陰謀のノワゼット

麻平織

マガジャネスの橙


    マガジャネスの橙


    プロローグ


 〇九年六月三〇日午後一時。

 福井県御浜町は、昼時を終えた頃だった。午後の海は凪いでいた。朝の早い漁師の家では、昼寝にいそしむ時刻でもあった。

 町内に突然、サイレンが鳴り響いた。町内各所に立てられている防災放送のスピーカーが鳴っている。住民達は最初、隣接する地域の原子力発電所が何かトラブルを起こしたのか、と恐れた。しかし次に流れた金属質の女性の声に、一層震え上がった。

「まもなくこの地点に、ミサイルが着弾する恐れがあります」

 サイレンは鳴り止まず、表情のないアナウンスだけが繰り返された。

「まもなくこの地点に、ミサイルが着弾する恐れがあります」

 住民達は、家を飛び出した。男達は空を見上げた。空は初夏の空気に包まれ、良く晴れた青空の高みに、何かオレンジ色の点が見えた。点はやがて膨らみ始めた。それはオレンジ色に光る丸い物体であると、視認が出来た。オレンジ色の物体は、天空からまっすぐに落ちて来ようとしていた。



    1


    リポートB(〇八年春)シチェーションルーム宛

 レイキャビクの郊外にある病院は、末期癌患者の為の施設でした。受付で刺を通じると代理人が現れました。全て判っていたらしく、無言で病室まで案内してくれました。

 上体部分を起こしたベッドに、ロバートは力なくもたれていました。私が米政府から来たと告げると彼は、待っていた、と言いました。言葉は意外に明瞭でした。奇妙な人生を君に語りたくて、伝手を辿って連絡をしたのだ。今はワールドワイドウェブなどという便利なものがあるからね。米政府であっても、何処かに窓口があるものだ。俺の代理人は優秀なので、そんな窓口を見つけて呉れたのだ。

 窓からは昼前の日差しが入っていました。この土地に似ず、暖かい日だといいます。病室に据え付けられた小型の冷蔵庫から、代理人が水のボトルを出してそれを私達双方に渡して呉れました。そして廊下にいるから、と席を外しました。

「それでは伺いましょう」

 と私は切り出しました。お名前は。

「ロバート・カーペンター」

 と彼は応えました。

 生まれはシカゴ。一九四四年。(そこから永い話が始まりました。)チェスを学び始めたのは六歳だった。二八歳の時には米国で敵はいなくなっていた。そこで世界王者決定戦に挑んだ。ソ連の王者を破った事で、マスコミに騒がれる結果となった。あの頃にはまだ冷戦という奴が続いていたんだ。ソ連は40年代以来、世界王者を独占していた。それを破ったのでね。

 それからの日々はマスコミに追われ続け、俺は疲れ果てていたのだ。タイトル防衛戦は三年後だったが、俺はそれをボイコットして姿をくらました。幸いに多くの賞金を持っていたのでね、俺は世界を気侭に旅して歩いていた。

 最初はあの市松模様を忘れようとした。しかし、忘れる事は出来なかった。世界の街角で、カフェのテーブルで、公園のベンチで、素人達が楽しむおっとりとした対戦を覗き込む事もあった。俺は局面を一目で記憶出来る。その夜には、ベッドの中で、幾つもの対局をシミュレートした。

 駒は手にする必要がない。俺の頭の中では、各々の駒が勝手に道筋を辿る。それをしたくてしているのではない。六四の升目はいわば、一つのアキュームレーターとして頭脳に位置しているのだ。そして俺の頭脳には、そのアキュームレーターが無数にある。

 アジアの国々では、その国特有の将棋なるものも試してみた。升目の数が違うので暫くは新しい刺激として楽しめた。それは多重的な定石を生み出す結果につながった。やはり俺は、対局からは離れられないのだと、悟らされた。

 だから九二年のユーゴスラビアでの大会に出たのだ。かつて知っていたソ連の王者から、あからさまな挑戦を受けたという事も動機の一部にはあった。現地の新聞紙上で、俺を名指しで愚弄していた。

 そこで名乗りを挙げたのだ。決勝までの対局は有利なペースで進み、俺はブランクすら感じてはいなかった。やがて卓子の向うに、かつて知っていた顔が座った。二〇年程のブランクに、奴はすっかり貫禄をつけていた。

 俺は気ままな旅暮しだったからね、まだ痩せていたよ。マスコミは俺をヒッピー呼ばわりしていた。対局は苦もなく進んで、私は三〇〇万ドルの賞金を手にしていた。チェスの駒を手にした事は絶えて無かったが、戦略を練る事は休んだ事が無かった。

 しかしこの賞金がまずかった。当時米国はユーゴスラビアに経済制裁を加えていた。そこで賞金を得るなど、母国は許しては呉れなかった。制裁違反の罪で訴追されてしまった。俺は母国に足を向ける事が出来なくなった。

 多額の金を持って俺は、再び姿を消した。ホテルを転々として東欧諸国を移動した。やがて彼等と接触したのだ。

(そう、ここからが我が米国の情報網にも捕捉出来ていない足取りでした。)


 連れて行かれた場所は、南国だった。住居は最高級だった。窓からは砂浜が見えた。プラベートビーチだった。食事にも文句はなかった。執事がついていて、どんな注文も聞いて呉れた。しかし元々貧乏人だった俺は、それ程の要求はしなかった。まぁ美味い珈琲を頻繁に持って来させたくらいのものだ。

 俺はその広壮なコテージで暮して、一度も外出はしなかった。そして彼等の一人と日がなチェスをしていた。対戦者は礼儀正しい青年だった。ただし常にサングラスをしていて人相は確とは判らなかった。英語は堪能だった。しかし無駄口は殆ど利かなかった。

 最初はまるで素人同然だった。つまりこいつの教育係なのかと、思った。初日に五戦した。翌日にも五戦した。驚いた事に、三日目には彼は俺の定石をすべて暗記していた。たった三日でだ。

 数日を経るうちに彼は俺の定石の殆どを学び取っていた。それでもひと月程は俺が優位だった。しかしこの対局は、やがて俺には難しいものとなった。勿論彼の打つ手は、全て俺には判るのだ。しかし、同じ戦法で俺もまた戦っていた。

 彼はそうして毎日、俺の定石を盗み取って行った。俺はやがて、奥の手とも言える作戦を次々に使わなくてはならなくなっていた。この物静かな青年は、何者なのか。俺の頭脳に与えられたテーマが、もう一つ加えられた。

(ここでロバートは話を留め、私に問い掛けました。)

「君はどう思う。彼は何者だったのだろうか」

 私は応えられずに居ました。すると、ロバートは水をひと口呑んで、更に話を続けました。


 毎朝、青年はにこやかに出勤して来た。そして対局が始まると、前日までに俺が打った手筋を正確に再現して来た。昼食を挟んで、午後にもまた対局があった。

 青年は常にサングラスをしていた。やがて気付いたのだが、そのツルがどうも太いのだ。そして左目のレンズがどうも透過の具合が良くない。あれには仕掛があったのだ。おそらくは彼のサングラスの片方のレンズは、小型のディスプレイだったのだろう。

 俺に与えられた書斎は、重厚な家具調度が揃えられていた。そのどれもが、重く、位置を代える事は不可能だった。それは毎日の対局をする卓子にしても同じだった。勿論、チェス盤は最高級品だったし、駒もまた高級なクリスタルだった。

 俺はいわば、毎日寸分違わぬ同じ位置で、対局を続けていた。もし盤や駒に何か電子部品が組み込まれていたなら、対局のデータはダイレクトに、記録出来たのではないか。そしてデータは即座にコンピューターに蓄えられていたのだとしたら。

 翌日の対局では、それが即座に活かされていたのだ。青年の背後には、多くのスタッフがいて、対局は瞬時にコンピューターに分析させていたのだ。青年のウェラブルディスプレイには、手筋の指示が表示されていたのではないか。

 そんな推測をし乍らも、二年程俺はこの大名暮しを楽しんだ。毎日腕を上げる弟子と、同じ思考法で対局した。それは弟子にとっても大変な修行だったろうが、俺にも新しい練習問題だった。しかしやがて、俺の思考パターンにも限界が来た。それ以上の新しい戦略が出ないと判った時、この別荘暮しは終わった。

 莫大な報酬と共に、俺は解放された。ある日、俺は空港までリムジンで送り出された。何処へでも行きたい場所へ行かせて呉れるという事だった。俺は日本を希望した。そうして俺はこのオアシスを発った。

「それは何処の国だったのですか」

(と私は問い掛けました。彼は一言応えました。)

「ドバイ」


 彼は日本で支援者と共に暮し、ここでも各地を旅して回った様です。

「あれは〇四年の事だった」

 と彼は言います。

 成田空港からフィリピンへ向けて旅立とうとした時、所持していた旅券が偽であると言われ、入国管理法違反で俺は拘束されてしまったのだ。

 俺の所在を知った米国は、直ちに身柄の引き渡しを求めたという。しかし米国には帰れない。それを知ってここアイスランドが、俺に手を差し延べて呉れたのだ。代理人が日本までそれを運んで来た。この国は俺に市民権を与えて呉れた。それを得て俺は翌年、ここへ送還された。

 この地について住居を定めた頃に、俺は身体の不調を意識した。癌にむしばまれていると判った。そうしてここに入院したのだ。ここはホスピスだ。俺はもう長くはない。そうと知ると、どうしても引き継いでおきたい情報があったのだ。

 それで代理人に君達とコンタクトして貰った。あの二年間に、俺の戦略の全てを学んだ者がいる。それがどう使われるのかは、判らない。だが君達は注意深く見守る必要がある。


「米国に戻るご意思はありますか」

(と私は訊きました。)

 いや、もう旅に耐えられる身体ではない、と彼は言い、微笑を浮かべました。この地で死ぬのが運命だ、と。

 以上の通り、私が聞き取った全てを書き留めました。以下は、現地の新聞が短く触れた彼の訃報です。

「チェスの元世界王者のロバート・カーペンターさんが十七日、アイスランド・レイキャビクで死去した。六四歳。本人の広報担当が十八日、明らかにした。死因は不明」



 ――〇八年三月。ハワイの裁判所に奇妙な訴訟が起こされた。提訴したのは地元のルポライターだった。彼は科学関連の記事を得意としていた。

 起訴の内容は「LHCは地球を破壊する可能性がある」というもので、裁判所に対し、操業停止の仮処分を求めていた。しかし裁判所はLHCという施設の存在を確認していない、として訴訟を退けた。

 マスコミはこれを彼の売名行為であると捉えた。「おそらく近々発表する予定の記事の宣伝であろう」と誰もが認めた。


「パリにようこそ」

 と日本語で声を掛けられた。ドゴール空港一番ターミナルの手荷物ターンテーブルの前。午後の日差しは暑い程だった。長沼はトランクを取り上げた処だった。不審な顔をする長沼に、男が笑い掛けた。スーツを着こなし、きちんとした身なりをしている。見た処三〇代半ばか、俺と同じくらいの年齢だろうな、と長沼は思った。

「大使から言づかっております。私は大野と申します。大使館の遣い走りです」

 それなら、当然プロファイルは届いているのだろう、と納得した。こちらが誰だか確認出来ているのだ。長沼も笑顔を向け、宜しくお願いします、と応えた。

 大野は長沼のトランクを取り上げ、こちらです、と出口を示した。回廊の下の舗道に出ると、ここで待つ様にと言う。そして大野はレンタカーを回して来た。プジョーだ。後部座席にトランクを積み込み、長沼を助手席に導いた。左右の感覚が違い、やや勝手が違う。

