あるマグ研究家の記録と、使者の気苦労・中編

 アゥトブはアローインが去ると、さっそく最低限の必要な荷物をまとめていた。

 いつ開始かは分からず、大がかりな作戦ならば実際に旅立てるまでには時間を要するだろう。だが、アローインの様子から間もないことを感じ取っていた。


 他に立てていた予定は破棄することになるが、決めたとなれば特に後を引くことはない。

 新たな計画を頭に思い描きつつ、部屋を片付けながら、アローインとやらのもたらした事柄について吟味する。


 なぜ、わざわざ一時滞在者にすぎないアゥトブへ大仰な使者をよこしたのか。

 アローインの身なりや振る舞いから、特権階級の地位にあることは窺えた。

 王から直々に指示を受けるほどならば当然ではあろうが、森葉族のディプフ王国には、そういったものはない。社会へ向けて明示されるものはという意味でだが。


 ともかく、各地を巡って腹が膨れるでもない研究や調査を進めている変わり者など、己一人だろうといったことはアゥトブも理解していた。

 まずいことにアゥトブは、国の調査に必要な、最先端の知識を持ち合わせているようだ。

 しかし、大したことをしてきたわけではない。恐らく研究員らも、アゥトブが時間をかけてきただけのことだと分かっているはず。国が多くの人間を動かすというならば、すぐにもアゥトブ以上の成果を出すに違いなかった。


 無論、その時間が問題なのだろう。

 期日があるとするなら、人の世が邪竜に飲み込まれる日だろうか。

 今はまだ眠りについている邪竜だが、その目覚めが近いとでもいうのだろうか。


 調査が始まれば、そういった情報も開示されるのかもしれないが期待は薄い。しかし、国が外部の人間の手を借りてまで大々的に行動を起こすのだ。それが答えのようなものだろう。

 最悪の事態が起きる前に何かしらの端緒を掴み、手を打たなくてはならない。

 邪竜を退けるだけの対策を講じねばならないのは、間違いないのだ。




 アゥトブはアローインの言ったことについて思いを馳せた。

 大自然に広がりつつある恐ろしい事象が、この研究と繋がるだろうと言ったことだ。

 アローインは断るのが難しい状況であると分かっていながら、あえて研究での交渉にこだわっていたようだった。アゥトブは、それを評価し引き受けたのだ。

 どうにも捻くれた、自分自身の頭を納得させるために。


 このまま魔脈が広がっていくならば、遠からずアゥトブの行く手も阻むだろう。

 単純な事実であり、それを言われれば断りようもなかったのだが、アローインは単純な強要と脅しを選ばなかった。

 アゥトブの研究にとっても有用だという可能性を示しただけだ。



 祖国でもない国の意図がどうのと知ったことではなかったが、人類全体へ圧し掛かる問題ならば、いつまでも無関係を貫くのは無理だ。いずれは関わらねばならぬなら、この依頼に乗れば幾分かはましな状況の内に携わることができる。

 人が滅ぶか否か。

 実のところ、どう未来が転ぼうとさして気にしていない。どちらにしろアゥトブは、終わりの日まで研究対象と向き合っているだろう。


 しかし生への執着は薄くとも、アゥトブとて人間だ。人生をかけた研究が、少しでも未来を引き延ばす道に続くというのならば、無理に避ける理由はない。


 早い段階から関わる方が、行動もしやすいだろう。

 依頼を持ち込んだアローインからは、ただのはったりでなく、少しは研究の中身を理解しての言葉であることも伝わった。そして身分を考えれば、取り決めたことを、その面子にかけて反故にすることはないはずだ。

