恋と約束の交響曲
心音
Prologue
第01話『桜の舞う空の下、俺は彼女と出会った』
ひらひらと舞い散る薄紅色の花びら。
はらはらと舞い落ちる空を飛ぶ鳥の羽根。
天を見上げれば青く澄んだ空に白い雲。
そこから少し視線を下ろせば満開の桜の木に止まって楽しそうに歌っているホトトギスが目に映った。
そこから更に視野を広げると、視界いっぱいに広がる薄紅の世界。
無数に咲き誇る美しくも神秘的な桜たち。
ここは
春になれば今目の前に広がっている光景のように無数の桜が可憐に咲き乱れる。
一度目にしてしまえば一瞬のうちに脳裏に焼き付けられ、まぶたを閉じても尚咲き続ける美しき桜の絵画。
大袈裟だと言われるかもしれないが、要するにそれ程までに素晴らしいということだ。
御桜丘はこの街の一番高い場所に存在する高台。
故にここからは街の全てを見下ろすことが出来る。
「……」
街に舞い降りていく桜の花びらを目で追っていく。
薄紅の欠片が辿り着く先にある街は
元々は御桜丘にちなんで
理由は分からない。いわゆる大人の事情ってやつだ。
櫻美崎は四方が山に囲まれている街だ。
隣町に行くための交通手段は街を二つに分けるように引かれている路線を走る電車だけ。バスもあるにはあるが、これは街の中を走るだけのもので外に出ることはできない。
だが街を出ずとも十分に生活することは出来る。
それは街の中心にある
あのショッピングモールがある限り生活に困ることは絶対に無い。本当にマイナーなもの以外は何でも手に入る。
ショッピングモールの中には幾つかの喫茶店や娯楽施設があり、学校帰りの学生たちはここで放課後のひとときを楽しむ。
俺もよく友人たちと遊ぶのに利用している。
「――あのー……すみません」
ふいにそんな声が聞こえた気がした。
その声はあまりにも小さく、幻聴だったのではないかと疑ってしまう。
春の妖精が独り身の俺を哀れんで幻聴を聴かせてくれたのだろうか。
もしそうなら迷惑な話だ。
俺は好きで一人でいるだけなのだから。
先ほども言ったように御桜丘は櫻美崎の全てをを見渡すことのできる絶好のポジションに位置する高台。
こうして心地よい春風に当たりながら、桜と共に街を見下ろす。それだけで心休まるものがあった。
だから一人の時間を過ごしたい時俺は決まってこの場所にいた。
どんなに暑い日も、どんなに寒い日も、一人でいたい時は決まってここに来ていた。それがいつの間にか当たり前のことになっていたのだ。
「あ、あれ? 聞こえてないんですか……?」
季節によって見える景色も変わる。
廻り、変わり続ける四季の景色。
この高台から見れる景色は俺の宝物と言っても過言ではない。
特に春だ。この時期の御桜丘は一年を通して一番素晴らしい。
この景色で作文を書けと言われたら原稿用紙5枚は軽いだろう。それ程までに――
「――あの!! 無視しないでください!!」
「……」
どうやら先程から聞こえていた声は気のせいでも何でも無かったらしい。
耳に残る少し幼い感じの声、くいくいと服の裾を引っ張られる感触。そしてほのかに香るどこか懐かしい甘い花の香り。どれも俺の気のせいなんかではない。
その香りに誘われるがままに振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
「……」
「……」
なぜ無言なのだろうか。
向こうから話しかけてきたのだからそっちが切り出すのが礼儀ではないのか。
しかし少女の漆黒の瞳は俺を見つめたまま一切動かない。
「……」
「……」
無表情とまでは言わないが、表情が読みづらく何を考えているのか分からない。
というか心底どうでもいいのだが、瞬き一つせずに見つめ合っているせいで目が乾いてきて痛い。
「……」
「……」
いつまで俺はこうしていればいいのだろう。
痛みに耐えきれず瞬きをしてしまったが、少女のほうは未だに動かず俺を見つめていた。
このままでは埒があかない。
そう思った俺は仕方がなく自分から話を切り出すことにした。
「――告白か?」
「い、いえ違います……」
少女の白い頬が髪の毛の色と同じ淡い紅色に染まる。
無表情キャラかと思っていたがこういう照れたような表情もできるようだ。
まぁ少し考えてみればあんな大きい声が出せる時点で無表情キャラとは言えないのかもしれないが。
