第10話『クッキーのお返しに』

「お兄ちゃーん!」


「修平さーん!」


授業の合間の休み時間。

トイレに行った帰りに小夏とひよりに遭遇した。


「おー。なんだ? 次の授業は移動教室なのか?」


「違う違う。お兄ちゃんのこと探していたんだよ」


「俺のことを? どうして?」


話していて気づく。二人とも背中に手を回していて何かを隠しているようだった。

俺のその視線に気づいたのか、小夏はニコニコと笑ってひよりと顔を見合わせると、二人同時に背中に隠していたものを俺の前に出した。


「じゃーん! クッキーだよ!」


「家庭科の授業が調理実習だったので小夏さんと作ったんです。修平さん、食べてくれますよね?」


「おおー。食べる食べる」


二人からクッキーの入ったタッパーを受け取ると、早速蓋を開ける。

バターの香ばしい匂いとクッキー特有の甘い香りが食欲を刺激する。


ふと視線を感じて辺りを見渡してみると、廊下で談笑していたクラスメイトが羨ましそうにこちらを見ていた。

ふっ。そんな目で見たってあげるものか。これは俺だけのクッキーだ。


「料理は得意なんです。なので味の方は保証しますよ」


「俺さ、勝手にひよりは料理が出来ないって思ってたんだけど、その考えは改めた方がいいみたいだな」


「何気に失礼ですね……。こう見えて毎日夕飯作ってるんですよ。お弁当ももちろん自分で作ってます」


えっへんと無い胸を反らすひより。

黄金色に焼けたクッキーを一枚摘み口の中に放り込む。サクッと音が鳴り、ほろほろと甘さが舌に溶け込んでいく。文句無しの美味しさだった。


「ひよりって実家暮らしだよな? 親は料理作ってくれないのか?」


「ひよりの親は両方とも働きに出てるんです。毎日忙しいみたいで帰ってくるとしても夜中。最近だと二日三日家に帰ってこないのもざらです。なので必然的にひよりがご飯を作るしかないんですよね」


「花澤さん結構苦労してるんだね」


「それほどでもありませんよ。ひよりにとってはこれが普通ですから。あー……でも一つだけ耐えられないことがあるんですよね……」


「耐えられないこと?」


五枚目のクッキーに手を伸ばそうとした時、ひよりが俺の腕を掴んで遮る。

その手はひんやりと冷たい。しかし徐々に熱を持ち始めると共に手に込められた力も強くなってくる。どうしたのかと思いクッキーから視線を上げると、必死な形相で俺を見据えるひよりとばっちり視線が合わさった。


「あのですね……修平さん。修平さんのこと、頼ってもいいですか?」


潤んだひよりの瞳が俺の心拍数を跳ね上げる。小夏は映画のラストシーンを観るようにじっくりと俺たちを食い入るように見つめ、自分が持ってきたクッキーをおもむろに口に入れる。

おい。それ俺のために作ってきたやつじゃないのかよ。


「……俺なんかでお前の力になれるならいくらでも頼りにしてくれていいが……何をさせる気だ?」


「あ、その! そんなに警戒しなくてもいいんですよ!? 別に危ない事とかやましい事をさせるわけじゃありませんから!!」


「お、おう。それで? 俺は何をすればいいんだ?」


「その……ですね。ひよりと……一緒にいてくれませんか?」


「……は?」


「……!!」


おい小夏。その、キター!! って感じにガッツポーズ作るのやめろ。そして身を乗り出してくるな鬱陶しい。

しかし……これは返答に困る。椛に続いてひよりも告白なのか……?


「……ダメですか?」


潤んだ瞳での上目遣い。女の武器をここぞとばかりに振りかざすのはやめてくれないか……。


「いけー!! お兄ちゃん押し倒せー!!」


「うるせぇ黙れ」


「もっと熱くなってよ……!! 熱い血燃やしていこうよ……!! 人間熱くなった時が――」


「著作権引っかかるからやめろ」


「はい、ごめんなさい」


小夏のことは置いといてだ。

ひよりは答えを待つように俺を見つめたままでいる。馬鹿な小夏のおかげでだいぶ冷静さを取り戻せた。

これは俺の早とちりという可能性の方が高い。ちゃんとひよりから話を聞くことにしよう。


「それはあれか。告白と受け取るべきなのか?」


「へ? いや違いますよ!? 思い返してみると告白に近いこと言ったかもですけど!!」


あたふたと慌てふためくひより。小夏はがっくりと肩を落としていた。


「とりあえず落ち着いて最初から説明してもらってもいいか?」


そう言うとひよりは深呼吸を何度か繰り返して気持ちを静める。


「えっとですね……自分で言うのもあれですけど、ひよりは寂しがり屋で一人でいる時間が嫌いなんです」


そうしてひよりはぽつりぽつり語り始める。


「さっき話した通り両親は共働きで家を空けていることが多くてひよりは一人で家にいることが多いんですよ。ひよりにとってはこの時間が苦痛でしかないんです。だから修平さん。毎日とは言いません。たまにでいいので夜の時間をひよりと一緒に過ごしてくれませんか?」


それを聞いて俺は先程までの自分の考えがなんて浅はかだったのかと後悔する。同時にこんな俺を頼ってくれて嬉しいという気持ちが込み上がってきた。

ひよりの友達として、そして男として、俺が力になってあげたいと思った。


「何処に何時に集合する?」


「え?」


「いや、流石に放課後直行だと制服姿のままで夜補導されるかもだから着替えてから合流したいんだが」


「……いいんですか?」


目をぱちくりとさせるひより。

了承を得られるとは思っていなかったのか、心底驚いているようで俺は思わず苦笑いしてしまう。


「良いも悪いもひよりが言い出したことだろ? 俺はそれを了承した。暇な時はとことん付き合ってやるよ」


「修平さん……ありがとうございますっ!」


「うおっ!?」


胸に飛び込んできたひよりを受け止める。

結果的に抱き合うような体勢になってしまい、それを見ていた小夏はやっぱり無言のガッツポーズを作っていた。

そしてこの体勢……周りの視線を集めるには十分な効力を発揮しており、こちらを指差してヒソヒソ話をするクラスメイトが数人とたまたまと通りかかった教師が訝しげな目で睨んでいた。


「ひよりストップストップ。かなり注目されているぞ!?」


正直な気持ち、もう少しこのままでいたかったが、あらぬ誤解を生まない為にも早いところ離れておくのが得策だった。


「そ、それは恥ずかしいです。でも修平さんに甘えていたい気分……けど誰かに見られているってのもゾクゾクして悪くないかもしれません……」


ひよりは新たなる性癖に目覚めた。


「おい落ち着け!? 分かった! 人がいなけりゃ存分に甘えてくれていいから今はその気持ちを抑えてくれ!!」


「はーい、お二人さん。視線こっちにちょうだい」


言われるがままに視線を向けると、限界ギリギリのローアングルでスマホを構えた葵雪が待機していた。


「葵雪!? お前何してんの!?」


「見て分からない? 写真撮ってるのよ。……これは高く売れそうね」


「聞き捨てならない発言するな!! 消せっ!! 今すぐにデータと記憶から消してくれ!!」


「絶叫する修平くん。しかし葵雪ちゃんは止まることなく写真を撮り続ける。次回、拡散される写真。お楽しみに!」


「妙なナレーション入れるな巡ぃぃぃぃぃいいいいい!!」


アニメの次回予告のように俺の未来をバッドエンドで確定させるのはやめて欲しい。

というか誰もこの状況を解決しようとしてくれないから俺泣きそう。


「修平くん〜!」


そんな中、人波をかき分けてこちらに走り寄ってくる淡い紅の髪の少女が一人。

その姿を見た時、ああようやく救いの時が来たかと思ってしまう。


「椛!? 良かった。お前だけは俺の味方を――」


「わたしもギュッとするんだよ〜」


現れたのは救いの天使ではなく悪魔だった。

椛はひよりとは反対側に抱きついてきて、控えめとはいえ確かな女の子の感触が腕に押し当てられる。

あー……椛って着痩せするタイプだったのかぁ。見た目と腕に当たる感触が一致していないなぁ……。柔らかい。最高っ! なんて心の中で思いながら――


「おいこらぁぁぁぁぁ!! 事態を悪化させるなぁぁぁぁぁあああああ!!」


自分の名誉を守るためにそう叫んだ。


「ねぇ、修平。そんなに叫んで疲れない?」


「疲れるよ!! けどお前らが叫ばせてるんだろうが!! あともう写真撮るな!!」


「ひよりちゃんの元へ現れたのは最強のライバル椛ちゃんだった。次回、波乱の幕開け。デュエルスタ――」


「巡ストップ!! お前も著作権考えろ!!」


「えへ」


チョロっと舌を出してコツンと自分の頭を叩く巡。コイツ全く反省してねぇな。でも可愛いから許す。


「ほらほらあなた達! そろそろ授業始まるから教室戻りなさい!」


「「「はーい」」」


教師の鶴の一声によって騒がしい休み時間は終わりを告げた。



「……ああ、そういえばそうだったな」


昼休みの後、移動教室ということで巡たちと行動を共にしていた俺は教室に着くや忘れ物をしている事に気づいた。


「あれ? 修平くんもしかして今日の調理実習のこと忘れていたの?」


