第2話 3年後 2020年

 システムが正常稼働したと連絡があり、机で仕事をしていた僕たちに向かって、プロジェクトリーダーが大声で怒鳴ったその日、ジェクトのメンバーは皆で拍手をした。

 何しろ難航に難航を重ねたて開発したプロジェクトである。先輩の男子社員や女子社員もうれしそうだった。僕も当然うれしかったし、隣の席の李君もとても嬉しそうだった。


 仕事の上で、この三年間で一番問題となったのが、設計書である。最初は、ベテ女史から詳細設計書を貰ってプログラムを書いたのだが、その後はまともな設計書なるものが存在せず、手書きのメモを簡単に説明して貰ってプログラムを書く。テストをしてみて仕様がおかしいと思うとまたプログラムを解析して修正するの繰り返しだった。

 要するに、設計フェーズがまともに機能せず、そのまま製造フェーズに入ってしまったのがブラックとなってしまった原因らしい。

 ほとんどの詳細設計書がないのに、何故、僕らが最初に作った分だけ詳細設計書があったかというと、それはベテ女史が作ってくれたからである。

 新人に仕事を振るというので必死に作ってくれたのだそうだ。細かな間違いはあって僕らが修正はしたものの、最初に検査合格となった。

 他の詳細設計書は何もなしというひどい状態だったので、この設計書をひな形にして検査に合格できる設計書を作れというのが、最後の一年のほとんどの仕事となった。

 問題は人数である。プログラムを作っている間は、他社から契約でやって来た中国人技術者がわんさといたのだが、徐々に人数が減って行く。設計書も大変だからと随分と引きとめようとはしたらしいのだが、日本語が分かる技術者はどこでも引っ張りだことかで、残れる人は日本語ができないとか、あやしいとかいう技術者が多い。


 当初は設計書は日本人を何とか確保してという予定だったらしいのだが、それも集められず、人数が足りないまま、膨大な量の設計書の作成に取りかかった。

 締切日が迫る中、本社から重役がやって来て、何とかしろという命令が下り、プロジェクトマネージャーは頭を抱えたのだが、有志による中国語会話のメンバーが作ったツールを使ってはという提案がなされ、それを使う事になった。

 今では僕も参加している中国語会話だが、これに参加していた李君が提案したツールである。


 え?、何故、李君が参加していたかって・・・。それは、アシスタント教師である。先生を呼んではいたのだが、IT技術用語となると、技術者でないと分からない部分も多い。

 李君は、もっと日本語がうまくなりたいという意識があったようである。このツールは李君が考案した物で、ピンイン(中国語読みのローマ字のような物)、日本語のローマ字、そして今ではハングルを入力すると、日本の漢字、中国の簡体が表示される。逆引き機能もある。説明も入力できるのだが、登録されているのは多くない。本や辞書になくて、この職場でよく使われる言葉だけである。

 最初から大公開するのは躊躇われたので、こそっと皆で使っていたのだが、いつの間にか登録語が増えていたから、使っていた人はいたようである。

 漢字検索用に作ったツールなのだが、カタカナも登録されている。『シャチハタ』とか『テプラ』とか、他は『マクド』とか『ケンタ』もある。確かに、日本人が適当に短くして使っている言葉は辞書にはないよなあ。きっと、こっちに来て困った言葉なのだろう。


 これを大公開して、設計書を日本語があやしい技術者にもやって貰おうという事になり、頭数は増えた。日本語があやしい技術者も必死になって設計書を書いてくれたものの、やはり書ききれない部分もある。リレーしながら設計書完成を目指すというやり方だった。

 こんなんで大丈夫か?、という疑問はあったのだが、頭数が増えた分だけ、進捗率は確実に上がった。


 とうてい無理と思われていた膨大な作業が終わる頃、(進捗率が上がったからか?)このツールが評価され、何とかしろと言った重役がひどく気に入り、社内コンテストに出品した所、グランプリを受賞し、賞金百万円を貰う事が出来た。

 えっ?、僕が何でそんな賞金を手にしたかって?

