■第20話 “果てしなき世界から”

第20話-01 出陣、勇者ヴィッシュ



 ――勝ったな。

 疾駆する馬の背で、魔貴公爵ギーツはほくそ笑む。

 第2ベンズバレンの北に広がる田園地帯を彼はもう半日あまりも猛進している。ギーツ公に付き従ってもうもうと土煙を立てるは頼もしき魔王軍精鋭部隊。そして前方にある蟻の群れのように小さな影は、意気地なく敗走する人間どもの背中である。

 壊滅寸前の抵抗軍レジスタンスが新勇者登場でにわかに勢いづいたのは、半月ほども前のこと。奴らは“勇者軍”などと仰々しく自称し、身の程知らずにも魔王軍へ攻勢をかけたのだ。

 狙われたのは街道沿いに点在する交通の要衝ばかり。南部の占領統治を一任された太守ギーツ公がこの事態に苛立ったのは言うまでもない。第2ベンズバレンに駐留する魔王直属軍総勢8万、それが日々消費する食料等の物資は莫大な量にのぼるのだ。無論いくらかの備蓄はあるものの、流通が止まれば遠からず飢えはじめるのは自明である。

 早急に街道の防備を固め、補給線を確保せねばならない……が、勇者軍のちょこまかと鬱陶しい挙動がそれを許さなかった。魔王軍があちらへ出向けば勇者軍はこちらへ引っ込み、こちらへ駆けつけたと思ったとたんにフラリとそちらへ襲い掛かる。神出鬼没と言えば聞こえはいいが、要はこそこそ逃げ回っているだけの勇者軍。そんな軟弱者にいいように翻弄され、決定的な打撃を加えられぬまま時間ばかりが過ぎていく。そうこうするうちに勇者軍の勢力範囲はじわじわ広がり、とうとう13もの重要拠点が彼奴きゃつらの手に落ちた。かくして魔王軍は完全に糧道を断たれてしまったのである。

 ギーツ公の苛立ちが頂点に達した今朝未明、ついに千載一遇の好機が訪れた。各地に放っておいた斥候が、勇者軍の尻尾を掴んだのだ。「敵はイゼット宿場付近で休息中」……その一報を聞くや否やギーツ公は旗下のほぼ全兵力をして出撃。油断しきった勇者軍の横腹へ怒涛の如く襲いかかった。

 この電撃的な攻撃に、勇者軍はたちまち瓦解した。押し返すことはおろか戦線を維持することさえできず、人間たちは千々に乱れて敗走し始めた。ギーツ公率いる魔王軍は勝ち波に乗ってこれを追撃。勇者軍も幾度か踏み止まって反撃を試みたものの、不安定な体勢から出る苦しまぎれの反撃など、余勢を駆った魔王軍には蚊が刺したようなものである。

 戦うこと5度。その都度魔王軍は快勝し、ギーツ公は確信を得た。

「勇者なにするものぞ! しょせんは小勢。正面切って戦う力がないからこそ、奴らは遊撃戦に頼っていたのだ」

 始めこそ慎重に戦列の中ほどで様子を見ていたギーツ公だが、勇者軍恐るるに足らずと知ったとたん、はりきって先頭に躍り出た。自慢の駿馬に鞭を入れ、狂笑しながら敵を追い回し、目につく端から攻撃魔術を撃ちまくる。時が経つのも忘れて追撃に熱中するうちにや半日。枯草が黄金の海の如く波打つこの草原で、いよいよとどめを刺さんというところまで勇者軍に肉迫したのだ。

 だがそのとき、ギーツ公の高揚へ、不意に水を差す者があった。

「閣下! ギーツ公! 馬をお止めください!」

 後方から必死の加速で進み出てきたのは、ギーツ公に仕える副官である。くつわを並べて走り始めた彼に、ギーツ公は一瞥いちべつすらくれない。

「愚なり! 機を逃して戦がなるものか!」

「しかし後続が追いつけません」

「む」

 そう言われて道理が分からぬほどの愚か者ではない。馬脚を緩め、背後をかえりみれば、ついて来ているのは騎兵や俊足の魔獣たちのみ。主戦力の魔族歩兵と鬼兵隊の姿ははるか後方にかすんでいる。

