第20話 焚き火のそばの、魔導講習

「相変わらず、お前の魔法は次元がおかしいな……」

「えっ、どうして?」


 黒熊の屍骸を処理しながら、カッツェが呆れたようにノエルの方を見た。意味がわからずノエルが首を傾げると、カッツェがため息混じりに先を続ける。


「魔獣だけじゃなくて、後ろの木までなぎ倒してるんだぞ。間違っても、俺達に当ててくれるなよ」

「あっそういうことか。僕、力の加減がちょっとだけ苦手なんだよね」


 舌を出すノエルに、あまり反省の色は見られない。そのうちこいつに殺されなければいいが、とカッツェは恐々とするのだった。


 *

 その日の夜。野営のために組んだ薪に、カッツェが火を点けようとしていた。そこにノエルが嬉々として割り込んでくる。


「あー、待って! 僕が火を点けるよ!!」


 こういうところは、本当に無邪気な少年そのものだ。苦笑いしながら、カッツェがその役割を譲る。乾いた薪に手をかざしながら、ノエルが短く呪文を唱えた。


「『炎火ファイア』っ!! ……は~、あったかい」


 ぼうっ、という音とともに、一瞬で炎が吹き上がった。薄暗闇の中に、ノエルの顔が明るく照らし出される。うっそうと木々が茂る〈暗き森〉は、夜になると各段に冷え込む。寒さをしのぐためにも、焚き火は欠かせなかった。


「昼間も思ったが、お前の呪文はどうなってるんだ。詠唱の省略はかなり高度なわざと聞いたが、そんなに簡単にできるものなのか?」


 カッツェが真面目な顏で聞いてきた。焚き火に手をかざしながら、ノエルは屈託のない笑顔で答える。


「うーんとね、精霊とちゃんと心が通じ合っていれば、誰にでもできるよ! でも普通の三倍くらい魔力を消耗するから、あまり呪文スペルは省略しない方がいいんだって」


 ノエルの説明に、カッツェはよくわからないという顔をする。彼の頭の中には、たくさんの「 ?」が飛び交っていた。そもそも精霊が視えないカッツェにとって、「精霊と心を通わせる」などと言われてもあまりピンと来ないのは仕方がない。

 結局、食糧探しから戻ってきたヴァイスが、もう少し詳しく説明してくれることになった。レイアも焚き火に当たりながら、聞くともなく三人の話に耳を傾けている。


 *

「ほとんどの術者は、自分のにおいて精霊と契約を結んでいます。契約された精霊は常に術者の近くにいて、行動を共にするようになります」


 魔導師養成学校で魔導理論を基礎から学んだヴァイスは、教師のような口調で話し始めた。教科書もなしに、専門用語を交えてすらすらと解説していく。その内容がわかりやすいかどうかはともかくとして、案外、彼は先生役が向いているのかもしれない。


「……つまり精霊とは、ある意味では忠実なのようなものなのです。よく訓練された猟犬は、主人の命令に忠実に従いますよね?」


 ヴァイスが同意を求めてこちらを見るので、ノエルとカッツェは頷いた。ヴァイスはよろしいと微笑んで、先を続ける。


「魔導術では、術者の魔導エネルギーを介して精霊を操ります。それはちょうど、主人が猟犬に命令するのと同じこと。呪文スペルはその『命令』を言語化しているに過ぎません」


 優れたトレーナーと猟犬のコンビならば、指先の動き一つで複雑な命令をこなすこともできる。主人の言動をだんだんと猟犬が学習していき、最終的には主人が口に出さなくともその意図を理解するようになるからだ。ヴァイス曰く、「阿吽あうんの呼吸」というものらしい。


「同じように魔導術でも、術者が精霊に明確な思念イメージを伝えることさえできれば、呪文スペルの有無は関係ありません。自分の言いやすいように呪文をアレンジしたり、あるいは全く唱えなくとも発動できるようになるのです」

「へぇ……そうだったのか」

「ただし呪文を省略すると、精霊の負担が大きくなります。主人の意図を汲み取ったうえで、精霊が状況を判断しなければなりませんからね。その代償として精霊は、通常よりも多くの魔力を術者に要求します」

「ふむふむ」

「初心者に詠唱省略をオススメできないのは、そのためです。もし魔力を使い過ぎて術者の魔力が枯渇してしまったら、良くて失神や昏倒。最悪の場合、魂が肉体から抜け出て、死に至りますからね」

「ひっ……」


 最後の言葉に、カッツェが変な声をあげた。「最悪の場合」の内容を聞いて、心なしか顔が蒼ざめている。


 ヴァイスの話はちょっと大袈裟だよ、とノエルが隣で笑う。魔導師が魔力を使い過ぎて倒れ、そのまま亡くなってしまったという話は、確かにない訳ではない。だがそれは今から何百年も昔の話だ。その頃にはまだ安全な魔導術の運用理論が確立していなかったのだ。現在は、魔導師の魔力許容量キャパシティを測る技術も発達しているから、魔力不足で死亡する魔導師など、まずいない。ただ魔導初心者に注意を促す警告として、ヴァイスのいた魔導学校では最初にそう教えているようだ。


 焚き火の明かりに照らされて、即興で始まったヴァイスの魔導講習会。魔導術に少し興味を持ち始めたカッツェを前に、ヴァイスの話はあと少しだけ続くようだった。


 

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◆冒険図鑑 No.20: 魔素エーテル

 魔素エーテルとは何なのか。それを明確に説明するのは難しい。

 狭義の定義では、魔素とは「魔力の源」。つまり「魔導エネルギー」と同義である。

 魔素は、生物の体内や大気中など、あらゆる場所に普遍的に存在している。もしもそのエネルギーを失えば、生物は死に至り、空間は消滅してしまう。

 だが魔素のもつ力はそれだけに留まらない。時空や重力にも作用するのだ。ゆえに、定量的にも定性的にも、魔素の本質を捉えるのは非常に困難である。

 ある者は魔素を「高エネルギーを持った粒子」とみなした。またある者は「波」のような性質をもつ「波動」であると唱えた。魔導術、魔導論理学、哲学、科学、物理学に天文学など、あらゆる分野の専門家を巻き込んだその論争に、未だ決着は付いていない。

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