愛してその悪を知り憎みてその善を知る
翌朝。
いつもなら俺だけで
予定していた経路に戻るか、道を変えるかは悩みどころである。
鬼の進んだ先も分からないし、陰陽師に追われている様子でいたので退治されたかもしれない……と、すると今度はその陰陽師に会わないようにしなければ。
あの鬼が逃げ出すくらいだ。かなりの手練れに違いなく、そういう輩はおおよそにして眼や勘が良い。気配にも敏感で、擬態や変化が見破られやすい。場合によっては式神を使いどこまでも追い掛け回してくるため、一度目を付けられるとこの上なく厄介なのである。
「ねぇ菫」
歩いている内に見付けた
「昨日のような鬼はよく出るの……?」
不安気な瞳に人の姿の菫が写る。
事実、彼女は不安なのだろう。
日が昇ったとはいえまだ森の中だ。
いつどこから襲われるとも限らない。
「いや……妖にも里があって大半の者はそこで暮らしてるんだ。近くを通りでもしない限りそうそう出会すことはない」
「じゃあこの近くに?」
「んなとこにお前を連れては行かねぇよ」
もし他に道がないとしたら鬼に遭遇するより前に注意を促している。
何かあってからでは遅いのだから。
「はみ出し者ってのは妖の中にも居て、昨日の鬼も里から出て好き勝手やってる奴らの一人だろうな」
人の子に迷惑を掛けるのは半数がその手合いの輩で、残りは死霊だったり怨念の集合体だったり、妖と一纏めにされてはいても菫や鬼などとは根本的な形態が異なる。一代限りの、人の子の業に起因する者たちだ。
強い陰の気を纏っているのである程度近付くと察せられるが、それまではどこに潜んでいるとも知れない。
今は大丈夫だから安心していいと伝えると、若葉は「本当に?」と尋ね返してきた。
なので「本当だ」と頷いておく。
強張っていた肩から僅かながら力が抜けたところで、そろそろ食事の支度をしようと獣道から開けた場所に出ることにした。
……支度と言っても、今のところ枝に刺して焼くぐらいしかできないのだが。
鍋でもあればなぁ。
いっそのこと土をこねて焼いてみようか。
「ああそうだ若葉」
鍋を作る前に言っておかねばならないことがあるのだった。
本当はギリギリまで秘密にして驚かせてやろうと思っていたのだけれど。
「なあに?」
首を傾げた彼女が今度こそ喜んでくれることを願う。
「俺と別々に行動しなきゃならないようなことが起きたら西に進んで
「新宮村?」
「ああ、そうだ」
聞いたことはあるか? と尋ねると若葉は首を横に振った。
仕方ない。
元いた村からだと山を五つは越えて、さらにしばらく歩かねばならない僻地の村だ。
「そこにお前の家族も向かってる。
「え」
「言ったろう。泣いてたから迎えに行ったって」
俺の側に置いておく為じゃない。
幸せだと日々を笑顔で過ごして欲しいから攫ってきたのだ。
それが叶う場所に連れてってやらなきゃ不十分で、中途半端だろう?
パチリと焚き火が音を立てる。
食べ頃に焼けた椎茸を火から離して差し出してやる。
目を見開いて固まった若葉はそれに気付かず、何度か繰り返し声を掛けたが放心したままだった。
驚かせることには成功したようだ。
しかし本当に反応がない。
これ、我に返ったらまた怒鳴られるとかそんなんじゃねぇよな?
さすがに怒鳴られる要素ねぇよな?
……正直に打ち明けるなら初めは攫うことばかりで後のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。けれど俺と知るなり怒鳴り付けてくるわ、帰せ帰せとうるさくせがむわ。あんまりな態度だったので、そんなに言うなら帰る理由を無くしてやろうと彼女の家族に新宮村を紹介して今に至っている。
僻地の村だが住んでいるのは呑気で気の良い連中だし、人の身に化けた菫がそのまま数年暮らせた程度には余所者に対する警戒心ってものもない。祀られている氏神がそれはもう過保護で、悪意を持って村に近付かんとする相手を容赦無く追い返してるせいなんだが……。幸之助というのはそんな氏神からもらった菫のもう一つの名前である。悪ささえしなけりゃ住人と一緒で気の良い奴だ。悪ささえしなけりゃ。
前回のこともあって、内心では身構えつつ怒鳴られた時の反論をあれやこれやと考えていれば、その間に意識を菫に戻した若葉は唇を震わせてこう言った。
「君は、バカなの?」
……は?
「バ、バカってなんだよ!」
「だってそうじゃない。私だけじゃなく家族も、なんて」
「そうしないと帰るって言って聞かねーからだろ」
「それだけで?」
「理由としては十分だ」
「……やっぱり君はバカよ」
何なんだよさっきから! そんなにバカバカ言われなきゃいけない程、俺の頭は悪くねーぞ!
反論しようと口を開いたけれど、それよりも若葉が言葉を続ける方が早かった。
「攫ってそのまま自分のものにしようとは考えなかったの?」
若葉を俺のものにする?
何言ってんだ。
「そんなの無理だろ」
「無理? どうして」
「じゃあ逆に聞くけどよ、人間が狸に慕情を抱くことなんてあるのか」
ないだろう。
尽くしたから思いが実るなんて考える程、めでたい頭をしてるつもりはねぇ。
さらに言うなら俺はただの狸じゃあない。
化け狸だ。
畏れらるか嫌われ者として追い払われるか。受ける扱いって言えばどっちかだから、こうして会話を交わせてるってだけでも幸運なことなのだ。
「それは……」
若葉は言い淀み、瞳を揺らした。
分かってたことだから別に構わないのに。
「気持ちもないのに側に縛り付けたって、そんなの俺のもんとは言わねーよ」
そんなことをしても虚しくなるばかりで、何より彼女を悲しませる。
泣いてたから攫ってきた俺があの醜男の代わりに泣かせてちゃあ世話がない。
本末転倒もいいところ。
森じゃ苦労を掛けるだろうし、人里に降りて気のいい村人に囲まれて、今度こそ心から嫁入りを喜べる相手と結ばれる。人の子の幸せってのはそういうもんだろう。俺のことはまあ、死に際にでもあの時の化け狸はどうしてるだろうかと思い出してくれりゃあそれで良いさ。
十分な間を置いてから再び唇を開いた彼女は「やっぱり君はバカよ」と繰り返した。
だから俺の頭はバカバカ言われなきゃならない程、悪くはねーっての!
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