第19話-08 死を賭すワケは。



 《凍れるときの結晶槍》――その名の通り、《凍れるとき》の応用技。時間停止空間を槍型に形成し、それを以て敵を貫くのだ。

 時間が止まった空間に対しては、誰も何も干渉できない。侵入することも物を動かすことできない。では逆に、時間停止空間の方を人間にぶつけたらどうなるか? 絶対不可侵の空間が食い込んでくれば、どんな壁でもどんな鎧でもその動きを止められない。それはつまり、防御不能の攻撃になる。

 理論上、この《結晶槍》は誰にも防げない。どんな鎧も魔術も無駄である。魔王とてただでは済まないはずだ。

 だが……

「……素晴らしい。素晴らしいよ、カジュ」

 我が胸を貫く《結晶槍》へどす黒い血を垂らしながら、しかし魔王は微笑を崩しさえしなかった。《槍》を片手で掴み、肉と骨と肺臓とを自らえぐりつつ身体を横へ動かす。そのまま《槍》を腋の下から体外へ出すと、魔王は、半分以上もえぐり取られた自分の胸を見下ろして肩をすくめた。

 凄絶。あまりも凄絶な姿。臓腑の切れ端を傷口からぶら下げ、とめどなく黒血を溢れさせる魔王の姿は、いっそ美しくさえ見える。

 カジュは寒気を覚え、再び間合いを離さんとして――いや、その実ただその場から逃げ出さんとして、《風の翼》を羽ばたかせた。しかし魔王は血塗れの手を剣のように鋭く伸ばし、カジュの首を鷲掴みにする。

「がっ……。」

 頸椎けいついし折らんばかりに喉を締め上げ、魔王は、ゆっくりとカジュへ顔を近づけていく。彼の口から漏れる濃厚な血の匂いが、百戦錬磨のカジュをすら震わせる。

「思いもよらない発想。それを具現化する勤勉。そして魔王ぼくを相手に一歩も退かない類まれな胆力。やはり魔王の妃となるべき女性は、君以外に存在しない」

「だま……れっ……。」

 窒息寸前のカジュは、呻くように拒絶を口にし、魔王の指を振りほどこうともがく。しかし、おそらくは魔術で強化されているのであろう彼の握力は、カジュにはどうにもならないほどに固く、強い。飽くまでも抵抗する彼女に、魔王は寂しげに目を細めた。

「絆。希望。そして愛。全てはひとを苦しみに縛り付ける《悪意》の罠。ゆえにこそ人類ぼくらはそれをこくさねばならないのに、どうして解ってくれないんだい? 君ほどの知性の持ち主が、これほど明々白々の道理を」

「解ってないのは……そっちだろうがっ……。」

「解っているさ。スペクトラを殺した君よりは。企業コープスの言うがままにひとを焼き、クラスメイトをさえその手にかけてきた君よりは! 僕はそんな苦しみから、君を解放するためにこそ戦ってるのに!」

「違う……。」

「何が!?」

ッ。」

 絶句。

 呆然……そして、

「な……に……?」

 弛緩。

 魔王が手を離す。カジュは首を押さえ、喘ぎ、肩を荒く上下させながら、潤んだ目をそっと伏せた。

「キミを殺して……。

 ひとりで生き延びて……。

 たどり着いた場所は、地獄だった。

 毎日来るんだ、新しい仕事が。街を焼いたり、敵を殺したり、敵でもなんでもないひとを……殺したり……。

 1年経って、リッキーの居場所が見つかった。始末しろって言われた。でも嫌だった。もう誰も、殺したくなかった。

 だから逃がした。死体も残らないほど焼き尽くすフリして、逃げる時間を稼いだんだ。」

「嘘だ!」

「今も時々連絡とってる。リネットでパン屋の見習いやってるんだ。やっとパン種に触らせてもらえたって。同業者の寄合にも紹介してもらえたって……うれしそうに言ってたよ。

 デュイはね、フィナイデルの書写屋勤めだったけど、ファラド先生に拾ってもらって入学しなおし。やっぱ学園はすごすぎる、なんて愚痴ってた。

 アニはクスタ。親切な人の養子になって、目下花嫁修業中。もう勉強は嫌だって。素敵なひとのお嫁さんになって、子供を産んで育てたいって……そうだよね。そういう道も、あっていいよね……。

