第65話 嫉妬

 翌日、景勝は、わずかなともを連れてさかいへ向かった。

 本当はここまで足を伸ばしている余裕よゆうは無い。麾下きか精鋭せいえい四千人は今、彼と共に国を留守にしている。その間にも又、どういうやから反旗はんきひるがえさないとも限らない。でも、放っておけなかった。

(泣いていた)

 彼の前では決して涙を見せなかった女が。

 もう戻りたくないと言われたら。

 兼続は、言葉を尽くして景勝を止めた。

御方おかたさまの御亭主の悪口を言うのはどうかと思いますが。」

 その言葉とは裏腹うらはらに、言いたくてたまらないようだ。

「あまり評判のよろしくない御仁ごじんでございます。もっとも、あの町の住人の社交の場である茶席に姿を現さないので、噂話うわさばなしが一人歩きしているようなところもあるようでございますが。」

 でも一国の主が直接会わねばならぬ人種でもありません、私が会って話をつけましょう、といさむのを、留守を言いつけて置いてきた。

(あれが前に出ると、まとまる話も纏まらぬ)

 頭はいいのだがどうも、敵を作りやすい男だ。

 堺の町は、これが初めてだ。

 町の中までほり縦横じゅうおうつうじ、それに沿って瓦葺かわらぶきの屋根の、卯建うだつの上がった大きな商家しょうかのきつらねる。日本中の金と銀が集まるといわれている街である。

 呂宋屋るそんやは、堺を代表する大通りである、大小路おおしょうじ大道だいどうが交わる中浜町にあった。

 本瓦葺の重厚な屋根、り上げ式の大戸おおど格子戸こうしど暖簾のれんのかかったとおびさし中二階ちゅうにかいには虫籠窓むしこまど。建物はどっしりと古いが、店先はどの店よりも活気にあふれている。

 案内をうた。

 紅が出てきて、驚きながら手をいた。

「迎えに来た。」

 はっとして顔を上げた。

あるじに会いたい。」

 奥に通された。

 玄関を上がるとすぐ仏間ぶつまがあり、一番奥に大きな座敷が配されている。座敷はふう書院造しょいんづくりで、南国の木が大きな葉を一杯に広げている前栽せんざいに面していた。部屋の内部は舶来はくらいの材木や金銀をふんだんに使い、異国いこく趣味しゅみを交えた豪華な作事さくじになっている。

 主人の助左衛門すけざえもんが出て行こうとすると、紅はそでらえて離さない。

「何、なぐりゃしねえよ。」

 笑って言った。

 客が待つ座敷に向かった。

「俺が、喜平二きへいじだ。」

 景勝は、手を突く助左すけざを見下ろして言った。

「長い間、あれを借りている。一度、挨拶せんと、と思って来た。」

 女房にょうぼうがお世話になっております、本当はこちらからご挨拶にうかがわねばなりませぬのに、わざわざのおし、恐縮きょうしゅくつかまつります、と頭を下げる助左に言う。

「この店には、一度来たいと思っていた。俺は相当有名人らしいからな。『藤吉郎とうきちろう』殿にお会いしたときもまず、そなたが『喜平二』か、と聞かれた。」

権少将ごんのしょうしょう{豊臣秀吉}さまには大変ご贔屓ひいきに預かっております。」

「特に奥方とは入魂じっこんだと。先に俺と会うなんて『ずるい』とねたまれた、と言われた。」

ほんとうは他にも言われたことがある。

「弱ったの。助左と紅に、夫婦になれ、とけたのは、このわしじゃ。まさか『喜平二』とも知り合いになるとは思わなかった。」

 余計よけいなことを。

「元々、女房が奥方と知り合って、それからのご縁なのです。」

 助左が言った。

「おかげで上杉は豊臣とつながりを持つことが出来た。又、御館おたてらんのときには、そのほう配下はいか助力じょりょく多大ただいな力となった。感謝せねばならぬ。礼を言う。」

勿体無もったいないことを。」

 助左も神妙しんみょうに頭を下げた。

(そう、於寧おねさまだけではない。『喜平二』の)