 これでは勇者軍を追い詰めたところで充分な打撃力を発揮できない。ギーツ公は嘆息しながら兵に停止を命じ、自らも不承不承ふしょうぶしょう馬を休ませた。

「ええい……今彼奴きゃつらを逃せば、いつまた見つけられるか分からんというに」

「空艇魔獣を敵の頭上に貼り付けておりますれば、見失う心配はありますまい。それよりも閣下、なにやらおかしくありませぬか」

「何がだ?」

「ここまでで我々が討った敵兵は何人ほどだと思われます?」

「うん? ……三、四千がところか?」

 副官はかぶりを振る。

です」

 眉をひそめるギーツ公。副官は馬を寄せ、脂ぎった額を近づけて、周りの兵卒に聞かれぬよう低く囁く。

「5度戦って5度勝ちながら、我らは一兵卒の首すら得ておらぬのですよ」

「馬鹿を言うな。ひとりも戦死せぬうちから、なんで奴らが敗走する?」

「それです。そこが妙だと……」

 ここでギーツ公は弾かれたように顔を上げ、辺りを見回した。先ほどまで見通しのいい田園を走っていたはずが、いつのまにか盆地の草原に踏み込んでしまっている。見渡す限りを覆う枯れ草。乾ききった冬の大気。草原の南北を挟む山並は、越えようとして越えられぬほどではないにせよ、大軍を機敏に動かすのが困難な程度には険しい。

「ここはなんという土地だ?」

「人間どもがセレズニア谷と呼んでいるあたりでしょう」

「左右を山に挟まれ入口狭く、地に草木深く繁って乾きたるは……」

 一字一句違わず丸暗記した兵法書の文章をそらんじながら、徐々に目を丸く引き剥いていく。

「いかん! これは罠だ!」

 ギーツ公が絶叫した、まさにその時。

 草むらへ一斉に放たれた火が、たちまち魔王軍を飲みこんだ。



 王国南部に駐留する魔王軍は兵力8万。対する勇者軍はまともに訓練も受けていない義勇兵をかき集めてなお1万足らず。そのうえ太守ギーツは第2ベンズバレンの城壁内で堅く守って動かない。質でも量でも地の利でも歴然の差があるこの状況で、正面からぶつかって勝利が得られるはずがない。

 ゆえにヴィッシュは奇策に打って出た。まず、戦い慣れしたベテラン兵2千ばかりを選出して遊撃隊を作り、街道の要所を狙って襲撃する。総勢8万の魔王軍南方占領部隊といえどその大半は第2ベンズバレンの中にあり、各所の砦に配置されている兵力は一ヶ所につき数十人からせいぜい百余りといったところ。当然、これは勝てる。

 街道を押さえれば物流は止まる。この5ヶ月で貿易商が軒並み避難してしまったために、海路もろくに動いていない。魔王軍は飢える、焦る。勇者軍遊撃隊を討伐するため、いくらかの兵力をいて差し向けるだろう。

 今度はその討伐隊を翻弄してみせる。正面衝突を徹底的に避け、神出鬼没に各所を攻めるのだ。無論そんな戦い方では占領地を維持することは不可能。奪い、奪われ、また奪いを繰り返すことになるが、それでいい。きりのないイタチごっこに敵は苛立つ。短気で気位きぐらいの高い太守ギーツならばなおさらだ。

