むくつけき人魚
水谷なっぱ
むくつけき人魚
バグセッジは住処にしている郊外の小屋で顔をひきつらせていた。彼の目の前には希少種である人魚が物憂げな顔で半身を起こしている。その人魚の名前はレナート。名前の通りの男であり――もっと言うのであればむくつけきおっさんであった。
事の起こりは数時間前。希少生物の違法な売買をなりわいとしているバグセッジのもとに懇意にしているハンター――こちらも違法である――から連絡が入った。希少な人魚を捕獲したからどうかと。この世界において人魚は希少中の希少生物である。本体もさることながら、人魚の涙も高額で取引されていた。バグセッジはコンマ数秒で皮算用をし、即座に引き取ると答えた。そしてハンターから受け取ったのがレナートである。
「どうすんだこれ」
たしかに人魚は希少であり高額で売買される。しかしそれはメスの場合だ。オスの取扱なんて彼は考えたこともない。なぜならもともとすばしっこく捕獲が難しい人魚であるが、オスはさらに非常に筋肉が発達しており人間ごときでは敵わないのだ。
それがどうしてこんなにもあっさりとハンターに捕まった上にバグセッジの元までやってきてしまったのか。答えはそう難しくない。
「おい、離せよ、このおっさん!! アーネたんのライブに遅れちまうだろうが!!!」
「そういう問題かよ」
「それ以上に重要なことなんかねえ! それに今日はオンラインストアからヒレヴィちゃんの抱きまくらが!!!」
「濡れちまうだろうがよ」
「は!? ヒレヴィちゃんは濡れやすいんだからあたりま」
「そういうこと言ってんじゃねえよ豚野郎!!! 布が海水で濡れてダメになるっつってんだ!!!」
そう。レナートはまごうことなく、むくつけきおっさんであり――同時にキモオタ豚野郎であった。その手のことに疎いバグセッジは心底うんざりしている。
こいつがなにを言っているか意味は分からないが、見かけは一般的に言われるキモオタそのものだ。
意味不明なレナートの発言を総合すると、こいつは引きこもりのニート人魚であり、アニメ、漫画、ゲームを変態的に愛するキモオタ豚野郎である。そのようにバグセッジは判断した。
つまり家でブヒブヒ言いながら引きこもっていたらハンターに見つかり抵抗する間もなく捕まったわけだ。そんなマヌケな人魚がいることに驚くが、今問題なのはそこではない。
(本当にどうすんだこれ)
オスの人魚が手元にやってくるなど考えたこともしなかった。一応確認したところ涙の方はメスと変わらぬ値段で売れるらしい。本体についてはまだわからず、おそらく市場に出してみないと何とも言えない。
「しかしなあ。この豚、ほしいやついるか?」
「豚じゃねえ、人魚だ」
「豚魚じゃねえか」
豚と言われて憤慨するレナートをよそにバグセッジは考える。
(この豚そのものを欲しがるのは科学者くらい……。そうすると安く買い叩かれちまう。なんとかして泣かせたいがオスの泣かせ方なんか知らねえし。……困ったが、なにもしねえわけにはいかねえな)
「おい豚」
「だから豚じゃ」
「泣け」
「なっ」
とりあえずバグセッジはレナートにムチを入れてみた。案の定レナートはブヒブヒと醜い悲鳴を上げるだけで涙の欠片もない。一応オスだから丈夫なのか、下半身に傷はつかず、上半身も多少赤くなりはしたもののすぐに治った。
この程度は生ぬるいのかとバグセッジはそこまでひどくない拷問をひととおり試してみる。ひどくしないのは怪我をして商品価値が下がったら困るからであり、それ以上でもそれ以下でもない。
効果はなかった。
「うーん」
「うーん、じゃねえよ!! 痛い! なにしやがるこの野郎!」
「なにって拷問」
「はあ!? んなもん軽率にすることじゃねえだろうが!! この鬼畜野郎!!!」
ぎゃあぎゃあと見苦しく騒ぐレナートを見てバグセッジにひとつ案がひらめいた。
「なあ豚。たしか人魚ってのは一定の年齢を超えると下半身を足にできたな?」
「ああ? それがなんだ」
「足にしろ」
「ふざけんな!」
「縄、解いてやるから」
「ぐ……」
早く逃げたい一心でレナートは下半身を尾びれから足に変えた。その毛むくじゃらの足を見てバグセッジは吐き気をもよおしつつも、レナートの後ろに回る。
「ほらよ」
「――おい、なんだこれ」
「縄、解いてやったろ」
「替わりに手錠かかってんじゃねえか!!!」
そう安々と開放されるわけがないのだ。本当にマヌケなんだな、この豚野郎。バグセッジの頭痛など気づくこともなくレナートは騒いでいる。いつまでもそれを聞いているわけにも行かないので、バグセッジはムチでレナートの足を打った。
「いっ」
「うるせえんだよ、豚野郎。てめえはこれから奴隷だ。俺の身の回りの世話をさせる。炊事掃除洗濯、すべてを完璧にこなせ。あと痩せろ」
「ああん!?」
「ここから出してほしいんだろうが」
「できねえし!」
「やれ」
「できねえよ! したことねえんだから!!!」
「うるせえ、やれ。完璧にこなせるようになったら、ここから出してやる」
ぴしりとムチを打つと、ようやくレナートが黙った。
バグセッジのひらめきはそう大したものではない。本体に価値が無いのであれば付加価値をつければいいのだ。今のレナートはブヒブヒ言うだけしか能がない。だからとりあえず家事全般を仕込む。そのあとにバグセッジの仕事を手伝わせたり職業訓練所に通わせて芸を身に着けさせる。そうすれば少しは値が上がるだろう。身の回りのことを自分でしなくても良くなるのはメリットだし、なによりタダ飯ぐらいを飼うほどバグセッジの懐は温かくないのだ。加えて痩せさせることで見てくれを良くするのも生物売買の基本である。本音は暑苦しいおっさんと狭い小屋で暮らすのは不快であるという点につきた。