 結局のところアゥトブは、単純にアローインの人柄に賭けたということだった。




 とある早朝、アゥトブは庭の天幕に居た。

 手にした水を湛えた桶を、火鉢へと注ぎ込む。蒸した空気が出入り口へと流れ、そこに居た者が咳き込んだ。

 ちらと視線を向けると、アローインが口を押さえつつ入り口の垂れ幕を開いていた。

 そんなアローインの様子に取り合うでなく、アゥトブは火の後始末を続ける。


「枯れるわね」


 別の声がかけられ、アゥトブは淡々と答える。


「いつものことだ。留守の間に世話する人間を雇うほどの余裕はない」


 腕を組んで気だるげに立つのは、もう一人の訪問客。アゥトブよりも明るい金の髪を肩口で切りそろえた森葉族の女性だ。

 アゥトブと同じく研究家、いや、現在は王立研究院に属する研究員の一人であるサイ・レンだった。アローインが、アゥトブへの繋ぎを頼んだ人物だ。


 喉を撫でながらも気を取り直したアローインは、アゥトブへと申し出た。


「レーク殿、報告していただければ、そういったことも手配しますよ」

「これから、ますます厳しくなる状況で、他にしわ寄せがいくというのにか。その費用は誰から出てきた。こんな道楽に使うなどもってのほかだ」


 やや不機嫌に言い放ったアゥトブに、アローインは面食らって言葉を失う。

 己の身を捧げたというほどの研究に関することのはずだし、しかも、その費用を注ぎ込んだ調査に参加する男の言葉である。


「くっ……ふふ」

「レン殿、笑うところですか?」

「ごめんなさいアロー。アゥトブは、こういう人なのよ」

「ええ、いつも驚かされています」


 アゥトブに関する人嫌いで偏屈といった噂は、実のところ彼女によるものが大きいのだが、人の集う場所へ出かけることのない当人の知るところではない。実際に、同郷のよしみもあろうが、アゥトブともそれなりの交流があるのは彼女だけだ。

 この時勢に研究家などと嘯く穀潰しなど、故郷では彼ら以外に存在しなかったのだ。




 アローインが依頼をもたらした日からほどなくして、国の調査隊は方々へと旅立っていた。

 アゥトブは、その報を耳にしたときに知ったのだが、この調査はパイロ王国とディプフ王国とも協力した大がかりなものだったようだ。


 本当に俺の手が必要だったのだろうかと、アゥトブは眉間に皺を寄せる。

 当然ながら幾度かアローインと会談し、マグの調査に際するコツのようなものを聞かせはしたし、邪竜と関連することと目的も明確なのだから、これを調べてはどうかと注目すべき点も話し合った。


 それでも後の詳細は、それらをアローインが研究院へ持ち帰って協議した結果によって、行動は決められたはずである。

 実のところ、どれだけアゥトブの言及したことが反映されているかなど知る由もないが、目が見え頭が働くのならば、何も得られないということはない。些細な事柄でも、多数が目的を一にして持ち寄れば、何かしらは掴めるだろう。


 不思議ではあったが、知識だけ借りて後は大人しくしてろと言われなかったことは、喜ぶべきなのだろうか。

 そんなことを考えつつもアゥトブが荷を担ぐと、アローインとサイも準備を終えて並んだ。


「まずは東門だ。こうも広いと街を出るだけで一苦労だな」


 アゥトブの号令らしき言葉に、三人は歩き出した。アゥトブ自身が出かける意味を疑問に思ったのも当然だ。たった三人の隊である。


「人が多いのは好かんと言いはしたが、まさか君らが参加するとは」

「私が居て心強いでしょ?」

「確かに、俺にはない特技を持っているな」

「もう、からかってるだけよ。さ、もう少し急ぎましょ」

「無理のない速度で頼む」

「ありがと」


 最も体力がないのはサイだろうと、彼女の歩みに合わせる意図を込めてアゥトブは告げた。それからアローインを振り向く。


「意外といえば、アローイン、君もだ。身分立場を考えれば、王都を離れられないものと考えていた」

「他の者を寄越しても良かったんですがね」

「面倒くさいな」

「そう言うだろうと思いましたよ。大所帯は苦手だろうと私一人となりましたが、ご安心を。腕には自信がある」


 思惑を探るようアゥトブは目を眇めてアローインを見た。

 知らない者と行動するというのは煩わしいものだ。幾ら邪魔しないと約束したとて共に行動する以上は協力しなければならないし、そういった気風なのか岩腕族はアゥトブにとって、いささか頭の固い人々であった。


 その意味では、アローインは意外と柔軟な対応をする。しばしばアゥトブが何かを言うたびに面食らっては動きが固まるのだが、例え胸中でどう思おうとも、そのまま飲み込んでいるようである。


 ご苦労なことだとアゥトブは呆れていた。煩わしいことは苦手だと言いはしたが、それはアゥトブ自身の主張にすぎない。なにも完全に受け入れろと強要したつもりではなかったし、相手の主張を阻む意志もなかった。


「アローイン、どうも誤解しているようだが。誰にも遠慮する必要はない。君は、君らしい行動をとりたまえ」


 やはりアローインは衝撃を受けたように、あんぐりと口を開く。だが、足取りから、これまでの硬さが抜けたようだった。

 アローインは肩をすくめて率直に言った。


「ご存じのように現在は人手が足りません。貴方の護衛、監視、連絡係をこなせる者を探す手間を考えれば、私自身で動く方が手っ取り早かっただけのことです。それに、この目で真実を確かめたい気持ちも、当然あります」