「スイスは如何でした」

 それも知ってるのかい、と長沼は問う。

「だって既にイーユーの入国票をお持ちだ、入国管理を通って来なかったでしょう」

 すると到着前からターミナルで待っていて、長沼の動向をすべて見ていたのだろうか。

 大野は乗用車を出した。すぐに高速道路に入った。

「市内まで五十分程です」

 と言う。滞在中は私がご案内致します。どうぞ何なりと、お申しつけ下さいますように。

「ありがとう」

 と応えたが、長沼は最初に抱いた印象を拭えずにいた。

 車窓には麦畑が広がっていた。だが、それも二〇分程だった。すぐに街並みが広がり始めた。気軽な調子で大野が口を開いた。

「自衛官でいらっしゃいますか」

「それも情報が伝わっているのですか」

「なに、身のこなしが私達事務方とは違います。こちらへは何の調査で」

 確かに大使館側としては気になる処だろう。こちらには駐在武官もいるのだ。

「いや、ちょっとした経済状況の査察ですよ」

 大きく括ればそう言って間違いはない。

「お宿は一般のホテルをご希望との事で」

「出張の時くらいは肩の凝らない方が良いのでね」

 宿はコンコルド駅に近いオテル・ディラコンパーサを予約しておいた。大使館を素通りして宿へ向った。

 トランクを抱え、長沼の後から扉を入って来た大野は、小ぢんまりした良いホテルですね~、などと暢気な事を言っている。チェックインを済ますと、それでは私はエトワールに顔出して来ます、と大野は出て行った。しかし、夕食をご案内しますので後ほど、とも言っていた。まだ長沼の渡仏の目的を探る気でいるのだろう。


 ボーイにチップを渡し退出させると、長沼は部屋のチェックを始めた。盗聴器の仕掛けられそうな箇所は、マニュアルで学んでいる。スイスでも同じ事をした。引き出しの裏やごみ箱の裏まで確認してから、荷物を解いた。

 先づ、ノートパソコンを出した。巻き取り式のLANケーブルを延ばし、壁のジャックに繋いだ。このホテルに構内LANがある事は、日本からの予約時に確認出来ていた。ネクタイを解きつつ、パソコンを立ち上げた。

 SSLモードで回線を接続し、上官を呼び出した。窓からは名高いオベリクスの尖った頭だけが見えている。建て込んだ街並みが邪魔をしているのだ。

「野元長官、長沼です。予定通りパリの宿に着きました。スイスのレポートを送ります」

 用意しておいたドキュメントを送信した。何か特筆事項はないか、野元長官が音声で応えた。

「大使館からは大野という事務官が張り付いてます。彼のプロファイルをお願いします。事務官とは言ってますがね」

「大使館に只の事務職はいないよ。大方本庁あたりからの出向だろう。すぐに情報を送っておく」



    報告メール(調査続行中)保全隊長官宛

 〇九年三月、スイスの情報当局OFPは、ベルリン市内で同国人の身柄を確保しました。以下はその当局者に接触して得たこの件に関する情報であります。情報当局は、この人物を渡航当初から追っていました。

 OFP局員は、当初、その身分を偽ろうとしましたが、こちらが日本国内での諜報活動についての証拠を見せた処、その証拠品との引換えを条件に、情報を渡しました。

 容疑者は核兵器開発に使われる資材を、リビアに密輸しようと企んでいました。いわゆる「闇の核市場」を追っていたスイス情報当局は、おとりの取引者などを仕立て、この容疑者に近づいたと言います。その結果、リビアに向けて出港しようとしていた貨物船を水際で捕捉しました。

 容疑者は直ちに本国へ連行されました。取調べの過程で所持品のラップトップコンピューターのハードディスクに、隠された領域があるのが判明しました。その部分にアクセスした処、小型核兵器の設計図のCADデータが発見されたと言います。

 ここまでは後に公式に発表された事柄でありますが、この情報局員によると、発見された設計図は小型核兵器のものだけではないと言います。

 本官は、更にこの情報局員をシメ上げたのですが、残念乍ら彼に、それ以上の情報にアクセスできる権限が無いというのは事実でした。設計図はもうひとつだけあるらしい。それが何の設計図なのかは、スイス情報当局もまだ解析中であるというばかりでした。


「これについてはイシスのアルブライトもステートメントを出したぞ」

 と上官の声がする。直ちに情報がメールで送信された。

 ――米国の民間原子力研究機関「イシス」のアルブライト所長が出したスーテトメントによると、スイス当局が闇ルートから入手した設計図は小型核弾頭のものだったという。同氏は、

「弾頭の小型化に苦慮しているイランや北朝鮮にとって理想的な仕様だ」

 とコメントしている。例えばこのサイズならば、射程約一三〇〇キロの弾道ミサイル「ノドン」などに搭載可能だという。


 上官の声がする。

「この際関係の無い、北朝鮮の名前など出して矛先をあやふやにしている様だ。彼等も当然、もうひとつの設計図の存在を知って、その情報をカバーアップしているに違いないな」

 結局マスコミに開示された情報は単純なものだった。

 ――アラブ某国の関与が疑われる「闇の核市場」の関係者からスイス当局が押収したラップトップコンピューターに、小型核兵器の設計図が入っていたことが判った。十五日の米ワシントンポスト紙が報じた。北朝鮮などに設計図が流れたかどうかは不明だ。コンピューターは、リビアに核兵器を密輸しようとしてドイツで逮捕されたスイス人のもので、そのハードディスクを精査する過程で設計図が見つかった。設計図のデータはスイス当局が最近廃棄したという。



    調査報告書A号

 先に触れました件、現地に赴いて調査して参りましたので、報告致します。

 現場はフランス中西部ルマンの周辺地域です。今年(〇八年)春ごろからこの地域で墓地荒らしが頻発してる、という事までは先にご報告しました。室長のご関心を惹いたらしいので今回、大使館の休暇を使いまして現地踏査を思い立ちました。

 超特急TGVでモンパルナスからは一時間程、天気も良く爽快でした。真新しいルマン駅から中心街までは十分程。現地は古都でした。十一世紀創建のサンフリアン大聖堂などもあり、歴史の重みのある街です。中世の石畳がまた風情があります。見おろすサルト川の流れは加茂川を思わせました。

 あの耐久レースのニュースで見るのとはまるで違って、街は落ち着いた様子でした。被害に遭った墓地は四箇所でした。それらを私は事件の発生順に辿ってみました。

 丘を上った旧市街ルビューマンにあるサンプリシュアという教会は比較的新しい印象を持ちました。戦後に建て替えられたとの事です。

 その裏手に墓地はありました。こちらは十四世紀以来の様相でした。古い墓標などはその細かな細工に緑の苔がこびりついておりました。しかしその装飾は見事なもので、さすがに歴史のある国のものです。

 さて、この墓地で略奪に遭ったのは三つでした。いずれも十九世紀から二十世紀初頭に葬られたものだとの報道でした。残されたレリーフからもそれは確認出来ました。ひとつは十八世紀末のものでしたが、そこに先祖代々の埋葬者が収められ、最新の埋葬者は二十世紀中葉でした。

 十字架の奪い去られた墓所は、そこだけが平らになって、却って目立ちました。台座には折り取られた十字架の根元部分だけが残っていました。相当に強引なやり方をしたのだと思われます。この墓所は既に家系が絶え、修復する者がいないと墓守から聞きました。

 後の二つの墓所の十字架は、既に新しいものにすげ代えられていました。台座に残った新しい傷痕からこの事件が伺えるだけでした。周囲を見回すと、同様に装飾の多い十字架ばかりです。各々、由緒ある名家だそうですが何故この墓が狙われたのかは、良く判らないと墓守も言っていました。


 事件の発生はほんの三日程の間でした。狙われた墓所は最初は市街地で、その後郊外に移って行った様子です。二番目の墓地もまた古い教会の裏手にありました。ここは管理がしっかりしていて、墓地はフェンスで囲まれていました。ゲートは一箇所だけ、それも夕方には鍵を閉めてしまう様子です。

 堅固なフェンスを擁しているのでこちらには墓守はいませんでした。ですから、被害に遭った墓所を見つけるのにはちょっと時間が掛かりました。ここでの被害は四つ。しかしこちらは大部分がまだ新しい十字架を据えていませんでした。ここも乱暴に折られた事が判りました。

 苦手なフランス語ですが、なんとか碑銘を読みました。こちらもやはり十九世紀後半から二十世紀のものばかりでした。


 次の被害はさらに北上した地域の教会でした。ここは教会自体が寂れていました。墓所も管理が行き届いていない様子でした。墓地には参拝の老人がおられましたので、彼に様子を訊ねました。

 しかし私のフランス語はあまり通じません。彼のフランス語も鈍っているらしく、結構往生しました。彼によると「米国で犬の墓に使うんだそうだ」との事。冗談でしょうか。ここでの被害は二箇所との事。彼が杖を突きつつ案内をして呉れました。落ち葉が深く積もっていました。

 ここの十字架も手荒く折られていました。被害に遭ったファミーユを知っているか、と訊ねました。いずれも後継者は都会へ出てしまって、この墓所を守る家族は残っていないとの事でした。


 いったん中心街へ戻り、そこから東へ抜けて郊外へ出ました。最後の現場は田園地帯の中に建つ教会でした。ここの墓所は広大でした。被害に遭った三箇所の墓所もその中で隔たった位置にあり、やはりこれは目的があって略奪されたのだと思いました。

 ここでも墓守の案内を得て、その被害現場を見ました。十字架は引き抜けるものは抜いて、固定されていたものは折って、持ち去られていました。各々のファミーユに関連はないとの事です。墓守によると「北欧の骨董収集家が集めているのだ」と言います。本当でしょうか。

 以上を写真を添えて送信致します。尚、当地のジュルナル・デュ・ディマンシュ紙の報道では地元憲兵隊が捜査にあたっているとの事です。


 夕刻に、大野が再び現れた。フロントからの通知に、長沼はロビーで待たせる様に告げた。ノーネクタイでジャケットだけを羽織って、長沼は階下へ降りた。大野は、ロビーのソファに腰掛け、天井を見回していた。

「いやー、ここ結構古そうな建物ですね、ほらあの梁のあたり」

 大野もラフな服装に変わっていた。

「クルマで行きますか」

 と問うと、大野はまだ上を見上げつつ、いや徒歩の圏内にしましょう、と言った。大使館へ顔出してレンタカーは市内で返してしまいました。

 何にしますか、ネクタイも無いことですし、庶民的なビストロにでもしましょうか、と大野が問うので、お任せしますよ、と応えた。


 シチューの包み焼きなどを食べ、ワインを味わっていると、こいつは人の善い奴の様な気もして来た。しかし身分はまだ明かしていないのだ。

「内調からのご出向だそうですね」

 と長沼は切り出してみた。ワイングラスを口に含んで、大野は目を丸くした。

「さすがに情報が早い」

 上官と音声チャットやメールをやり取りしている間に、彼のプロファイルも届いていた。予想していたらしく上官はそれにさ程驚かず、

「大使が相方に任命してくれたんだ。有り難くこき使ってやれ」

 と言った。

「警察官上がりなんですよ」

 と大野は打ち明けた。ある事件をしくじりまして、閑職に回されてました。その後ちょっとした事で、内閣府のひととコネが出来ましてね、それで拾って貰った様なもんです。

「それでこちらでのお仕事は」

 と水を向けた。大野はまた笑顔を浮かべた。

「室長の知りたい事は何でも調べます。今年のワインの出来とか」

 と言って大野はワイングラスを回して見せた。

「晩餐会とかの為に調達もしますよ。勿論、官房機密費でね」


 ホテルまで送るという大野に、大丈夫道は判ります、と応えてお引き取り願った。それでは、と彼はメトロの駅へと向った。ブロックひとつ離れた処で、長沼は踵を返した。物陰に身を隠しつつ遠ざかる大野の背を追った。

 ここには三つの路線があった。十二号線というメトロの改札を入るのを確かめて、長沼はカルネを買った。十二号線のホームに出ると、やがて銀色の車体が滑り込んで来た。ひと車両後ろに乗り込み、連結部分の窓越しに様子を伺った。大野は座席に座っている。やがてボージラールという駅名がアナウンスされると、大野は席を立った。