 出品グループは中国語有志勉強会となっていて、僕も参加していたからである。参加人数は李君も含めて十人程、男子社員は僕と李君だけである。

 こんな風に書くと僕が積極的に関わっていた様に思われるかもしれないが、本当の所は教師のアシスタントとして李君に声が掛り、僕は引っ張りこまれてしまった。他は女子の先輩ばかりなので、同期の男子社員も引きずり込もうと何度も誘ったのだが、全員がパス。


 中国人技術者達も登録を随分と手伝ってくれたので、今いるメンバー全員で、賞金を使って豪華立食飲み会になった。豪華といってもホテルでとかいうのではなく、会議室にケータリングを呼んでという事だが、これだと料理は何でも持ち込める。近くのすし屋とか中華料理店に出前を頼み、ケーキ類は先輩女子社員が午後から休暇を取って、デパ地下で調達して来た。三割程は残額として残され、おこずかい程度の現金(三万円)を受け取った。しかし、賞金などと書かれた熨斗袋に入った現金なんて受け取ったのは初めてである。嬉しかった。


 中国語の飛び交う飲み会で、僕も片言の中国語で話す。仕事はともかく、飲み会でだんまりはとても辛い。コミニュケーションが取れるって素敵な事だと僕は感じている。

 本社の重役もやって来て、持ち帰り可能な菓子を差し入れてくれた。色々な人達に声を掛けて回っている。

 僕らの所にもやって来て、流暢な中国語で技術者達をねぎらっている。君たちのパワフルな所が好きだと言っているのが分かった。

 そして、ふと僕の名札を見る。

「おや、君は日本人かい?」

「はい。」

「そうかね。いやー、君らには期待しているからね。」

 そう言って僕の肩をポンポンと叩いた。李君にはもっと興味があるようで、色々な事を聞いている。中国人技術者にも中国語で話しかけるが、僕たちも随分と日本語が分かる様になったと日本語で答える。

「いやー、本当に君たちはパワフルだねえ・・・。頑張ってくれ。次の仕事もここでやりたいなら出来る様に、自分も動くからね。」

 頑張りますと日本語で彼らは答えた。


 そして、その重役が行ってしまうと、会話は中国語に戻ってしまった。あまり話せないので、日本語で何故、さっきの重役に日本語で話したのか聞く。

「ブリッジになると給料上がる。」

 単純な答えだった。


 彼らが言ったブリッジというのは業界では『ブリッジSE』と呼ばれている技術者の事である。要するに、日本語で設計が出来て、中国人技術者に中国語で説明出来るという事である。

 技術者かつ、日本語と中国語のバイリンガルを意味している。橋渡しをするのでブリッジなのである。

 設計に参画していたという履歴が付くと、給料の高い会社に移籍する事も可能なのだが、今のプロジェクトの設計者には、中国人技術者は少ない。

 ずっとこちらにいなければならないからという理由もあるが、設計書だけなら書ける日本人技術者はいるという理由もある。数が少ないその椅子に座るのは容易ではないのかもしれないと思った。

 偉い人が来たので、日本語が出来る事をアピール。そういう事らしい。


 そして打ち上げでも同じ様な会が開かれ、チームは解散となり、次のプロジェクトへ異動となった。

 異動といっても、そんなに何が変わるという事でもない。完成したシステムは超大型プロジェクトだったが、これは海外本体と呼ばれている。異動先はその大型システムとデータをやり取りする小型のシステムである。

 少しばらけてしまったが、顔ぶれはそんなに変ってはいない。


 小型のシステムはいくつかあって、徐々に開発する予定で最終的に完成するのは十年後という事である。

 先の長い話だ。異動してからは、客先へ質問したものの返事が来ないから早帰りという日々が続いている。要するに、こうやって設計が遅れるから製造になってブラックとなってしまうという事らしい。


 海外本体プロジェクトの反省もあり、設計にも中国人技術者を入れるという事になった。重役にアピールしていた技術者達にも居残りはいて、彼らは本体の事を知っているから、かなりの戦力となっている。