 アローインにしては、ずけずけと言い切った方だろう。アゥトブは納得したようで、ふいと視線を前に戻した。


「理由はどうでもいいが、ありがたいことだ。人が多いと動きが鈍る。君も俺の後をついて回る気ならば、どんな時でも動けるようにしておきたまえ」

「承知しました」


 それでアゥトブからの会話は途切れたが、アローインはサイへと小声で続ける。


「なるほど、人嫌いというよりは、効率が下がることを極端に嫌った結果のようですね」

「あら、ようやく気付いたの? ちょっと不愛想なだけなのよね」


 アローインとサイが勝手に納得しあって頷いているのを背後に聞きながらアゥトブは、そういった話は本人の居ないところでやってくれと、また呆れていた。




 街の門を出たアゥトブ隊は、地面の草を剥いだだけといった街道に乗っていた。


「本当に、馬車でなくて良かったのですか?」

「大地の隅々まで、直に目に収めなければならない。脳裏に刻み込むようにな。そうでなければ、魔素が引き起こす微細な変化など、どうして人に捉えられようか」


 アローインは口をつぐんだが、視線はサイに向けられた。


「私の体力を心配してくれたの? 研究家なんて、あちこち飛び回ってるんだから、このくらい慣れてるわよ。アローの方が心配よねアゥトブ?」

「そうだな」

「心外だ。私も軍役に就く身。見くびられては困ります」


 そのような会話を背後に聞きながら、アゥトブは周囲の穏やかな景色を眺めていた。

 なんの変哲もない、そこらの草木や周囲を飛ぶ羽虫などが、風に揺れている。

 あれらにも魔素が内在しているのだ。しかし、それらが遠からず奪われることを、他の生き物はどう思うのだろうか。実のところアゥトブは、これから己のすべきことに、まだ明確な形が見えないでいた。


 漠然とした予定は立ててある。

 今回の旅は、まずジェッテブルク山に隣するジェネレション領の街へと向かうことに決めていた。


 魔脈の経路を探るならば、山を基点に外へ向かう方が良いだろうと話し合った。

 無難な選択だが他に手立てがあるわけでもない。幾ら残された時間が幾ばくかも定かでないといえど、まずは見えていることから見分していくのがいいだろう。

 まず始めることとしては、間違いではないと言いきれる。アゥトブとて長年培ってきた勘を疎かにする気はない。


 しかし先に旅立った他の隊も同様に山へ向かい、各々が割り当てられた方向を辿っているのだ。

 ならば、このままでいいのだろうか、あえて俺がやるべきことなのかと、アゥトブは思いあぐねていた。




 そう考えていたところに、行動を決めることになる知らせが届いた。


 経路上の街に滞在中、アローインが領主の元へ挨拶をしたいとのことで立ち寄った。アゥトブは宿に泊まると言い張ったが、必要な物資を供出させる取り決めだと言われれば仕方がなくついていった。

 結果、それは正解だった。


 領主と面会を果たした場に兵が駆け込んできた。

 アゥトブらと離れた領主に、小声で報告されたのだが、青褪めて呟いた領主の声が耳に届いてしまった。


「復活だと!」


 邪竜が、復活した。

 そう、聞こえたのだ。


「そんな……早すぎる!」


 アローインも青褪めて立ち上がった。

 アゥトブは、彼が邪竜の復活の時期に関して、想像より早いことを伏せているのではと考えていたのだが、どうやら違ったようだ。逆だ。もっと後だと考えていたことになる。それは何故かと考え込んだ。