 駅の階段を上がると、街路は薄暗かった。大野は街路をのんびりと歩いている。気付かれているとは思えない。長沼は注意深く後を追った。

 やがて大野は街角のアパルトマンに入って行った。見上げると、階上で灯りのともる窓があった。エントランスに駆け寄り、ディレクトリを確かめた。EAUNO/OHNOという表記があった。ここが住居と見て間違いない様だ。ここまで判れば初日は終業としようか、とも思った。しかし第一印象がまだ心に引掛かっていた。そう単純な奴ではない、と勘が告げている。

 向いのブラスリに入り、窓際からアパルトマンを見張っていた。二三時にもなってエントランスから大野が出て来た。奴が動いた。望外の事態だった。

 店の前を大野が通過した処で、席を立った。再び尾行を始める。大野はまたメトロの駅を目指していた。またひと車両空けて、監視を続けた。大野は座席に腰掛けていた。モンパルナスという駅を発車する直前になって大野は、思いい着いた様に席を立った。閉じかける扉から降車した。

 その素速い行動に、長沼は不意を突かれた。長沼の位置からでは扉に間があり過ぎた。跳ねる様に扉に駆け寄ったが、地下鉄は発車してしまった。扉の窓から、大野の後ろ姿が見えた。乗換ホームに向っている様子だった。


「そろそろ暑いですね」

 翌朝、大野は明るく声を掛けた。ホテルのロビーの椅子に、彼は寛いでいた。

「今年もコートダジュールにはクラゲが押し寄せてるそーですよ」

 長沼は、この日パリの情報源のひとつを訪ねる予定だった。「闇の核市場」から幾つかの資材がここフランスに集結しているという。大野にその倉庫街への案内を頼んだ。

「昨夜は何処へ」

 と長沼は鎌を掛けてみた。

「おやご存知でしたか」

 と大野は屈託がない。

「いただいたご自宅の電話番号にお電話したが繋がりませんでした」

 大野は訝りもせずに応えた。

「それが私結構テツでして、昨夜は徹夜でちょっとしたイベントに行ってたんですよ」

 嬉しそうに大野は言う。それは「パリ地下鉄ツアー」と言うイベントです。これでなかなか入場券が取れないんですよ。地下鉄職員の有志が企画しているんです。

 彼等も根っからのテツ道マニアなんですね。古い車両の保存や修復を、休日などにコツコツとやっている連中なんです。何処の国にも同じ様な趣味の奴らは居るもんで。

 ですからこれは、非営利のイベントです。私もつい先頃まで知りませんでした。葉書でも申し込むと二〇〇人づつ招待されるんです。月に一度だけの特別な催しです。

 午前零時のモンマルトル駅に集合すると、特別編成の車両が出迎えて呉れます。これに乗れるんです。

「みなさん幸運でいらっしゃる」

 と古風な制服を着込んだ車掌が言いました。

 そして午前零時半、いよいよこの赤と緑のストライプのあるオールドファッションの車両の出発です。さっそく車掌がアナウンスしました。

「この車両は一九〇三年のものです」

 乗り合わせた二〇〇人が歓声を上げ、一斉にカメラのシャッター音が響きました。

「今夜は皆さん、座ったままで乗り換えられるのです」

 と車掌は言います。その言葉の通り、車両は深夜の路線を自由に乗り継いで行きました。そう十三プラスBの路線も結局は同じ操車場に休むんですから、いずれの路線もこうして繋がってて当然なんですよね。

 車両はそうして急にスイッチバックなどして、支線に入り込みました。まるで秘密の通路の様です。いや、まさに地方都市で見る中世の石畳のような作りの壁面もありました。よくあれだけ掘ったもんだ。あれ程の経路がこのパリの地下にあるのかと思うと、ワクワクしませんか。

 時には現在使われていない廃駅に停車し、ホームを歩かせても呉れました。ホームレスのシェルターに使われた時期もあったそうです。駅には最小限の灯火しかありませんでした。今では地上に出る階段は塞がれていました。時を経た壁面の、所々剥げたペンキなども実に味わい深いものでした。

 結局ツアーが終わったのは朝の五時でしたよ。



    2


 週末を過ごして、再び連絡を取ると大野は早めに遣って来た。今日も身なりが良い。ホテルの朝のバンケットを相伴した。甘い物が目当てらしく、ケーキなどの皿を楽しそうに物色している。あ、すいません、などと日本語で言うのが聞こえ長沼が目を遣ると、日本人と覚しき若い女性と話している。

「旅行客かい」

 席に戻った大野に長沼が訊ねると、いや留学生だと言ってました、という。やはりここのバンケット目当てだそーです。

 大野は大使館情報のプリントアウトを持って来ていた。

「十三年前の鞄ですって。聞きましたか」

 何だい、と長沼は水を向けた。

 米国オクラホマ州知事のキーティング氏がまだ地方議員だった時代に失くした鞄が、この度十三年ぶりに発見されて届いたという。そりゃ美談だね、何処に落ちてたの、と訊いた。

「九六年に国内便でバゲージトラブルになって、行方不明になっていたんだそーです」

 よくある話だ、と長沼は応えた。

「しかしそれが世界中のタグを着けて、アラスカで見つかったと言います。信じられますか。ずっとバゲージトラブルのまま押しつけ回され続けて、飛行機の貨物室を転々としていたとでも言うんでしょうかね」

「はは、まさかね」

「知事はコメントしています。スーツケースは、宇宙の軌道を衛星のように回っていただけなんだ。なくなったわけじゃなかった」

「袋菓子が入ってなくて良かった」

「でも、情報保全隊にはもっと詳報が伝わってるんでしょ、教えて下さいよ」

 所属を知られていた。さすがに内調だ。確かにこの件は、長沼にもメールで伝えられていた。しかし長沼は途惚けてみた。何の事かな。

「マガジャネスとは何ですかね」

 と大野が言った。内閣調査室にもこの情報は上がっていたらしい。大野はやはり食えない奴だ、と長沼は思った。

 鞄を開いたキーティング知事は、そこに見覚えの無いノートパソコンを発見した。かなり使い古され塗装も剥げた物だった。知事はこれを旧知の情報関係者に通報した。

 ノートパソコンは米政府のシチェーションルームに届けられ、分析が行われた。ハードディスクは綺麗に上書き初期化が為され、どんな情報も得られなかったが、パーティーションを切って作った秘密の領域が発見された。そこに一つだけテキストファイルが書き込まれていた。開くとただ一言「マガジャネス」とあった。

 ハードディスクの扱いにスイスの件との類似があり「注意せよ」としてこの情報が長沼にも、もたらされたのだ。

「南米の穀物ぢゃなかったかな。豚肉のスープに入れるやつ」

 と、ごまかしてみた。すると大野は、旨そうな名前ですね、と合わせて来た。



    調査報告書A号(続報)

 当地プロバンス紙十五日付の記事につきまして、室長からご指示ありました件につきまして、昨日ドイツに赴き調査致しましたので、ご報告致します。

 プロバンス紙の記者より紹介を受けまして、こちらも日本の新聞記者という触れ込みで、対象者に接触致しました。

 対象者は当地で老後を送るアルスター・リッペルト氏(八八歳)。ドイツ西部シュツットガルトの住居を訪ねました。家族は老いた妻一人だと語っておられました。

 その奥様の出された濃い珈琲を頂きながら、居間でインタビューの真似ごとをしました。奥様はキッチンに引っ込んでおられました。

 同氏は戦後、地元テレビ局に勤務し、報道局で制作部門に居られたと言います。

「局には永く勤めた。多くの事件・事故を配信して来たが、この件については語った事が無かった」

 と同氏は言いました。ドイツ空軍所属だった彼の任地は、当時既に占領を終えていた南仏の海岸部だったと言います。あれは四四年七月三一日だった、と彼は語り始めました。

 夜間、レーダーに機影が映った。緊急発進の命令が下り、私が出撃した。その単発機はクーリエと思われた。レーダーを恐れてか、リグリア海を低く飛んでいた。マルセイユ方面に向うものと想定された。

 コートダジュール沖で捕捉し追跡した。警告の信号を送るも応えは無かった。そこで翼に向けて発砲した。

「命中した。翼を損傷した機体はバランスを崩した。そして海にまっすぐに落ちた」

 彼は手真似で、墜ちる飛行機の様を演じて見せて呉れました。

 私は撃墜を報告して、帰還しワインを一杯飲って眠りに就いた。

 数日後、連合軍の通信を傍受し得た情報が報告された。あのクーリエ機は、コルシカ島に居た連合軍からの通信使だった。仏本土に何かを運ぶ任務だったらしい。それより驚いたのは、その操縦席にいたのがサンテグジュペリだったという事実だった。

「私も愛読していたよ。パイロットの心情や空の様子を見事に描いていた」

 彼だと知っていたなら、と戦後幾度も考えた。しかし戦時に「もし」は言うべきではない。だからこの件は、心に深く仕舞っておいたのだ。

 それでは何故、今になって告白されたんですか、と訊きました。癌の告知を受けた。この年齢では、もう先は永くないと思ってね、と彼は言いました。

「まさに「夜間飛行」だった。パイロットは見えなかったのだ」


 以下にプロバンス紙の記事を引きます。

――「星の王子様」で知られるフランス人作家で、第二次世界大戦時に偵察飛行に出て消息を絶ったアントワーヌ・ド・サンテグジュペリ(一九〇〇~四四)について、ドイツ空軍の元パイロットが「私が撃ち落とした」と告白した。サンテクジュペリの最期をめぐっては、〇三年にマルセイユ沖で飛行機の残骸が引き揚げられ、翌年に仏政府が搭乗機の一部と確認している。


 さてこの件につきまして、別な情報も得ましたので、追加させて頂きます。

 南仏海岸のフォスで先般亡くなられた老人の回顧が一部、当地のマスコミで報道されました。彼は戦時にはマキザールの闘士であったと言います。

 ドイツに占領されたパリで地下活動を続ける同志宛に、当時ロンドンに居た支援者から情報がもたらされたと言います。それは連合軍の手を経て、コルシカ島の前線部隊へと伝達されていました。

 フォスに潜伏していたこのレジスタンス闘士は、四四年七月三一日の深夜に、ツーロンの海岸で行嚢を回収する任務を与えられました。浜にクーリエ機が落として行くという情報だったのです。

 深夜、ツーロンまで徒歩で向い、配置に着いていた闘士は、遠いエンジン音を聞きました。しかしそれは一機ではありませんでした。暗い夜の事、海上で何が起きているのかは、判りません。しかし銃撃音や爆発音を耳にして、おそらく当該機は撃墜されたのだと思ったとの事です。

 闘士は翌朝から数日に渡り、密かに海岸部で漂着物などを調べたそうですが、はかばかしい成果もなく、身の危険もあってツーロンを去ったと言います。


 それではサンテグジュペリの運んだ行嚢はどうなったのでしょうか。〇四年の仏政府の発表では、墜落機の搭載物についての記載はありませんでした。


 大野に方々を案内させて、禁輸製品の仲介業者を探る捜査は続いていたが、一向に有効な情報が掴めず、長沼にはもどかしい日々だった。

「大野さんの言ってた地下鉄ツアーさ、ちょっとメトロ職員に聞き込みしたんだけど月二回だっていうぢゃない」

 ルアンへの街道を走る車中で、長沼は言った。あの夜の大野の行動について裏を取ってみたのだ。

「え、テツ仲間のブログでは月一回ですよ」

 大野は心底意外そうに言った。するとあれは本当に彼のレジャーだったのだろうか。

「保線の都合もあって、メトロ職員の方ではきちんとスケジュールが立てられてるらしいよ。その予定表で月二回になってるって」

 メトロ職員に金を掴ませ、訊き出した事だった。

「ありゃ、ヤミで金取って特別ご招待コースとかやってるんぢゃないでしょーね。だったら是非、そっちに参加したいもんだ」



    フランスで話題の新刊書紹介。

 ――昨年建国六〇年を迎えたイスラエルで刊行され話題になった研究書が、ようやくパリでも翻訳刊行された。建国の根拠とされる「シオニズム運動」の理論を否定する内容で、題名は「ユダヤ人はいつ、どうやって発明されたか」。