 ここで仕掛けるは偽兵の計。旗指物はたさしものや鳴り物などを数多く用意し、近隣住民の協力を得て軍隊のふりをしてもらう。また野営の時には必要以上に焚火を増やし、幕舎の杭の痕も多数残す。こうして兵力を多く見せかけるのである。単純なトリックだが上手くやれば効果はてきめん。魔王軍はこちらの戦力を実態の数倍、ことによると10倍以上にも見積もったことだろう。

 こうして丹念に布石を重ねたうえで、最後の仕上げに取り掛かる。あえて隙を晒し、敵の斥候にこちらを発見させてやるのだ。さんざん焦らされた太守ギーツはもっけの幸いとばかり出陣する。この機で確実に殲滅すべく、偽兵の計で過大評価したこちらの戦力をさらに上回る兵を引き連れてくる。まず全兵力のほとんどを投入することになるはずだ。

 そこからが正念場だ。魔王軍相手に戦っては敗け、戦っては敗けを繰り返し、あえて敵を勢いづかせて、徐々に主戦場へ誘導する。目標地点はセレズニア谷。広からず狭からずの細長い盆地。山は突破は難しく伏兵を置くにはちょうど良い程度の険しさで、入口出口は特に狭隘きょうあい。しかも、この季節には枯草が一面に生い茂っている。

 火計にはうってつけの死地である。

「放て!」

 将軍の号令一下、山の上に潜んでいた勇者軍の伏兵たちが一斉に立ち上がり、数百の火矢を撃ち上げた。山なりに飛んだ火種が草原に点火。また別の方角からは術士部隊の《火の矢》が飛び、反対側の山麓からは歩兵隊の松明が投げ込まれる。四方八方から続々と火の手が上がり、魔王軍を紅蓮の炎に包み込む。



 魔王軍は大混乱に陥った。おりしも吹き始めた冬風が火をあおり、みるみる火勢を強めていく。初めこそ魔術で消火を試みていたギーツ公も、すぐに諦めてしまった。これは到底消し止められるような規模ではない。

「閣下ァ! ここは谷の外まで離脱ギャブェ!」

 副官の進言は潰れた声とともに中断した。勇者軍の放った矢が、彼のこめかみから下顎したあごまで貫通したのだ。さらに容赦なく降り注ぐ矢の雨に副官は針山と化してくらからずり落ちる。絶命した彼の形相にギーツ公の背筋が凍る。動揺から立ち直る暇もないまま敵の第2射が降ってくる。ギーツ公は引きつった悲鳴を漏らしながら逃げ出し、馬の首にしがみつきながら周囲の軍勢に半狂乱で怒鳴り散らした。

「後退だ! 谷の外へ退けっ!! 吾輩を守れェッ!!」

 だが恐怖した兵たちが口々に怒号を上げる中では、命令は容易には届かない。そのうえ伝達が徹底される前に指揮官が率先して逃げ出してしまえば、もう混乱は収めようがない。ギーツ公に続いて後退を始めた者はごくわずか。残りはどうしてよいか分からず右往左往するうちに、片っ端から火に巻かれるか矢を浴びるかして倒れていく。



 もちろん魔王軍とて無能ぞろいではない。隊列の後方に遅れていた歩兵部隊の中には、現場の判断で危地から脱した者もいた。たとえばある小隊は、冷静に火の動きを見極め、比較的火勢の弱いところを突っ切ることで強引に風上へ逃れた。運悪く衣服に火が移って焼け死んだ者もいたが、小隊員のほとんどは無事である。

「どうします隊長?」

「盆地の入口には伏兵があるとみていいですよね……」

 ざわつく部下たち。小隊長は毛先に燃え移った火を揉み消し、聞えよがしに舌打ちした。

「山越えに田園へ出てボンクラ閣下と合流でしょうが! もうひと働きするんだよ、クソッ」

「へぇーい……」

「ですよねー」

「ん?」

 そのときだった。ひとりの兵が、北東の空に小さな影を発見したのは。

「あ……あっ……ああああああ!?」

 彼が空を指し、恐怖に膝を震わせる。幾人かが指された先を見上げ、絶望がために凍り付く。彼らは嫌というほど知っている。あのの正体を。ようやく難を逃れたはずの彼らに一切の容赦なく飛来する。手には青くぎらつく長杖。背には空間を歪めて伸びる《風の翼》。指先に灯る赤い火は一撃必殺の――

「《爆ぜる空》。」

 轟!!