 領主は兵に指示を出すとアローインへと向き直る。


「ザダック低爵、せっかくお越しいただいたところ申し訳ないが……」

「いえ、これ以上ない理由です」


 物資の受け取りは使用人に指示すると、領主は軍を指揮するために出て行った。




「ここで足止めか。どうするレーク殿」


 アローインは苛立ちを隠すことなく何事か考えると、頭を振ってアゥトブの意見を仰いだ。

 本来なら、こういった事態が生じれば王都へ戻るように指示を受けているのかもしれない。

 だが、アローインはアゥトブの意志を尊重するようだ。


 それは、ただアゥトブの力量を認めてのことではないだろう。アゥトブの研究に、藁にもすがる思いでいるのだろうか。

 それだけ、国にも打つ手はないのだろうか。


「二度、撃退した。緊急時に動けるように、各地の領主も準備しているのだろう。だというのに、不安か」


 アローインは、顔を強張らせた。岩に覆われたような拳を握りしめると、削れるような耳障りな音を発する。


「不安しかない」


 食いしばった歯の隙間から、アローインは声を絞り出した。


「次こそ、勝てないかもしれないのだ」


 アゥトブは、アローインの言葉と込められた感情を吟味し、しばし黙考する。

 やがて行動を決めた。 


「そうか。では、ジェッテブルク山へ行こう」


 アローインは死角から殴られたように、驚きの顔で固まっていた。




 正しく言えばアゥトブが提案した行き先は、ジェッテブルク山の麓だった。

 全ての元凶である邪竜が復活したと聞いた直後にする判断だろうかと、アローインは開いた口が塞がらない。

 アローインにとっては、それほどとんでもない考えだった。いや、ただ溜息をついて頭に手を当てているサイも同じ気持ちらしい。同じ研究家でも、やはりアゥトブのものの見方は、かなり独特なのだろう。どうにか形にならない言葉を紡ぐ。


「何を考えている。あまりに危険だ!」

「だからこそだ」


 こともなげに言い切るアゥトブに、アローインはぐっと自身の苛立ちを抑える。


「理由を、お聞きしても?」

「単純なことだよ。影響の要因が現れたのだ。邪竜に関連するものは活性化するだろう。ならば邪竜に近いほど調べやすい。アローイン、ちょうど良かったな」

「ちっ、ちょうど良い!?」


 今まさに邪竜が暴れているだろう場所へ、あえて向かおうとする。しかも、都合が良いとでもいう風に軽くだ。いずれこの男に驚かずにいられる日が来るのだろうかと、アローインは衝撃に固まった頭を振った。


「……よもや、こんな時に中心地へ向かおうなどとは思いませんでした」


 ひと呼吸置くとアローインは諦めの溜息をつく。


「ええ、いいでしょう。向かおうではないですか。そう連絡を入れます」

「連絡か。一つ頼みたい」


 アゥトブが自ら何かを訴えようとするなど珍しいことだ。アローインは注意深く耳を傾ける。


「各調査隊へ、出来得る限り調査を続けるよう伝えてほしい。もちろん、国の危急に駆けつけたいと思う者は多いだろう。無理にと言うつもりはない」


 ただし調査が遅れる分だけ、さらなる困難を前に取り返しがつかなくなる可能性もあると、アゥトブは最後に付け加えた。


 アローインには、あえて嫌味を込めたように思えた。アゥトブなりに釘を刺したのだろうか。確かに、もし今回も勝てたとて、これまでと状況は変わらない。それどころか悪くなる一方だ。

 毎回、多くの人間の死によって、どうにか人の世は守られているのだ。身動きのできなくなる日は、遥か未来のことではない。

 アローインは難しい顔をしたが、伝えると請け負う。

 そうして手配を済ませ、食料などを受け取ると、三人は領主の館を辞去した。




 明るくない喧騒が街を包み、物々しい集団が街を次々と出て行く。

 その後に続くようにアゥトブ隊も街を出た。特に追うつもりはない。彼らは急いでいるため、ついていこうにも振り切られるだろう。


 緊迫した面持ちでいたアローインも、兵と引き離され徐々に辺りが静かになると、胸の内はもどかしさとも困惑ともつかぬ感情に取って代わっていた。


「レーク殿、今さらですが、どうかお聞かせ願いたい。なぜ、今時分にジェッテブルク山なのです。おっしゃるとおり、邪竜の目覚めによってマグの動きも活発になるでしょうが、悠長に観察できるとは思えません」


 煽るようなことを言ったアゥトブだが、結局は徒歩なのだ。

 虫がぎーぎーと、鳥がかぁーと鳴く道を歩いていると、自分は何をしているのだろうかと、アローインは疑問に思わないではいられない。

 アゥトブは不機嫌に口を歪めつつも、はっきりと答えた。


「距離を考えたまえ。兵たちと同時に到着すれば戦うことになるぞ。それでは調査にならんだろう。遅れて到着する頃には、各国の軍も集まり交戦中のはずだ。彼らが押し留めている隙に周囲を調査するに決まっている」


 あろうことか同胞を盾に調べようということらしい。なるほどと納得もできるし、アローインも今はそこを言及しない。ただアゥトブの歳では、以前の邪竜戦が実際にどのようなものであったか知らないだろう。

 だがアローインには、城から学ぶように見せられた資料があったし、実際に戦った祖父らの残した記録もある。アゥトブよりは詳しいのではないかと、意見の交換を試みることにした。


