第20話-07 殺意



「どうにもならん」

 ついに月まで昇り始め、夢見人ゆめみびとは下腹を掻き回されるような恋慕の苦痛に嘆息した。隣の者はなにもかも諦めきった顔でうなずく。

「そうかもな。わしらにできることは何もない……今に始まったことじゃあないが」

 その場にひしめく百あまりもの夢見人たちの間に、愁嘆は疫病の如く広がっていく。

 魔王城内の中庭で、彼らはもう、丸5日余りも魔王の訪れを待ち続けている。過日カジュが目撃したあの奇妙な“儀式”のためにだ。夢見人の中から毎日1人が選ばれ、魔王に《融合》する神秘の儀式……意志も肉体も持たない純粋なエネルギーと化しての中へ融け込めば、苦しみも不安も消滅する。そのうえなんの取り柄もない自分たちが、魔力の源として魔王の役に立てるのだ。とうの昔に現世への希望を失くした夢見人にとって、これが唯一の心のよりどころなのだった。

 だが、死術士ネクロマンサーミュートが失脚したあの日を境に、魔王はふつりと姿を見せなくなった。

 夢見人はこの庭に集まり魔王を待った。朝は空の白み始めるころから、夜はとっぷりと日の暮れて鼻先も見えぬような真っ暗闇に包まれるまで。夜中は見張りを立てて交代で眠る。食事は係を決めて取りに行かせる。いつなんどき魔王が現れてもよいように細心の注意を払って待つこと1日、2日。魔王は来ない。5日が過ぎた。今日も来ない。

 それでも夢見人は諦めなかった。常人には考えられぬほどの辛抱強さで、ひたすら魔王の到来を願い続けた。心と体が歪みきり、もはやひととして世界に受け入れてもらえなくなった夢見人は、その代わりにか、ひたむきな――見ようによっては愚かとすら言えるほどの――信仰を得るに至ったのだった。

 それなのに、魔王は来ない。夢見人たちの祈りに応えてはくれない。誰かが消え入りそうな声で不安を漏らす。

「なあ……このままでいいのかな」

「魔王様を心待ちにする以外、俺たちにできることがあるか?」

「いや……ない」

「なのにどうして魔王様は来てくださらないのだろう」

 夢見人たちがざわつきだした。確たる情報がない時には、つい憶測に頼ってしまうのが人情というもの。誰も彼も千差万別の異形をした者どもが、それぞれの口を――ひとつずつとは限らないが――働かせ、次々に妄想をさえずり始める。

「俺たちが嫌いになったのかな」

「あり得る話だが」

「私たち、また見捨てられたのかな……」

「いや、そこは魔王様を信じようよ」

「あんなにお優しかったじゃないか」

「この世でただひとり、わしらをひととして扱ってくれたじゃないか……」

「じゃあ病気?」

「魔王様が病気なんかに負けるもんか」

「私達のことが嫌いになったんだ」

「違うってのに」

「きっかけは別にある」

「ミュート様が牢に囚われてからだ」

「あたし、あのひと、嫌い。ばかにするもの」

「賢いおひとだから魔王様が頼りにもするんだろ」

「そんなら不安なんだ」

「どうして?」

「友達がいなくなったから……」

 ひた、と夢見人たちが口をつぐむ。一瞬の後、せきを切ったように反論が巻き起こった。

「まさか! 俺たちじゃあるまいし」

「魔王様はすごいんだ!」

「不安なんてあるもんか」

「そうだろうか」

「でも、たとえ魔王様だって、大切なひとをくしたら……」

「辛かろうな」

「寂しいんだ」

「ねえ……私達で……寂しさを埋め合わせてさしあげられる?」

「無理だよ……」

「くそつまらない人間だもの」

「何も創れない」

「何も働けない」

「若くもない」

「裸だって、見て面白いものじゃない」

「俺たちにできることは、ただ食って、蠢き、くそることだけ」

「なあ、誰かひとりくらい、何かできるんじゃないか? ひとを楽しませることが」

「できないよ」

「歌も、踊りも、楽器も、絵も、彫刻も、物語も、夜伽も、遊戯も、なにも」

「誰もできない……」

 濃霧のように立ち込める諦観。絶望のみに支配された静寂。

 だがそのとき、ひとりの夢見人が声を上げた。

「いや。できるかもしれん」

 一同の目が彼に注ぐ。彼はおそろしく太った、手も足もない肉の玉のような姿の男だった。芸事げいごとを身に着けているようには到底とうてい見えない。彼のなりを見て他の夢見人が舌を打つ。

