第19話-03 最強四天王ボスボラス



 恐れを知らぬ豪傑の群れが、怒涛の勢いで魔王城を蹂躙する。通路を塞ぐ鬼兵隊を血と肉片の雨に変え、四方八方から間断なく降り注ぐ魔術を皮膚と鱗で弾き返し、時には眼前の壁さえぶち破りながらドラゴン旅団は突き進む。

 一直線に目指すは最奥、神聖なる玉座の間。その扉の目前にまで押し入った竜人たちの行く手に、ひとりの術士が立ちはだかる。

「クソッ! チンピラがァ!」

 四天王筆頭、死術士ネクロマンサーミュート。憎々しげに毒づきながら、包帯で覆った腐肉の腕で、宙に四重の魔法陣を描き出す。

「《死の舞踏ダンス・マカブル》!」

 発動するは死術士ミュート最強の術。床、壁、天井、柱、ありとあらゆるところから無数の《骨剣》が鋭く突き出し、竜人たちへ襲いかかる。さすがの竜鱗も四天王の奥義までは弾ききれず、先頭を走っていた竜人数名が全身を串刺しにされて悲鳴を上げた。

 だが部下の惨状を目の当たりにしても、ボスボラスは怒るどころか興味津々。瀕死の竜人に突き立った《骨剣》を指でちょいとつまみ、その硬さや鋭さを確かめながら、

「おほっ? やるねェ旦那。四天王の名前も伊達じゃねェな」

 ばきっ! と軽い音を立て、指の力のみで《骨剣》の一片を折り取った。

「だがオレ様はもっとつええ!!」

 ボスボラスが突進する!

 すぐさま迎撃する《死の舞踏ダンス・マカブル》。しかしボスボラスは、超重量級の体格からは信じられぬほどの足さばきで稲妻の如く軌道を変え、《骨剣》の中を華麗に潜り抜けてしまう。

 ――やばいっ!!

 とミュートが術を切り替えかけた時にはもう遅い。ボスボラスの巨躯が石壁のようにミュートの鼻先を塞いでいる。

「歯ァ食いしばんな」

 余裕綽々、ボスボラスが拳を握り固めた。



 轟音!!

 粉砕された扉の破片もろともに、ミュートは玉座の間へと吹き飛ばされた。たちまち巻き起こる悲鳴と怒号。広間の左右へ居並ぶは、朝議のために集まった魔王軍幹部、魔貴族マグス・ノーブルたち。ざわめく彼らへ機嫌よく手など振りながら、竜人ボスボラスが乗り込んでくる。

「ようようようよう! ゴキゲンよろしゅう皆々様みなみなさま。ご挨拶といきてえんだが、ちょうどケンカの最中でよ。パパッとっちまうから……ちょっと待ってな!」

 先の打撃で完全に失神したミュートへ向けて、容赦なくボスボラスが走る。巨大剣を高々振り上げ、シャンデリアと天井と巻き込みながら振り下ろす。一撃で城門をすら粉々にしたあの大剣だ。いかに不死のミュートとて喰らえばただでは済むまい。一切の遠慮呵責なきとどめの一撃に、その場の誰もが息をのむ。

 そのとき、頭上の天窓を突き破り、ひとりの女剣士が乱入した。

 女剣士は落雷の如く飛び降りながら双剣を抜き、巨大剣へ打ちかかる。絡みつくような横打ちで巨大剣は軌道を逸らされ、ミュートの脇の床へ食い込む。衝撃で砕ける石床。自ら穿うがった大穴に足を取られ、わずかにぐらつくボスボラス。その一瞬の隙を突き、女剣士が巨大剣の上に飛び乗る。

「お」

 と感心する暇もあらばこそ。女剣士は刃の上を蛇の如く駆け上がり、一瞬にしてボスボラスへ肉迫。彼の喉首目掛けて双剣を突き入れる。

「おおッ!?」

 驚嘆の叫び声をあげるボスボラス。凄まじい剣速。この体勢では避けも受けも不可。ならば、とボスボラスはとっさに左腕を持ち上げ、切っ先を腕の鱗と皮膚とで受け止めた。

 いかなる術も剣も弾くはずの竜鱗を、いともたやすく双剣が貫く。肉をえぐり、骨をかすめ、腕の反対まで貫通したふたつの切っ先は、ボスボラスの喉笛に食い込む寸前でビタリと動きを止めた。ボスボラスが腕に力を籠め、筋肉の硬直によって剣を握り止めたのだ。

 彫像のように絡み合ったまま静止するふたりの剣士。ボスボラスの腕から流れ出た鮮血が、剣を伝って女剣士の細指を濡らす。いかに最強四天王ボスボラスとはいえ、腕を貫かれて痛くないはずもなかろうが、彼が漏らしたのは、称賛の言葉のみだった。

