を、ひょいひょいと移動する。

 彼らに比べれば四肢が岩のように進化し、やや鈍重と言われる岩腕族だが、さすがに戦士として育ったアローインは動作も機敏だ。アゥトブらの後を、遅れることなくついていく。


 だが問題は、道の悪さだけではなかった。


「レーク殿、このまま進む気ですか! 異形のものが多すぎる!」

「この程度なら、パイロの荒野にいる牛のほうが、よっぽど危険だぞ」


 三人の周囲を、見たことのない動物が囲んでいた。いや、動物を掛け合わせたようなものだ。しかも凶暴で、見境なく襲ってくる。何匹も倒したとて引く気配はない。

 それもそうだろう。


「ねえ、これって。報告書に書かれていた、聖質の異形と同じものかしら。もちろん、邪質の方のって意味だけど」


 斬りつけるたび、血の代わりに赤い煙を噴き出して消えていくのだ。


「可視化されるほどの濃度を持つマグ……そんなもの、生物として存在できようもないだろうに」


 そんなことを、ぶつぶつと呟きつつアゥトブは杖で突き殺していく。


「レーク殿……調査か戦闘か、どちらかに集中してください!」


 倒しては考え込むならまだしも、倒すふりをして反応を見つつ動くアゥトブに代わって、多くをアローインが的確に倒していく。

 アローインの反応には劣るものの、まともに戦いさえすればアゥトブの動作に全く危なげはない。

 軍事の教練を受けたというよりは、ただ手慣れているといった動きではある。

 それはアゥトブだけでなくサイもだ。


 周囲から異形が消え去ると、すぐにアゥトブは歩き出す。

 アローインは、そんなアゥトブを追いつつ揶揄した。


「護衛の数を心配するまでもありませんでしたね」

「アロー、この程度で根を上げていたら、山奥では大変よ?」

「アローイン、研究家など人の入り込まぬ場所を歩き回るんだ、危険はつきものだぞ」


 アローインは呆れた声をあげる。


「あなた方は研究家でなく、冒険家を名乗るがいい!」

「ふふ、アローは苦労性よね。あれこれ気にしていたらやつれるわよ」

「気遣いには感謝します。しかしこれも役目ゆえ」


 アローインは皮肉気に口をゆがめて言った。へそを曲げたというよりは、指摘の通り気疲れである。彼らと行動を共にする以上、どこまで連れていかれるのかと考えただけで疲労感が押し寄せるようだった。




 やや見晴らしの良い場所についた。

 大岩の上から、辺りを見回しつつ一息つく。


 アゥトブは、聖魔素の異形が現れたことで、これまで聞かなかったことを口にした。

 サイの、特技についてだ。


「以前のように、聖魔素を扱える者は多くない。残念ながら私もだ。サイが居て、調査には助かる」

「研究にしろ調査を進めるにしろ、頭の痛い問題ね」


 今さらながらアゥトブは、国がよく彼女が出歩くのを許したなと考えたらしい。

 それにアローインが答えた。


「国から全国へ、触れを出してあるんですよ。レリアスだけでなく隣国へも。聖質を扱える者が集まれば、研究も進めやすくなるでしょう」

「気質が向いていなければ難しい作業だと思うが……体質だけで何かを強要されるとは、嫌な時代になったものだな」


 自由を尊ぶ男だ。聞かせたのは迂闊だったかとアローインは危ぶみつつ、アゥトブの言いたいことから逸らすように答えた。


「そうならないよう、謝礼は低くしてあります。一般的に食べていける者ならば興味が湧くかどうかといった、ささやかなものです」

「貧民の中からとなれば、少なくとも自らの意志で来ることになるわね。ただ、衣食住が手に入れられただけで満足し、働く意思が持てるかどうかは分からないけれど」

「そこは厳しく対応するしかない。やる気がなければ元の暮らしに戻すことになるだけだ」


 アゥトブの声は、険しさを帯びた。


「問題は、そういった手合いに知識の基盤があるかどうかだろう。一から教える必要があるなら、結果的に向いてないと知るころには何年も経っている。やる気の有無だけでは覆せないことは多いものだ」

「そこは、我々も考えているところです……あちらの方に畝のような溝が見えますよ。さあ、先を進みませんか」

「そうね」


 アローインは心情を消すように笑みを浮かべて話を締め、サイも似た笑みで肯いた。

 自由気ままな研究家に聞かせるような話ではない。同じ研究家で他種族であるサイも、今やレリアスに人生を預けることにした身だ。国が倫理にもとるような決断をしたことも、飲み込むことにしたのだ。