 著者はユダヤ人でテルアビブ大学のシュロモ・サンド歴史学教授。同書は昨年三月にヘブライ語で出版され、それ以来、アラビア語、ロシア語や英訳で相次いで刊行されて来た。

 シオニズムとは、古代に世界各地へ離散したユダヤ人の子孫が、故地「ザイオン」を共通の「約束の地」と考える思想。ユダヤ人がイスラエルをユダヤの建国の地と主張する根拠となっている。

 十九世紀末、欧州では迫害されたユダヤ人たちが「ユダヤ人国家の再建」を提唱した。これが「シオニズム運動」で、その根拠になったのは、紀元二世紀頃ユダヤ人はローマ帝国に征服され・追放されたという「通説」だった。

 しかし教授は「ザイオン追放を記録した信頼できる文献はない。十九世紀にユダヤ人の歴史家たちが作った神話だ」と書く。

 同書によると、古代ユダヤ人の追放は一部の事で、は大部分は農民として故地に残り、やがて新しく興ったキリスト教やイスラム教に改宗して行き、現在のパレスチナ人へと連なるのだという。

 一方で現代に於いて世界各地に居住するユダヤ人の祖先は、後の時代にユダヤ教に改宗した人々であるとし、古代ユダヤ人の正統の子孫はパレスチナ人である、との説が記されている。

 同書のテーマは「ユダヤ人は民族や人種ではない。宗教だけを共有している」という検証で、第二次世界大戦中に約六〇〇万人のユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツがその目的の為に、この曲解を利用し広めたと指摘。そこから、イスラエス政府が国是とする「ユダヤ人国家」という定義にも根拠がないと批判する。

 イスラエル初代首相ベングリオンも当初は、建国の理念を著した共著の中で、パレスチナ人たちをもユダヤ人の子孫と認めていた。しかし後にユダヤ人入植で対立が深まる中で、パレスチナ人を子孫とは言わなくなった。著書ではその過程に触れ「イスラエルはパレスチナ人を含むすべての市民に平等な権利を与える民主国家を目指すべきだ」と主張している。


 フランス国内の情報提供者からネタが入る度に、長沼は大野に付き合わせレンタカーを出させて、地方都市へと聞き込みに回った。

「ちょっと灼けましたか。先週末はどちらへ」

 と大野が言った。朝の幹線道路を抜けて郊外に出ると、道の両脇には穀倉地帯が広がっていた。遠くにはアルザスの山並みが霞んでいる。

「ちょっとバカンスでね、ドバイまで」

 隠すまでも無いだろう。どうせ大野には判っている事だと思った。

「そりゃ、結構ですね。ドバイは最近、リゾート開発が盛んですから」

「なかなか豪華なホテルに泊まったよ」

 それは事実だった。マスコミという触れ込みの仕事だ、その程度の余禄があっても良いだろう。

「石油で金が余ってるんなら、ただ贅沢だけしてりゃ良さそーなもんですがね。きちんとディベロッパーなんか入れて、売上げを稼いでる。石油メジャーかと思ったら、結構小あきんどですよ」

「そーだね。どーしてかな」

 大野は笑いを含んで言った。

「案外、もう石油が底を尽きそーなのかも」



    報告メール(調査の続き)保全隊長官宛。

 本日ドバイからパリに戻りました。先方ではテレビ局の現地特派員という身分証明証が役立ちました。時間の無い中でのご手配ありがとうございます。やっと本件の親玉の尊顔を直に拝しました。以下に今回のインタビューの内容を報告致します。


 インタビューは複数の西側のテレビ局との共同取材という形式でした。中にはCNNの名物キャスターなども居りました。本官は日本のテレビ局のクルーの一員として機材を担いでこの屋敷に入りました。

 自宅と言っても、我々の感覚とはまるで違います。まるで王宮の様に大きな建物でした。その居間と称する場所で取材は行われましたが、それはまるでパーティールームの様な広さでした。

 博士は寛いだ服装で現れました。インタビューは英語で行われ私にも理解出来ました。

「私はいかなる核拡散にも関わっていない」

 ディローム博士は、最初にそう応えました。CNNのキャシー記者からの質問に対する反論です。

「闇の核市場」と言えば、物理学者ディローム博士が秘密裡に築いた、核物質や技術を取引するネットワークだと言われて来ました。〇四年当時はウラン濃縮に使う遠心分離器の部品や技術など極秘扱いの機材や設計図などの機密が、イランやリビアなどに流出していましたし、北朝鮮の関与は未だ疑われている事です。

 西側からも「闇の核市場」を主導していると名指しされるようになったディローム博士は、世界の疑惑が集中していた〇四年二月、アラブ国営テレビに出演し、それらを事実と容認しました。番組では、

「政府から核拡散の証拠を示され私は自ら事実と認めた。今回の疑惑は全部私の自発的な行動だ。許してほしい」

 と、イランやリビア、北朝鮮への核技術提供に関与したことを告白しました。その結果、大統領令によりドバイで自宅軟禁という処分を課せられました。それは刑事訴追を赦免する代償でした。

 しかし近年、同国では連立政権が成立しました。そこには博士の軟禁解除を唱える勢力もあり、また国内では彼を「物理学の父」とする再評価も出始めています。そんな事から博士自身、前言を撤回し、自らの核拡散疑惑を全面否定する発言をしても、それさえ黙認されている情勢です。

 共同インタビューもその論調で始められました。

「あの放送は、ある約束に基づいて、与えられた文書を読み上げただけだった」

 と博士は続けました。キャシー記者の「誰との約束か」との質問には、言葉を濁して応えませんでした。

 そして「闇の核市場」はこのドバイにあり、しかも西側諸国の人間が多く携わっているとも主張しました。自らは、ここで核開発に必要な物資を手に入れた取引金額の多い顧客の一人に過ぎなかったと言います。更には、

「我が国の核開発の資材はすべて米国等の西側各国からもたらされた。金のために核を拡散させたのは彼らだ」

 とまで言うのです。そして博士は、

「我が国の核開発がかくも中傷されてきたのは、政治のリーダーシップの欠如のせいだ」

 と暗にシャラフム大統領を批判しました。こうした発言が出るのは、大統領の権力の弱体化によるものでしょう。また大統領の辞任を求める連立内閣の思惑とも一致した形です。

 インタビューが終わり、取材陣が撤収を始めた時に、博士がキャシー記者に漏らした言葉が興味を惹きました。博士は「闇の核市場」の商品動向に微妙な変化がある、と言いました。あれは核開発の資材というより、素粒子研究の資材やコンピューター関連の資材と言うべきものに偏って来ている気がする、と言ったのです。


「大野さんは、週末はルマンの方へ観光だって」

 ショーモンからの帰途、プジョーに乗り込むと、長沼は切り出した。勿論、大使館の駐在武官からの情報だ。

「よくご存知だ。それではこんな謎はご存知でしたか」

 と言い乍ら、大野はアクセルを踏み込んだ。葡萄畑の遠望出来る沿道の右手後方に、紅い陽が落ち掛かっている。

「始まりは昨春でした。ルマン周辺の墓地で、古い十字架が引き抜かれ・折り取られ・持ち去られる事件が相次ぎました」

 と大野は、前方に目を向けたまま、話し始めた。

「骨董趣味の泥棒なのか」

「昨秋も私は現地へ行って、一日調べたんですがね。どうも狙われた十字架は、そう古いものではない様子なんです」

 事件はその後も続いてましてね、その後約二〇カ所の墓地で百基を超える十字架が盗まれ続けています。地元憲兵隊の捜査も空しく、手掛かりは殆ど有りません。

「単独犯ぢゃなさそうだね」

「現地では「北欧の収集家が集めている」とか「米国で犬の墓用に使われる」とかという俗説も聞き込みましたよ」

「欲しいか、そんなもん。で大野さんはどう考えてるの」

「十字架の内部に何かが隠されていた、というのは如何でしょうか」

 大野の右目が妙に鋭い光を反射した。



    3


    報告メール(追加調査)保全隊長官宛。

 通達頂きました「セルンの調査」についてご報告致します。

 セルンは欧州合同原子核研究機関の略称で、現在ジュネーブ近郊にてLHCという実験施設を稼働中です。さっそく大使館を通じて視察を申請し、現地へ行きました。今回は文部科学省の役人という触れ込みです。現地は村と言っても良い程の巨大な研究所でした。職員も二五〇〇名程居るとの事。

 LHCは昨秋に完成した巨大な「円形加速器」という実験施設です。葡萄畑の広がる農村地帯の地下に、直径二七キロの巨大な地下トンネルがあり、その中に陽子コライダー加速器が設置されているそうです。わが国の「スプリングエイト」と同様に陽子の衝突実験をするものです。

 巨大な地下トンネルについては、立ち入りは許可されませんでした。元より素粒子が飛び交い、内部に人は居ないと言います。ですから広大な研究施設のコントロールルームから、内部の様子をモニターしつつ、レクチャーを受けました。

 この施設については昨年三月、ハワイに於いて地元の科学ライターが、稼働停止の仮処分を求めて訴訟を起こし、却下されたいわくもありました。後にこのライターの発表した記事によるとLHCには「陽子の高エネルギー衝突実験で、小さなブラックホールが出来てしまう危険性」があるとの事でした。

 ブラックホールは重力が強すぎて光すら抜け出せない領域の事。重い星が燃え尽きて縮んだ場合などに、出来ることが知られています。高エネルギーで陽子同士を正面衝突させると、極微の人工ブラックホールができる可能性が、理論計算から指摘されています。

 そこで「ブラック・ホールができると、地球や私たちの宇宙まで吸い込まれてしまうのではないか」と懸念する声が上がりました。

 この件について訊ねました。セルンは、ノーベル物理学賞受賞者らでつくる委員会に「安全審査」を依頼したそうです。

 報告書は昨年夏に発表されました。それによると「ブラックホールはエネルギーを放射しながら縮んでいく」という英国のホーキング博士による「ホーキング放射」の理論などに基づき、たとえブラックホールが出来ても、すぐに消滅してしまうと説明しているとの事。

 更に地球上では(LHCでできる以上の)高エネルギーの粒子(宇宙線)がしょっちゅう衝突しており、その時にミニブラックホールが生じている可能性も否定できないが、地球が呑み込まれてはいないという例を挙げ「実験は安全」と結論づけた、と言っていました。

 尚、セルン建設に関わる資材が横流しされている可能性は、低いと言って良さそうです。「闇の核市場」との関わりは、無いものと思われます。


 この報告を野元長官に送ると、折り返し長官からの通達が届いた。

「民間の海底探査船や掘削船がハーグ港に集結している。これらは同一の民間団体にチャーターされているらしい。フランスでも同様の情報はないか」

 今度は船会社の調査か、と長沼は思った。


 ――イスラエル北部サフェドのユダヤ教会のラビ、シュロモ・エリアフ師が、新しい祈りの言葉を作った。

「神様、ウイルスや邪悪な写真が私の仕事を乱したり、破壊したりしないようコンピューターをどうかお清めください……そして私自身をも清めるられますように(以下ヘブライ語が続く)」

 インターネットでうっかりポルノサイトを開いてしまった時に唱えるものだという。ポルノ画面で家族関係がこじれた、などの訴えが多くの信徒から出たため(意図的であれ・偶然であれ)そんなサイトを開いてしまった場合の祈りを考案したという。


「この情報を見ましたか」

 と大野は大使館情報を見せた。ホテルのレストランでの夕食の時だった。

 庶民的なホテルでありながら、メニューはどれも美味だった。仔羊のロティが濃厚な香りを立てる。

 座席には日本人女性も相席していた。大胆な華柄のワンピースに、カーディガンを羽織っている。まとめ髪のあしらいもセンスが良い。先日来、このホテルに出入りしている留学生だった。夕食時の、店内が混み始めた頃にひとりで遣ってきた。大野が声を掛け、相席させたのだった。女性は直美と名乗った。

