34.それは伊織が責められるべきことなのか

(どうして俺は、二日続けてこんなことを……)


 郵便ポストの陰から前方に女子高校生の制服の背中を見ながら、伊織は首を捻る。

 なんか、ごめんなさい真野さん――。心の中で頭を下げつつ。


 同じように隠れていたポストの上から顔を出して、

「歩いて帰んのかな。追っかけるぞ」

 動き出した真野美咲の後ろ姿を見つめ、キョウが言う。


 昨日と違うのは、この、尾行の相棒だった。


 今日も引き続きハルに勉強を教えてもらう予定であった伊織だが、ハルは、

『試験前で弓道場が空いてるから、少しだけ練習してくね。キョウと一緒に先に帰ってて』

 授業が終わるとにっこり笑って颯爽と部活に出かけていった。


 それでキョウのクラスに寄ると、

『ちょうど良かった! ちょっと一緒に来い!』


(……デジャビュ?)


 ここで嫌な予感を覚えた伊織だったが、回れ右をする間もなくキョウに引きずられるようにして学校を出、今に至る。


 どうやら美咲の追跡を頼んでいたあおいには、志穂と一緒に帰るから、という理由で断られたらしい。一人で真野美咲の行動調査をすることを渋っていたキョウ。たしかに同じクラスの女子が相手では、たとえば彼女が何気なく振り返って尾行に気づいた時など誤魔化しに困るだろう。

 こんな俺でも役に立てて嬉しいな……と伊織は自分に言い聞かせて。


 美咲は学校を出て、JRの駅の方向に歩き出した。スクールバスの乗り場を素通りしたところで、例の迎えの車が来るのではとキョウは警戒の面持ちを見せたが、誰が迎えに来るでもなく、また美咲も誰かに会うことを予定している雰囲気でもなく、いつものぴょこぴょことした足取りで歩いていく。

 昨日のように、深町がやってくることもない。


 住宅街の中にいくつかの商店が軒を連ねる一画で、美咲はナチュラルテイストの看板や雑貨が店先に飾ってある、小さなハンドメイド雑貨店に入って行った。高校生が入るにはやや大人びた店ではあるが、手芸が趣味らしいからそれほどの違和感はない。

 すぐには店から出てこない様子に、通りの反対側で待ちの体勢に入ってキョウも少し気を緩めたようだった。

 と、その時である。


「深町は、真っ直ぐ帰ったみたいね」


 唐突に後ろから声が掛かり、伊織は肩を跳ねあがらせた。


(またデジャビュ……?)


 恐る恐る振り返ると、いつものごとく不機嫌そうな顔をした武井琴子が背後に立って腕を組み、美咲の入っていったショップの入り口を睨んでいた。


「おー琴子、お疲れ」

「うん」


 面白くもなさそうに頷く琴子。キョウは特に気にする様子もなく、

「ふうん、じゃ真野はこのまま一人で帰んのかな」

 呟くように言って店へと視線を戻した。

 ウインドウ越しに、美咲が棚の商品を眺めている様子が辛うじて見える。彼女は店員とでも話しているのか、ちらりと後ろを振り返って二、三口を開くと、棚の商品をひとつ手に取った。


「あ、こ、琴子もその、仕事をしてたんだね。お疲れさまです」

 不機嫌な顔はいつものものだと分かっていつつも、少々怯えた声で挨拶の言葉を掛ける伊織を、琴子は一瞥して「フン」と鼻を鳴らした。


「んで、深町のことは、なんか分かったか?」


 視線をショップのほうに向けたまま訊いたキョウに、琴子もそちらを見やって、


「深町孝之は、やっぱり自分がサイだって分かってないみたい。だけど、最近そんな話を聞いて、もしかしたらって思ってる。使ったことも、自覚はしてない。ここのところゴールがよく決まるな、ぐらい」