「いいねえ……このオレ様の剣をいなし、手傷まで負わせるか」

 値踏みするような彼の視線を受け止めるのは、狂笑を張り付けた

「道化のシーファ! とは思ってたがこれほどとはなあ!!」

 シーファ――古代帝国の遺産を巡る戦いの折り、あの緋女をすら凌駕する実力を見せた狂気の女剣士である。黄昏色の改造僧服に包まれた身体は、竜人の屈強な体躯に比べれば枯れ枝のように貧弱だ。しかしその細腕で、誰にも止められなかったボスボラスを止めた。この事実がシーファの並外れた技量を如実に物語っている。

「面白くなってきた! どうだいシーちゃん? どっちが四天王最強か、ここらでハッキリさせてみるってのはよ?」

「……望みとあらば」

 空気をも凍り付かせる一触即発の気迫。かたや、魔王城の守備を紙切れのように打ち破り、死術士ネクロマンサーミュートさえ赤子の手を捻るように一蹴した竜人ボスボラス。こなた、そのボスボラスと互角の実力を垣間見せた道化のシーファ。個の武力ならば紛れもなく魔王軍の双璧をなすふたりの対峙を、周囲の文武百官は戦々恐々と見守ることしかできないでいる。

 ところがその緊迫に、と割って入る男があった。

「まーまーまーまー! そう興奮しないで仲良くやりましょうよボスボラス先生せーんせっ! ほら、シーファちゃんも抑えて抑えて」

 人垣の隙間から身体をひねり出してくるのは、ニコニコと満面の営業スマイルを貼り付けた眼鏡の男。けばけばしく着飾った貴人たちの中にあっては、無機質なねずみ色のスーツがいかにも浮いている。

 企業コープス代理人エージェント、強行市場開拓部長を経て、今や魔王軍四天王などという大仰な肩書を得たコープスマン。魔王軍の財務管理と物資・兵員の調達を一手に引き受ける魔王軍の金庫番……いや、とすら言える男だ。

 彼は大げさに手もみなどしつつ、火花を散らす狂戦士たちの間に平然と割り込んでいくのである。

「いやー本当、お強いですねえボスボラス先生! 四天王最強の前評判そのまんまとは恐れ入りました。こんな頼もしい味方がいてくれてぼかァ心強いなあ。ねっ、シーファちゃん?」

「……知らぬ」

 このコープスマン、戦いなどとは一切無縁、腕力ではそこらの小鬼にすら敵わないような軟弱者だが、それが無敵の竜人ボスボラスにすり寄って、べらべら良く回る舌でおべんちゃらを並べているのだ。ひとつ機嫌を損ねればすぐさま叩き殺されように、くそ度胸というか、無神経というか。はたで見ている魔貴族たちのほうがハラハラしてしまうほどである。

「まあ、ひとにはエゴがありますから、利害の衝突は起きますけどね。なんてったって僕らは仲間、ひとつになって魔王軍なんですから、どうでしょ? ここはひとつ、お互い腹割って話してみませんか? それに先生がどれほど最強かってことは、みなさんにもと思いますしねえ」

 ボスボラスは鼻で笑って、腕の力を緩めた。解放された双剣をシーファがやや不満げに引き抜き、鞘へ納める。

 このコープスマンという男、舌先三寸で煙に巻いているようでありながら、その実、ボスボラスの意図はきっちり押さえている。この謀反の目的のひとつは、ボスボラスの実力を魔王軍内に示すこと。その気になればいつでも魔王城を潰せる――この事実を存分に見せつけた今、これ以上暴れる理由もないのである。

「ま、いいだろ。オレ様も暴れたくって暴れたわけじゃ……」

んです?」

けどよ? ま、チョビっとだけな! うっははははは!」

「あははは、先生はユーモアのセンスもお持ちでいらっしゃる! あは、あはあは」

 肌が痺れるほどの声で大笑するボスボラスに、迫真の愛想笑いで応じるコープスマン。この弛緩した空気でようやく恐怖から解放されたのか、ひとりの魔貴族が厳めしい顔を作って進み出た。

「……おのれ、逆賊ボスボラス! 無礼であろう!」

「あぁん?」

「我が力を誇示せんがため王城へ挑み、同胞を殺傷し、あまつさえ玉座を踏みにじるなど! これは魔王様へ唾するに等しい蛮行だ!」

「なァーにお行儀いいこと言ってやがる。大将の大演説を忘れたか?

 “つえもんえれえ!!” それが魔王軍ウチの方針だったはずだ。この大原則を否定するのはそれこそ魔王の意思に背くこと! 違うかい、お偉いお貴族さまよォ!?」

 思いがけない反駁はんばく。魔貴族は言葉に詰まる。ここからが謀反の第2ラウンド、舌戦の始まりだ。ボスボラスは大げさに腕を振り上げ、雄弁家気取りでアピールしながら、虫の息のミュートへ歩み寄っていく。

「つまり!! つええやつは、よええやつに何したっていいんだよ!!」

 ボスボラスの脚がミュートの胸を踏みつける。巨岩の如き体重と、ヴルムを越える脚力で、ミュートの身体がし潰される。骨と肉の砕ける悲惨な音が、玉座の間の中に幾重にもこだました。

「だいたいてめえらは口を開けば魔王、魔王、魔王サマと! ただ崇めてりゃいいと思ってやがる。なぁんにも分かっちゃいねえ! “力こそ正義”が信条ならば、“魔王”ってのァ何者なにもんだ!? ひしめくエゴの塊を力ずくで纏める者、それが魔王様だろうが!