 アローインは周囲を警戒しつつも、前を歩くアゥトブの背を盗み見た。滑るようだった足取りは荒い。気分を害したようだ。物言わずとも賢い彼のことだ。国の方針に思い至ったのだろう。

 民を脅かす存在が迫っており、それに対抗できる鍵があるというならば、非道と誹りを受けようとも国はそれを選択する。


 アゥトブが口にした懸念は国も抱いていることであり、その対策は立ててある。

 子供の頃より、そう育てればよい。触れを出したと言ったが、事実は食うに困って集った者たちの中から、子供を引き取るということだった。


 大っぴらにしないのは、眉を顰める判断だと自覚しているためではない。それで金儲けをしようなどと考える輩を作らないためである。このまま数が減っていくならば限界が来るのだろうが、せめて今はそれで様子を見るしかないのだ。




 邪竜が現れて以降、聖魔素を扱える者の数は減り続けている。そう気づいたのも、しばらく経ってからのことで、まだ理由は判明していないが到底無関係ではないだろうと思われてきた。

 聖魔素と呼んではいるが、遠い昔にはすべての人間にも備わっていた原始の魔素といわれている。


 聖魔素が減っているのは邪竜と関連しているとの考えは、間違いではなかったのだ。大地全体に漂っていた聖魔素が、魔脈を抑えようとするかのごとく魔脈に集まったために、他の生物や人間が取り込んでいたものも減少したのだと、あの報告書からは窺えた。


 希望に繋がる発見の一つには違いないのだが、サイは憂いを帯びた面持ちで呟いた。


「でもね、どうも、減少が早すぎると思うの」

「そうだな。大自然にあふれていたものが、わずか数年の内に、目に見えてなくなるというのは異常だろう。ありえないとは、言い切れないが」


 アゥトブの返しを聞いて、アローインは思い出したことがあった。


「前回の記録にありました。武器に聖魔素を付与した理由。衝撃を与えると、魔素が互いを破壊することで傷を与えるのだと」


 では魔脈を抑えようと集った聖魔素も、日々損なわれているというのだろうか。


 どちらにしろ、多くの者が気に掛けるのは、それがどう人類に影響するかだ。

 自然が現状を維持することを望もうと、人々の生命を脅かすならば対処するほかない。


 しかし、三人は口をつぐんだ。

 面持ちは硬く険しい。

 研究者でもないアローインですら、一連の話から行き着く先に気が付いていた。



 滅亡――。



 ただ邪竜との戦いに負けるといったものではない。


 初めの戦いで邪竜を封ずることができたのは、偶然の産物だったのだろう。

 まだ人々にも聖魔素の保持者が多くいて、その力も強いものだったそうだ。

 邪竜が生まれたばかりであった上での偶然ではあるが、理由はなんであろうと、どうにか動きを止めた間に生命力を削る時間を稼ぐことはできた。


 偶然だろうと動きを封じることができたのならば、聖魔素が邪竜の弱点なのは間違いないのだ。

 そのことが逆に、二度目の復活以降は希望を奪っていく。




 邪竜は力を取り戻して再び現れると、人類への対抗手段を得ていた。

 二度目の記録には、こうある。


『人間の軍勢を見て学んだのか、邪竜は小さくした己を生み出した』


 人々にとっては牛よりも巨大な邪竜が、何百と知れず生まれたのだ。

 どうにか本体に傷を負わせた頃には、多くの人間が塵のように息絶えていた。


 その傷を与えたのが、聖魔素を付与した武器だ。

 人類の頼みの綱は聖魔素のみだというのに、それらは日々減少の一途だった。


 次があるなら……いや確実に訪れるだろう次の復活時は、止めを刺す覚悟でもって、全ての兵に配備するよう集められるだけの聖魔素を掻き集めてきた。

 だが、それで変わらなければどうなる?


