十兵衛異界忌憚
舞辻青実
異界転生
序章
第1話 十兵衛死す
慶安三年。大和は弓ヶ淵。
曇天の空に川は暗く、上流で雨でも降っている様で水かさは少し高い。
そんな昼下がり、しかし河原には近隣に住まう農民だけでなく、畏まった服を纏う役人と思わしき武士までが河原の、それも一か所に集りを作っていた。
その中心には男の死体が一つ。
右手首を切られ、その後胸を一突きされているのだ。
集まった誰もが首を傾げ、あり得ないと言った顔を伺わせている。
死に体の男の衣装は武士の物と思われ、売ればそこそこの値は付くであろう代物だ。
腰にあるべき刀は無く、これは盗賊にでもやられたのかと考えるのが筋なのだが、集まった者たちが首を傾げる理由の一つは男の眼にあった。
男の片目には縦に深く古い傷が刻まれており、当然失明している様子なのだ。
そして、あろうことか男の陣羽織には吾亦紅に雀の家紋があった。
つまりのところ、これらの情報から得られる人物像は、柳生家の人間であり、なおかつ隻眼であるという事だ。
そこから導き出される人物はただの一人。
柳生但馬守宗矩が嫡男、柳生十兵衛三厳その人であるとの推理だ。
集まったものの中には、少し若すぎるのではないかともいう者があったが、十兵衛の姿を見た者はこの中におらず、正確なものではなかった。
けれども、とここで集まった者たちが首を傾げる最たる理由が理解できる。
十兵衛といえば、諸国を放浪し、行く先々で数多の武勇伝を残している男でもあった。
当然、その全てにおいて剣術の凄さを物語っているものであるからして、この男の剣術というのは凄まじい物なのである。
それを、切り伏せているのだ。当然ただ事ではない。
故に、集まった者たちは首をかしげるのである。
あの十兵衛を誰が殺したのか、と。
仮に、ここに柳生の剣を習ったものがいればまたある事実に気づけたやも知れない。
それというのも、彼を斬ったとみられる剣術はすなわち柳生新陰流における合撃とよばれるそれであったのだ。
相手の振り下ろしに僅か遅れて斬りだし、相手の腕を切る。
すなわち、これが示すところ、柳生十兵衛を殺したのは、彼よりも上を行く新陰流の使い手となるわけなのだが……彼の父ならばともかく、今の世に、十兵衛よりも上の使い手がいるのかどうか。
いずれにせよ、彼を殺せる者はこの世にはいないのではないか、そうも思えてしまうのであった。
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