 悲鳴すら爆風で消し飛ばし、カジュは壊滅した小隊の頭上を切り裂くように飛び抜けた。



 また別の戦線には、恐慌を起こすどころか、火を見てかえっていきり立つ一団もある。魔王軍中で最も凶悪な暴徒の群れ、鬼兵隊である。

 鬼どもは手近な山肌に勇者軍の姿を見つけると、蛮声を響かせて猛然と山を登り始めた。勇者軍の弓兵たちは斜面上にずらりと並び、矢継ぎ早に撃ち下ろす。だが鬼は怖気おじけを知らない。味方がばたばたと倒れても、5本10本という矢を浴びても、彼らの足は止まらない。矢の雨をものともせず、仲間の死体すら平然と踏み潰し、憤怒を叫びながら攻め寄せてくる。

 この狂気の軍団の先頭に立つは四天王“契木ちぎりぎの”ナギ。しなやかな四肢を躍動させ、絶え間なく撃ち降ろされる銀の雨を打ち払い、飛ぶように斜面を駆け登る。わずか数秒で山上の勇者軍に肉迫し、天高く跳躍しながら竜骨棍を振りかぶる。

「うっうー!」

 乱杭歯の如き棘をそなえた凶悪な棍棒が、弓兵の頭蓋を喰い破らんとした――まさにその時。

 ぼ!!

 音速突破の衝撃波を撒き散らし、横からが飛び込んだ。

 繰り出される神速の太刀。殺気に気付いたナギが咄嗟とっさに棍で受けに回る。だがの刃の冴えはもはやこの世のものではない。魔王すら斬った炎の刃。その人智を超えた熱量が、竜骨棍をバターのように溶断する。

 棍を真っ二つにされ体勢を崩したところへ間髪入れず痛烈な腹蹴り。その衝撃で吹き飛ばされたナギは山肌の岩へ強かに背をぶつけながら転がり落ちた。ようやく四つん這いに土を掴んで斜面に喰らい付きはしたものの、牙をいていきり立つ鬼娘のめしいた目に、見え隠れするものは怯えと困惑。そこへ冷えた視線を投げおろす、炎の如き赤毛の剣士。

「緋女さん!」

「うおー! 刃の緋女だ!!」

「“巨人殺し”だ!!」

「かっこいい!」

「男前ーっ!」

 やんやと喝采する弓兵たち。緋女は、にぱっ、と愛くるしい笑顔を返す。

「ありがと♡ オラオラ撃ちまくれテメーらァ!!」

『応!!』

 気炎をほとばしらせて矢を放つ弓兵たち。斜面を駆け登る鬼兵どもが銀の雨を浴び針山と化して転がり落ちる。中には凄まじいまでの気迫で強引に矢の中を突っ切ってくる鬼もいるが、そんな手合いは緋女が斬る。斬る。ことごとく斬る。

 味方が倒れようが自分が傷つこうが命ある限り驀進ばくしんする鬼兵隊。その狂気がこれまでは人間を震え上がらせてきた。だがどんな豪胆も時を選ばなければ匹夫の勇である。この状況では自らまとになりに行くに等しい。みるみるうちに鬼兵の数が減っていく。

