第80話 白い鳥
慶次郎の
店の前に
菊より先に、揚羽がキレた。
相変わらず、菊にくっついて南蛮寺にやってくる。
菊が教会の仕事をしている間、あちこち探検して回る。いや、ただ見て回っているだけでない。
「だっ、だめです、何、引っ
いつの間にか、工房の倉庫にまで入り込んで、中に置いてある物を取り出して、しげしげと
「これは何だ?」
慶次郎が広げているのは、
ジョヴァンニはものも言わずに、慶次郎の手から布をひったくった。
一番奥に隠してあった物を、よくもまあ、目ざとく見つけたんだろう。
「
痛いところをついてくる。
それに……いつからタメ
「何だっていいじゃないですか。あなた
「これは
慶次郎は
「川で使うのか。いや、船が無い。」
一人で
「じゃあ、この辺で風があるのは何処か。それは……。」
ジョヴァンニは
「お察しのとおり、これは空を飛ぶものです。」
「
「逆です。
あんたが時計の修理をしているところを見せてもらったことはあるが、と慶次郎。
「ほんと、何でも出来るんだな。」
「この綱の先に物を結びつけて、落とします。布が風を受けて
慶次郎は興味をそそられたようだ。
「すごいな。試したことはあるのか?」
「無いです、まだ。」
「じゃ、やってみよう。」
布を抱えて
「ちょっ、ちょっと、やめてください。人に見られたら私が困ります。」
「なるほど、
慶次郎はニヤリとした。
「ンじゃ、行くぞ。」
布を抱えなおした。
「えっ?」
「あんただって試したいだろ?」
「私の話を聞いてなかったんですか?」
「
「ですが……。」
「一度、試してみればいいじゃないか。見るも
(なんて
結局、慶次郎に押し切られて、鴨川のほとりに来てしまった。
でも、本当に試してみたかったのはジョヴァンニであることも事実だった。
古い本で見た図面を基にして作った物だが、本当に飛ぶんだろうか。
慶次郎が責任を持つと言ってくれたおかげで今日は、いつも供をする
慶次郎の供の弥助にも手伝わせ、土手の上に布を広げる。綱の先に河原に転がっている
最初は軽い物、そして
気候の変わり目で、やや風が強い。抜けるような青空の下、
布は何度も宙を舞った。
上手くいかないときは、
慶次郎が述べる意見は
「旦那さま、もうお帰りになりませんと。」
弥助が土手の上から声をかけた。
「よし、今日はここまでだ。又、明日な。」
慶次郎は、ジョヴァンニを手伝って手早く流木を
「あんた、おもしろい奴だな。ただの教会の絵描きかと思っていたが。」
「いえ、もうお終いにしましょう。」
我に返ったジョヴァンニが
「姫君が、あんたたちの教会では上長の命令は絶対だと言っていた。神に仕えるのに
「それもあります。」
いや、それよりも。
「今日は……楽しすぎたから。」
何のために日本に来たのか。
それは、あの男を追うためだ。
こんなことをして遊んでいる場合じゃない。
でも今日一日、教会のことも、絵のことも、あの男のことさえ忘れて過ごした。
何という開放感に満ち
青い青い空に広がった白い布は、ジョヴァンニの心の中で今も、大きな白い鳥のように自在に羽ばたいている。
「あれはもう少し工夫すれば、人間も飛べるんじゃねえか。」
教会への道をたどりながら、慶次郎が言う。
「人間……。」
そこまでは考えていなかった。
ジョヴァンニはたちまち、その考えに夢中になった。
(人間が乗って飛ぶならば、もっと
「じゃ、又明日な。早くやすめよ。」
教会の前で、慶次郎は、ジョヴァンニに布を返すと、きびすを返した。
「あっ、だからもう、実験はしないって……。」
ジョヴァンニが叫ぶのも気にせず、手を振りながら去っていった。
教会を出入りする信者たちがじろじろ見るので、ジョヴァンニは慌てて布を抱えなおして工房に戻っていった。
菊は、ジョヴァンニが、慶次郎の姿を見るとそわそわし、連れ立って外出するようになったのに気が付いたが、全く
それも何だか人目を避けているようだ。
でも、二人が仲良くなるのに文句を言ういわれは無いだろう。
(ジョアンが勉強のために
菊は思った。
(お師匠さまもお
菊はこの頃、南蛮寺から頼まれた絵を完成した。
この絵が何を描いたものであるかは今日、記録には残っていない。しかしその絵を見た教会関係者の感想が、二、三残っている。いずれも、その作品がローマで作られたものと区別しがたいほど巧みだと驚き、
今日の研究によると、菊たち日本人画家の作品は、ついにヨーロッパ絵画の本質である合理主義、つまり
又、菊はこの頃、キャンバスのみならず、日本人にとって
地図や都市図のみならず、西洋人の生活や日本の港に入る南蛮船、西洋の戦争や
菊の絵は、他の画学生の作品と共にローマへ送られた。途中立ち寄る港で、海外の教会の神父たちにも見てもらったが、いずれも
画学生たちを指導したジョヴァンニの名声は高くなった。
インドに居るアレッサンドロ・ヴァリニャーノからも手紙がきた。
それにはジョヴァンニの努力を
ジョヴァンニは自分が
日本に来たときには、ちょうど行き違いで会うことが出来なかった。
もしヴァリニャーノの言葉がお
(さあ、来い)
ジョヴァンニは心の中で呼びかけた。
(お前に会うのをずっと待っていたんだ)
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