「ちっ。でまかせを」

「そんな気の利いたやつがいるもんかい」

「いや、いや、まあ聞けよ。ひと月ほど前だ。俺はその夜、急に死にたくなって、でも死ぬのが怖くて、城壁のすみっこの植木の裏に丸まって、どうしようもなくて泣いていた」

「そんなのはいつものことだ」

「ところがその夜は違ったんだ。歌が聞こえてきたんだよ」

「歌……?」

「詩人さ。どこかで歌ってたんだ。すごい歌だった。その歌を聞いてると、俺ァ、死にたいって気持ちがすうーっと楽になっていって……歌が終わるころには涙が止まってたんだ。信じられるか? 夜通し泣かずに済んだんだぜ。歌は城壁の外から聞こえてるようだった」

「それで、どうした」

「行ったね。門番に拝み倒して外へ出て、詩人を探した。こんな身体だから通りをいずるのは簡単じゃなかったけど、そのとき歌の続きが聞こえ始めたんで、どうにか声の主に会うことができたんだ。

 見れば、片足のちょん切れたボロ雑巾みたいな男が、四ツ辻のすみに座って歌ってるじゃないか。おかしなもんだね、あんな汚い男があんな綺麗な声を出せるんだから」

「わしらの同類かな……?」

「あるいは少なくとも、同類に近いやつ」

「それで? それで?」

「俺は言ったね。『もっと歌ってくれ』と。

 詩人はぼんやりと笑って答えた。『歌は薬であり、毒でもある。いちどきに多くを聴きすぎれば心と体を害しましょう』

 そこで俺は抜け目なく頼んだよ。『じゃあ、今度また歌ってくれるかい』」

「詩人はなんて言ったんだ?」

「『真に歌を必要とする者があれば、必ず』」

「真に歌を必要とする者……?」

 夢見人たちが顔を見合わせる。

「魔王様だ!」



   *



 幼稚である。何十万の手下を抱え、身内のエゴの相克と外敵の容赦ない侵略に苦悩する魔王を、歌で癒やしてあげようなどと!

 だが、これが夢見人たちにできる最大限の思いやりであるというのも、また確かな事実だった。

 かくして夢見人たちは魔都へ繰り出し、手分けして詩人を探し始めた。容易なことではない。なにしろ全員が例外なく化け物じみた異形である。それが徒党を組んで街を練り歩けば百鬼夜行の様相を呈す。住人たちは震え上がる。詩人の行方を尋ねようにも人間は出会ったそばから悲鳴をあげて逃げてしまう。追えばますます心証は悪化する。家の戸を叩いても返事さえもらえない。

 さらに、魔都の警邏けいらにあたっている魔族や鬼兵などは夢見人を心底見下しているから、顔を合わせれば殴られる。蹴られる。夢見人が魔王にかわいがられていることは周知の事実で、城内にいれば迫害を受けることもなかったが、一歩門の外に出れば話は別なのだ。

 しかし、それがなんであろう。

 暴力。侮辱。いわれのない差別。そんなものには飽き飽きするほど出くわしてきた。他人の横暴には慣れている。こらえかたなら知っている。孤独であれば痛みに耐えかね自死すら選んだかもしれないが、今の夢見人たちはひとりではない。胸に大切なひとがいる。

 魔王。

 魔王様のためと思い定めれば、苦しさも、悔しさも、痛くはあれど、怖くはない。

 夢見人の気迫が天に通じたのだろうか。連日連夜の徘徊が、ついに実を結んだ。魔都のはずれの貧民街を探っていた夢見人――6本の脚を持つせた女――が、くだんの詩人を探し当てたのだ。

 詩人は倒壊寸前のあばら家で、みすぼらしい身なりの子供たちへ、冒険叙事詩を歌い聞かせているところだった。小ぶりの琵琶リュートが奏でる勇ましい旋律に乗せて、詩人の口から溢れ出る英雄のいさおし。名もなき竜殺しの英雄が邪竜シュヴに単身挑み、姫君をその手で救い出して、シュヴェーア建国帝へと成り上がる、血湧き肉踊る冒険活劇。

 夢見人が脚を蠢かせながら現れたのは、ちょうど“狂気の森”の怪物が主人公に襲いかかってくる段を歌っているときだった。ただでさえおどろおどろしいシーンに没入していたところへ、この奇っ怪な闖入者ちんにゅうしゃ。子供たちは驚く。恐れる。金切り声を上げて泣きわめく。最も年上の勇敢な少年は、とっさに木の棒を掴んで夢見人へと打ちかかる。

「痛い。あ、痛」

 夢見人は腕で頭をかばいながら丸まった。抵抗の素振りも見せない彼女を見て、詩人が子供たちを手で制した。

「おやめなさい。どうも敵ではないらしい」

 少年は殴るのをやめなかった。身を焦がすような熱い憎悪が彼を支配していた。詩人が目配せすると、周りの子供たちが背中から羽交い絞めにして少年を止めた。それでもまだ少年は荒く鼻息を吹き、いましめを逃れようともがきながら、「化物! 死ね化物! お前らのせいでエリーは……」と唾を散らしている。

 詩人は苦悩を深く眉間に刻み、杖なしでは立ち上がれぬ不具の身をずり動かして、夢見人へ近寄って行った。

「ご無礼を。

 しかし、無用の争いを求めに来るものではない。親兄弟を皆殺しにされた子供たちの気持ちを思えば、あなたをこうしてかばうことも悩ましいのだ」

「ええ、ええ……よく分かります。あたしも殺されました。誰も彼も、人間どもに……」

 少年がわめくのをやめた。まだ棒を手放してはいない。唇も一文字に結んだままだ。だが憎悪に燃えていた彼の目には、確かな困惑の雲が湧き始めていた。

 夢見人は顔を上げた。そして詩人の手を握り、伏し拝むようにして懇願した。

「無理は承知でお願いします。歌を、歌を聞かせてくださいませ」

「君にかね」

「あたしなどはよいのです。どうとでも生きていけるし、いけなくても、そのときはそのときです。

 でも、あなたのお歌を、心底必要としておられるかたがいらっしゃるのです。そのかたは太陽。わたしどもの黒い太陽でございます。人間たちが空のましろな太陽を必要とするように。魔物たちが夜更けのまっくら闇を必要とするように。夢を見るように生きるわたしどもには、黒く燃える太陽が必要なのでございます」

 詩人はしばしの沈黙ののち、夢見人の真摯な目をじっとのぞき込み、問うた。

「その者の名は」

 夢見人は答える。畏怖に震えながら。

「魔王、クルステスラ」



   *



 あくる朝。紛糾する朝議の場に、くたびれ果てた魔王の姿があった。

 玉座の左右を埋める魔貴族マグス・ノーブルたち。その最前線に立った魔貴公爵ギーツが頭ごなしに指示を飛ばし、竜人ボスボラスが鼻をほじりながら拒絶する。不遜な態度に苛立って徐々に白熱していくギーツ公をコープスマンがなだめるが、ボスボラスが絶妙なタイミングで憎まれ口を挟むから揉めるばかりで何も決まらない。

 とにかく思い通りにことを運びたいギーツ公と、それをおちょくって遊んでいるだけのボスボラス。ミュートという支柱を失って以来、朝議はいつもこの調子であった。魔王も相当うんざりしていると見え、最近は鶴の一声で何もかも結論を下してしまう。だがそうして細かな実務に関われば関わるほど、もっと重要な仕事――いよいよ完成間近となった“真竜ドラゴン”の仕上げ――に注ぐ時間が奪われる。その苛立ちを顔に出すような魔王ではなかったが、皮膚から漂いでる徒労感はごまかしようもない。

 事件が起きたのはそんな朝のことだった。さまざまな思惑が絡み合って煮え立つ鍋の如くなった会議の中で魔王がじっともだしていると、外から騒ぎが漏れ聞こえてきたのだ。

 一体何の声であろう。祝祭の神輿みこし担ぎか何かのような、威勢の良い掛け声がだんだんに近づいてくる。と、不意に玉座の間の扉が開け放たれ、見張りの魔族兵を人波で押し流すようにして、ぞろぞろと夢見人たちが雪崩れ込んできた。

