第5話 聖杯の伝説

 うっすらと雪が舞う北部ノース地方の小さな村。

 切り出した丸太を積み上げて造られた、こじんまりとした家。それがこの地方を治めるノエル達〈北のギルド〉の本部拠点だった。

 外は氷点下の気温にも関わらず、燃え盛る暖炉と木のぬくもりのお陰で、小屋の中は意外にも暖かい。


 早朝から始まったギルド戦の後始末あとしまつを終え、ノエルとヴァイスは少し緊張した面持おももちで部屋の中央の椅子に座った。二人よりさらに深刻な顏のカッツェが、テーブルを挟んで向かいの椅子に座る。


 魔力の補充を終えたノエルがベッドを降りてすぐ、二人はカッツェから「話がある」と声をかけられたのだった。その口ぶりから、彼のかなり思い詰めた様子が伺えた。この数日間のどこかとぼけた言動とは違う何か。カッツェと最初に会った時の「違和感」の正体はこれだと、ノエルはとっさに直感した。


 すぐに小屋の周りの人払いをして、カッツェの話に耳を傾ける。二人に促され、しばらく沈黙したあとで彼は重い口を開いた。それはカッツェがはるばる南部サウス地方から北部ノース地方まで旅をしてきた理由と関係していた。


 *

「南の地に伝わる〈聖杯せいはい〉の伝説は、知っているか?」

「聖杯伝説ですか……私も聞いたことはあります」


 突然の話に戸惑いを見せながらも、ヴァイスが記憶を辿りながらいにしえのエルフ族の伝承を復誦ふくしょうした。いわく――


――はるか昔。創造主である神は、この世界をお創りになった。

 全ての仕事を終えた神は、自らの力を龍のさかずきの中に込め、大地の奥深くへお埋めになった。

 その聖杯の力を手に入れた者は、神と等しい力を持つことができる――と。


 カッツェが軽くうなずいた。ノエルは既に難しい二人の話に付いて行けず、ただ邪魔をしないように様子を見守ることしかできない。エルフ族に伝わる聖杯の伝説と、目の前に座る少々むさくるしい男との間に、どんな繋がりがあると言うのだろうか。


「今、南の地に異変が起きている。魔物が突然強大な力を持ち、人を襲うようになったのだ」

「魔物が凶暴化した……?」

「あぁ……学者の中には、魔物族が伝説の〈聖杯の力〉を手に入れたのではないかと懸念している者もいる」

「聖杯の力を、まさか魔物が……?!」


 普段は冷静なはずのヴァイスが、声を上ずらせた。

 〈聖杯の伝説〉は、お伽話とぎばなしたぐいだと思われていた。手にすれば神の力を宿すと言われる〈龍の盃〉――。数多あまたの伝説を語り継ぐエルフの長老たちの間でも、そんなものが実在するのかどうか、はっきり論じられる者はいない。だが目の前で拳を強く握るカッツェの瞳は、真剣そのものだ。彼が冗談を言っているのではないことは明らかだった。


 仮に〈聖杯〉がこの世に存在するのだとして、「神と等しい」ほどの力を魔物が手に入れれば、どうなるか―—考えるだけでも恐ろしいことだった。この世界は間違いなく、悪の魔物に破壊され尽くされてしまうだろう。


 だが――。眉間にしわを寄せ、ヴァイスは考えた。

 この世に生きるものが、果たして「神の力」など使いこなせるのだろうか。まして魔物は、知性や論理的な思考を持たない原始的な存在だ。それがどうやって伝説にうたわれる〈聖杯〉を見つけ出し、手に入れたというのだろう。


