幕間劇-02 いやいやいやいやいやいやいや。



 よく他人から羨まれはするけれど、記憶力が良すぎるのもしんどいものだ。ボクは1歳半ごろからの経験をほぼ完璧に記憶している。図書館で読み漁った本は目を閉じればいつでも読み返せる。AD1310年6月18日の4時限目は修辞法の講義、テーマはレゲメント型飛び越え短縮式の理論的導出について。生まれて初めて術式を発動できたのは1305年11月2日風曜日の午後。ほらね、完璧だ。

 あの日、まだ2歳だったボクは、企業コープス本社の広大な敷地全体に響くほどの大声でわめいていた。嬉しくって居ても立ってもいられなかったんだ。小粒の水晶玉がボクの手のひらの中で淡青色の光を放っていた……。ここ何日か夢中になって取り組んだ課題をやりとげたんだ。

 ボクは短い脚をヨチヨチさせて駆け回り、ある人物を探した。彼は東棟の2階の小会議室にいて、他の大人たちと何か難しい経営の話をしていたけれど、乱入したボクを見るとだらしなく目尻を垂らしてしゃがみ、大きな手でボクを抱き留めてくれた。

「おやおやカジュくん、困った子だね。こんなところに入ってきちゃいけないよ。なにかあったのかい?」

 。彼の笑顔の鼻先に、ボクは手のひらに乗せた水晶玉を突き出す。

「光った!」

 小会議室の大人たちがどよめいたのを覚えている。でもその賞賛と驚嘆がどうでもよくなるくらい、ボクはただ一途に彼の言葉を待っていた。ボクは成し遂げた。自分の為した成果を、他の誰でもない、コープスマンに見て欲しかった。コープスマンが感嘆の溜息をもらす。大きな、大きな、ボクの全身が包まれてしまいそうなくらい大きな手のひらで、ボクの頭を撫でてくれる。

「すごいじゃないか! もうこんなにはっきりと術式を構築できるなんて、やっぱり君は天才だよ!」

 それが嬉しくて。ただその言葉だけが欲しくって。もっともっと期待してほしくって。幼稚なボクは大口をたたく。

「カジュね、世界一の魔法使いになるのよ? 困ってるひとをみんな助けてあげるの!」

「ああ……それはすてきな夢だねえ」

「ユメェ?」

 夢。

 その単語を始めて耳にしたのは、確かにその時だった。あまりにも幼すぎて、営業スマイルと本物の笑顔の区別さえついていなかったあの頃。

「そうよ! カジュの夢よ!」

 覚えたての言葉を、ボクはさっそく無邪気に使う。目の前の大人の性根にどんな薄汚いものが詰まっているか、想像しようとさえせずに。



   *



 ボクには夢なんかない。あるのは計画と実行のみだ。ヘラヘラ笑って夢を語るような奴は、実現もできない口先の目標を掲げて満足感をむさぼっているだけ。この世界がどんなふうに成り立っていて、その中に自分がどんなふうに投げ込まれていて、その相克がどれほど痛く苦しいことかに目を向けようしてないだけ。ああ腹が立つ。

「私、先生みたいになりたい!」

 なればいいだろ。なってみろよ。なって後悔してみろよ。

 ボクのことなんか何も知らないくせに。

 それからしばらく、ボクは自分の仕事に没頭した。魔王との最終決戦に向けて考えておかなきゃいけないことが山ほどある。どうやって主導権を握るか。敵がどんな戦術で来るか。それに対してどう返すか。術式を組み、改良し、昔読んだ魔導書グリモワを思い返して復習する。

 ふと気づくと、ボクはまた夜更かししている。悪い癖だ。治らない。さんざん仲間たちからたしなめられたのに、気持ちがネガティヴになるとついつい自分を追い込む方にかじを切ってしまう。徹夜はボクなりの代償行為。イライラして、やるせなくて、いてもたってもいられない時、ボクは誰かのために身を粉にすることで自分を慰める。ひとの役に立ちたいんだ。助かったよって言ってほしいんだ。抱き締めて、キスをして、ボクを認めてほしいんだ。そのためにボクは、寿命と睡眠時間を削って働くという手段しか知らない。

 分かってる……ボク、もう11歳だよ。自分の欠点も、思考パターンも、みんなとっくに自覚してる。なのにやめられないから中毒っていうんだろ……。

 ある朝、徹夜明けのイラつきをそのまま表情に貼り付けて通りを歩いていた時、ふと目を向けた裏路地にナジアの姿を見かけた。彼女は建物が作る深い日陰の中で壁に背を付け、手のひらにじっと視線を落として集中していた。視線の先にあるものはもちろん、水晶の小球。忙しく開閉する唇が、「光れ」「光れ」と繰り返し呪文を刻み続けている。

 ボクは気付かないふりして顔を背ける。

 そのまま通り過ぎようとしたボクの耳に、彼女の一途な訴えが届いた。

「光れ。輝け。輝こう。大丈夫、輝けるよ。君ならきっと、夢を真実ほんとうに変えられる……」

 なにその呪文。

 なんで水晶玉を励ましてんの。

 どういう発想だよ。

 たまらなくなってボクは走った。ナジアに気付かれてないことを祈りながら。分からない。自分がなにかひどく打ちのめされていることは分かるのに、その正体が分からない。ナジアのことが嫌い。でもそれだけじゃない。なにか他の、言葉にできないどろどろした感情がボクの中で暴れてる。