「サイの話は、真野から聞いたのかな」


「そう」と琴子は小さく頷いた。


「あんたたちの予想どおり。真野美咲はサイの組織に所属してる。と言っても、彼女もたぶん組織の実態はよく知らないと思う。『知り合いのおじさんの手伝いをしている』、ぐらいの感覚。で、組織の人間の指示で、深町孝之に声を掛けて、『あんたはサイだ』って言ったみたい。最終的な目的は深町を組織に『スカウト』することだと思うんだけど、そのへんもはっきりしてない。深町は半信半疑だから。組織の人間に直接会ったこともないし、真野に聞いた以外の詳しいことは知らない」


「ふうん……」キョウは少し考えて、「真野が深町に相談してることってのも、分かったのか?」


「それもまだ詳しくは読めてないけど」

 ちらりとキョウを見て、琴子は抑揚のない口調で言う。

「たぶん真野は、組織と自分の関係に不安を抱いているんだと思う。そのことを深町に相談してる……というか、自分が組織に引きこむ形になりかけている深町に、警告しているのかも」


「真野が、深町を勧誘しかけといて、やっぱやめて遠ざけようとしてるってことか?」

「うん……だけど」

 琴子も考えるように、一瞬だけ視線をさまよわせた。

「真野美咲の意識がまだ上手く読めない。深町の『真野から聞いた話』っていう記憶を通してしか、事情は分からない」


 すると、キョウはショップのほうへとやっていた目を琴子に向けて、わずかに見開く。

「読めないって?」


 琴子も小さく首を傾げ、

「『ロック』しているのかも。完全じゃないけど、ちょっと隠れてるみたいな感じで、はっきり読めない」


「へえ……」キョウは少し感心したような声を上げた。「そこまで訓練してるってことか? だったら最近組織に入ったってわけでもねえのかな」

「かもね」

「けどそれにしちゃ、能力は中途半端なんだよな」

 考えるように、眉根を寄せるキョウ。


「俺らみたく子供の頃から訓練してんなら、『ロック』だけじゃなくてサイの能力だってもうちっと上がりそうじゃね?」

「かもね」

「俺や琴子は『ロック』してっからともかくとして、伊織が後つけてんのにも気づかねえぐらいだもんな」


「そうね」腕を組んだまま琴子は頷いて、伊織へとちらりと視線を向けた。「これだけ考えてるんだから、テレパスなら尾行に気づいても良さそうだけど」


「あのぅ、ちょっとよろしいでしょうか」

 そろそろと挙手した伊織に、キョウと琴子は揃って視線を向けた。


「あの、『ロック』って、なんですか?」


 たしか、前にハルの口からもそんな言葉が出てきたような気がする。テレパスに思考をないように、とかなんとか。子供の頃に訓練したとか、そんなような……。


「ああ」さらりとキョウが言って頷いた。「テレパスに考えてること読まれねえように、んだ」


「はあ……」

 恐ろしくざっくりとした説明に、伊織はひとつ頷いて、

「そういうことができるんですね…………って、ええっ?」


「ん?」

「するとキョウたちは、琴子に考えてることを読まれたりしなくて済むってことですかっ?」

「ん。そうだ」

「えー……」


 そこはかとなく理不尽なものを感じる。


「あの、……ちなみに」

「ん?」

「俺がここにいるのって、真野さんのテレパスの能力を調べるためなんでしょうか。つまり、『ロック』できない俺の心の声を察知して、彼女が尾行に気づくかどうかって……?」