 どれ、と長沼はそのプリントアウトを受け取った。

「これをどう使うんだろーね。パソコンの前で祈るのか」

「これはヘブライ語のパソコンで使うんでしょ。つまりこの清めの文句を入力すると入れる、イスラエル関係者だけの裏サイトがあるんぢゃないですかね」

 と大野が言うと長沼は、おいおい、結局裏サイトかい、と笑った。

「絵でも学びに来てるの」

 と大野が直美に問い掛けた。ファッションデザイナーになりたいんです、と直美は応えた。ですからこちらでもたくさんの写真を撮ってるんです。ノートパソコンに記録してるんですけどね、ハードディスクがそろそろ一杯になってしまって困ってます、と言う。

「秋葉原も遠いしね」

 と長沼が応えた。それなら、と大野が切り出した。

「大手のプロバイダーに良いサービスがあります。ハードディスク買う必要もない」

 データの保存や管理を目的としたウェブ上のサービスが登場しています。サイトのサーバーのメモリを借りるんです。それらを使えば、大容量のデータでもバックアップしておけます。

「他人に見られることはないの」

 興味を持ったらしく直美は訊いた。大野は応える。

「パスワードなどを他人に知られなければ大丈夫ですよ」

「それ申し込んでみようかな」

 と直美は言う。実はね、と大野は秘密めかして言った。

「裏技がありましてね。手順も簡単、しかも無料で済む方法があるのです」

 グーグルのGメールのように、容量が数ギガバイトある無料のウェブメールサービスで、その保存データを添付したメールを自分の受信箱あてに送るのです。受信箱なら他人に中身を見られることはありません。

「あら、それならもっと簡単ね」

 と直美は手を叩かんばかりに喜んだ。留学中の身では、どんな経費も節約したいのが本音だろう。

「オゥディナトールと言えば、この新聞記事はどう思いますか」

 と彼女が話題を代えた。週遅れの日本の新聞を持って来ている。

 ――記憶の保存を扱う「思い出工学」を研究する成城大の野島久雄教授によれば、睡眠時を除く一生をビデオで録画し続けるとすれば、五〇テラバイト程度で足りるという。これは映像をMPEG形式で圧縮した換算だが一テラバイトのハードディスクが一〇万円程度で買える今、五〇〇万円で一生が記録できるという事になる。

「テラバイトとなると、ウェブサービスという訳には行かない」

 と大野が言う。

「五〇〇万円か。秋葉原ならもっと安く済ませられるね」

と応えたのは長沼だった。

「ウェブカメラとビデオボードと中古のパソコンも買う必要はありますね。そして一テラバイト規模のハードディスクを五〇台程」

 と大野も応えた。

「何だかすげぇ腹減って来た」

 と長沼が言った。三人は更に料理を追加した。


「何も知らずに喰ってますな」

 同じレストランの片隅で、老紳士が呟いた。それを三人は知る筈もない。

「料理の見た目の美しさや良い香りは、脳に働きかけているのです。香りや色彩に刺激された脳は、必須アミノ酸のうちのトリプトファンを分解し、セロトニンという物質に変えます。これは快楽物質とも呼ばれるドーパミンの一種でね、それが多量に分泌されると、その料理を美味だと認識する。そしてよだれが出て来る。すると胃が活発に動き始めるんですな」

「という事は、奴等のディッシュに、そのセロトニン前駆物質を振りかけてやれば、どんな料理でも美味だと言うんじゃないかね」

 と応える声がある。老紳士の向いに老人が座っている。

「言仰る通りの事を試みていますよ、あの長身の青年にね」

 老人はモノクルの縁に手を掛け、窓際の席に座る日本人達に注目した。

 ギャルソンが湯気の立つ皿を運び、日本人の食卓の女性の前に海老料理を、長身の男性の前にトマト料理を置いた。

「フェニールエチルアミンという脳内物質もありましてね、これは恋愛状態をもたらす」

 日本人達は、嬉しそうに各々の皿に手を伸ばしていた。

 モノクルの老人が言う。そんな便利な薬があるなら、儂も使ってみたいもんだ、妻との仲が改善されるかもしれん。

「効果はもって三、四年。持続性については、よく判っておりません」

 老紳士は周章てて言い繕った。


「制御不能です。出力が異常に高まっています」

 とオペレーターが悲鳴を上げた。深夜のジュネーブ近郊、セルンの研究棟にはまだあちらこちらに灯火がともっている。LHCのコントロールルームには緊迫した空気が漂っていた。

 オペレーターは先程から、制御用のコンソールの操作を繰り返していた。しかし、コンソールのいずれのスイッチも、用を為してはいなかった。誰かが窓の外を指差して、甲高い声を上げた。

 葡萄畑の広がる平原の上空の広い範囲を覆って、薄いオレンジの光が浮いていた。最初それは円盤状だった。しかしそれは見る間に厚みを増して球体へと変化した。二〇メートル程の球体に育った後、それは軟らかく揺れたかの様に見えた。やがて球体は急激に高度を増して天高く昇って行った。


「直美さんの持ってきた新聞記事から思い着いたんですがね」

 と、大野が言う。今夜は珍しく大野が長沼の部屋まで上って来た。ワインとチーズを持ち込み、二人で呑んでいた。

「先般、話題になった件があるのです」

 と大野はその概要を語った。冷戦中にソ連から世界王者を奪い、その後失踪して世界をさ迷ったチェス名人。挙げ句に経済制裁に違反し、米国を追われた彼が、一時滞在した謎の国。

「そこで彼は、日がなチェスを挑まれていたと言います。さすがに読みの深い彼は、それが彼の手筋を記録する行為であったろうと、推測していたのです」

「それはチェス対戦ソフトの開発競争かなんかかね」

 と長沼は言った。半分酔いが回って、あまり込み入った話にはもうついて行けなくなっていた。

「彼は、毎日同じ場所でチェスをさせられていました。彼は天井から盤面をサーチされていたのだろう、と考えていました。でもね」

 と、大野が言葉を切ったので長沼もつい引き込まれた。

「でも、とは」

「或いは機械仕掛で分析されていたのは、彼自身ではないか、と思ったんです」

 つまり、と大野は人差し指を立てた。天井からスキャンしていたのは、彼の頭脳そのものだったのではないでしょうか。そして彼の思考のシステムは、そのまま大容量のメモリーに記録されていた。

「そのデータをどう活用できると言うんだ」

 と長沼は訊いた。

「戦略上の意思決定をするプログラムが開発されていたのではないでしょうか」

 長沼の酔いは覚めた。それは彼の追う線に何処かで繋がる情報ではないだろうか。チェス名人は何処に滞在していたのだ、と長沼は訊いた。

「ドバイです」

 と大野は応えた。



 ――チリ最南部マガジャネス州で、山岳の奥地の氷河地帯にあった湖が、二カ月の間に消滅した。

 湖は深さ三〇メートル、広さ約二平方キロの大きさだった。森林公社の職員が三月に巡回した時には異常はなかったが、五月末に再び訪れると、湖水が消えて巨大な谷となっており、湖底に氷の塊が残るだけだった。

 湖の増水などで氷や石で形成されていた湖岸が決壊し、水が流れ出したのではないか、と現地の地学者は推測している。

 一方で地元メディアは、さまざまな原因を取り沙汰している。お定まりの地球温暖化議論や、近くで起きた地震の影響が指摘されるほか、UFOを目撃したという証言まで飛び出した。地元のインヂオの青年によると、

「オラ見ただ、でっけえ火の玉が降りてきただ。湖岸に触れてじゅうじゅうと溶かしてしまっただ」

 と言う。チリ森林公社が原因の調査に乗り出している。


 深夜、部屋の扉を大野がノックした。「大野です」という声を聞いて、長沼は周章ててローブを引っ掛けた。扉を開いた。ベッドには直美が眠っていた。それを見ても大野は表情を変えなかった。声を潜めて大野は、

「これはご存知の情報でしょうね」

 と大使館情報のプリントアウトを差し出した。

「マガジャネスだ」

 長沼は勿論、知っていた。保全隊長官からも同じ内容の情報がメールで送られて来た。そこには補足情報として「飛来した物体について、LHCとの関連が疑われる」とあった。情報源は米国のNSCだと言う。

「おいおい、俺達の部署にXファイルズは無いぞ。UFOなら米軍にお任せしとけ」

 と長沼は呟いた。NSCではマガジャネス州に注目し、偵察衛星での監視も行っていた。しかし想定されていたものは、テロ行為だった。自然災害は警戒の外だった。火の玉らしき発光体は確かに映像に記録された。米軍の分析では直径約二〇メートル。

「LHCなら火の玉を作って飛ばせるんだろうか」

 研究所で会ったあの一途な学者達の顔が浮かんだ。まさか彼等がそんな大それた陰謀を企むとは思えない。

「まぁブラックホールを作れるんですから、その逆も可能でしょうね」

 と大野が応えた。それならハッキングされているという事なのか。



    4


 朝のバンケットで、大野と直美が向かい合って食事をしていた。

「ここ、ほんとおいしい」

 と直美の食欲は旺盛だ。脇の椅子に大野は小型のトランクを置いていた。

「直美さんは、こちらで何かアルバイトしているの」

 クロワッサンを引きちぎり乍ら、大野が訊く。

「ワンコールワーカー。決まった仕事なんてなかなか無いから」

 どんな仕事があるの、と大野が問うと、直美は野菜のプレートから顔を上げ、暫し思い出す様子だった。

「日本企業の日雇いのコンパニオンとか、スーパーマーケットの品出しとか。治験ってゆーのが、結構イイ金額だったな」

 何それ、と大野が重ねて問う。

「新薬の人体実験よ。三日程研究所に泊まって、一定の時間毎に薬を呑まされて、血圧や脳波やなんかを測られるの」

 危なくないの、と大野は眉をひそめた。

「まぁちょっとお肌が荒れたかな。あとは何だか凄くお腹が減った。そうそう解放された後ですぐにここに来て、朝食バンケット食べたよ」

 二人の居るテーブルを見つけて長沼は足を向けた。待たせたかな、と声を掛ける。長沼も旅装だ。トランクを抱えている。


 ドゴール空港行きのTGVは朝もやの街路を駆け抜けていた。嬉しそうに車窓を見てる大野に、長沼がささやいた。

「珍しいな、内調と調査内容が重なるなんてな」

「こちらはロンドン市内で、スーパーノートを追います。長沼さんはベルファストまで直行ですね」

 北アイルランドでは、テロ組織ウイラの指導者の逮捕から始まって、組織の一掃が行われていた。その過程で大量のスーパーノートも押収されている。ウイラは欧州でのスーパーノートの流通の元締と見られていた。

 長沼にはそのスーパーノートがアイルランドの海運業者に流れているとの情報がもたらされ、海底探査船や掘削船がこの偽金でチャーターされているらしい。ベルファストでも数隻の船が出港の準備に入っているとの事だった。

 大野はウイラへの偽金の流れの調査が指示されている。ウイラ指導者の逮捕は米国NSCから地元捜査当局への要請があっての事だった。スーパーノートについては米当局の報告書にも「北朝鮮当局の完全な同意と管理のもとで製造され、分配されている」と明記されている。ウイラ指導者と北朝鮮とのパイプについての検証が、大野の使命だった。兵庫県警の掴んだ情報によるとそれはロンドン市内だと言われていた。

「できれば現物の一枚でも押収したい処ですけど」


 内閣調査室に国家公安委員会からスーパーノートの情報がもたらされていた。それは近畿の暴力団組織の備蓄倉庫の手入れの結果だった。多数の銃器の備蓄が疑われていた芦屋の豪邸に、兵庫県警は家宅捜査を行った。

 そこは持ち主の破産で住む者のいない屋敷であると、内偵で判っていた。暴力団はそこを占有し、銃器の倉庫としていた。早朝、多数の警察官で取り囲み、屋敷を急襲した。

 ドアホンの呼び出しに応じたのは、寝惚けた声の小母さんだった。

「なんやのん、こない早うから」

「すまんな~、ちょっとここ開けてくれや」

 と課長が声を掛けている間に、課員達はドアに駆け寄り、こじ開ける準備をしていた。小母さんがドアを細目に開いた途端に多くの腕がドアのすき間に押し込まれ、あっ、と言う間にドアの鎖は引きちぎられた。