 新しくやって来た技術者達は、プロジェクトが終わるまで、やる気のある人を募集したそうだ。三十歳代の技術者が数人で、日本語も堪能である。

 東京オリンピックが終わり、仕事が少なくなっているらしい。家族もこちらに呼んでいるので、息の長いプロジェクトは歓迎と話している。

 もちろん、本体がブラックだった事も知っているし、あちこちで二年位は関わっていたという事である。仕事なんて楽じゃないんだよという言葉には重みがある。


 そして、李君だが、何と日本の国籍を取得してしまった。高校の頃から付き合っている彼女と遠距離恋愛していた。帰国した時に、そろそろ結婚したらという話が双方の両親から出た。

 話の内容では彼女は大気汚染で少し肺を悪くしているらしい。日本へ連れて行ってくれないかという事のようである。

 向こうで結婚式を挙げ、借り上げの独身寮から社宅へ引っ越しした。給料は安いが、社宅の家賃も安い。節約に気を使う様になったと言いつつも楽しそうである。うらやましい。

 向こうにいる間は変な咳が出ていたという李君の妻は、日本に住み始めた途端に元気になった。東京も空気が良いとは言えないが、向こうよりずっと良いという事なのかもしれない。


 他のメンバーはというと、最後まで居残っていたメンバーもいるし、新しく配属になったメンバーもいる。そして、新しくやって来たプロジェクトリーダー、この人が問題だった。

 今まで、ずっと外国人のいるプロジェクトに参画した事がないというので、経験しておくべきと、ここに配属されたらしい。

 メールのタイトルや内容に日本の漢字を使った中国語が併記され、それが気に食わなかったのか、メンバー全員に、『謝謝』禁止メールを出した。

 中国人技術者同士が中国語で話しているのを何度か注意したらしく、それが、上の方まで伝わり、重役が事情聴取にやって来た。プロジェクトの社員が全員会議室に集まった。

 メールについてどう思うかと聞かれ、よく分からないと皆が答える。こういう席で何か言って問題になるのも困るのだろう。それは僕も同じ意見だった。

「若者の意見も聞きたいな。君はどう思う?」


 重役に名指しされてしまい、僕は心臓が飛び出しそうになった。

「あの・・・その・・・、えっと。」

 突然で頭が真っ白になってしまい、言葉が出なかった。そして突然、ベテ女史の言葉が頭に浮かんだ。

「言葉というのはコミニュケーション手段ですから、大多数の人が使う言葉が主流になるのは、当たり前かなと・・・。ただ、ここは日本のプロジェクトですから、設計書を日本語で書くのは当たり前で・・・。でも、話す時は母国語でいいんじゃないかと・・・思います。」

 途切れ、途切れの声だったが、何とか最後まで答えてみた。


 フレッシュな意見で参考になると重役は言い、『謝謝』禁止メールについて聞かれる。

「日本人同士でもサンキューで問題ないのに、通常の会話で『謝謝』が駄目という理由が分かりません。」

 先輩社員と同じ答えをした。

 重役は参考になったと言い、全員に、どの国の人であれ、働きやすい職場を目指して欲しいと言って会議は終わった。

 翌日、重役からメンバー全員に、外国人蔑視発言について謝罪する内容のメールが送信された。


 プロジェクトリーダーはというと、すぐに人事異動になり、他へ行ってしまった。代わりにやって来たのは、すぐ隣で別の小型プロジェクトのメンバーである。

 初めてのリーダーなので、頑張りますという言葉と共に、自分も中国語を覚えるつもりだと発言し、有志による中国語勉強会に出席するようになった。体育会系リーダーと呼ぶ事にする。


 彼が仕入れて来た情報によると、問題発言をしてしまったプロジェクトリーダーは営業職に異動になってしまった。中国人技術者をうまく仕えない技術者はいらないという発言も、雲の上からちらほらと出ているらしい。

 ずっと技術者として生き残る為には中国語必須と体育会系リーダーは熱く語った。

 彼は僕らが作ったツールをフル活用、妻がはまったという台湾ドラマを毎日見ているという事である。


 うううっ、そのパワーすごい!

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