 でもね……ロータスは、救えなかった……。

 オーコンは、殺すしかなかった……。

 助けられたのは数人だけだ……。そうだよ。世界は酷い。歪んでる。でも一番ゆるせないのはボクなんだ。命令を拒みもせず、我が身かわいさに、いくつもの街を滅ぼし、千人万人のひとを殺し、その何倍もの人生を滅茶苦茶にしたっ。こんな馬鹿げた世界の歯車になり下がったボクを、ボクは一番殺したいんだっ。

 でも。

 そんなボクを抱きしめてくれるひともいるっ。

 こんなボクの代わりに泣いてくれるひともいるっ。

 だから生きてる。空と大地の間ので、みんなみんな生きてるんだよっ。

 それなのに……今ここにある大事なものを踏み潰して、その上に組み立てる理想なんか、今の腐った世界と何が違うっていうんだよっ。」

 いつしかカジュは涙を浮かべ、魔王の胸へ手のひらを預けていた。否、魔王ではない。彼女の触れる相手クルス。幼い日を共に過ごし、共に学び、共に遊んだ、この世でたたひとりの恋人、クルス。

「魔王なんかもう辞めちゃえっ。

 一緒に逃げよう。どっか大きな街に行って、ふたりで小さな雑貨屋さんをやろう。“魔法堂”とか、“ヤドリギ堂”とか、そんな気取った看板出してさ。ちょっとした魔法のアイテムを手ごろな値段で譲ってあげて、街の人たちの個人的な悩みを解決する。名声なんかない。お金だってない。でもそんなもの、食べていけるだけあればいい。みんなの笑顔がいちばんのごほうび。そんな暮らしを、ふたりで、一緒に……。

 理想なんか置いとけよ……。

 地に足つけて歩いていこうよ……。

 “汚い”よりも“きれい”を見ろよっ……。」

 涙が、弾ける。

「だって……。」

 心が、解ける。

「ボクらはっ……。」

 あの辛すぎる別離以来、4年も封じ込めていた真実ほんとうの声が、カジュの口から走り出る。

「幸せになるために生まれてきたんじゃないか!!」

 沈黙。

 沈黙。

 沈黙。

 どれほど長くとも決して足りはしない……沈黙。

 やがて魔王は、重い扉をこじ開けるように口を開いた。

「……我が名は魔王。戻れはしない」

「だと思ったよ《四角四面》っ。」

 泣き顔を一瞬にして氷の仮面に封じ込め、問答無用の不意打ちを魔王へ叩き込む。《四角四面》、これも対魔王用に構築した新魔術。対象の上下左右前後六面を《石の壁》で覆い尽くし、立方体に閉じ込める技だ。無論この程度魔王なら一息で粉砕されるだろうが、ここにさらに術を重ねる。

「《凍れるとき》っ。」

 時間停止空間には魔王ですら干渉できない、ということは先ほどの《結晶槍》で確認済み。時の流れから切り離された立方体は空中にビタリと静止し、脱出不可能のおりと化す。間髪いれずカジュは《風の翼》をひるがえして立方体に飛び乗ると、識閾しきいき上領域から全術式を破棄リリース、新たな呪文を高速詠唱しはじめる。

 発動したのは《鉄槌》。手の先から放たれた鋼鉄の塊は、足元の立方体に激突。弾き飛ばされ遥か彼方へ飛んでいく。さらに《鉄槌》。またも《鉄槌》。《鉄槌》、《鉄槌》、《鉄槌》《鉄槌》《鉄槌》《鉄槌》《鉄槌》《鉄槌》《鉄槌》《鉄槌》《鉄槌》! 一度に制御できる術式は5つまでだが、他の術を制御せず脚も止めたこの状態なら構築即発動を繰り返して魔力の続く限り連打はできる。《凍れるとき》の効果時間一杯まで数百発の《鉄槌》を叩き込み、その全ての力積を蓄えたうえで時間が動き出せばどうなるか?