「ちょっとあんたら」

 と小母さんが言う間に、続々と捜査員が土足で入り込み、屋敷のあちらこちらへと侵入して行った。捜査員の激流に足を取られ、上がり框に手をついていた小母さんを助け起こしたのは課長だった。

「えろうがさつですまんな~、かにしてや。ここはあんたひとりか」


 食堂で小母さんと向い合い、番茶を呑んでいる課長の許へ、課員達が次々と伝令をした。二階のベッドルームで短銃一二〇丁発見、書斎のゴルフバッグ置き場からライフル五〇丁発見、客間から手榴弾ひと箱発見。

「えろうぎょうさんでんな。もうかってはりまんな」

「へぇおおきに」

 と小母さんは澄まして言った。

 捜査員が遣って来て、スミス・アンド・ウエッソンをテーブルに置いた。

「なんぼで卸してますのや」

 銃に手を触れる事もなく、課長は訊いた。

「型や新品・中古品などで幅がおす」

「儂が知っとるんは一丁七十万円前後かの」

「へぇ、それやったら実弾十発程お付けします」

「そらサービスがええな、ほんで生きたテッポーダマの方も付けて貰うとなんぼになりますのや」

「ほしたらあと五十万円程頂きます」

「リーズナブルなあきないでんな。あんたも知ってはるやろ仲買の、三宮の兄さんな。あん人にちょっと来て貰てますねん」

 三宮に根を張っているブローカーだった。兵庫県警の取調に、

「最近は目が回るほど忙しいねん」

 と言った口調は愚痴とも取れる程だった。羽振りは相当に良さそうだった。

「山口組のおかげでんな。銃の需要は多く、それに応えるだけの用意もある。押収の数が減ったやてゆーてはるんは、警察が自分らの無能さをさらけ出してはるようなもんだっしゃろ」

 と笑った。

「課長、こんなんが」

 と課員が差し出したのは、ユーロ紙幣の束だった。

「ほんまもんか」

「わしらにはよう判りまへんな。ドルより馴染みがおまへんさかい。科捜研に回します」



    調査報告書A号(急報)

 英国でのスーパーノートにつきましての調査は、はかばかしいものがありません。調査が進み次第、続報を送ります。むしろ室長が興味を持って居られた有名古書店アポン・エイボンの、焼失についての情報の方が今回は優先されると思いまして、取り急ぎご報告いたします。


 火災は九日深夜。現場はロンドン北部の観光名所でカムデン市場という場所です。火災発生は深夜の事でしたから、人出はありませんでした。私はサウスエンドでの聞き込みからの帰りでした。消防車のサイレンの音を聞きつけ、乗用車を向けました。

 カムデン市場は骨董品や衣料品、雑貨などのフリーマケットの市が立つ場所でした。有名ミュージシャンの通うパブなどもあり、週末には数十万人が訪れる人気のある名所です。

 私がストリートに近づくと、周囲は交通規制が敷かれておりました。仕方がなく、私は乗用車を乗り捨て、徒歩で現場へ行きました。規制線をくぐり、ストリートに入り込むと大変な延焼でした。写真をご参照下さい。

 消防車は二十台程来ていたでしょうか。消防士も百名以上の出動であったと思われます。鎮火は夜明け前でした。死傷者がいなかったのは奇跡的でした。

 さて火元は、写真でも判ります通り、この殆ど全焼している古書店エイボンでした。鎮火まで見守っておりました処、ヤードの警察官が交わしていた会話が耳に入りました。彼等はこの古書店を見上げ、その焼け方に驚いている様子でした。

「店内でファイヤワークでも楽しんだというのか」

 と彼等は言っていました。

 古書店アポン・エイボンはロンドンでも老舗でした。中世からの多くの貴重な古書が焼失した、と翌日の新聞で文化人が嘆いていました。店主一家は他の場所に住居があったらしく無事でした。しかしこの火災を嘆く言葉と共に、店の閉店を告げています。

 ホームページもアクセスできなくなっていますので、サーバーも店内にあったものと思われます。しかし検索エンジンにキャッシュのページがありましたので、それで店内の様子を見る事が出来ます。それによると店内は吹き抜けの構造で、奥の部分だけが二フロアになっています。二階奥の貴重な古書のフロアへ行くには、店内右脇の階段を昇る構造です。この階段にも書棚が設けられ、そこにも多数の古書が並んでいました。

 焼け跡の写真でもこの階段と二階フロアの床はかろうじて残っています。しかし店内の本は殆どが焼失して、炭となっています。まるでバーナーで煽った様です。

 ヤードの警官の言葉が気になりまして、ロンドン消防庁の現場検証担当者に聞き込みをしてみました。棚の焼け方から推測される火元は、吹き抜けの中空としか思えないという事でした。中空に丸い火薬をぶら下げて、高い熱で一気に燃やした様な状態だと言うのです。これがどうも気になります。マガジャネスの火の玉と結びつけたくなるのは、私のオカルト趣味でしょうか。

 この件のニュースで文化人のコメントをテレビ見ていて知ったのですが、この店の店主が戦時中レジスタンスの支援者であったという事は、当然ご存知でしょうね。フランスのレジスタンス地下活動に興味を持っておいでの室長の事ですから。


 アイルランドから空路で海を渡り、長沼はロンドンに着いた。夕刻、大野と同じパディントンの宿に到着すると、さっそく大野が部屋を訪れた。この時間でもネクタイをしている。

「そちらの収穫は」

 と大野は訊く。

「既に多数の調査船や掘削船が出港した後だったよ、確かにオランダと同じ民間団体だったよ。おそらくはダミー企業だ」

 と顔を向けずに長沼は応える。ノートパソコンのポインティングデバイスに手を遣り、メールをチェックしていた。

「あ、直美さんからメールが来てるよ」

「隊のメアド、教えてあるんですか」

 と大野は驚いた様に言った。

「ん、防衛機密かい。いーんぢゃない、どーせ出張の間だけのIDだから」

「で、何て」

――大野さんから教わった方法で写真データ、ぢぶんのウェブメールに送って保存しています。その分消しちゃってパソコンが随分軽くなりました。よーく考えたら、これ帰国してもそのまま拾い出せますもんね。

 それを見て大野は暫し黙り込んだ。

「ちょっと思い着きました」

 大野は自室へ行き、ノートパソコンを運んで来た。壁のジャックから長沼のLANケーブルを抜き自分のものと差し換えた。そしてメールソフトを起動した。

「仲間に詳しい奴がいるんで、ちょっとハッキングして貰います」

「どこのコンピューターを」

「グーグルです」

 Eメールを送り終えると、大野は言った。ロンドンのアポン・エイボン書店が全焼しました。ここは歴史が古く戦時中はフランスのレジスタンス闘士を多くかくまったそうです。その蔵書に今回の件で、敵にとって不味いものがあったのではないでしょうか。

「それは何だ」

 と長沼は訊く。

「私は、戦時中にテグジュペリが運んだ物だったのではないか、と思っています」

 どんな内容なんだ、と長沼は重ねて訊く。

「リヨンの墓地で多発した十字架の盗難事件。被害のあった家のリストを眺めて見ると、各々の家族の歴史が判りますよね。占領下のフランスで彼等がどう行動したか」

「話はそこへ行くか」

「エイボン書店にかくまわれた人々の中に、無名の考古学者が居ました。彼が考古学者であった事は、このリストに名が挙がって初めて判った事です」

 在野の研究家という事か、と長沼は呟いた。

「その研究は十七世紀のパリの遺跡についてです。世界が戦争へと向う中で彼はただ一人、パリの地下を掘っていたそうです。彼はそこに貴重な遺跡を発見したが戦時中の事とて研究論文の発表は出来ませんでした」

「その研究成果を持って亡命したのか」

 と長沼も戦時下のパリに想いを馳せた。

「それがパリに残って地下活動を続けるレジスタンス闘士の役に立つ情報であったから、四四年七月末の深夜、テグジュペリはクーリエ便を志願したのです」

「撃墜後の行嚢はどうなった」

「おそらくはドイツ側に回収され、それが伝承されて敵組織の手に渡っているのです」

「十字架の盗難はどうしてだ」

「考古学者は戦後帰国しました。そしてリヨンで生涯を全うしました。彼の遺した研究材料の全ては、遺族の手で十字架に埋め込まれたのでしょう」

 敵はそれをご丁寧に探し出して抹消したのか。

「で、何をハッキングしてるんだ」

「エイボン書店にその研究論文の写しが残されていたと考えても無茶ではないでしょう。それが今回謎の出火で焼失したのです」

 マガジャネス型の火の玉か、と長沼は言った。

「しかし現代の事、この店主もまた画像データをウェブに保存してはいないかと想像しまして。店のメールアドレスならば、ホームページから判りますからね」



 ――コロラド州氷雪センターのマーク・セリーズ上級研究員は、米国の偵察衛星の探査画像から北極海の海氷を監視している。その研究員の見解によると、今年は海氷がかなり薄く解けやすい状態で「この夏、北極海の海氷が有史以来初めて無くなるかもしれない」という。

 北極海の海氷は、毎年九月に最小になるが、ここ三〇年程は縮小傾向にある。同センターによると、今年五月の海氷面積は一三一八万平方キロで、〇〇年までの同月平均に比べ、四二万平方キロ少ないという。

 今後数週間の天候や海の状態にもよるが、現時点では、消失は五分五分の確率という。AP通信では「確率は四分の一程度」とする別の学者の意見も引いている。

 昨秋の一時期は、北米大陸北岸に沿って大西洋から太平洋に抜ける「北西航路」が砕氷船なしで航行できた。

 北極海の海氷がすべてなくなるわけではない。しかしセリーズさんは「少しの間、北極海から海氷がなくなっても気候に大きな影響はないが「氷があって当たり前と思われている場所」にもし、氷が無いとなればそれは、象徴的な意味があるだろう」と話している。


「敵の目的が読めました。これです」

 と大野は大使館情報のプリントアウトを差し出した。

 午後のドゴール空港に着くと、レンタカーのルノーを駆ってコンコルドまで戻った。大野はエトワールの日本大使館へと顔を出しに行った。その足で大野はさっそくこの情報を持って現れたのだ。どんなに急いでいてもネクタイが曲がっていた事もない。

 宿の部屋に戻って、長沼は荷解きもまだ満足に出来ていなかった。例によって、部屋のチェックから始めていたのだ。

 直美の忘れ物と覚しき髪飾りを見つけ、それを直美にメールで知らせてやった処だった。直美のフレグランスの残り香をかぐと、また妙に空腹を覚えた。

「近年、北極海の海底にレアメタルなどの地下資源が眠っている事が明らかになって来ています。各国は潜水艇を出して、その資源の先取りを狙っていました。一般人の知らない間にその先陣争いが起こっているのです」

「話はそこへ行くか」

 と長沼は応えた。

「しかし、北極海から海氷を取り除ければ、採掘は容易になるのです」

「海氷を取り除く」

 マガジャネス型の火の玉の本格運用か、と長沼は呟いた。氷の消えた海で船上から掘削しようと言うのか。野元長官の通達にあった「飛来した物体について、LHCとの関連が疑われる」という言葉を思い出した。やはりハッキングされているのか。あの時にも大野と議論した事だった。

「ディローム博士が気になる事言ってたんだよな」

 と頭をかきつつ長沼は記憶を探る。

「核開発の資材というより、素粒子研究の資材やコンピューター関連の資材と言うべきものに偏って来ている気がする」

 と博士は口を滑らした。その物資がこのフランスに流れていたのだ。

「さてLHCがハッキングされたとして、あれ程のシステムを乗っ取って意の侭に出来るコンピューターと言ったら、どれ程の規模のものかな」

 と長沼が言う。大野は暫し考え込んでから言った。

「少なくとも携帯電話会社のメインコンピューター程度の施設は必要でしょうね」

「それってほら、スイス連邦警察局がノートパソコンのハードディスクから見つけた設計図だよな。あれが出て来ればなぁ、仕様まで判るんだが。公式には廃棄したと言ってるからな、あちらさんも出しては呉れないだろーね」