「そりゃもうすっかりと。何でみんな教科書以外の荷物持っているんだろうなぁって考えていたくらいだ」


「あらら……。先生に頼めばエプロンとかは貸してもらえると思うから借りて来たら?」


「だな。昼休みに気づいてりゃ小夏に借りれたんだが仕方ない」


俺たちよりも早く来て実習の準備をしていた先生のところへ行ってエプロンと三角巾を借りてくる。

戻った頃には巡たちは準備完了の状態で待機していた。普段あまり見ることのない彼女たちの姿に俺は感嘆の息を漏らす。


「やっぱりエプロン姿の女の子っていいな。眼福眼福」


「小夏ちゃんので見飽きてたりしないの?」


「妹のエプロン姿と同級生のエプロン姿じゃ天と地の差がある。こういうのは普段見ていないからこそ価値があるんだよ」


「私にはよく分からない感覚だけど、少なくとも修平のエプロン姿は新鮮でいいなぁって思ってたりする」


エプロンを付け終わった俺をまじまじと見ていた葵雪はそんな感想を述べる。


「うんうん。修平くん似合ってるよ。なんかすごく料理できそう」


「材料さえあれば大体のメニューは作れる。というか一応確認しておきたいんだが、巡と椛は料理できるのか?」


葵雪が出来ることは把握済みだ。しかしこの二人の料理事情は触れる機会が一切無かったせいで全く分からない。

一緒のチームを組む以上、これははっきりさせておかなければならない。下手したら命に関わる問題になる。


「私はちゃんと料理できるよ。和洋中からお菓子まで何でも任せて」


巡は自信満々に答える。

今日の実習で何を作るのかまだ分からないが期待しても問題はなさそうだ。


「わたしの得意料理はカップラーメンだよ〜」


「なるほど。じゃあ椛は洗い場と味見担当をよろしくな。特別に他のことは一切しなくてもいいぞ」


「ほんと〜? じゃあわたしは、わたしの与えられた仕事を全うすることにするよ〜」


「……修平くん、何気に酷いよね? 戦力外通告された当の本人が気にしてない……というより気づいていないみたいだからいいけど」


「じゃあ料理担当は私と修平、巡でいいわね」


「賛成」


「おっけー」


「了解だよ〜」


役割分担が決まったところでようやく授業開始のチャイムが鳴る。

家庭科の先生曰く、今日作るのはお題方式で、用意した食材でお菓子を作ろうというものだった。

簡単な説明が終わり、クラスメイトは食材の選別作業を始めていた。量だけは無駄にあるようでのんびり選んでいても大丈夫そうだったから俺たちは人気が無くなってから食材を選びにやってきた。


「卵にバター、ホットケーキミックスに牛乳、砂糖、生クリームエトセトラ……。あとは果物系とパウダーがそれなりにある感じかな? レシピ的にはクッキーかカップケーキが作れるね」


「ホットケーキを数枚焼いて重ねて生クリームと果物で飾り付けするのもありじゃない? さっさと終わらせてのんびりしたい」


今回の調理実習、自分たちの作ったお菓子の写真を撮ってレポートにまとめて提出する必要がある。

だから凝ったものを作って評価を上げるのもありだし、簡単なものを手早く作ってのんびりするのも一つの手だ。


「椛は希望あるか?」


「わたしは作る係じゃないから修平くんが決めなよ〜」


「ふむ」


顎に手を当て考える。

どうせ作るならひよりと小夏にお返しをしたい。それならばクッキーかカップケーキを作るのが妥当だろう。しかし面白みには欠けてしまう。綺麗にトッピングしたホットケーキをどーんとするのも捨てがたいが手間が掛かる。けどその分喜びはこっちの方が大きいはずだ。


「修平くん、早く決めないと時間もったいないよ?」


「んー……そうだな。じゃあ巡の意見を取ってクッキー作るか。時間は掛かるが空いてる時間はのんびり出来るし」


「分かった。じゃあ必要な材料と器材揃えましょ」


「おー」


それから詳細な役割分担を決めてクッキー作りに取り掛かった。



to be continued

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