「告白じゃないなら……何の用だ?」
「女の子が声を掛ける=告白と勘違いしてません?」
「……そんなことはない」
「じゃあ今の間は何ですか」
「……」
今度は無表情でツッコミを入れられた。
この子のキャラがいまいち掴めきれないが、一つだけ言えることがある。
それは俺自身こういう子を嫌いではないということだ。
突然何を言い出すんだコイツ。と思ったかもしれないがとりあえず俺の話を聞いて欲しい。
俺は昔からこういった不思議ちゃんを好きだったわけではない。
どちらかと言えば普通の子が好きだった。いやまぁ、今でも普通の子が好きだが。
普通の生活をして、普通の人付き合いをして、過ぎ行く日常に身をゆだねる。それが俺の人生だった。
だがいつの日かそんな人生をつまらないと感じ始めた。高校に入学してから俺の周りに変わった奴が集まったのが一番の原因なのだろうが。
さて結局何が言いたいかというと、俺はそんな当たり前の人生を過ごすのが嫌になったのだ。
要するに、退屈すぎる人生を過ごすより、刺激のある人生を送った方が楽しいということ。
この選択をしたことに俺は後悔などしていない。今が楽しければそれでいい。
「――冗談はさておき、本当に何の用だ?」
今は目の前のことに集中することにしよう。
「あ、そうでした」
……忘れてたなコイツ。
「……別に忘れていたわけではないですよ」
「心を読まれただと? お前エスパーだったのか」
「違いますよ。今の表情を見れば誰だって分かります……」
「……」
「……」
再び沈黙。
呆れているのだろうか。やはり無表情だと考えていることが分かりづらい。
先程まで周りのことなどお構いなしに吹いていた春風はまるで俺たちを見守るかのように静かになっていた。
そして、まるでこのタイミングを狙っていたかのように少女が口を開いた。
「――あの日の約束、覚えてますか?」
静まり返っていたからこそ、少女のその声は俺の耳にはっきりと届いた。
だがその内容を理解することができない。
理由は単純明確。俺と目の前に立っている少女は初対面なのだから。
別に昔事故にあって幼い頃の記憶がないとか、双子の兄弟がいてそっちと間違われたわけでもない。
そんなゲームやアニメみたいな主人公設定は俺にはないはずだ。
「……」
「……」
少し考え込む。
チラッと視線を上げると少女は黙ったまま俺のことを見つめていた。
俺に何かを期待しているような眼差しで。
「……」
そのあまりにも真剣な眼差しに、俺は少女の期待に応えなければならないと思ってしまった。
やんでいた風が再び吹き始める。
その風はまるで早く答えろと急かすように俺の背中を押していた。
「――ああ、もちろん」
だから俺はそう答えて笑った。
果たしてこの選択は正しかったのだろうか。
もしかしたら俺の記憶に無いだけで本当に少女と何かを約束していたのかもしれない。
もしそうなら凄く失礼なことをした。
変な期待をさせないうちにやっぱり知らないと正直に言った方がいい。今ならまだ間に合う。そんな考えが頭に次々に浮かび上がってくる。
「……嬉しいです」
「……」
けど――その時少女が見せてくれた笑顔は今まで俺が見てきたどの笑顔よりも眩しく魅力的な笑顔だった。
これが彼女の素顔――本当の顔なのか。
無表情なんかでいるより笑っていたほうがよっぽど似合っている。
「……何か飲むか?」
俺は近くにある自販機に目を移す。
何か別のことに気を逸らさせないとずっと魅入ってしまいそうだった。
「……いいんですか?」
もう一度少女の方を見るが、元の無表情に戻っていた。
脳裏に焼き付けられたさっきの笑顔が忘れられない。
もう一度見てみたい。
そんなことを考えてしまう。
しかしそれを言い出すことはできない。
そもそも初対面の女の子にもう一度笑ってみてくれなんて流石の俺でも言うことは躊躇ってしまう。
だからそんな考えを振り払ってポケットから500円玉を取り出して少女に手渡す。
「おう。遠慮なく好きなやつ買ってこい」
「ありがとうございます……。嬉しいです。えーっと、先輩の分も何か買ってきた方がいいんでしょうか?」
「じゃあ俺には缶コーヒー頼む。ブラック以外で」
「分かりました。お釣りもくれるなんて優しいですね」
「待て待て。誰がそんなこと言った。お釣りは返せ」