 スイス情報当局者の困憊した顔が浮かんだ。奴からは、あれ以上の情報は引き出せないな、と長沼は思った。

「えっと、ちょっと待って下さい。ディローム博士って、何でしたっけ」

 と大野が頭をかきつつ言った。

「ドバイの物理学者だ」

 という長沼の言葉を聞き大野は、ドバイ・ドバイ・ドバイ、と呟いた。

「そーか、チェス名人が軟禁生活を送った場所」

 その言葉を聞き、長沼もいつかの雑談を思い出した。

「チェス名人の頭脳をスキャンしたデータの使い途か」

「これで、ハードとソフトが揃いましたね。ここに戦略的な頭脳を持って火の玉を操るスーパーコンピューターが完成したらしい」

 大野も半信半疑な様子だ。

「だからオカルト科学はモルダーに任せておけってんだ。俺達は現実の捜査官だぜ」

 その言葉には大野も笑ったものの、しかし直ぐに真顔になった。

「さて、ではそれは何処に隠されているのか、とゆー問題がここに本格化した訳ですね」


 目覚めると最初に、隊からのメールをチェックする。それが長沼の日課になっていた。しかし今朝のメールは野元長官のものではなく、秘書官からだった。開くとそれは野元長官の殉職を告げていた。

「野元長官は昨夜、六本木のクラブで飲食中に、暴力団組員によって狙撃されました。弾丸は三発命中しており、即死でした。犯人はその場で取り押さえられましたが、背後関係については口を閉ざしています」

 手にしていた珈琲を取り落とした。カーソルを進めて先を読んだ。

「犯人は先頃摘発された兵庫の暴力団の構成員でした。警察ではここ数年、逆探知の威力が飛躍的に向上しています。電話会社の協力があれば相手の電話番号は瞬時に判明し、発信している場所が容易に判ります。この場合、兵庫の暴力団に狙撃を依頼した通話が確定され、相手も判明しました。それはパリの「地下鉄職員組合」という名称の団体の代表電話であると確認されています」

 地下鉄だと、と長沼は眉をひそめた。何でそんな奴等と繋がるんだ。


 やがて大野の来訪が、フロントから告げられた。上がって貰ってくれ、と長沼は指示した。

 今日の大野はシャツ姿で、袖をめくり上げていた。部屋に入ると大野は、大きな図面を広げた。クロワッサンを袋から出して、かじりつつ語った。エイボン書店店主のメールボックスのハッキングが出来ました。睨んだ通り戦時中の秘密文書が幾つも保存されていたのですが、我々に関係するのは、これでした。

「古い地図の複写の様だが」

「パリの地下遺跡の調査図です。十七世紀頃の宗教施設だと思われます。かなり大規模な様です」

 これがテグジュペリによって運ばれたのか、と長沼は呟いた。

「そうです。本来はレジスタンス闘士に贈られる筈だった情報です。しかしドイツ軍の手に落ちていたんですね」

「それから永い年月に裏社会の手を経て現在、敵の組織の手に渡ったと言うんだな。ここにあるのか」

 と長沼は目くばせして訊いた。

「あります」

 と大野もウインクを返して頷いた。

「こちらは上官に敵組織の手が回った」

「聞きました」

 と大野は沈痛に応えた。

 隊の情報ではここパリの「地下鉄職員組合」などとゆーふざけた名前が挙がってるんだが何者だ、と長沼は訊いた。

「メトロの車両の修復や保存をしている親睦団体ですね」

「テツ愛好家の噺を聞いてるんぢゃないぜ」

 恐らくは新興シオニスト集団でしょう、と大野は真面目な表情で応えた。

「そこで訊くが、例の地下鉄見学会、入場時に入場券を名簿かなんかと照らし合わせてたか」

「いいえ、券面自体のチェックだけでした」

 今度は大野が振り回される番だった。

「その入場券はまだ持ってるよな」

「勿論、スクラップブックに貼ってあります」

 大野は嬉しそうに言った。

「それを偽造してくれ」

 と長沼は言った。


 日差しがカーテンのすき間から差し込み、長沼の目を覚まさせた。今は応戦の準備期間だった。せめて今日一日は遊んでも構わないだろう。傍らで直美も目を覚ました様子だった。

 直美と朝食をゆっくり摂り、ホテルを出た。ルーブルを案内してあげる、と言われたのだ。長沼と直美は、ゆっくりとチュイルリー公園を歩いた。風が心地良かった。直美には故郷の話をせがまれた。どんな学生だったの、と盛んに訊く。

「普通の学生だったよ、野球ばかりしてた」

「ガールフレンドは居たの」

「当然居たよ。田舎の学生の純情な付き合いさ」

 ルーブルの巨大な建築が見えて来た処で、気が変わった。がさつな俺がモナリザ見てもな、と思った。直美に謝って方向転換した。

 直美も機嫌を損ねはしなかった。チュイルリー公園を抜け、コンコルド広場に戻った。改めてオベリスクを間近に見た。場違いな物の様な気もする。

 そのままシャンゼリゼをまっすぐに歩いた。マロニエの並木が梢を突き上げている。新緑が眩しい。時折、直美が立ち止まってウインドーガラスを覗き込んだ。微笑んだり、ため息をついたりしている。歩き疲れると、街路のカフェの椅子に座った。温かいカフェもまだ美味だ。

「ちょっとお化粧直し」

 と直美は化粧ポーチを出した。開いた手鏡を唇の前に寄せ、それを左手で支えつつ、右手はポーチの中を探っている。その鏡を覗き込むあどけない表情が、なんとも愛らしいと長沼は思った。

「それだろ」

 と思わず手を伸ばして、ルージュと覚しきスティックを摘んだが、妙に平たくて丸みが無い。何だか判らないが別の化粧品らしい。こっちよ、と直美がゴールドの円筒を摘み出した。

 口紅を塗り直した直美は、笑顔を向けた。鮮やかな紅も良いものだ。それからまた歩き始めた。通りの向うに凱旋門が姿を現していた。


 次の「パリ地下鉄ツアー」はその週末だった。夜更けに大野は長沼の部屋を訪れた。どうです、本物と見分けがつかない出来ですよ、と大野は入場券を長沼に手渡して言った。

 次に大きな図面を広げた。先に入手した地下遺跡の図面を、現代の地図とオーバーラップさせてプリントアウトしたものだという。

「残念乍ら現代に於いては、この遺跡に入り込む侵入経路がありません。しかし地下鉄の路線に、その一部が使われているらしいのです。そーいえば見学ツアーで見事な石壁を見た気がしました」

 長沼は身支度を始めていた。

 それからこれ、と布に包んだ銃を手渡した。きちんとホルスターに収まっている。駐在武官から預かった物だった。長沼はそれを取り出し、隊の規定に従った手順で分解・確認した。

 その手許を見つめつつ、大野が言った。

「私も行きます」

 長沼は手を休めない。

「いや、大野さんアンタは事務職だろ。来るな、これは実戦だ」

「私だって採用は警察官でした」

「拳銃を持った事があったのか」

「いやその」



    5


 ――薄暗い部屋には使い古された木製のデスクがあった。きしむ椅子に腰掛けているのは長沼だった。うつ向いて呟いている。こうなったのも全て俺のせいだ、俺が責任を取ればいいんだろうな。

 デスクトップに力無く投げ出された両腕の間に、鋭い刃のナイフがある。低く呟きを繰り返す長沼は、やがてそれを取り上げた。

「動脈を切ればいいのか。いっそ頚を刺せば楽になれるのか」


 長沼が潜入したのは五時間程前だった。

 モンマルトル駅午前零時。さぁさぁ「地下鉄ツアー」の皆さん、お待たせしました、と呼び込む車掌の声に改札脇で待っていた二〇〇人程の老若男女が、歓声を上げた。長沼はその中に混じって、同じ様に笑顔を作っていた。

 車掌は手動の方の改札を開き、ひとり一人の入場券を改めてはホームへと通していた。入場券にも怪しむ様子は無かった。

 ホームに出ると客達は想い思いに写真などを撮っている。後から入って来た客の中に長沼は、直美の姿を見つけた。直美さん、と声を掛けた。ホームの端に居た直美も、その声に気付いた様子だった。ここ、と手を挙げた。それを見つけて直美は遣って来た。

「どうしてここに」

 と思わず声に不審感が出た。入場券を貰ってしまったんです、と直美は言った。友達が、面白いから行ってごらん、と熱心に勧めるんで。

 やがてホームに、赤と緑のツートーンのストライプのある車両が入って来た。それを見て中高年の客たちが歓声を挙げている。どうぞお乗り下さい、と車掌がドアを開いた。客達はいそいそと乗り込み始めた。

 長沼も直美を促して乗り込んだ。時刻は既に三〇分過ぎている。はい、皆さんお乗りになりましたね、と車掌が確認して発車のホイッスルを吹いた。乗客達はさっそく車両のあちらこちらを写真に収めている。

「そうです、ご存知の方もおられるでしょう。これは一九〇三年に作られたきわめて珍しい車両です。私達が丹精を込めてリストアしたのです」

 若い乗客達が歓声を挙げた。老人達は、したり顔で頷いている。通過して行く駅には、まだ乗客がいるホームもあった。その乗客達の驚いた様な表情が面白かった。

「今夜乗り合わせられた皆さんは幸運なのですよ。ごらんなさい、座ったままで路線を乗り換えられるのですから」

 と案内役の車掌が言うと、電車はスイッチバックを始めた。車両は後方からヘアピンカーブを切る様に、違う線路に乗り込んで行く。

 パリの住人達にはそれが何号線なのかが判るのだろう、驚きの声が挙がった。

「そうです、我々は実は地下から地下へ、パリの何処へでも行けるのです」

 やがてまた違う路線に入り込んだらしい。幾つもの駅が車窓を走り抜けて行った。

「この辺りは壁面にもご注目下さい。見事な石組でしょう。十七世紀のトンネルを活用した路線もあるのです。かつて掘られた宗教施設の為のトンネルだという調査結果があります」

 さてこの辺りでちょっと散策してみましょうか、と車掌が言うと車両は速度を落とした。そして暗いホームへと滑り込んだ。

「ここは戦時中の統制令で閉鎖された廃駅です」

 降りて歩いてみませんか。車掌は扉を開いた。客達はホームに出た。薄暗い照明が灯っていた。段の途中で塞がれた階段を見上げて、外へは出られないの、と言う女性の質問に、車掌は応える。

「戦後も永くなって、閉じた階段の上にはアスファルトが敷かれてしまっています。もはや地上には繋がっていません」

 さぁ、それでは次は真新しい現代のホームへお連れしましょう、どうぞご乗車下さい、と促す車掌の声に客達はまた骨董品の車両に乗り込んだ。車掌のイッスルが響き、車両は発進した。


 遠ざかる車両の尾灯を見送って、長沼はベンチの陰から身を起こした。ホームには誰も残っていない筈だった。しかしその袖を引く者があった。

「直美さん」

 暗い灯火の下で直美はにっこりと微笑んだ。どんな悪戯をするつもりなんですか、とささやく。いや、これはちょっと冗談ごとなどではないのだが、と長沼もささやいた。

 周囲に人影は無かった。ここに置いておけば危険はないか、と思われた。

「私はちょっと、探検して来ますから、直美さん、ここに居て下さい」

 直美は眉をひそめた。嫌ん恐いわ、と言う。

「ゾンビは居ないと思いますが」しかし恐がる女性を置いても行けなくなった。「それでは静かについて来て下さいね」

 長沼は駅務室の扉を開いてみた。中は暗い。腰に装着しておいて懐中電灯を取り出し灯した。机と椅子があり、ロッカーもあった。

 奥へと進むと扉があった。開いてみると、暗い通路が続いていた。通路には左右に扉が四つあった。直美が長沼の背中を掴んで着いて来ている。四つの扉をひとつづつ開いて確かめたが、どれも空き部屋だった。塵が落ちているだけだった。

 これだけだろうか、と長沼は消沈した。その表情を直美が見つめている。立ち止まると静寂が広がった。しかしその何処かにかすかなファンの音が混じる。こんな音を良く耳にするよな、何だったか。

