第19話-07 夜のひとかけら



 殺到する骨飛竜ボーンヴルム。一斉に矢を放つ骸骨スケルトン。半身に捻ってくちばしかわしつつ飛竜を《鎌》で撫で切りし、《大爆風》を撃ちおろして矢を射手ごとに吹き飛ばす。《風の翼》を唸らせながら飛竜の間を飛び抜けて、振り返りざまに

「《石の壁》。」

 ずどん!! と生えた壁に、竜どもは行く手を阻まれ正面衝突。自分自身の速度がために骨を砕かれ翼を折られ、次から次へ墜落する。

 この隙にカジュは一気に高度を上げて、魔王城の上空へと飛び出した。もたもたしている暇はない。四天王や魔王本人に追いつかれれば今度こそ命はないのだ。

 だが、身をひるがえして飛び去ろうとしたその時、上から、下から、前後から、《火の矢》が一斉にカジュへ襲いかかった。

「ん。」

 迫る《火の矢》を《水の衣》で蒸発させつつカジュは油断なく視線を配る。《風の翼》を背に揺らがせて飛来する敵は、魔族の女4人。満月の光で照らされたその美貌には見覚えがある。舞踏会の前にカジュの着替えを手伝ってくれた、スペクトラを筆頭とする侍女たちだ。

「キミたちじゃ相手にならない。黙って通して。」

「貴女というひとが分からない」

 重く、重く、岩と岩とがこすれ合うようにして呻くスペクトラ。その苦悩の形相を、カジュは眉も揺らさず見ている。

「無駄死にを喜ぶ魔王あいつじゃない。見逃したってとがめはしないよ。」

「そうよ! それほど貴女はを解ってる! だって貴女を愛してる! なのにどうして彼の胸へ飛び込まないの!?」

 手の中で、握り締めた杖がきしんだ。

「力強い男性に抱擁され、その手となり足となって活きる歓び……貴女が投げ棄てようとしているものに私たちがどれほど焦がれているか知っていて? 尽くしても、求めても、心と身体を捧げても、あのかたは貴女だけを想ってる! 貴女だけを見つめてる! それなのに貴女はこうもたやすく奉仕の幸せを踏みにじる! 死を賭してまで……何故!?」

 絶叫しながらスペクトラが術を発動した。彼女の手から赤黒く輝く光の剣が伸びる。《血の刃》――原理はカジュの《死神の鎌》に近い、魔法の刃物を生み出す術。己の体液を操る血術の奥義である。対抗できないほど厄介ではないが、油断できるような術でもない。少しでも刃が皮膚に食い込めば、血液を侵食されて即死に至る。

 ならばとるべき手は――

「《閃光》。」

 不意打ちの目くらましがカジュの頭上で弾けた。暗闇に慣れた目に突き刺すような光を浴びて、侍女たちが悲鳴を上げる。その隙にカジュは身をひるがえし、高度を落としながら逃げ出した。事態に気付いたスペクトラの号令一下、侍女たちが後を追ってくる。

 散発的に飛んでくる《火の矢》を右へ左へ避けながら、カジュは王都の大通りを石畳すれすれで飛び抜ける。街から飛び出し、堀を越え、広大な休耕地にまでついたところで次なる呪文を唱え始める。背後を睨み、侍女たちがしっかり付いてきているのを確認してから、振り返りざまに発動。

「《絶入の雲スタン・クラウド》。」

 杖の先端から噴き出た黒紫色の雲に、侍女たちは避ける暇もなく頭から突っ込んだ。

 戸惑いの声。次いで咳き込み。侍女たちは《風の翼》の制御を失い、算を乱して畑の中に墜落していく。土の上に四つんいになり、唾を吐きながら喘ぐ彼女らが、ひとり、またひとりと気絶する。

 《絶入の雲》は、脳への血流を一時的に阻害し意識を失わしめるカジュ独自の術である。《眠りの雲》よりさらに即効性が高く、煙をひと吸いすれば象獅子ベヒモスヴルムさえ昏倒してしまう。

 カジュは《風の翼》を解除して着地し、うつぶせで気絶した侍女たちを仰向けにひっくり返し始めた。こうすれば窒息の危険はない。術式を即興アレンジで弱めておいたから脳障害が残ることもあるまい。小一時間ばかりぐっすり眠るだけのことだ。

 だが、最後のひとりの肩に手をかけたその時、侍女の身体の下で赤い光が閃いた。《血の刃》! 伸び上がるように突き出された不意打ちを、カジュは反射的に飛びのいてかわし、後退しながら《死神の鎌》を再び構える。