「冗談ですよ」
ペコリとお辞儀をして少女は自販機のところへトコトコと歩いていった。
真顔で冗談ですよって言われても説得力の欠片もない。
「……なんか、変わったやつだな」
自販機に向かって歩いていく後ろ姿を見ながら俺は唸る。
この少女は一体何者なのだろうか。
彼女の言う約束とは何のことなのだろうか。
いくら考えてもわかることではない。
だから今はただただ、
「……」
俺は
過去は振り返らない。
けれど――この青空を見てしまうと、自然に思い出してしまう。
いくら忘れようと願っても、この空がある限り俺の過去は永遠に消えることはない。
まるで呪いみたいものだ。
永遠に解かれることのない呪縛のようなものなのだ。俺にとっての過去というものは。
「――買ってきましたよ、先輩。冷たいので大丈夫でしたか?」
「ああ、大丈夫だ。サンキュ」
少女から缶コーヒーとお釣りを受け取る。
そこで俺はふと、少女の名前を聞いていないことを思い出した。
だが聞くのを躊躇ってしまう。
当たり前だ。約束を覚えている的なことを言っておきながら名前が分からないなんて意味不明にもほどがある。
どうすればいいか最善の策を考えていると、少女が口を開いた。
「……ここは――櫻美丘はいいところですよね。昔から何も変わっていない」
「……」
櫻美丘――。
それは昔のこの街の名前だ。
つまり、彼女は昔この街に住んでいて、つい最近――桜の舞うこの季節に帰ってきたということだろうか。
「ここはもう櫻美丘じゃない」
「……え?」
少女はあけようとしていた缶のプルタブを握ったまま俺を見た。
どういうことですか? そう目で訴えかけていた。
「変わったんだよ。この街は櫻美丘じゃない。今は櫻美崎っていうんだ」
「そう……だったんですか」
少女はどこか寂しげな顔付きで街を見下ろした。
春風が少女の髪を揺らすと、風上にいる俺に甘い花の香りが届く。
心が安らぐような落ち着く香り。
やはりどこかで嗅いだことがある香りだ。
だがそれを思い出すことができない。
「いつ頃改名したんですか?」
「かれこれ11年くらい前だな。季節は――そう。ちょうど今みたいに桜が満開の季節だった」
「11年前……。私がちょうどこの街から出たのと同じ時期ですか」
「あの当時は結構混乱したもんだ。何の前触れもなくいきなり変わったんだからな。けど俺は別にどうとも思っていなかった」
「子どもだったから――ですか?」
「ああそうだ」
俺は頷く。
「街の名称が変わろうが俺には関係ない。当時はそう思っていたし、本当にどうでもよかった」
「じゃあ……今はどうなんですか? 今は変わったことに何か思うことはあるんですか?」
「無い」
即答する。
今も昔も何も考えは変わらない。
何も関係ないからだ。
街の名称が変わろうと、この桜が消えることはない。
過去が変わるわけではないのだから。
「私は……少し、嫌ですね。久しぶりに帰ってきた街が変わっている。櫻美崎には櫻美丘で暮らしていた私の思い出は無くなっていますから」
「……無くなっているわけではないだろ」
「そうかもしれません。けど、やっぱり何か違いますよ。あの頃とは何かが違うんです」
「難しいな」
「ええ、難しいです」
俺と少女の間を風が通り抜ける。
風に乗った花びらが空を舞う。
俺と少女は揃って空を見上げていた。
「――私は
空を見上げたまま少女は呟いた。
恋歌――恋の歌。
彼女の親は何を考え、想いながらこの名前をつけたのだろうか。
きっとそれは純粋な願い。
歌のように穏やかになれる恋をして欲しいという願いから名付けられたのではないか。
俺はそんなふうに考える。
「俺は
「ええ、そうさせてもらいますよ、隼人先輩」
「……」
もしかしたら彼女は俺が『約束』がなんなのか分かっていないことに気づいているのかもしれない。
だから俺に名乗ったのだろう。
「十堂」
俺は彼女の名を呼ぶ。
振り向いた二つの瞳が俺を見据えた。
「これからよろしくな」
笑いかける。
少女は無表情のまま俺の笑顔を受け止めた。
「ええ、よろしくお願いします」
薄紅色の桜が咲き乱れる季節。
俺と十堂は出会った。
to be continued
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます