幕間劇-03(終) 困ったもんだ。
関係ないんだよ。どれだけ
もう3年近くも昔のあの日。次の仕事に向かうために、生まれたての子馬みたいに震えながら立とうとするボクを、コープスマンは無感動に眺め降ろしていた。そばの同僚へ囁くことには、
「そろそろ限界かもね」
だろうね。ボクもそう思うよ。
土気色になった顔をどうにか持ち上げ、垣間見たコープスマンの表情はいつもと同じにこにこ笑顔。ボクの頭を撫でながら大げさに褒めてくれたあの時と同じ。くすぐったいくらい励ましてくれたあの時と同じ。ボクの
「ボクを見て……。」
自分がなんでそんなこと言ってるのかも分からない。ただボクは今にも消えそうな声でブツブツ訴え続けていた。なんの意味もないのに。お願いしたって聞いてくれるはずがないのに。
もう夢なんて、叶うはずがないのに。
「ボクを使って……。
ボクを棄てないで……。
ボクは……。」
ボクは……。
「ボクはまだ……戦える……。」
*
別に用があるわけでもないのだけど、なんとはなしにフラフラと、ボクは名医モンド先生の診療所に足を運んでいた。
この診療所で、ナジアは働いている。
ナジアは風通しのいい病室の奥で、怪我人の身体を拭いているところだった。つんと鼻をつく悪臭。あの患者、たぶんどこかが壊死しかかってる。もう起き上がることはおろか、ろくに四肢を動かすこともできないらしい。糸の切れた人形のように病床に横たわり、ナジアの手のなすがままにされながら、なにかぶつぶつ呟き続けている……。
「そのときだ、ナジアさん。俺の前に鬼が立ち塞がった。でかいやつだったよ。屋根まで届くような巨漢だ。石柱に取っ手を付けたような棍棒を持ってね、力任せにブンブン来るんだ」
「怖い! そんなの、どうするの……」
「さあそこよ。俺も死を覚悟した。でも思ったんだ、どうせ死ぬ気ならひとつ暴れてみるかってね。そうしたら不思議と、相手の動きがゆっくりに見えだしてさ。棍棒を振り下ろしてくるのを冷静に見極めて、脇を潜り抜け、伸び上がりざまへ喉へ一撃! ザクッ! バターン!」
「すごいすごい! やっつけちゃったの? 鬼殺しだ!」
「そうなんだよ、まあ、なんていうの、日ごろの鍛錬の成果ってやつ? へへへ……な。すごいだろ。俺、がんばったよなあ……」
「がんばったよ。すごいって思う。ピンチで諦めなかったところがすごい」
「うふ。ありがと。まあそのあと膝をやられちゃったけどさ……戦うのはもう無理かなあ」
「他の仕事ならきっとできるよ」
「そうかな」
「勇気のあるひとはなんだってできるもん」
「そうだよな。さすがナジアさん、分かってる! 男の値打ちは腕っぷしじゃない、中身なんだ。やっぱそうだよ」
「治さないとね」
「ああ、治さなきゃ……」
もうそれ以上聞いていられなくて、ボクは足音を殺して退散した。誰かに声でもかけられたら、どんな顔すればいいのか分からない。
それなのに、足早に路地へ出たボクは、横手から呼び止められてしまった。
「来てたのか、ぼうず」
ぎょっとして声のした方を振り返れば、建物の脇の物陰で、積み上げた木箱の上に腰を下ろしてパイプをふかしている老人がひとり。立派な口ひげの名医モンド先生だ。
「……ども。」
「おう。なんか、わしに用だったか?」
「いや、別に。」
「そんなら結構。医者なんぞには用がねえのが一番だ」
「いいんすか、こんなとこでサボってて。」
「ナジ公みてえなこと言いやがる。タバコ休憩くらいさせろぃ」
モンド先生は頭を掻いて苦笑している。ナジ公ね。あのひとの働きぶりがどんなものか、先生の表情だけでなんとなく見える。
「奥の患者さんと、ばかみたいな雑談してた。」
「大したもんだろ。落ち込んでる男を勇気づけるのが天才的に上手い」