翌日、バグセッジはレナートに家事をしておくよう言い付けて――もちろん手錠は家の柱にくくりつけてある――仕事に出かけた。
夕方帰宅して彼は膝から崩れ落ちた。
家は荒れに荒れていた。
「おいこの豚野郎!!! なにしやがった!?」
「だから家事できねえんだよ!!」
「そういう問題じゃねえだろうが!!!?」
バグセッジが怒りのあまり顔を真赤にしてレナートの胸ぐらをつかんで揺する。
吐きそうになりつつレナートが答えたのは以下のとおりだった。
掃除機をかけようとしたらあちらこちらにぶつけて家具が壊れた。
洗濯機を回そうとしたら洗剤と水が溢れて床が水浸しになった。
昼食を作ろうとしたらフライパンが炎上した。
ざっとそんな感じで、することなすことすべて裏目に出たらしい。幼稚園児だってもうちょいマシな働きをするだろうにとバグセッジは怒鳴り散らしてレナートをぶん投げる。
「いってえ!!!」
「明日までに片付けろ!」
「できねえっつってんだ!!」
逆ギレするレナートにバグセッジは苛立ちつつも少し冷静になる。
こいつは引きこもりニート豚野郎だ。今まですべての家事を母親なりなんなりにやらせてきたのだろう。そういう甘えたやつはスパルタで何とかするしかないが、かと言っていきなりなにもかもを任せては、そのうち家がダメになる。ならばどうするか?
「よしわかった」
「お、帰らせてくれるか」
「んなわけねえだろうがよ。明日町で家事の本を買ってくる。それを元に明日の夜以降は家事をしろ」
「はあ!? てめえどんだけ俺に家事させたいんだよ!!!」
レナートの目尻にはわずかに涙が浮かんでいたが、掃除を始めたバグセッジは気づかなかった。
翌日バグセッジは学生向けの家事本を購入してレナートに叩きつけた。
「これ読んでできなかったらてめえは豚野郎から糞豚に降格だ」
「どっちにしろ豚じゃねえか。人魚だっつうの」
明らかにテンションダダ下がりのレナートを放置してバグセッジは続ける。
「文句があるなら家事をして痩せろ。いきなり全部完璧にやれとは言わん。まずは20点を目指せ」
「赤点以下――」
「1点も取れねえくせにいっちょ前言うんじゃねえ。その本をひと通り読んでわからないところは明日俺が仕事に行く前に確認しろ」
「一晩中読めってことかよ!!!」
バグセッジがぴしりとムチを打ち付け黙らせる。これもバグセッジにとっては仕事であり、レナートにとっても仕事である。手を抜く気はなかった。
そういうわけでレナートの家事修業が始まった。バグセッジは姑のように事細かく指摘し、ときには教師のように丁寧に指導した。レナートは泣き言を漏らしてムチで打たれ、サボろうとして手錠を増やされ、逃げ出そうとして拷問を受けた。
バグセッジは生物売買をなりわいとしているが、その一環でトレーナーの真似事もする。その経験を生かして、レナートを殴ったりなだめたりと、彼なりに相当丁寧に家事を教え込んだ。
その結果、バグセッジの小屋はかなりきれいになったが――レナートは痩せなかった。
「おい豚野郎。てめえはなんだって豚野郎なんだ」
「白雪姫の継母かよ」
「そういう突っ込みはいらねえ。なんでこれだけ働いて豚のままなんだ」
「そりゃおれの一族にジュゴンが混じってるからだろ」
「なん、だと」
レナートが説明するところによると、人魚は人間とも魚とも、当然同じ人魚とも交配が可能である。その昔、レナートの遠い祖先に当たる誰かがジュゴンと交配した。だから彼の血にはジュゴンが混ざっており、先祖代々この体形なのだそうだ。
「おい、そういうことは早く言え。なんだって1年もたってから言うんだ!!」
バグセッジのムチが唸りを上げる。それを避けながらレナートはムスッとして答えた。
「聞かれてねえし」
「ガキか!!!」
これ以上怒っても仕方がないのでバグセッジは考える。この豚野郎(本当に豚だった)をどうしようかと。
「なあ」
「ああん!?」
「このままここにおいてくれよ」
「はあ?」
「おれ、働くのが楽しいってようやく知ったんだ」
「……」
もはやバグセッジは白目をむいている。
「こうやってあんたの手伝いをしつつ家事をして、いつかちゃんと金になることするからさ……!」
「そりゃ――」
じゃあ今すぐ泣いてくれ。そう言おうとするバグセッジをレナートが押しとどめる。
「おれ泣き言を言ったりメソメソしないで頑張るよ。生きるって楽しいんだな」
バグセッジはがくりと崩れ落ちた。
数日後、レナートの処遇をどうするか考えるバグセッジのもとにとある噂が舞い込んだ。
――この街にゲイのおっさんどもがいる。
またもや白目をむいたバグセッジだが、かといってレナートを捨てることなどできない。彼にかかった金額は相当なのだ。泣きたいのはバグセッジだった。しかしバグセッジが泣いてもどうしようもない。彼があと思いつくのは、夜にベッドで豚を泣かせることだけだった。
バグセッジの明日やいかに。
むくつけき人魚 水谷なっぱ @nappa_fake
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