 なんだよちくしょう。なんなんだこれ。



   *



 むしゃくしゃした時は暴れるに限る。ボクは《風の翼》で街中飛び回って緋女ちゃんを探して「ゲームしようぜ。」ともちかけた。訓練がてら時々やってるバトルゲーム。ボクが《発光》を飛ばして緋女ちゃんにぶつける。緋女ちゃんはそれを避けたり切り落としたりする。砂時計が空になるまでに命中させればボクの勝ち。全部避けたら緋女ちゃんの勝ち。

 今までの戦績は587勝601敗、勝率49.4%……のはずだったんだけど、今日はとにかく調子が悪かった。5戦して1勝4敗。いや調子が悪いっていうか、奥義を身に着けて帰ってきてから緋女ちゃんの動きがちょっとおかしい。生身で音速超えるんじゃねえよ。チートだろそれ。

 そういうわけで、ストレス解消するはずがかえってモヤモヤが溜まってしまった。そんなボクを思いやってか、勝負の後で緋女ちゃんが「なんか食べ行こーぜー」なんて誘ってくれる。兵隊向けに営業してる屋台村へ足を運び、おいしそうな匂いのもとをキョロキョロしながらぶらつくボクら。ボクはなんとなく、緋女ちゃんと手を繋いだ。普段こんなことしないけど、彼女はこっちへ目を向けもせず、そのまま自然に握り返してくれた。右の店の鍋には卵粥。左の店の金網には名物ヴルム焼き。緋女ちゃんに手を引かれるまま、あっちへぷらぷら、こっちへぷらぷら。あんまり食欲もなかったはずなのに、こうして物色してるとだんだんお腹も減ってくる。

「今日は何の気分かなーっ!」

「甘いものだね。」

「じゃカルメラ?」

「なんかもうひとつ。プリン屋台とかあればいいのに……。」

「なーカジュ」

「ん-。」

「なんかあったろ?」

 あ、ラーメン。ラーメンというのは小麦粉生地の麺を茹でて塩味の利いたスープにけたもので、元々は異界の英雄セレンが異世界“アース”から伝えた料理なのだという。彼女が六使徒にふるまったものがあまりに美味うまかったため、またたく間に内海全域に広まって定着し、今ではそこかしこの土地で地元の食文化を生かしたラーメンが作られている。

 ぜんぜん甘いものじゃないけど、甘くないならいっそ思いっきり逆張りだ。ボクは緋女ちゃんを引っ張っていって、ラーメン屋台のギシギシうるさい椅子にぴょんと飛び乗った。

 注文する。ふたり並んで出来上がりを待つ。街の喧噪が遠く意識の外へ切り離された、ふたりきりの時間。

「……あったよ。」

「聞こうか?」

「これは自分で解かなきゃいけない宿題っていうか。」

「そっかあ」

 ラーメンが来た。第2ベンズバレンのラーメンは、港町らしく魚介出汁。麺の上に載ってる具は、なんたることか、これまた第2ベンズバレン名物スルメの天ぷらである。イカの乾物を細く割いて、衣をつけて油で揚げたものなのだが……。せっかくカラッと揚がったフライをスープにぶち込むこの暴挙。この屋台の店主、メチャクチャやりおる。こんな掟破りが美味うまいわけが……。

「……美味うまい。」

「マジだ、たまんねーなコレ。うおおっ、脂が染みる……」

「ね。」

「おう」

「なんかさ。」

「うんうん」

「『こいつ嫌い。』……ってわけでも、ないんだけど……。なんか顔見てるとイライラして、やることなすこといちいちカンにさわる……。そんなひとと出会ったこと、あるかな。」

「あるある! 山ほどある!」

「そんなとき、どうする。」

 緋女ちゃんは箸を持つ手をお行儀悪く握り固め、グイッと突き出して唇をとがらせた。

「そーゆー時はァー、こう胸ぐらつかんでェーっ……」

 鬼神の形相から、袈裟懸けにバッサリ斬りつけるような一声。

「好き!!」

 街の騒ぎを吹き飛ばすほどの大音声。間近で聞いたボクは皮膚がビリビリ震えて痺れてしまう。

「って言う」

「は。」

「『好き』って言う」

「聞こえてたよっ。ひとの話聞いてたのかこーのアホワンコっ。ムカつくんだって言ったじゃんっ。」

「だからよ。ケンカだろ?」

「まあね。」

「ケンカは先手必勝ォ! 出会い頭にガツンとやって、あとは流れでボコボコよ!」

「意味わかんねーよ。」

「えー!? なんでェー!? ホントだって、絶対効くんだってばァー!」

「緋女ちゃんに聞いたボクがバカだったっ。」

 やけくそ気味にラーメンをすすりながら、ボクはそっぽを向いた。まったくなに言ってんだか。嫌い、イラつく、カンにさわる。それがなんで「好き。」になっちゃうの。それじゃあまるでボクがナジアのこと……。

 ……………。

 ……は。

 いやいや。

 いやいやいや。



 いやいやいやいやいやいやいや。



(つづく)

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