 そうはさせじと闘志を燃やし、四天王ナギはふたつになった竜骨棍を両手に握って緋女の背中へ躍りかかった。

 が、格が違いすぎる。

 ただ暴れるだけの獣に堕したナギと、獣の情火を刃へと鍛え上げた緋女。剥き出しの《悪意》を振り回すばかりの爪牙など、今の緋女の敵ではない。

 あっさりと。振り向きざまに走らせた炎刃が、ナギの胸を斜めに裂いた。

 傷口から、一瞬遅れて鮮血が噴き出す。錐揉み回転しながら転倒したナギは、そのまま急斜面を転げ落ちていく。

 四天王のあまりにもあっけない敗北を見て、さすがの鬼兵たちも足を止めた。勝手放題に暴れたがる彼らの頭を、実力によって押さえつけてきたのが四天王ナギだ。そのナギがこうも容易く一蹴されてしまったのだ。命知らずのはずの鬼どもに、動揺と恐怖が伝播し始める。

 そこへ喰らい付く。緋女の剣が、牙の如く。

 噴き上がる鮮血。轟く悲鳴。狂戦士の群れが、今や狂気さえ失った……鬼兵隊の全滅はもはや時間の問題である。



   *



 もうどこをどう走ったかも覚えていない。魔貴公爵ギーツは無我夢中で炎の戦場を逃げまくった。

 彼も魔貴族マグス・ノーブルの名家の出なれば、術士としてはまず一流の腕の持ち主である。《水の衣》《矢そらし》《烈風刃》と魔力の続く限り術をばらまき、どうにか血路を切り開いて田園まで撤退することには成功した。

 が、そこで振り返ってみれば、ついて来ているのは20騎にも満たない騎兵のみ。途方に暮れるギーツへ、近くの騎士がおずおずと進言する。

「閣下、少し待ちましょう。落ちのびた者が合流するかもしれません」

「うむ……」

 やがて騎士の言葉通り、ギーツ公の元へ敗残兵が集まりだした。重い火傷を負い、鎧に突き立った矢をまだ引き抜いてさえいないような者が、ひとかたまり、ふたかたまり、足を引きずりながら寄ってきて、疲れ果てて座り込む。

 こうして集結したのは負傷兵ばかりが3千余。出陣の時には7万を数えた手下たちが、いまやたったのこれだけ……

 ギーツ公の歯ぎしりが、最後尾の兵卒にさえはっきりと聞きとれた。

 ――おのれ勇者! 次に会ったらただではおかぬ!

 しかしどれほどいきどおろうと、この寡兵ではどうにもならない。ひとまずギーツ公は号令をかけ、残兵を引き連れて第2ベンズバレンへ馬を向けた。街に戻ればまだ1万ほどは兵が残っているし、高い城壁を活かして籠城もできる。10日も凌げば魔王城からの増援も到着するだろう。捲土重来を期すにしても全てはそれからである。

 勇者軍の追撃に怯えながら馬を潰す覚悟で休みなく進み、ようやく第2ベンズバレンの城壁前へたどり着いたときには、もうとっぷりと日が暮れていた。無制限街道へ繋がる正門には鋼鉄の大扉5つが整然と並び、堅く街を守り続けている。その頼もしさにギーツ以下全将兵の目が潤む。あの門さえくぐってしまえばもう安全。傷の手当も食事もできる。安心して眠ることもできるのだ。

 気がせいたのか、ギーツ公は数名の騎士を伴って城門のそばに駆け寄った。暗くてこちらの姿が見えないのか、門は沈黙したままである。ギーツ公は見張り塔を仰ぎ見て声を張り上げた。

「吾輩は太守ギーツである! 開門!」

 しかし。

 ――おや?

 ギーツ公が眉をひそめる。妙である。塔も城壁も静まり返り、門を開くどころか返事してくる気配すらない。

「どうした!? 門を開けぬか! 我はギーツ、魔貴公爵ギーツなるぞ!」

 焦れたギーツ公が再びわめいた、そのときだった。

 にわかに城門の上に銀光がきらめき、鋭い音が風を切った。

 ――あっ……

 と思った時にはもう手遅れ。城壁上へ一斉に立ち上がったおびただしい数の弓兵部隊、彼らが撃ちおろした矢の雨が魔王軍に降り注いだのだ。兵たちが次々射倒される。大混乱が巻き起こる。ギーツ公は《光の盾》で頭上を守りながら、弓兵たちへ怒鳴り上げる。

「馬鹿者! 味方だ、撃つな! 撃つなと言うにッ!」

「違います閣下! あれは……」

 そばにいた騎士がギーツ公に駒を寄せ、後退させようと腕を引く。別の誰かが《発光》の術を投げ上げ、城壁上を照らし出す。あらわとなった弓兵の顔に、ギーツ公は愕然とする。

 魔族……ではない。人間! 城壁の上で弓の弦を軋むほどに引き絞っているのは、紛れもなく人間の兵士である。

 ――しまったッ!!

 ようやくギーツ公は事態を悟った。

 第2ベンズバレンは、既に勇者軍に占領されていたのである。

 初めから勇者軍の目標はこれだったのだ。魔王軍が総出で決戦へ向かっている隙に、空き家同然となった第2ベンズバレンを奪う。全てはそのための布石だったのだ。

 そして最後の決め手を打つべく、第2ベンズバレンの城門が今、重低音と共に開きだす。

 門の向こうから姿を見せたのは騎兵の一団。その先頭に立つ男こそは――

だとォ!?」

「突撃!!」

 ヴィッシュの号令一下、勇者軍の騎兵部隊が走り出す!

 轟く馬蹄。唸る剣戟。勇者軍は猛然と魔王軍に襲いかかり、その中核を粉砕しながら駆け抜ける。ようやく我に返った魔王軍が武器を構える。体勢を立て直そうと号令を飛ばす。だが勇者ヴィッシュの指揮によってひとつの生き物と化した騎兵部隊がそのいとまを与えない。飛ぶように走り、滑らかに取って返し、魔王軍の横腹へ痛烈な第2撃を叩き込む。一糸乱れぬ連携、燃え上がらんばかりの士気、そして魔剣を振るって先陣を切る勇者の威容。この猛攻で縦横に陣形を引き裂かれた魔王軍に、太刀打ちできようはずがない。

 魔王軍の兵卒たちは斬られ、突かれ、踏み潰され、軍規も命令もかなぐり捨てて潰走し始めた。将や騎士が必死に怒鳴りつけても耳を貸す者はいない。一度ひとたび軍隊としての体裁が崩壊すれば、いかな名将にも立て直すことは不可能。まして机上の学問でしか兵法を知らぬギーツ公では為すすべもない。とうとう恐怖のままに泣き叫びながら逃げ出した。

 その背めがけて勇者軍が喊声かんせい響かせ突撃する!



   *



 やがて曙光が射し始め、戦の帰趨きすうが明らかとなった。

 魔王軍南方占領部隊、総兵力8万のうち……

 捕虜が5000。

 戦死者・重傷者6万余。

 分取り品は積めば山ができるほど。

 太守ギーツおよび四天王ナギの生死は不明なれど、ベンズバレン南部の魔王軍はこれでほぼ一掃されたことになる。

 対する勇者軍の被害は、負傷者2400。戦死者はわずか132。

 圧勝。戦史に例がないほどの、圧倒的な勝利である。

 追撃戦でおもうさま首級をあげた各部隊が、続々と第2ベンズバレンに集まってくる。兵たちは想像を超えた大勝に沸きかえり、解放を喜ぶ街の民衆は快哉を叫んでこれを迎えた。

 セレズニア谷の火計を指揮した抵抗軍レジスタンス司令官ブラスカ将軍も、さわやかな朝日を浴びながら意気揚々と帰還した。彼は勇者ヴィッシュと対面するなり、白髪交じりの髭を上機嫌にもこもこさせながら、大きな腕で包み込むように彼を抱きしめた。