「――魔物族が伝説の聖杯を手に入れたというのは、確かな情報なのですか?」

「いや、まだそうと決まったわけじゃない。だが、もう一つ気になる予言があるのだ」


 そう言って、カッツェはもう一つの伝承を口にした。曰く。


――人々が歓びを忘れ

 神の力を失ったとき

 世界に危機が訪れる


 地は割れ 海は沈み 風は荒れる


 神の裁きが天より落ち

 人々は地に倒れる


 終焉の時 大地は闇に包まれる――


 南部サウス地方に起きた突然の異変。それは伝説の預言と酷似していた。南の海から次々と魔物が現れ、人々を襲っている。倒しても倒しても、魔物の数は減らない。根本的な原因が別にあるのだと、識者らは考え始めていた。


 *

 伝説には続きがあった。


『正しき心をもつ者が〈龍の盃〉を見つけ出し、悪の力を封印する。そのとき世界は危機から救われる』と。


「つまり伝説の〈聖杯〉を見つけ出し、悪しき力――魔物の力を封じなければ、世界が滅んでしまうと?」

「そうだ」

「では魔物たちがどこから発生しているかは、わかるのですか?」

「南の海域の、特定の場所だということまでは突き止めた。ある日突然、海にぽっかりと巨大な空洞あなが空いてな……そこから魔物が次々と現れているらしい」

「海に空いた穴――ですか。そんな話は初めて聞きました」

「俺たちはそこを〈竜の巣〉と呼んでいる。渦巻く水が、ちょうど蜷局とぐろを巻いた竜のように見えるからだ」

「それでは、その魔物の巣窟そうくつを潰せば良いと――?」


 ヴァイスの問いかけに、カッツェはゆっくりと首を横に振った。その顔には、苦渋の表情が滲み出ていた。


「実は一月ひとつき以上前に、先行する調査兵団を送ったんだ。だが全てになってしまった」

「音信不通?」

「おそらく、魔物に襲われて全滅したか……とにかく〈その地〉に行って帰ってきた者は、一人もいないのだ」

「そんな――」

「だが……何もせずに手をこまねいていても、南部サウス地方の村は次々と魔物に襲われてしまう。そしていずれは、この世界ごと魔物に呑み込まれてしまうかもしれない」


 そこまで話して、カッツェが言葉を切った。一度喉まで出かかった息を止め、もう一度吐き出すように静かに言葉を絞り出す。


「俺の故郷も……魔物にやられた」


 カッツェの硬く暗い表情に、ノエルとヴァイスは思わず言葉を失った。

 カッツェはほとんど表情を崩さないように話している。だが恐らくカッツェの故郷にいた家族や村の人々は、魔物の襲撃によって既に帰らぬ人となったのだ。魔物の群れに焼かれる村が脳裏に浮かび、襲われる人々の断末魔の声を聞いた気がして、ノエルは思わず目をつむった。


 カッツェはどうやって魔物の手を逃れ、生き延びたのだろうか……なぜたった一人で遥か遠く離れた北部ノース地方までやって来たのだろうか?


 ノエルは、北の荒野で交わしたカッツェとの会話を思い出していた。あのとき彼は〈伝説のギルドマスター〉を探していた。伝説のギルドマスターとは、つまりノエルのことだが……

 ノエルの思考とは裏腹に、カッツェはすぐに冷静さを取り戻した。そして、これまでの事情を話し始めた。



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◆冒険図鑑 No.5: エルフ族の古文書

とある冒険者の噂話。


 エルフ族っていうのは、総じてヒト族よりも寿命が長くて、記憶力にも長けているって話だ。だからこの世界の古ーい話は、ほとんどエルフ族の口承や伝記によって伝えられて来たらしい。

 エルフ族の歴史研究家によれば、この世界は過去に5回、滅亡と再生を繰り返してきたんだそうだ。つまり現在は、第6番目の世界。人は何度も同じ過ちを繰り返し、そのたびに神は世界を生まれ変わらせた。「歴史は繰り返す。魂は輪廻りんねする」っていうのが、哲学者たちの言い分なんだが……俺にはそんな難しい話、さっぱりわからねぇな。

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