 そうなれば邪竜本体と相対するより前に、マグがある限り生まれ続ける邪竜の使いと戦って、戦って、戦って――遠からず力尽きる。

 そのことに思い至るのは簡単なことだ。


 戦って再び封じることができたとしても、聖魔素が失われていくならば、魔脈から邪質のマグはさらに溢れ、全ての生物がそれら邪質の魔素を取り込むことになるだろう。内在するマグさえ、邪竜に取り込まれていく日が来るのかもしれない。




 しかし、その三度目の復活が訪れてしまった。

 そう考えれば今我らが行っている調査などなんのためになるのかと、アローインは虚無感から任務を忘れそうになる。

 それに呑まれまいと、顔を上げた。

 糸口を掴むために行動しているのを忘れてはならない。


 偶然で邪竜の弱点を知ったというならば、再び他の手段が見つからないとは限らないのだ。

 今このときの現実がどうかではなく、未来を、希望をもって見通そうと行動できるのは、他の動物と人間との違いだろう。


 アローインは、戦いの術しか知らぬ。

 だが、前を歩く型破りな男ならば、未来への道筋を拓いてくれると思えた。

 そのためには、アゥトブの身を守り切らねばならない。恐らく、これまで目にしたことのない異形は、今回の邪竜が作り出したものに違いないのだ。

 国への忠誠とは別のアローイン自身の信念が、任務遂行への誓いを新たにした。


「所詮、私は武人にすぎません。戦いは任せてもらいます」

「私は魔素の流れを追い続けるわね」

「では、俺も集中して地形の変化に目を配ろうか」


 三人は各々の覚悟を胸に、辺りを探り続ける。




 異形が襲い来れば倒し、ひたすらに三人は、魔脈らしき周辺を探り続けた。

 研究以外には淡泊だが、その分の熱量をすべて注ぎ込んだかのようなアゥトブやサイの熱心さに、アローインは再び感嘆していた。

 だから、休憩がてら足を止めた際に何気なく尋ねていた。


「なぜ、そこまで取りつかれるんです。わざわざ国を出てまで」


 長い旅の後だ。大抵の当たり障りのない話は何順と繰り返してしまった。

 だからといって、内情に踏み込むことを考えてはいなかったのだが、何がそこまでの問いかけであるかなど、他人には分からないことはある。

 アゥトブはアゥトブで、いつものように端正な顔を崩すことなく答えたために余計だ。


「大森林の中は暗い。昼は薄暗く、月のない夜は闇。それが、どこまでも、どこまでも続く」


 しかし、そう言ったアゥトブは、わずかに目を眇め、眉間には皺を寄せる。


「我ら森葉族にとって、外の世界は、眩しすぎた」


 有り体に言えば、魅了されたということなのだろうか。しかしアローインは、アゥトブの顔に、それを単純に良しとは考えていないことを見た。傍らに立ち、静かに話を聞いていたサイへ視線を向ければ、苦笑を浮かべている。