「ん。そうだ」

「そうなんだ、ははははは……って、ええー!」

「なんだ?」

「酷いよ、俺、心を読まれるために連れて来られたの?」

「読まれてねえじゃん」

「いや、そりゃ結果として読まれてないけど……」


 抗議の気持ちいっぱいの伊織だが、キョウは気に留める様子もなく人懐こい笑顔を作った。


「おかげで真野の能力がそんなんでもねえってはっきり分かった。サンキュ」

「ええー。……いや、どういたしまして」


 そんな顔で礼を言われると、抗議の言葉が続かない。

 サイとして味噌っかすの伊織が、こんなところで役に立つとは思わなかった。


「だけど……そうなんだ……琴子に心を読まれてるのって、俺だけなんだ」

「なにか文句あるの?」

「ありません! すみません!」

「別にお前だけじゃねえよ」

「お嬢もうるさい」

「お嬢な。あいつはハルと同じ訓練してるはずなんだけどな。集中力がねえんだよ」

「完璧に『ロック』できるのは、ハルとキョウと、あと楠見さんぐらい」

「俺やハルとか楠見ってなると、もう常時だな」

「ええ! 楠見さんも? サイじゃないのに?」


 驚いた伊織に、キョウは「そんなこと」とばかりの平然とした面持ちで、


「意識の『ロック』はサイの能力と関係ないかんな。大人になってからだと大変らしいけど、子供のうちにやれば、わりとすんなり身につけられるって言うぞ。元々サイに関わる家に生まれたら、子供のうちにやるんじゃねえ?」


「そ、そうなんだ……」

「てかお前も、『ロック』できるように練習したらいいじゃん」


 妙案、とばかりにキョウが笑う。


「それがいい」琴子も無表情に頷いた。「あんたの思考、ちょっとから。ほかの人間の思考を読みたいんだけど、あんたのが大きくて聞こえない」


「ええぇ……すみません……」

「昨日のファミレスの時も。深町と真野のことを調べてる時に、『うわああお嬢ー!』とか『深町くん不味いよー!』とか『なんだそれはー!』とか」

「いやもう……ほんとすみません。……って、ええっ? 昨日あの場所に、琴子もいたの?」

「いた。って言っても向かいの店でんだけど。あんたの思考が、全然なかった」

「まじか。伊織ー」


(ええええ? これ俺、責められるとこ?)


 とてつもなく理不尽な気持ちを、この二人にどう説明していいのか分からずがっくりと肩を落とす。


「まあ、練習しろよ。琴子なら大して害はねえけど、害のあるテレパスに会ったら困るしさ」

「試験が終わったら特訓再開だから。プログラムに入れておくから」

「ええぇ……」

「なにか文句あるの?」

「ありません! すみません! ありがとうございます俺がんばります!」


 そんなやりとりをしているうちに、真野美咲が小さな紙袋を抱えて店から出てきた。さっと身を隠した三人にはやはり気づいた様子はなく、美咲はまた駅の方向に歩きだす。


 伊織はもうひとつ、琴子に質問したいことがあったのだが、歩きだしてしまった二人にひとまずその質問を心の中にしまった。

(ところで、そもそも深町くんは真野さんのことが好きなんでしょうか――?)


 が、しかし。質問を察したように、前を行く琴子が振り返る。


「自分で深町にでも聞けば?」

「また読むー!」

「仕事で『オープン』にしてるんだから、仕方ないでしょ。文句あるの?」

「ありません! なんかもうほんとゴメンなさい!」


 琴子は数秒ほど伊織の顔を睨んで、「フン」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。そして前方へと視線を向けたまま、

「分かったって、なんでも他人に言っていいわけじゃないんだから」


 そう言った琴子の口調は、常の不機嫌そうなもので。けれどなんとなく、複雑な心境が混じっているような気がして、伊織は思わず琴子の後姿を見つめる。琴子はけれど、もう振り返らなかった。




 数十メートルほど前を行く美咲の後を追って、二十分も歩き駅に着いた。大きな手芸専門店のある駅ビルに入り、さらに荷物を増やして出てきた美咲が駅の改札へと入っていくのを確認すると、キョウは小さく息をつく。


「迎えは来なかったな」

「もしかしたら、送り迎えは断ったのかも」

「読めたのか?」

「薄っすら……っていうか、細切れにだけどね。なんとなく、嫌な人間がやってくるのを怯えたり憂鬱に思っていたりする感じじゃないから。さっぱりした気持ち……かな」

「ふうん……ま、そんじゃ俺らも帰るか」


 言って駅に背を向けたところで、キョウが何かに気づいたように「ん?」と制服のポケットへと視線をやった。すぐにポケットから携帯電話を取り出して、


「ん? 楠見。ワン切り」


 なんだ? と訝しげな顔で携帯電話を操作するキョウ。その耳に当てた電話機から、キョウが問いかけの言葉を発する隙もなく何やら切羽詰まったような大声が聞こえてきて、キョウは思わずといった調子で電話を耳から外した。


