Epilogue――絶望の夜明け――



   ◆


   ◇



「是非とも御社で働かせてください! ここで働きたいんです!」


 腰を折り曲げて頭を下げる。額を汗が伝い、顔がかあーっと熱くなる。この瞬間は何度体験しても緊張する。頭を上げると見えたのはしかし、面接官の冷ややかな視線であった。


「さすがに空白期間が七年とあってはなあ。君、いったい今まで何してきたの」


「そ、それはお手元の書類にも記載いたしましたとおり、ボランティア活動と研究活動に従事しておりまして……」


「ふぅん。地球を脅かす殺人ウイルスとその撲滅のための活動、ねぇ。どこのSFかっつうの。キミ、小説家にでもなったらいいんじゃないの」


 面接官の男は冷笑する。結局、追い出されるようにして会社を出た。今回もまたお祈りメールかー。書類選考で通ったから期待していたんだがなあ。

 大きなため息をつく。


 駅に戻る頃にはすっかり日が暮れていて、クリスマスのイルミネーションライトが商店街を賑やかに彩っていた。家族やカップルや、帰宅途中のサラリーマンたちが通り過ぎてゆく。

 何の変哲も無い日常が、陰の存在によって守られたことを知る人は少ない。


 なーんて、中二思想に浸りながら息を吐くと、寒さに白く濁った空気が霊魂のように飛び出した。

 バブル・バベルの危機から早七年、俺ももうすぐ三十歳である。

 三十歳を間近にして、無職、おまけに恋人いない歴=年齢と来たもんだ。悲しい。はやく魔法使いになって二次元に行きたい。


「おつかれさま、おにいちゃん」


 バス停でユキと落ち合った。ユキは真っ白でふわふわのコートに、あたたかそうなヘビのマフラーを巻いていた。身長も俺と同じくらいの高さになり、すっかり大人の女性といった感じだった。


 ただ変わらぬ、冷凍イカの瞳を左目に宿したまま――。


「面接駄目だったぜ」


「えー、もう就活にこだわらなくてもいいんじゃないの? おにいちゃんは今のままFSLの活動を手伝ってくれたらいいよ」


(※FSL― Frozen Squid Laboratory/冷凍イカ研究所のこと)


「やっぱ未練があるんだよな。それに就活は俺のハローワーク……じゃなかった、ライフワークみたいなもんだからさ。ほら、名刺にも《就職活動家》って書いてるんだぜ。まさに就活こそ我がアイデンティティであり生涯の……」


「ふふ、なにそれ」


 バスが到着し、俺たち二人は乗り込む。バスは駅を離れ、山道を登る。窓越しに見える街の光が遠ざかってゆく。

 バブル・バベルは解決された問題ではない。

 今でも世界では紛争の火種が散り、日本では自殺と過労死がもはや日常茶飯事と化している。異常を異常と認めないまま、それは俺たちの日々に溶け込む。今朝もまた何事もなく通勤電車が走り、どこかで止まる。

 パンデミック・ウイルスよりもはるかに恐ろしい産物が、社会システムに、あるいは人間の心に潜んでいるのだった。


「崩壊の歯車は止まることはないの。少しスピードが弱まったとはいえ、人類はじきに絶滅する。それでも、おにいちゃんの考えは変わらないんでしょ」


 バスは山奥に入り、もう俺たち二人しか乗っていない。車掌が事務的に終点のアナウンスをする。バスを降り、徒歩で山を登る。ここからさらに一時間以上、歩く必要がある。

 冬の澄んだ夜空に星が広がる。遙か昔、人は見上げればいつでも神の存在を感じられたのかもしれない。神が死に、人工的に生み出された光もまた輝きを失い、暗闇のなかで俺たちは探している。指針を、存在の理由を。


 生きる。


 ただそれだけの単純なことが、どうしてこんなにも難しい。

 それでも――。


「生きる。今の俺には、それしか答えが出せない」


 バーデン博士やモモは、俺のことを超人と呼ぶ。本当のところ、自分が肝心なところで思考停止しているだけなのではないかという疑念を抱えながら、しかし立ち止まるのは許されない。

 俺たちはまだ、バブル・バベルとの戦いのさなかにあるのだから。



「おかえりー、今日は新作の《白雪ニ堕ツル緋色ノ孤独》って名前のシチューを作ったよ」


 玄関のドアを開けるとミユが出迎えてくれた。中学二年生だった末妹は今年で二十一歳になるが、あれからさらに中二病をこじらせたらしく、今夜は黒猫の着ぐるみ風パジャマを身に包んでいた。


「おいおい、そいつは食べられるのか」


「クリームシチューに赤ワインを入れたんだよ。クリスマスにひとりぼっちのおにいちゃんをモチーフにしてね」


「贅沢だな……って、みんなもいるし、孤独なクリスマスを過ごすつもりはねーぞ」


「残念だけど、今年はぼくとおねえちゃんの二人きりで新婚旅行……じゃなかった姉妹旅行に行くからクリスマスはいないんだ。アダルベルトとモモもドイツに帰省するって言うし」


「マジか……」


 隣を見ると、ユキが顔を赤くしてもじもじとしている。「ミユちゃん、そういうのはまだ秘密なんだからね」と言って、マフラーのヘビをミユの猫耳フードにかじりつかせた。


 イチャイチャする妹たちを傍目に、キマシタワー!と内心で祝福し、すごすごとリビングへ撤退する。

 食器棚からお皿を出し、シチューをよそいながら、ぼんやりと考える。今年のクリスマスは、山吹教授でも家に呼ぼう。経済学談義で飲み明かすんだ。あ、みんなにクリスマスプレゼントも用意しとかないとな。


 じわじわと災禍が世界を蝕むなかで、しかし俺は幸せな日常を実感する。それはあのとき死んでいたら決して手に入らなかった未来、絶対に手放してはならない今なのである。


 だから――、


 生きる

 その言葉は祈りであり


 生きる

 その言葉は誓いであり


 生きる

 その言葉は喜びだった。


「おにいちゃん」「おにいちゃん」


 ユキとミユの呼ぶ声が聞こえる。

 妹の左目は、冷凍イカの瞳。二人の目には今も絶望が見えており、それは俺とて例外ではない。


「パンドラの匣は開かれた」「ノアの洪水は止められない」


「それでも」「それでもね」


「私たちは、生きるんだよ」


 絶望の、夜明けを見るために。


 俺たちは生きよう。

 どこまでも。




【最終章――覚醒篇――終】 Thank you for reading this to the end.

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