 ならば!! いちばん最強なやつこそ魔王!!

 よりつえもんが現れたなら交替するのがスジってもんよ!!」

 あからさまな王位簒奪宣言にどよめきが起きた。悪戯好きの子供が大人の右往左往を嘲笑うように、ボスボラスが衆人へ下卑た笑みを振りまいた。

 と、そのとき。

「同感だよ、ボスボラス」

 不意に、氷の如く澄んだ美声が広間に響き渡った。

 誰もが悪寒を覚え、反射的に広間の最奥へ目を向けた。数段のきざはしの上、人骨めいた意匠の荘厳な玉座に、いつのまにか、ひとりの少年が悠然と腰かけている。

 底知れぬ洞穴の闇を思わせる黒衣。その縁へ金糸を以て縫い取られた目も眩むような法語ルーン紋様。王冠は結晶化した金剛竜ヴァサラ・ヴルムの黒牙から成り、首元には星光を封じ込めた宝珠が夜空そのものの如くまたたく。

 だが、かくも物々しい装飾の数々すら、身に着けた当人の前では色あせて見える。相対した者全てを――魔貴族マグス・ノーブルを、コープスマンを、そして傲岸不遜のボスボラスをすら、畏怖させずにはおかない強烈な重圧プレッシャー

 魔王、クルステスラ。

「……おいでなすったな御大将」

 ボスボラスの表情が、緊張のためにかすかに強張る。魔貴族たちが、コープスマンが、道化のシーファまでもが一様にひざまずいてこうべを垂れる中、ただボスボラスのみがその場に踏ん張り魔王を睨み続けている。敵意を満々にたたえたその視線に、しかし魔王はゆったりと脚を組み、片肘ついてくつろぎながら、冷えた微笑を返すばかり。

「所詮は利害が繋いだ仮初かりそめの絆。百万の身勝手をひとつに束ねうるものは、ただ暴力があるのみさ。

 皮肉だね。真に魔王ぼくを理解する者が、僕に背こうとする君のみだとは」

「胸を張んな。そこまで承知でオレ様を受け入れたアンタの器も大したもんだ。

 ゆえにその器、権勢ちから、すなわち玉座」

 巨大剣を肩に担ぎ直し、正面からぎらりと魔王を睨み、竜人ボスボラスは咆哮した。

「このボスボラスがいただくぜェ―――――ッ!!」

 巨木の如き脚が床を蹴る。

 途端に巻き起こる轟音と豪風。走った、ただそれだけで巻き起こった嵐が魔貴族どもを薙ぎ倒す。超人的な脚力によって一瞬にして音速を突破したボスボラスが、手にした巨剣を、いや鉄塊を、勢いそのままに魔王の脳天へ振り下ろす。

 が!!

 鈍い音が響いたその直後、その場の誰もが、そして誰よりもボスボラス自身が、驚愕に目を見開いた。

 堅牢無比なる魔王城の城門をすら一撃で塵と化した斬撃が……あろうことか、魔王ののである。

 術で止められた? 違う。巨大剣の刃は確かに魔王の肩口を捉えている。だが鉄床かなとこつちで打つように、巨岩を鶴嘴つるはしで叩くように、大地を脚で蹴りつけるように、傷ひとつ負わせることもできぬまま、やすやすと跳ね返されてしまったのである。

「おいおい……マジかよ……」

 呆然自失のボスボラスへ、魔王は柔和な笑顔を向ける。

「胸を張るといい、ボスボラス。僕の《龍体》に傷をつけるなんて余人にできることではないよ。ほら、ここのところ。赤くなってるだろう? 明日あたり青あざができちゃうかもね。

 君は武将としてのあらゆる美徳を備えている。勇気は凛々、知恵にも優れ、力は充分すぎるほどだ。しかし惜しむらくは――」

 ぞんっ!!

 魔王の足元から伸びあがった《闇の槍》が、ボスボラスの腹をぶち抜いた。

「おッごあァァァアアアアッ!?」

 耳をつんざく苦悶の声。天地を揺るがすような絶叫が、広間の者たちを、魔王城の兵卒たちを、魔都で身を寄せ合う人間たちをも震え上がらせる。ひとり魔王のみが、管弦の調べに聴き惚れるように、うっとりと目を細めながらボスボラスの耳元に唇寄せる。

「慎みが足りない」

 槍が走る。

 絶叫が、再び魔王城を震撼させた。



(つづく)

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