「……は? くす……」

 声を上げようとしたキョウだったが、通話は一方的に切れた様子。


「えっと、キョウ? 楠見さん、なんて?」


 呆然と目を丸くして電話機を見つめていたキョウ。その瞳が、次第に険悪な色を帯び始める。


「なんかよく分かんねえけど……俺の善意が何かの謀略に利用されたらしいってことは分かった……」

「え、……っと?」

「俺、抗議しに行く。お前ら先帰れ」


 鋭い眼差しで険しく言って、キョウは駅の外に駆けていく。その後ろ姿を見送って、伊織は琴子と顔を見合わせた。







 通用門の脇で公用車を降りて運転手を引き取らせると、楠見は事務棟に向かって早足で歩きだした。すでに日は落ちて、当たりは薄暗くなっている。


(あの無駄な会合がなけりゃ、もう一時間早く帰れた)


 その上、結局ほとんど食事はできなかった。空腹が苛立ちに拍車を掛ける。焼き肉のことを思い浮かべて、「そうだ」と思い出す。

 妙な電話を掛けさせられて、キョウは怒っているだろう。フォローの電話を入れておくべきか。


 ポケットから携帯電話を取りだしたところで、背後に妙な気配を感じて足を止めた。

 高校校舎と大学キャンパスの境を通る道。もともと人通りは多くないが、この時間ではたまに帰宅の職員が通るほかはほとんど人の姿もなく、今も誰もいない。

 にも関わらず、背中に感じるこの感覚。他人の気配。ピリピリとした、それは――殺気、か?


 静かに踵をずらし、楠見は背後を振り返る。


 闇に紛れるようにして、黒いスーツに身を固めた男が一人。

 男は振り返った楠見の顔を見ると、かけていたサングラスを外し小さく礼をした。


「楠見、林太郎さまとお見受けいたします」


 慎重な足取りでそちらへと向きなおり、楠見は男の顔を確認する。知らない顔だ。三十代前半といったところか。楠見とさほど背丈は変わらないだろうが、鍛えられた屈強な体つきをしている。身なりからして――いや、この慣れた感覚――「本店」か、またはいずれかのサイ組織に関わる人間か。


「俺が楠見だが……あなたは?」


 内心の緊張を隠し、楠見は顎を上げて平然とした口調で問い返す。

「本店」の人間ならば敵であることはないはずだが、この感覚は違うと本能が告げる。一見穏やかに見える相手の顔に、しかし親しみや好意やあるいは敬意といった種類の感情はまったく感じられないのだ。


「ひとつ、お伺いしたいことがあって参りました」

「訊きたいこと?」

「お手間は取らせません」


 頬を微塵も動かさずに言う相手に、楠見はわずかに眉を寄せる。


「相手に物を問う前に、まず名乗ったらどうかな。質問に答えられるかどうかは、あなたの立場と内容次第だ」


「失礼」

 ふっと唇の端だけかすかに釣り上げ、男はまた慇懃に頭を下げた。

「広崎、と申します」


「神戸の組織の人間か?」

「左様」

「面識はないと思うが」

「初めてお目にかかります。あなた様が神戸をお出になってから、組織に入りましたもので」

「ならば幹部連中が俺に直接会いに行くよう指示するとは思えないな。誰の許しを得てここへ来た?」

「さる方の、とだけお答えしておきましょう」


 食えない奴だ。眉間に不機嫌さを露わにして、楠見は大きなため息を落とした。


「話にならないな。帰ってその『さる方』に、俺に用事があるなら正式な段取りを踏めと伝えろ」

「それをお伝えする前に、伺わなければならないことがございます」

「そんな質問の仕方で、俺が答えるとでも思っているのか?」


「ですが――」言いながら、男は胸元へと左手を動かし背広の襟をわずかに持ち上げる。「この場でお答えいただかなければなりません。そうでないとすると……」


 内ポケットのあたりのそのいびつな膨らみに、楠見も気づいていた。

 男は楠見に拒否権の与えられぬことを見せつけるように、襟へと手を掛けたまま慇懃な笑みを浮かべる。


「少し、手荒なことをしなければならなくなります」

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