「しかし、どこまで近付けるかもわかりませんよ。レーク殿は、どの程度ご存知ですか、邪竜の動きを――以前の戦いでは、麓の平原地帯全域で争った記録があります。邪竜自体が小山ほどの巨体を持つそうですから、三国の兵が共同戦線を組んでさえ、一つ所に留めるのは無理だったとか。そうでなくとも邪竜はマグを……いえ、無論、戦局がどうなるかなど、ここで言っても仕方ありませんが」


 アゥトブは、多少は国の長老らから聞いたことがあると答えたが、詳細は知らんと言い切った。ただし、と続く。


「逆に俺たちが着く頃には、邪竜が返り討ちにあっている可能性もある。そうでなければ、死ぬのが早いか遅いかだけの違いだ。ならば探るに相応しい場所で、今我々にできることをすべきだろう」


 飄々と振る舞うアゥトブだが、研究にかける熱意は誰にも劣らないことに、アローインは改めて気付かされた。


「真理に辿り着くには困難を伴うものだ。知りたいものが大きいほどにな。我らの求めるものは、最も過酷な場所にある」


 アゥトブは、我らと言った。その通り、アローインにも課せられたことである。

 自分勝手に振る舞うアゥトブだが、人の心を失ってはいないのだ。私も国と民のために戦う身。使命を果たすには、命をかけねばならないこともある。それが今なのだ。否、これ以上の状況があろうか。アローインの胸の内に、くすぶっていた使命への炎が燃え立った。


 眼前の危機へ立ち向かうという、行動するに疑問の余地のない任務ではあるが、そんな時だからこそ余計に、果たして己の行動が正しいのかどうかと迷いが生じることもある。

 しかし、別の視点を持つ者も、今が戦いのときだと言うのだ。背中を押してくれる者があるというのは、これほど心強いものだろうか。

 アローインは、腹の底から沸き立つ感激に打ち震える。


「なんということだ。その通りです……死を覚悟しつつも、最後の刻まであがく。単純ながら、これ以上の生き方はあるまい!」


 拳を握りしめて意気込むアローインの姿に、サイとアゥトブは白けた視線を向ける。


「なにか、勘違いをしてないか」

「アローは、けっこう思い込みの激しいところがあるのよね」


 しかしアローインには、そんな二人の態度も腹を括った冷静さとしか映らなかった。



 ◇◆◇



 街道を歩くアゥトブ隊の横を、幾つもの部隊が通り過ぎて行った。

 彼らを横目に歩き続け、冬季が過ぎゆくころ、ようやくアゥトブ隊はジェネレション領へ到着した。


「貴方は寄り道が過ぎます」

「何も無駄なことはない」


 アローインは、さすがにアゥトブも急ぐだろうと思っていたのだが、甘かった。

 焦るアローインの心情をよそに、アゥトブはときに脇道へそれて、植物や虫やらを追いかけたのだ。


 街道では、何度も馬を駆ける兵とすれ違った。現在は各地が連絡を密にしているのだろう。彼らを目にする度、戦場へと進むに進めぬ己が身にアローインは歯を食いしばり、今は課せられた任務に励むのだと耐えていた。だというのに、アゥトブの調子は変わらない。


「川辺で釣り草を発見したときは、君も魚が食えると喜んでいただろう」

「それは野営時のついでです。別問題ですよ」

「はいはい、その辺にして。ジェネレション高爵の館に着く前に日が暮れちゃう」


 サイは欠伸をしながら、二人のたわいもない言い合いを止めた。アゥトブは話している内に白熱するような性格ではないし、アローインも半ばやけくその暇つぶしだ。本気で言い争う気はない。それはサイも理解しており、呼び止めたのはアローインに館までの道案内を頼もうと思っただけだ。


 しかしサイの言葉に、アローインは考え込むように眉根を寄せる。視線は街の状況へと向けられていた。

 サイとアゥトブも、つられて周囲を見渡す。


「どこも、人だらけね」

「ほぼ兵のようだな」


 最もジェッテブルク山へ近い領であり街だ。辺境だが、かつてより前線基地として人を集める必要があったため、王都に次ぐ大都市ではあるのだ。

 それが大きな通りまで、人でごった返している。しかし、人の数ほどの喧騒は聞こえず、誰もかれもが疲労困憊といった体だった。


「これじゃ、宿にも空きはないと思うわ」

「そういえば、外に野営している者を見かけたな」

「ジェネレション高爵の砦など、より大変な状況でしょうね」


 そうは言いつつも、どこかで食料や水を確保しなければならないのだ。


「そうですね、なにかしら現状の話を聞けるかもしれませんし、調査隊などの相手をしていられるかということなら、追い払われるだけで済むでしょう」

「アローも、図太くなってきたわよね」


 そうして三人は、ひとまず領主を訪ねてみることにした。

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