「おおーっ勇者殿! そなたの計略、みごと図に当たったぞ!」

「いや、いや、俺の力じゃありませんよ」

 ヴィッシュは苦笑しながら将軍の腕から抜け出そうともがいた。このブラスカ将軍はベンズバレン王国譜代の老将で、他の家臣たちが国を見限って去っていく中、ひとり留まって抵抗軍レジスタンスを指揮しつづけたという気骨の男だ。齢60を過ぎてなお、雄々しくそびえる山脈のような肉体は少しも衰えていない。その膂力りょりょくはヴィッシュにも振りほどけないほどである。

「偽って敗走するのは難しいもんです。疑われれば元も子もないし、一歩間違えば本当に総崩れになる。全ては将軍の采配と、お鍛えになった抵抗軍レジスタンスの練度があればこそですよ」

「わしのおかげか? ぬはは! お世辞でも嬉しいことを言ってくれる。だが貴公こそが兵達のアイドルでもあるのだぞ」

 老将ブラスカはヴィッシュの肩を抱き、大通りへ向けて手を振った。街の大動脈を埋めものは、1万の兵卒と、それに数倍する第2ベンズバレンの住民たち。口々に叫ぶ勇者への称賛がうねるように響いてヴィッシュを圧倒する。

 ――あ。

 とヴィッシュは目を見開いた。群衆の中に、少女ナジアの懐かしい顔を見つけたのだ。身をよじりながら黄色い声を上げる少女の姿に、よくぞ無事でいてくれた、とヴィッシュは思わず涙ぐむ。

 もう遠い昔のように思えるあの日。ヴルムを倒したヴィッシュへそう囁き、ナジアは、やわらかなキスを捧げてくれた。

 あのひたむきな憧憬が怖くて、ヴィッシュは逃げた。

 素直に受け止めればよいのだと、今なら分かる。

 ブラスカ将軍に背中を押され、ヴィッシュは腹をくくってうなずいた。人のあふれる大通りに駆け込み、手近な馬車の荷台に勢いよく飛び乗る。そして幾万の期待の声を胸で受け止め、お返しとばかりにあらん限りの声を張り上げた。

「聞け!」

 しん……と、街が静まりかえる。彼の声、英雄の言葉を、一言一句たりとも聞き逃さぬために。

「俺たちは勝った! ブラスカ将軍と抵抗軍レジスタンスの尽力がこの大勝を導いた!

 だが、まだ足りない。

 戦は続く。

 俺にはお前らが必要だ!」

 高々と掲げた勇者の剣が、天を貫かんばかりに伸び上がる。

「我が剣に集え!

 みんなの力を貸してくれ!

 この勇者ヴィッシュが、必ずお前らを……魔王の手から救ってみせる!!」

 歓声が爆発した。

 民衆は声を枯らして叫びに叫び、兵は武具を鳴らしてえにえ、街を震わし、大地を揺らし、新たな英雄の登場に熱狂した。人々の頭をずっと押さえ続けてきた戦争と敗北の不条理。その暗雲を打ち払う希望を、彼らはヴィッシュの中に見出した。もうこの流れは止まらない。王国の南端から溢れ出した濁流は、やがて全土を飲みこむ大海嘯となる。

 燃え上がるような人々の熱気、その渦の中心に立つ友の雄姿を、ふたりの女性が脇から温かく見守っている。壁に尻をもたれさせた緋女。木箱に腰かけ膝をぶらつかせるカジュ。やがてを終えたヴィッシュが、ひとの輪を掻き分け、歓声を背負いながら彼女らの元へ戻ってくる。

 3人の視線がからむ。笑みが交わる。

 彼らの間に言葉はない。必要ない。誰からともなく拳を突き出し、コツンと小気味よく打ち合わせれば、ただそれだけで分かち合える。

 寿ことほぎも。志も。ちょっぴりの不安も、何もかも。



(つづく)

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