 これが対魔王用最後の秘策。

「さよなら、《流星落ちるときメテオ・ストライク》っ。」

 瞬間、石の檻が流星となる!

 天地を引き裂かんばかりの轟音を立て、一直線に大地へ突き刺さる石の檻。着弾の衝撃波が、崩壊した岩盤が、周囲の地形すら変えながら超音速で撒き散らされる。爆風が大地をえぐり取り、立ち込めた暗雲を吹き飛ばし、凄まじい熱によって岩塊を融解させていく。

 嵐の如き余波が収まった後、静寂の中へ姿を表したものは、眼下に穿うがたれた巨大なクレーター、それのみ。

 動くものの気配は、ない。

「うわっ。」

 それを確認したとたん、安心がカジュの集中を崩した。《風の翼》の制御を失い、鶏のようにみっともなくバタつきながら、どうにかこうにか、カジュはクレーターの中へ軟着陸した。気力も体力も魔力も使い果たしたカジュは、そのまま膝から崩れ落ちてしまう。

 両手をついてなんとか四つん這いの姿勢を保ち、肩を大きく上下させ、喘ぐ。溜まった唾液で息がつまりそうになり、飲みこんではまた激しく息づく。

 今の《流星落ちるときメテオ・ストライク》は、正真正銘、死力を振り絞った一撃だ。もう《火の矢》一本打つ力も残っていない。だが効果はあったはず。かつて勇者ソールが魔王と戦ったときの例から、魔王がどの程度の攻撃まで防げるのかは計算済み。それを超えるエネルギーを叩き込めば、少なくとも無傷では済まないはず……

 そのとき、カジュの耳に、予想だにしない方向から重苦しい地鳴りの音が響いてきた。疲れ果てた筋肉に鞭うって、座ったまま振り返る。

 遥か地平の彼方に、もうもうと、砂埃が舞い上がっている……

「あっ。」

 カジュは目を見開いた。

 死霊アンデッド軍! 骸骨スケルトン肉従者ゾンビ屍鬼レブナント、さらには不死竜ドレッドノートまで、少なく見積もっても総勢3万。死術士ネクロマンサーミュート旗下の疲れを知らぬ軍勢が、こちらへ猛然と迫ってくる。

 絶望と恐怖を振り払い、カジュは立ち上がって術式を編み始めた。が、意識が薄れる。組みかけた術式が制御を離れて雲散霧消する。半ば倒れるようにへたりこんでしまう。脚に力が入らない。術を構築できるだけの集中力さえ得られない。完全な魔力枯渇状態。

 ――やばい、死ぬっ……。

 が、カジュが死を覚悟したそのとき、思わぬことが起きた。カジュの眼前にまでたどり着いた死霊アンデッド軍が、座して眺めるカジュの横を、なんの興味も示さず通過したのである。

 手を伸ばせば届くような所を素通りしていく骸骨スケルトン。その目に灯る赤光を、カジュはただ呆然と見送るばかり。

「なんで……。」

 と呟いた次の瞬間、カジュの顔面が青ざめる。

「やられたっ。」



「そ! ボスボラスを差し向けた所からここまで全部おれの策ってわけだ」

 遠く離れた魔王城、その宮殿の三角屋根にまたがって、ミュートは頬杖つきつつほくそ笑む。

 彼が制御する《遠視》の術は、支配下の死霊アンデッドを媒介とする。骸骨スケルトンたちが見ている光景がミュートの目にも見えるのだ。彼の視界に映るものは、愕然とし、義務感に突き動かされ、懸命に立ち上がろうとするカジュ。あれほど疲弊してもなお死霊アンデッド軍を止めようとする健気な“魔女”の姿だった。

「魔力も体力も限界寸前、そんな魔女様が逃走する先には何がある? 回復できるか、あるいは少なくとも身を隠せるような場所……

 たとえば抵抗軍レジスタンスの拠点、とかな!」



 一方、抵抗軍レジスタンス拠点に入る唯一の峠の入り口では、見張りの兵が色めき立っていた。突然に荒野で巻き起こった大爆発。その直後に見え始めた死霊アンデッドどもの不気味な赤眼。兵士たちは震えあがり、声を涸らして叫びながら峠の奥へ逃走していく。

「やばい! 逃げろ、みんな逃げろーっ!

 魔王軍が来た! こっちを狙ってる!!」



「くそッ。」

 毒づきながらカジュは立ち、《爆ぜる空》を構築しながら死霊アンデッド軍の後を追って走り出す。だが、足がもつれる。まろび倒れる。術式が指の隙間から漏れ出て消える。呪文の代わりに砂をみ、追走のかわりに地面をい、かすれる視界に敵を捉え、懸命に身を起こそうともがく。

 甘かった。疲労で頭が回っていなかった。そうだ。今にして思えば、なぜボスボラスはカジュを殺さなかった? なぜ魔王城の守りはああも手薄だった? 魔王軍が本気を出せば、あるいは四天王や魔王本人をあの時点で投入されていれば、カジュはここまで逃げることすらできなかった。泳がされていたのだ。敵の目的はカジュひとりではない、抵抗軍レジスタンス本隊との一挙両得を狙っていたのだ。こんな簡単なことにも気付けなかったとは。

「いいや、悔やむことはない。君はほんとうによくやったよ」

 いつのまにか、カジュの前に魔王クルステスラが立っていた。全身全霊を込めた《流星落ちるときメテオ・ストライク》を受けてなお、衣服に砂埃ひとつついてはいない。いや違う。再生したのだ。《凍れるときの結晶槍》で空いた胸の大穴も、さっきの術で砕け散った四肢も、魂の内に秘めた無尽蔵の魔力によってたちまち補われてしまったのだ。無論その分の魔力消費はあったろうが……あれだけの手間をかけて、少し消耗させるのが精一杯か。

「自分を責めないで。君の仕事は素晴らしかった。術の威力は勇者の一撃をすら超えていたし、この5ヶ月で魔王軍が受けた損害はそれに数倍する。だが、それももう終わり」

 魔王は腰をかがめ、カジュの首を掴み、腕の力のみで吊し上げた。喉を締めあげる手のひらの内に、じわりと、闇色の光が灯る。

「残念だ。ほんとうは、君と一緒に歩みたかった……」

 カジュは固く目をつむる。

 ――ごめん。護り切れなかった。

 逃れられぬ死が、カジュの喉を貫く――


 その刹那。


 炎がはしる。

「ッ!?」

 声にならぬ声。駆け抜ける熱風。稲妻をすら凌駕する超高速の剣が視界を縦横にせ巡る。緋色の閃光としか思えぬが、魔王の腕を斬り、空中でカジュを抱き、退しりぞきながら連射される魔王の《闇の矢》をかすらせもせず潜り抜ける。閃光が走り魔王に肉迫。下段から掬い上げるように襲いかかるは。魔王が発動した《光の盾》の10枚重ねがどうにかそれを受け止める。

 が。

 止められない! 全ての《盾》を薄紙の如く両断し、炎刃は心臓めがけて喰らい付く!

「うッ!?」

 紙一重、直撃を受ける寸前に魔王は《瞬間移動》で身を引いた。10歩余りも離れた場所へ出現し、魔王は敵を見据えて微かに呻く。

「僕の《龍体》を切断しただと!?」

 魔王の右腕は、ひじの下でばっさりと斬り落とされている。持ち上げてみれば、その断面は鏡の如く滑らか。卓越した剣技なればこその切れ味だが、いかな達人といえどもただの剣でこんなことができるはずはない。事実、魔王の身体は、城壁を粉砕する竜人ボスボラスの打ち込みをすら弾いたのである。勇者の剣以外でこんな真似ができるものは――

 細く、長く、陽炎を吐き。

 がそこに立っている。

 片腕に親友カジュを抱きかかえ、いまひとつの腕に太刀をぶら下げ、その刀身から緋色の炎を太陽の如く立ち上らせる業火の化身。世界を焼き尽くすその火より、なお灼灼と瞳を燃やし、凛然と魔王に立ち向かう無敵の剣士。

っ。」

 歓喜に震える友へ向け、緋女は弾けるように破顔した。

「お待たせ!

 こっから先は――あたしに任せなッ!!」



(つづく)

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