 これを見て刃物のように鋭く目尻を吊り上げたのは、魔貴公爵ギーツである。

「何事か! 恐れ多くも玉座の御前で騒々しい!」

 しかし、恐れおののいて床にひれ伏す夢見人を目にすると、魔王はむしろ安堵したように頬を緩めた。

「構わないよ」

「はっ? はあ、左様で……」

「でも、あまり会議の邪魔をするのも良くないな。僕に用があるのかい、夢見人たち」

「は、はは、はいっ」

 肉玉の夢見人が震えた声で答える。彼は最初に案を出した功績によって、皆を代表して魔王に奏上する大役を勝ち取ったのである。

「ああ魔王様! すばらしい魔王様! 偉大なる偉大なる偉大なる、ついでにもひとつ偉大なるおかた! 俺たちは、えー、そのう……」

「おい、がんばれよ」

「はっきり言えっ」

「うるっせえな、今やってるだろっ」

 仲間たちの応援だか茶々だかを小声で一喝し、咳払いなど挟んで肉玉は続ける。

「ええ、そのですね、考えました」

「何をだい?」

「はあ、魔王様はなんで来てくださらなくなったかと……それはきっと、心が疲れておられるんだろうと……はい。それで話し合いまして。どうにかお元気を取り戻していただけんものかと、ささやかな贈り物を……あの、ご迷惑でなけりゃあなんですが……」

 魔王はそっと目を閉じた。

 魔貴公爵ギーツは険しい顔で眉間を揉んでいる。コープスマンは無関心に肩をすくめ、竜人ボスボラスなどはまともに失笑さえしている。

 しかし魔王だけは、違う。面倒極まりない現状。暑苦しい幹部たちの軋轢。乱立する醜いエゴを王として御するために冷たく凍りつかせていた彼の胸が、じわりと融け始めていた。細く眼を開いた魔王の顔にはもう、夢見人たちにいつも見せていたあの慈愛が蘇っている。

「迷惑などと、なぜ思うだろう。

 君たちの心尽こころづくしを嬉しくいただくよ。何を用意してくれたんだい?」

 平伏する夢見人たちの中に、歓喜のざわめきが波のように広がる。肉玉は転がりだしそうなほどに胸をそっくり返らして声をうわずらせた。

「ああよかった! いえね、物じゃないんです、ひとなんです。連れてきたんですよ。魔都でいちばんの、いやたぶん、世界で一番の詩人なんじゃないですかね。なんせ俺らは世界中からの寄せ集めでしょう。なのに誰も、このおひとほどの歌い手は知らねえと言いますもんで。

 おい、いいってよ! お連れしろ!」

 夢見人の群れが左右に割れる。彼らが空けた道を通り、詩人はにじみ出るように姿を現した。泥そのもののように汚れた衣服。歩むたびに頼りなく左右へぐらつく身体。失った片足の代わりに床へ突く杖が、奇妙に音楽的な響きを広間に満たす。路傍の塵芥を思わせるみすぼらしい姿に、不釣り合いな琵琶リュートの流線美ばかりが際立って見える。

 きざはしの前まで進み出ると、詩人は半ば倒れ込むようにして膝を折った。

おもてを上げよ」

 うながされるままに身を起こす詩人。奇怪な男だった。一介の力なきでありながら、魔王と魔王軍幹部たちを前にして微塵の怯えも感じさせない。といって敵愾心てきがいしんに燃えている風でもない。まるで風が吹けば稲穂がざわめき、雨が降れば水かさが増す、そうした摂理に従って動き続ける自然の事象であるかのように、淡々とひれ伏し、淡々と顔を上げる。その目はぼんやりと宙を捉え、魔王を見るでもなく、といって他所を見るでもなく、まるで、この世界と薄皮一枚を隔てた別の次元から世の諸相を傍観しているかのようだった。

 魔王は悠然と肘をつき、詩人の曖昧な目を探るように見つめ返した。

「名を聞こうか」

「名乗るほどの者でもございません。名もなき辻詩人で結構」

「なるほど。知られざる達人が僕を癒してくれるというわけだね」

 沈黙。いや、躊躇いである。

 詩人は首を巡らし、背後の夢見人たちを盗み見た。誰ひとりとして同じような者のない何百通りもの異形の目が、一様に期待を孕んできらきらと輝いている……

「……お詫びせねばなりませぬ」

「何を?」

「彼らの純真無垢なる想いを踏みにじりました。

 私は、癒しに参ったのではない」

 詩人の眼差まなざしが、このとき初めて生気に燃えた。

「貴方を殺すために来たのだ――魔王クルステスラよ」



(つづく)

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