 アローインの、もの言いたげな表情を見て、サイは口を開いた。


「そのことが、私たちのような者には喜びでもあり、身を裂かれるような想いを抱くことにもなったの」


 それからサイは俯いて、故郷を出たのだからと小さく答えた。戻ろうと思えば戻れない距離ではないというのに、まるで捨ててきたのだと言わんばかりに。

 アローインは自らの身に置き換えて、なるほどと呟くと押し黙った。




 アゥトブは、なるべく真っ直ぐ答えたつもりだったが、真実とは言い難い。

 いや、そうしなければならなくなった理由は、後に気付いたことだろうか。

 この実直な青年のために話すべきかと、アゥトブは伝えようと試みる。


「もう一つある」


 邪竜の引き起こした現象。

 その全ては、誰にとっても無視できないものとなった。

 邪竜の存在が、全てを変えてしまったのだ。

 だというのに、あまりに人々は環境に無頓着だった。


 気が付かぬうちに、人々の周囲は変化し続けている。

 アゥトブがそれに気づいたのは、まだ幼い頃だった。お気に入りの樹上から、絡みつく蔦草やらを見るともなしに見ていた。


 数年が経ち、それらのどこかが以前と違うと感じた。

 子供の言葉だ。大人たちに話しても、そんなこともあると聞く耳を持つ者はなかった。真剣に訴えれば余計に、意地になるなと笑われたものだ。


 しかし、さらに数年が経つとアゥトブは確信していた。

 そのため、成人すると村を出て、大森林を歩き回って確かめた。


 一部の植物が変化しているのは確実だった。


 内在するマグ量が増えたせいなのか、根がやたらと太く頑丈になったり、実が弾けたり、巨大化するものを多く見た。


 変化のしかたは様々だったり、一部の植物にしか見られなかったせいで、信じてもらえなかったということもある。

 種類が限定的だったのは、マグに反応しやすいか、マグを取り込みやすい植物だとアゥトブは結論付けていた。

 そして、それらの変化は経過にすぎない。


 アローインは、これまでにどうして話してくれないのだと叫び、聞いたことへの衝撃に仰け反る。


「そんな……我らの世界が刻々と悪しき存在に変えられているというのですか!」


 悪しき存在。はたして、そうだろうかとアゥトブは呟く。


「人は、意味を見出すのが難しい争いを続けてきた。その罰なのか」


 アローインは青褪めたが、アゥトブは鼻で笑った。


「バカバカしい。自然現象の一つに過ぎんよ。人類には天災というだけだ」


 意思らしきものを感じないではないが、邪竜も巨大なだけで、そこらの獣と変わりなくアゥトブには見えていた。ただし、どうやら中身が血肉ではなく、マグそのもののようだ。ならば、それは自然現象と言って差し支えないだろうとアゥトブは言い切った。殺戮の意志を持つ嵐など、存在して欲しくはないものだが。


「それこそ、人が神罰と呼ぶものだ」


 逆に、アローインはきっぱりと返す。


「なら、我々がこの大地に住み着いたとき、それまで生を謳歌していた周囲の生物は、なんと思ったんだろうね。俺たちの存在を」

「まったく、貴方は……」


 サイは苦笑するだけだ。


「レン殿も、持論があるんですか?」

「いいえ。そんな答えがないものを追うほど研究材料には困ってないの。それは、あなたがよくご存知でしょ?」


 研究家とは、みなこうなのだろうか。

 不信心で信用ならないようでいて、追い求める対象への眼差しは、祈りと似たものがあるとアローインは感じていた。




 日が中天を過ぎたころ、山並みの麓へと下りていた。ジェッテブルク山とは反対側の麓だ。

 そのとき、何かが藪の合間を横切った。


「あれは……!」


 言うが早いか、アゥトブが鍛えたアローインを凌駕する速度で身を翻す。瞬発的な身のこなしは、炎天族に劣らない身体能力を持つ森葉族ではある。しかし、鍛えていることは目のあたりにしてきたと思っていたが、まだまだ本気ではなかったらしい。おかけでアローインは叫びっぱなしだ。


「無暗に飛び出さないでくださいと、何度言わせるんです!」

「見ろ、これは……この化け物は!」


 アローインがアゥトブの背後につくより早く、何かが飛びだした。それをアゥトブは容易く両手で掴む。


 手にある異様な生き物を見ようとアゥトブの横に立ち、アローインは怯む。怯んだのは異形のせいではない。

 あの不愛想そのもののアゥトブの細い目が見開かれ、満面に笑みを浮かべていたのだ。


「お前は、ケダマ草の化身だな? そうだろう!」

「ケキャー!」


 汚らしい灰色の毛に覆われた丸い塊、その中央に黒くつぶらな一対の瞳だけがあり、あろうことか鳥のような足が二本生えている異形だ。威嚇のためか時に毛を逆立て、必死に身を捩っている。

 どこから出しているのか分からない、甲高く可愛らしい鳴き声もおぞましさを掻き立てた。


「無害そうだけど、すごぉく嫌がってるみたいね」

「そう……お前は今日からケダマだ。ケダマと名付けよう!」

「ケャゥケャゥ!」


 アゥトブは嫌がって鳴く巨大ケダマ草の化け物を、まるで我が子を慈しむように天に向けて抱き上げた。素晴らしい笑顔で歯を見せて。

 サイとアローインは口を出したくなる気持ちと戦い、必死に無言を貫いていた。


「そうか、俺が漠然とした熱意に導かれるままにマグを調べ続けてきたのも、このためだったのだ」

「違うと思うわ」


 サイの冷めた言葉はアゥトブの耳に届いていない。


「俺はこれを調査するぞ。聖質を含まない完全なる魔素によるもの……そう、魔の物だ。魔物の生態を調べ上げようではないか!」

「そこは、まともな名前で安心しましたよ……」


 その後の調査の成果は凄まじいものだった。

 周囲の地形に合わせて行動するために、幾つもの姿を持つことにしたのだが、それらは動植物や虫など、マグに影響を受けやすい種類。

 そう、これまでにアゥトブが調べ続けた対象が主だったのだ。


 サイは途中で呆れて街に戻ったり、連れ出されたりしたが、最後まで付き添ったアローインは何度も後悔したという。

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