 ツラぁ、見たかった、俺こそ。

 背は俺より随分ずいぶん低い。瓜実顔うりざねがおをしてひげあとい。決して色男いろおとこっていうわけじゃない。でも澄んだ眼をして、りんとしたたたずまいがある。ぎ澄まされて、おかしがたい雰囲気ふんいき先代せんだいに似ている、というが。

(あいつが、誰よりも一番愛している、男)

 でも、紅がこの店に帰ってすぐ、祝言しゅうげんげた。帰国祝いの宴席えんせきが、結婚祝いの席に早変わりして、内々うちうちだが、披露ひろうませた。だからおおやけには、

(俺が亭主ていしゅだ)

 喜平二に邪魔じゃまはさせない。

「ここでは何だ、船でも見せてくれんか。」

 景勝が席を立った。

 紅や近習きんじゅうらがぞろぞろ付いて来ようというのをせいして、二人で港を見て回った。

 船が見たいというのはを持たせるための口実こうじつかと助左は思っていたが、景勝は本当に興味津々きょうみしんしんといった様子で、あれこれ見て回り、色々質問した。

「当たり前だ、越後は海運が盛んなのだ。国主が船の扱い方一つ知らんでどうする。」

 表情が無い、といわれているというが。たぶん今の彼は『越後の国主』という仮面を取った状態なんだろう。

「それにしても手前てまえが現れたとき、顔色ひとつお変えにならなかったのは、失礼ながら、流石さすがでございますな。大抵たいていの者は驚きますのに。そういえば女房も、初めて会ったとき、驚きませなんだが。」

「俺たちは越後の出だ。ましてあの女は、港町を支配する家に生まれた。」

 景勝は言った。

「Vamos a poner todas les cartas sobre la mesa.」

 助左は、ぴくりとまゆを動かした。

「あちらの言葉で、『腹を割って話そう』というときに使うそうだな。そろそろ本音ホンネを言いあおうではないか。」

 港を望む桟橋さんばしで、置いてある木箱に其々それぞれ腰を下ろした。

「事情は全て知っている。」

 助左は言った。

「俺に話せって、あんたが言ったってな。」

「……。」

「かわいそうに、泣いてたぜ。」

「……。」

 言いたがらねえで、貝のように口をつぐんでいるのを、無理やり聞き出したんだ、と助左は付け加えた。 

「あんたは、あいつを傷つける。世間せけんがどう思っていようと、俺はあいつの亭主だ。もう十分だろう。返してほしい。」

「返さぬと言ったら?」

「女房をられた、と俺が騒いだら?」

 助左が言った。

「上杉の体面たいめんが傷つくだろう。あんたには、何より大事なんじゃないか?」

「上杉が必要としているんじゃない。俺が、あれを必要としているんだ。」

 景勝は言った。

「俺がうんと言わぬ限り、あれはここには戻らない。」

 助左は苦笑した。

 よくわかっている。

「あいつは、あんたに助けられたことを、今でも恩に思っている。だからって、いつまでもそれをふだに使うのはどうかと思う。」

「あれは、ずっと俺の犠牲ぎせいになってきた。」

 景勝は言った。

「あれが今、苦労しているのは、全て俺のせいだ。俺は、あれを助けたために上杉の養子ようしになった。何でも、あれのじいさまの遺言ゆいごんは取り上げられず、皆が協議して、俺を上田長尾うえだながお当主とうしゅのままえ置き、そのうち小さな罪で難癖なんくせつけて、押し込めて殺す段取だんどりだったようだ。それを、あの事件のために、先代が俺を養子にする口実こうじつが出来て、今、俺は上杉の当主としてここに居るわけだ。だから」

 助左から目をそらし、水平線の向こうをながめた。沖を船が通っていく。

「俺が、あれの命の恩人なだけじゃない。あれこそ、俺の命の恩人なんだ。」

「だったら……。」

「だからこそ、俺はあれを手元てもとに置く。あれを大事にし、守るためじゃない。いざというときにあれに」

 助左を見据みすえた。

「死んでもらうために。」

「……。」

「誰よりも大事で、誰よりもいとおしく、誰よりも信頼している者に、身代みがわりになってもらう、いざというときに。それが国主というものだ。時々刻々じじこくこくと変わるまつりごとや諸国の状態に対応するために、遅延ちえんはならぬ、即断即決そくだんそっけつするために、『わたくし』はらぬ。俺は家臣に感情を現さぬ殿と言われてきた。そうだ、俺は私情しじょうは殺す。一番大切なものを、大切だからこそ、『にえ』に差し出す。先代もそうだった、自分の命よりも大切に思っていた女子おなごと結ばれることはなかった。俺も、その例にならう覚悟は出来ている。まあ、待て。」