 もう一度四つの部屋を調べ直した。特に床の埃に気をつけてみた。廊下の奥の部屋の更に奥の壁際に、扇状に埃が薙ぎ払われた痕があった。扉がある。長沼は壁を注意深く撫で回した。

 指に掛かる小さな段差を辿ると、人の通れるサイズが浮かび上がる。ナイフを出して段差に突き立ててみた。そこから段差が広がった。やがて壁に扉が開いた。中は暗い。長沼は懐中電灯の光を差し向けた。

 ひっ、と直美が声を呑んだ。懐中電灯に光の輪の中に、古びた十字架が幾つも浮かび上がった。光をどの方向に向けても、その中に十字架が浮かぶ。それは墓所の様相だった。

「お客さん、こちらの駅は七十年前に閉鎖したんですがね」

 と声がした。直美が悲鳴を挙げた。白い麻のスーツを来た老紳士が背後のドアに居た。銃を構えている。

「マドモアゼルはこれで用が済みましたな」

 鈍い銃声がして、直美が倒れた。長沼は銃を取った。応戦しようとした途端、背後から鍼の痛みを感じた。見る間に力が抜けて行く。意識も遠くなる。脚をもつれさせた長沼は背後から抱き止められた。

「パロキセチンという薬は抗欝剤なんですがね、投与量によってはどうも欝を亢進させる場合もあって扱い難い薬です」

 誰が話しているのだろう。長沼は駅務室のデスクに座らされていた。身体を拘束されてはいない。しかし抵抗する気が起きないのだ。

「往々にして投薬した者を自殺させてしまうんですな」

 長沼は深い欝に落ち込んでいた。直美が死んだ、野元長官も暗殺された。みんな俺のせいなのだ。俺が判断を誤ったせいなのだ。このナイフを使えば良いのだろうか。これでいっそ楽になってしまおうか。


 深夜の街路にバリケードを並べて、道路工事が始まろうとしていた。数台のトラックが停まり、男達がスコップやつるはしを手に降り立っている。プリントアウトした地図を見て、ここです、と指示をしているのは大野だった。プラスチック爆弾を持った男が、任せろ、と呟いた。

 ジュネーブ近郊のセルン研究所では三たびLHCが制御不能になっていた。コントロールルームでコンソールに座ったオペレーターは、必死の形相でスイッチを操作していた。あれを見ろ、と言う声に技術者達が窓の外を見ると、深夜の葡萄畑の上空にオレンジ色の球体が膨らみ始めていた。


 福井県御浜町では、午後一時になろうとしていた。

 昼時を終えた頃だった。午後の海は凪いでいた。朝の早い漁師の家では、昼寝にいそしむ時刻でもあった。

 町内に突然、サイレンが鳴り響いた。町内各所に立てられている防災放送のスピーカーが鳴っている。住民達は最初、隣接する地域の原子力発電所が何かトラブルを起こしたのか、と恐れた。しかし次に流れた金属質の女性の声に、一層震え上がった。

「まもなくこの地点に、ミサイルが着弾する恐れがあります」

 サイレンは鳴り止まず、表情のないアナウンスだけが繰り返された。

「まもなくこの地点に、ミサイルが着弾する恐れがあります」

 住民達は、家を飛び出した。男達は空を見上げた。空は初夏の空気に包まれ、良く晴れた青空の高みに、何かオレンジ色の点が見えた。点はやがて膨らみ始めた。それはオレンジ色に光る丸い物体であると、視認が出来た。オレンジ色の物体は、天空からまっすぐに落ちて来ようとしていた。


「長沼さん」

 と声がして、男達が入り込んで来た。大野が近づいて、長沼の手からナイフを取り上げた。

「だれだおまいら」

 と長沼は力ない声を上げた。

「NSCです。シチェーションルームに急報して、こちらのエージェントを集めて貰いました」

 と大野は応えたが、長沼は反応しなかった。

「ありゃ~目がよどんでますよ。ドクトル」

 と大野が声を掛けると男達の中から、スキンヘッドに眼鏡の黒人が応えを返した。大野が手招き、言った。

「一服盛られてます。解毒して下さい」

 ウィ、とドクターは言った。手持ちの鞄から筒状のものを出して、長沼の腕に当てた。中から鍼が飛び出して長沼の腕に薬液を送り込んだ。一瞬痛みに目を見張った長沼は、直ぐに気を失った。

 男達は部屋の隅に転がる直美の遺体を収容バッグに収めている。更に部屋の外にも多くの男達がいた。四つの部屋は忽ちのうちに調べ尽くされた。十字架の部屋もすぐに発見された。

 ここにこの部屋があるなら、と通路を挟んだ向いの部屋の奥の壁も調べられた。やがてそこにも隠し扉が発見され、男達が押し入った。

 そこは目ばゆい程の光に満ちた部屋だった。天井の梁などに、植物を象った彫刻が残っている。かつて地下寺院だった跡なのか。その下にサーバーの様なサイズのコンピューターが部屋の奥まで数十台並んでいた。ファンの音が共震していた。

 コンソールに居た制服姿の男は、忽ちホールドアップさせられた。しかし取り調べる前に毒を含んで自殺した。敵はもう残っていなかった。

 スーパー「オゥディナトール」のカテドラルは徹底的に捜索された。やがてその奥に扉のある事が判った。この扉は頑丈だった。リーダーの指示で、チェーンソーが持ち込まれた。派手な音を立てて扉が切り裂かれた。

 扉を開くと、そこは地下鉄路線に面していた。折しもツートーンのストライプのある古風な車両が発車しようとしていた。車内で車掌がホイッスルを吹くと、車両は勢い良く加速した。車内で白い麻のスーツの老紳士が軽く手を振った。男達は線路に降りて走り、地下鉄を追ったが、やがて置き去られた。


 コンピューターのコンソールの前では、大野が考え込んでいた。コンピューターは今しも、何処かに巨大なオレンジの球体を落とそうとしていた。ディスプレイにはその様子が刻々と表示されていた。

 男達のうちのコンピューター技術者が、コンソールを操作してオレンジの球体をコントロールしようと試みていたが、どうにも手が出なかった。操作の度に、コンピューターはパスワードの入力を要求していた。

「しかし、こんなテキストボックスは珍しいぜ、普通はパスワードって言ったら十文字かそこらだろ。こりゃ短文だぜ」

 画面のテキストボックスは、ブログのコメント欄程のサイズがあった。文字を入れようと技術者が試みると、奇妙な字体が表示された。これはヘブライ文字だ、と誰かが言った。

 ヘブライ文字と聞いて、大野は自分のキャリーバッグを探り始めた。ノートパソコンを出して、起動した。そして保存した文書をひとつづつチェックし始めた。左手でネクタイの頚許を緩めた。額に汗が滲む。

「オウノウさんよ、こんな処でメールチェックかい」

 と声を掛ける者がいた。それにも応えず大野は文書を探し続けた。これだ、とやがて大野は言った。誰か、ヘブライ語が読める出来る人はいませんか。

「俺、ちょっとなら。昔じいさんに教えられた事あった」

 この記事です、と大野が大使館情報に添えられた写真を示した。宗教的に不適切な画像を開いてしまった時の、清めの文句の記事。その記事に清めの全文が画像としてレイアウトされていた。問題はその後半に連なるヘブライ語だった。

 それを示された男は暫し、写真を睨みつけ、やがて呟いた。

「タルムードの一節だな。確かこうだった」

 男はコンソールの前に座り、キイボードを打ち始めた。こんな文字もあるのかね、と男達は怪訝な表情をしていた。



    エピローグ


「正気に返られましたか」

 と大野は声を掛けた。今朝もコンコルドのホテルの部屋を訪れている。

「俺はいつでも正気だぜ、あんた達が来たのも判ってた」

 と言いつつも長沼は生欠伸を繰り返した。バスルームに行き、冷たい水で顔を洗った。悪夢を見た。ドクトルの解毒薬は結構キツい副作用があった。

「奴等は逃げたのか」

 と髭を剃りつつ、大野に声を掛けた。

「地下鉄操車場にあの古い車両が乗り捨てられてました」

「結局どーゆー組織なんだ」

 鏡の中の自分の顔をチェックし、仕上げに頬を両手で叩いた。

「中東の人種を血統からユダヤ人と認めると提唱し、アラブ勢力の財力と結び着いた、新しいシオニスト集団ですね」

「あんな地下鉄ツアーを主催してた理由は」

 部屋に戻り、シャツに腕を通した。

「非公開の方の日には組織の連中が客のふりで集まって、資材を運び込み、あのアジト建設を続けていたんです。地下鉄路線の側溝に光ケーブルを縦横に這わせてあるのが見つかりました」

「判らないのはマガジャネスなんだがな」

 スーツを着込むと、気分も引き締まった。俺ってダニエル・クレイグっぽくないか。

「包囲を狭めていたNSCの捜査に対する威嚇と、南米に目を向けさせ北極圏からは注意を逸らすおとりでした」

 そう言われると、八升で対極に到るチェスの戦略らしい気もした。

「スーパーノートは奴等の物だったのか」

 デスクの前の鏡に姿を映してネクタイを結んだ。やはり東洋人のオヤヂの姿だった。

「あれは「闇の核市場」の共通通貨です」

 大野はブリーフケースから小さな女性物のポシェットを出した。見覚えがある、と気付くと同時に胸が痛んだ。

「直美さんの物です。中を調べたらこんな物が入ってました」

 大野が摘んだのは平たいスティックだった。

「USBメモリーです。写真を保存するメモリーが足りないと言ってた位ですから、これを持ってるのは訝しいです。さっそく中身を調べました」

 勝手に手を触れるのかよ、と理不尽な怒りを抱いた。が、顔には出さない。

「危なかったです。ウィルスソフトでした」

 差し込んだパソコンが、感染する処でした。これをたぶん長沼さんのパソコンにも繋いだ筈です。ですから長沼さんの自衛隊ネットのクッキーは、流出していたと思って良いでしょう。そして野元長官がターゲットになった。更には日本の原発が狙われた。

「直美さんもスパイだったって言うのか」

「直美さんは薬物で操られていたんです」

 信じられんな、と長沼は呟いた。

「製薬会社の研究所で治験のアルバイトをしたと言っていたでしょ。直美さんの携帯電話に通話記録が残っていました。そこの向精神薬のスペシャリストが、ドバイの側の黒幕です」

 そこで一服盛られて、スパイ行為をさせられていたと言うのか。

「さぁ、行きましょう。NSCの連中も集結している筈です」

 と大野は促した。


 ホテルのファサードにはまたレンタカーのプジョーが停められていた。

「そのNSCさ、乗用車くらい持ってないの」

「エコロジーです」

 長沼は助手席に乗り込んだ。大野がアクセルを踏んだ。

「で、結局大野さんはダブルクロスか」

「いいえパラレル接続ですよ」

 当時の安倍首相がライス国務長官と内密に交わした取り決めの結果、内調からNSCとの連絡要員として送り込まれたんですが、当人達があの様に消えてしまって、体のいい島流しでした、と大野は言う。

「シチェーションルームってのは何だ」

 と長沼はいつか聞いた名称を思い出して訊いた。

「ワシントンDCにあるNSCの情報分析セクションです」

「そんな処で漫才の稽古してたのか」

「ど突いても良いですか」


 Jアラートとは緊急地震速報や津波警報、弾道ミサイル発射情報を消防庁から衛星経由で自治体に一斉配信するシステムである。自治体には自動起動装置があり、受信すると防災行政無線のスイッチが入る。これにより、住民に緊急情報を伝える。

 御浜町で起きたミサイル着弾予報の件は、誤報として処理された。

 Jアラート受信装置の不具合を点検していた業者が、点検を終え機器を再起動した際に、ミスがあったという。テスト用に使った「ミサイル発射」情報が消去されず、流れてしまったというのだ。システムにはテスト用の情報が外部に流れない様、消去するプログラムが用意されていたものの、点検のために動かしていたのが必要最小限のプログラムであったため、これが働かなかったという。システムの管理業者にペナルティが課されて、本件は終息した。

                                 了

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