 スペクトラ。ただひとり気絶を免れた彼女が、ゆらめきながら立ち上がる。

 カジュは唇を横一文字に結び、スペクトラの形相を睨んだ。《絶入の雲》が効かなかったわけではない。事実スペクトラの顔面は水死体の如く青ざめ、《血の刃》を握る手は小刻みに痙攣している。だのに意識を保つことができたのは……

 ――血術。おそらくは、静脈から強引に血液を逆流させてる……。

 カジュの額を汗が伝い落ちた。無茶である。たしかにこれで一次的には脳を動かせよう。だが生理による自然な制御に逆らって魔術で無理矢理身体を動かせば、一体どんな後遺症を残すか。

「もうやめろ。そうまでしたってあいつは……。」

「殺す。魔王様のために」

「やめろっ。他人のために死に急ぐなよっ。」

 輝かんばかりの美貌を土気色に染め、鼻血で唇を粘らせながら、スペクトラが走り出す。

「誰もが貴女ほど強くなれるわけじゃない!!」

 恐るべき鋭さで繰り出される《血の刃》。速すぎる。脚力も剣速も一流の戦士並みである。これは彼女本来の身体能力ではない、血術で強引に筋力を増強しているのだ。防がねば。無力化せねば。だが別の術を構築している時間が――ない!

 もだしてカジュは《鎌》を振る。

 すれ違いざまに薙ぎ払われたスペクトラの身体が、上下ふたつに割れて、転がる。

 無音の夜。

 己の口から漏れる呼気。

 乾いた冬風は無感動に流れゆく。

 遠く、魔王城の方角からは、魔獣の咆哮が聞こえ始めた。

 《風の翼》を再び広げ、カジュは西の空へ飛び上がる。

「四百……二十……五……。」

 その呟きに耳を傾ける者は、いない。



 ただひとり、魔術によってその光景を見ていた魔王クルステスラを除いては。

「かくして悲劇は連鎖する。

 ひとがひとである限り、いついつまでも、代代よよに、永久とわに」

 暗闇の奥の玉座から、魔王は重く立ち上がった。

「その勇ましい決意もまた、無知が生み出す業だというのに」



   *



 西へ、ただひたむきに飛び続けるカジュの、体勢がぐらりと揺らいだ。気が遠くなる。術の制御を失いかける。ぞっと悪寒を覚えながらどうにか術式を再構築して持ち直し、額に吹き出た冷や汗をぬぐう。

 ヴィッシュと緋女が旅立ってから5ヶ月。ほとんど休む間もない連戦で消耗していたところに、第2ベンズバレンでの撤退戦、竜人ボスボラスとの死闘、そして魔王城からの脱出だ。精神に最も負担のかかる術式破棄に何度も追い込まれ、大技も数え切れないほど撃ってきた。心も体も疲弊しきっていることは自覚している。たかが一晩寝入ったくらいで回復しきれるものでもない。

 それでもカジュは、飛ぶしかない。この荒野の先、壁のように連なる山地の向こうに、抵抗軍レジスタンスの拠点がある。そこまで逃げ込めばひとまず休める。命など惜しくはない。が、今死ぬわけにもいかない。ヴィッシュと緋女がを得て戻るまで、この地で魔王軍を足止めするのがカジュの役目。それを果たすまでは、石にかじりついてでも生き延びるしかない。

 残るわずかな魔力を振り絞って飛ぶカジュの背後で、やがて空が白み始めた。

 ――カジュ。

 誰かに呼ばれた気がして、カジュは振り返る。

 幼い身体を巡る血が、青く凍てつき彼女を震わせた。

 背後――地平の彼方から伸び上がる曙光の中に、ひとかけらの夜が揺蕩たゆたっている。

 墨を流したかの如き黒衣。空間すら歪ませる濃密な魔力。大地と空とを震わせながら、猛然とが迫ってくる。

 魔王クルステスラ!

 ――追いつかれたっ。

 最悪の敵。色濃く眼前に浮かび上がる死の予感。だがそのとき、なぜか頭にぎったのは、ヴィッシュの苦笑いだった。疲労で色を失くした頬を、額からの汗が伝い落ちる。乾ききった唇が恐怖のために痙攣する。それでもカジュは精一杯に胸を張り、友を真似て強がり笑い。

「なんとかするさ。まあ見てなっ。」

 最高速度で術式構築。一直線に突っ込んでくる魔王の鼻先へ、いきなり出し惜しみなしの《5倍爆ぜる空》。朝未来あさまだきの空に大爆発の花が咲き、しかしその爆炎を無傷で突き抜け魔王が来る。

「ですよねっ。」

 などと軽口叩きつつカジュも突進。唸る《死神の鎌》。蠢く《闇の鞭》。ふたりの得物がぶつかり合って耳をつんざく共鳴音を撒き散らす。

 ――いけるっ。

 カジュは確信した。近接攻撃用の超高等術式、構築精度のみなら互角。これなら充分戦いになる。《鎌》と《鞭》が互いを侵食し合い、全く同時に爆裂崩壊。その反動でカジュと魔王は逆方向の空へ弾き飛ばされる。

「もう説得はしないよ、カジュ!」

 《風の翼》を羽ばたかせながらたける魔王。

「望むところだあんぽんたんっ。」

 空を踏みしめるように体勢を立て直しつつ吠えるカジュ。

「「誰が分からず屋だっ。」!」

 同じ叫びをぴたりと揃え、ふたりは8の字を描いて旋回。再び真正面から意地と意地とが激突する。

「《光の矢》っ。」

「《暗黒力場》!」

 放った術が空中でぶつかり白光と黒霞を炸裂させる。これが目くらましになることまで想定していたカジュは続けざまに《電撃の槍》。しかし魔王はこの手を読み切り、高度を落としてやすやす回避。そのままカジュの下側をすれ違いながら《火の矢》数十本を撃ち上げる。

 数十本! 初歩の術といえどもこれだけの数を同時発動。この時点で人間業ではないが、カジュにしてみればこんな小細工はそよ風同然。

「《鉄砲風》っ。」

 使い慣れた得意技で《火の矢》をことごとく吹き散らし、鋭角に軌道を折って魔王を猛追。彼の背へ向け《光の矢》を、《闇の鉄槌》を、《電撃の槍》を連打する。一方の魔王は矢継ぎ早の攻撃をひとつひとつ術で防ぎつつ、散発的に反撃を撃ち込んでくる。

 ぎら、とカジュの目が鋭く光った。この挙動、魔王は明らかに戸惑っている。本来逃げる立場であるはずのカジュが、自分から距離を詰めてくることに不審を抱いたのだ。

 この状況はカジュの策略である。ヒントをくれたのは他でもない、あの四天王ボスボラス。カジュの持ち味は敵の足を止め、間合いを取り、一方的に火力を叩き込むこと……確かにその通り。術士の基本戦術である。そして術士である以上、それは魔王も同じのはずだ。思えばシュヴェーアで勇者と戦った時も、魔王は徹底的に距離を離して立ち回ろうとしていた。

 つまり魔王は、接近戦では一段弱い。

 無論こんなものは小手先の策。魔王が腹をくくり、接近戦を受けて立つ気になったなら、精神的な優位は即座に消える。

 ゆえに、その前に勝負を決める!

「《鉄槌》。」

 巨大な鋼鉄の塊を出現させ、砲弾の如く撃ち出す術。魔王は、ふ、と息を吐き出しただけで《光の盾》を発動、あっさりと《鉄槌》を弾き飛ばす。

 同時に魔王は手の中に《闇の鞭》を生み出した。執拗に間合いを詰めることで困惑させようというカジュの意図を見抜いたのだ。魔王は空中で急停止、迫りくるカジュを迎え撃つ――

 が、その時。

 強烈な力が、不意に魔王の身体を下に引いた。

「う!」

 反射的に下へ目を向ける魔王。いつのまにか、彼の腰に淡く光るロープのようなものが貼り付いている。そしてそのロープの先は……さきほど払い除けた《鉄槌》に結びついている。

 ――《魔法の縄》!

 一目で魔王は事態を悟った。あの《鉄槌》は罠。カジュは《魔法の縄》を同時発動して撃ち出し、《鉄槌》を弾いた瞬間に魔王の身体へ《縄》が吸着するよう仕掛けていたのだ。落下する鉄塊の勢いによって魔王は下へ引きずり落とされる。無論、彼の実力なら《縄》を切る程度造作もないが、動きは確実に一瞬鈍る。

 その一瞬に、

「《死神の鎌》っ。」

 カジュ必殺の一撃が、魔王の首を刈りに来る。

 避けられる体勢ではない。《光の盾》もあの《鎌》には斬り破られる。《闇の鞭》での迎撃も間に合わない。ならば。

 《鎌》の青白い刃が首を刎ねる寸前、魔王の身体は忽然と消え失せた。《瞬間移動》の術。合計125枠もの術式同時制御数を誇る魔王ならば、この緊急避難手段を常にストックしていて当然である。《鎌》は虚しく宙を薙ぎ、魔王はカジュの背後に出現する。

 それこそがカジュの狙いだとは夢にも思わず。

 魔王の手札に《瞬間移動》は有って当然。ゆえに、対策はその前提で組む。

 対魔王用に練りあげたカジュオリジナルの切り札が、魔王出現の瞬間を狙って今、発動した。

「《凍れるときの結晶槍》っ。」

 ぞん!!

 脊椎せきついえぐる恐るべき音を響かせて、漆黒の巨槍が魔王の胸を貫いた。



(つづく)

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