 つかみからんばかりの助左を制した。

「返さぬとは言っておらぬ。今、まだ国は落ち着いていない。目処めどがついたら返す。でもそれまでは、あれを返すのは、死体になってからかもしれない。それは覚悟しておいてほしい。あれも理解してくれている。俺のために喜んで死んでくれるだろう。」

「くそったれめ。」 

 助左はうなった。

「女ってのは、うそでもいいから甘い言葉を欲しがるもんだ。」

「どんなにいとしい女でも例外ではない。俺の下につくということは、つまりは、そういうことだ。」

「俺ならあいつを守ってやれる。」

 助左が言った。

「俺と居たほうが幸せなのに。」

「でもあれは、俺と居て不幸になるほうを選ぶだろう。」

「……地獄へ落ちろ。」

「俺が閻魔えんまだ。」

 景勝は微笑した。

「知らないか。」

 しばらくして、二人が店に戻ってきた。

 帳場ちょうばして待っていた紅は、一目見ひとめみるなり、きゃっと言って土間どま裸足はだしで飛び降りると、景勝の前に駆け寄って平伏へいふくした。

 彼のほおあざが付いている。

 助左の頬にも同じような痣がある。

 二人ともびしょれだ。

 景勝は、紅に何も言わせないよう、素早すばやく言った。

つまずいて海に落ちた。助左衛門が助けてくれたのだ。」

 れとした顔をして、明るい声で言った。

 もの言いたげな女を目で制して、小姓こしょう練絹ねりぎぬを出させると、顔を行人包ぎょうにんづつみに包んだ。馬を引かせると、ひらりとまたがった。

「宿に戻る。そちはゆっくりしてこい。」

 助左は、井戸端いどばたで水を浴びてから、着替えをした。

 紅が膏薬こうやくを持ってきた。

「やめてって言ったのに。」

「一発だけなぐらせろって言ったんだが。」

 助左は顔の傷痕きずあと手鏡てかがみで見ながら言う。

「つい、もう一発殴りそうになったら、逆に殴られちまった。海に引きずり込んで首をめてやろうと思ったんだが、あいつ、水練すいれんもなかなかのもんだな。」

たりまえでしょ、子供の頃からきたえてんだから。」

 紅はわざと乱暴に膏薬をった。

「命があっただけでも有難いと思いなさい。」

「いや。あいつも殴りたかったんだ、俺を。」

「え?」

「生死をかけた戦が終わったら、すぐお前の後を追っかけて、連れ戻しに来た。どんなヤツだかツラァ確かめて、殴った。俺が、お前の亭主だから。」

 助左はめるように言った。

いてんだ。」

「まさか。あたしなんて。」

 紅は暗い表情で薬を片付け始めた。

けがらわしい女だと思っていらっしゃるのよ。」

「もう帰ってこないかと思った。」

 助左は真面目まじめな顔で言った。

「俺と夫婦めおとになったこと、後悔してんだろ?」

「もう越後に戻れない、喜平二さまにも二度とお会いできないと思っていたから」

 紅も素直に答えた。

「こうなったのは嬉しい。でも、ここに戻ってこられたのも嬉しい。商人の暮らしなんて知らなかった。全く何も無いところから、生活を築いていった。あなたは随分ずいぶんと、意地悪イジワルだったし。」

 助左は苦笑した。

「ねえ、あたしの居場所を奪わないで。堺に戻ってきたときくらい、側に居させて。不実ふじつな女房だってことは認める。離縁してくれても構わない。でも、婢女はしためでもいいから、ここで雇って。」

「婢女だって?」

 助左は紅の身体を腕で巻いて引き寄せた。

「何言ってんだ、俺がお前の奴隷どれいなのに。」

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