「治るんすか、あのひと。」
「……いや」
モンド先生は行儀悪く、パイプを叩いて灰を道へ落とした。懐から次の葉をとりだしてパイプへ押し込み、舶来物のマッチで火をつける。細く立ち上る白紫色の煙。最近ヴィッシュくんが全然吸わなくなったから、久しく嗅がない――お父さんの匂い。
「やれるだけのことはやったが、総身に回った毒血はどうにもならん。もって半月」
「ナジアはそれを……。」
「知ってて喋ってる。いつものことさな」
ボクはもう、何も言えない。
ボクの術であの患者さんを治してあげられればいいんだけど、そういうわけにはいかない。ボクの回復術は、正確には傷を治しているのではない。肉体の時間を
本格的に戦争するとなると、「寿命と引き換えに致命傷を完全治癒」なんて
つまりはこれがボクという術士の限界。全知全能にはなりえないボクらが、誰しも必ず直面する壁。
なのにその断崖絶壁に、ナジアはああして寄り添っている。もう長くは生きられない患者へ、哀しみも同情も匂わせず、自然な笑顔で励ましの言葉をかけ続けている。事実を偽ってまで希望を持たせることが正しいのかどうか、それはボクには分からない。でもその嘘のおかげで、あの瀕死の男は笑顔を失わないでいられる。たぶん、死を迎えるその瞬間まで……。
無言で目を伏せたボクの頭を、モンド先生のひらたい手のひらが優しく撫でた。
「……とどのつまり、この世の人間は誰も助からん。誰だって最後には怪我か病気か老化に負ける。医者にできるのは、そこまでの道中を
あの子はその道理を肌で分かってる。そのうえで
「うん……。」
「誇っていいんだぜ。あの子にアドバイスくれたんだろ?」
「なんの話。」
「『無いもの
「あー。あれは別にアドバイスとかじゃ……。」
「とぼけてないで胸を張んな。
いっぱしの看護師をひとり生んだんだよ、お前さんは」
*
これで話は終わりだ。
……なんか不服っすか。
これ以上話すことなんかない。ボクはもう、今でははっきりと悟っている。結局、ナジアの言動にあれほどイラついていた理由はごく単純。
彼女が羨ましかったんだ。
ボクの人生には、いろいろあった。
ボクには夢を見る暇なんてなかった。そんな余裕を与えられはしなかった。今だってそうだ。ボクはこれから、魔王との決戦に挑む。生き残ろうなんて考えちゃいない。そんな生ぬるい覚悟で太刀打ちできる相手じゃない。
だから、羨ましかったんだ。
こんな暗い世の中で。自分も家族を失って。それでも他の誰かのために、行く手に広がる未来のために、明るい夢を抱き続けられるナジアの強さが。
死を賭すことしかできない自分の弱さより、生きるためにそこから歩める彼女の強さに憧れた。
死ぬ前に気付けて良かった、と思う。
そしてついに、出陣の日がやってきた。魔王クルステスラを討ち滅ぼすべく集結した勇者軍10万名。第2ベンズバレン門外に列を為した軍勢が、先鋒から順に整然と進軍を開始する。目指すはベンズバレン王都、魔王城だ。
なんだか現実感がない。まるで夢でも見てるみたい。中軍の列に混じって出発の順番待ちしていたボクは、先鋒部隊の背中を他人事みたいにぼんやり見送っていた。そこへ、緋女ちゃんが馬をひっぱってくる。
「いいのかよ」
「何が。」
「あの子と話、してねーんだろ」
「誰のことっすかね。」
自然にとぼけたつもりでも、緋女ちゃんの嗅覚には通じない。緋女ちゃんは親指で、城門のほうを指した。
「あの子」
緋女ちゃんの指さす先には黒山のひとだかりがあった。第2ベンズバレンの住人たちが、最後に勇者軍を見送ろうと詰め寄せていたのだ。
「カジュ!」
密林の木々のようなひとごみを掻き分けて、身体をひねりだしてくる女の子がいる。ナジア。彼女はひとだかりの前へ飛び出すと、ボクに目をつけ、ほとんど転びそうになりながら、息を切らして駆け寄ってきた。そしてボクの前に手のひらを差し出す。
「できた! 私、できたよ!!」
……は。
「うっそ。」
と、これは素の反応。弾かれたように目を向けてびっくり。ナジアの手のひらの上では、ボクが渡したあの水晶玉が……なんの変哲もない単なる二酸化ケイ素の結晶が、穏やかな橙赤色の光を放っていたのだ。
「できてる……よね?」
「うん、できてる……。えーっ。まじかー……。」
信じられない。ありえない。素質のある人間がちゃんとした教師の指導を受けながらやっても半年はかかろうかという課題だ。ボクですら初めて光らせるまでに6日もかかった。それを、この年齢まで文字すら学んだことがなかったド素人が、これほどの短期間で成し遂げてしまうなんて……。
これだけで判断しきれることではないけれど、おそらく、ナジアにはかなりの魔術の素質がある。今からでも理論を学べば相当な術士になれるはずだ。そう、とりあえず基本の
「カジュ?」
不意に顔をのぞきこまれて、ボクはギョッとして身を引いた。
「できたよね?」
「うん。」
「だから、約束」
「は。」
「続き、教えてくれる?」
まるで、頭の中を見透かされたみたい。
深い深い優しさを
ボクの脳裏に閃光が走った。
今こそ本当に理解した。
まさか……。
まさか、あれほど魔術に固執していたのは……。
このため。
ボクに……生きて帰る理由をくれるため。
ボクは勘違いしていた。ボクは分かっていなかった。何が「今でははっきりと悟っている。」だ。「ナジアのことが羨ましい」、それすらボクの本音の一側面でしかなかった。きっと本当は、最初からずっと分かってたんだ。気付いていたのに気づかないふりをしていたんだ。大事なことから目をそらし続けていたんだ。
ボクは腕を伸ばした。
ナジアの胸ぐらを引っ掴み。
頭突きするほどにおでこを寄せて。
精一杯の声量で叫んだ。
「好き。」
それは、囁くほどの小声でしかなかったけれど。
「……みたい。ボクは。キミの。ことが。」
ナジアは頬を紅潮させて、照れくさそうにはにかんだ。
「うん。私も!」
ボクには夢がある。
出陣の順番が回ってきて、ボクは緋女ちゃんと同じ馬にまたがり、第2ベンズバレンを後にした。何度か振り返ってみるたびに、こちらをじっと見送るナジアと目が合った。合ってたのかな……。いや、合ってたんだと思う。どこが目でどこが鼻なのかも分からないほど遠ざかってしまっても、彼女がボクをずっと見ていてくれてるのが分かる。
戻ってきたら、彼女に講義の続きをしよう。教えなきゃいけないことは山ほどある。読んでもらわなきゃ話にならない本だって。他人に魔術を教える、なんてやったことがないボクだけど。弟子を取るとか、教育するとか、そんな大層なことじゃないんだ。ボクが今まで学んだことのほんの一部でもいい、他の誰かに伝えたい。そしてその誰かが、ボクから受け取ったものを人生に役立ててくれたら……それってすごく、素敵なことだって思える。
なんか今、見えてしまった。
唐突に、気づいてしまった。
ボクには夢がある。
ボクは“先生”になりたい。
それがボクの夢だったんだ。
「よかったな、カジュ」
ボクが前に座っているから、緋女ちゃんのアゴはボクの頭の上にある。この位置で話しかけられると、骨から直接、緋女ちゃんの声が脳髄に響いてくる。
「何も言ってませんが。」
「言わなくたって分かるよォ! いい顔してるぜ、今」
「……やれやれ。」
目を伏せ、溜息をつくボクへ、緋女ちゃんは
「困ったもんだ。
うっかり死ねなくなっちゃったよ。」
THE END.
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