第19話-04 対決、四天王



 二の槍。三の槍。魔王の容赦ない責め苦がボスボラスをさいなむ。その激痛は肉体より先に精神を破壊しかねぬほどのもの。だがボスボラスは膝をつかない。剣を手放そうとはしない。そのボスボラスの苦痛の表情をそっと手のひらで労わりながら、魔王は穏やかに言葉を継いだ。

「思い上がってはならない。ひとはおそれるべきなんだ。自然の摂理。情緒と神秘の奔流。己の力ではどうにもならない領域が、世界には確かに存在する。それをひとは時に神威と呼び、時に《悪意》と呼ぶ。

 王とは、それら畏敬の対象となるべく発明された象徴物さ。無論、魔王も例外ではない」

 四の槍。

「でも勘違いしないでほしい。こんな仕打ちは本意じゃないんだ」

 五の槍。

「君たちと仲良くやっていきたい。腹を割ってなんでも話し合える、打ち解けた関係でいたいんだよ」

 六の槍。

「偽らざる本当の気持ち。分かってくれるかい、ボスボラス?」

 七。八。九。

 全身から突き出た《闇の槍》で針山と化しながら、なおボスボラスの眼は生きている。憎悪と敵愾心と尊大な自信を烈火の如く燃やし、魔王を睨む。痙攣する腕で柄を握り締め、必死に剣を振り上げようとしている、その事実が唯一の答え。

 魔王は次なる呪文を唱えた。

 《闇の槍》が消え失せ、今度はボスボラスの上体が海老反りに反り上がりはじめた。鈍い音を立てながら、ボスボラスがにされていく。《黒の万力》――不可視の巨大な万力によって敵をじわじわと締め上げる拷問の術。再び響く苦痛の絶叫。竜人ならではの強靭な骨格によってどうにか耐えてはいるが、脊椎はもはやし折られる寸前である。

「もう一度だけ訊く」

 魔王のに、血と汗すらも凍り付く。

魔王ぼくを分かってくれるかな……?」

「分かったっ……分かったァーッ!! オレ達は友達だ! 仲良くやろうぜ大将ォーッ!!」

 屈服の叫びが城中へ充分に響き渡るのを待ってから、《黒の万力》の力が消滅した。解放されたボスボラスが地響きとともに倒れ伏す。投げ出された巨大剣が転がり床を砕く。魔王はその上をひょいとまたぎ越え、喘ぐボスボラスの頭のそばへ静かに歩み寄った。

「魔王の力の根源、《悪意》。その最大の特性を知ってる?」

 脂汗にまみれたボスボラスの眼が、呪わしげに魔王を睨み上げた。魔王は、どこからともなく取り出したナイフで、己の人差し指に小さく傷をつけている。

「《融合》だよ。

 《悪意》はいかなる概念とも容易に融け合い、無尽蔵の活力を与える一方、相手を己の領域へ引きずり込みもする。魔王の血肉を拝領し、かつその暴威を御しきった者だけが、魔王の後継者たる資格を得るのさ」

「何する気だ……てめっ……!」

 血の溜まった人差し指を、魔王がボスボラスの頭上にかざす。触れてはならぬものへの本能的な恐怖が、豪傑ボスボラスをすら震わせる。

 わけてあげるよ。君自身が望んだものを」

 血が、落ちた。

 三度みたびの絶叫。もはや苦痛などと認識することもできない苦痛。肉体ではなく魂の尊厳を内側から食い破られる激痛。ボスボラスが泣きわめく。のたうち回る。魔王の血が、呪わしき《悪意》のかけらが、あの屈強な竜人をむごたらしく蹂躙していく。

「力を得るか。《悪意》に飲まれて灰と化すか。

 君の実力次第だよ――ボスボラス」



   *



 ――おかしい。

 寒々しい枯れ木の間を《風の翼》で飛び抜けながら、カジュは次なる術式を編んだ。森から飛び出したそこは左右を切り立った崖に挟まれた谷道の上空。下には鎧をかち鳴らして必死に逃走する抵抗軍レジスタンス兵の一団。その後を追うは魔王軍、鬼兵と魔族の混成部隊で総数20余り。

「《光の雨》。」

 カジュの背に生まれた光の翼が、繊維状にほどけ無数の矢と化して、敵の頭上へ降り注ぐ。たちまち巻き起こる悲鳴、ほとばしる鮮血。撃ち漏らした敵が《火の矢》や投石を浴びせてくるのを《光の盾》であしらいつつ、牽制の術を撃ち返して注意をこちらへ引き付ける。その隙に味方は無事に谷を通過。あとは残った敵を適当に蹴散らして、撤退支援の任務は完了、なのだが……

 灰色の魔女にはとても敵わぬと悟ったか、すぐに敵は後退を始めた。カジュはひとまず谷底に降り、《風の翼》を解除する。と、

「うわっ。」

 不意に膝が崩れ、カジュはその場にへたりこんでしまった。

 想像以上の消耗だった。普段気軽に使っているが、《風の翼》による魔力消費は決して小さなものではない。発動中ずっと駆け足で移動しているようなものだし、最高速度を出せば疲労は全力疾走なみになる。それをカジュはほとんど不眠不休で、もう連続20時間以上も維持し続けていたのだ。そのうえで攻撃に防御に援護にと惜しみなく術をばら撒いてきたのだから、今まで意識を失わずに済んでいただけでも超人的魔力である。

 だが、汗すら枯渇するほどの疲労にも関わらず、カジュの胸を支配していたのは全く別の疑念であった。

 ――やっぱり変だ。脆すぎる。

 昨日の日没頃のこと。抵抗軍レジスタンスの小規模な拠点が襲撃されたと報告を受け、援護のためにカジュは飛び出した。報告通り3つの拠点が同時に攻撃を受けており、カジュは《遠話》で味方の連携を補助しながら、自身も縦横無尽に飛び回って直接支援を行った。

 が、あちらを助ければこちらが襲われ、こちらの敵を片付ければそちらに新手が湧き、次々に起きる問題にひとつひとつ対処しているうちに、ふと気付けばカジュは抵抗軍レジスタンスの勢力範囲から大きく離れた位置にまで来てしまっていた。なまじ敵が弱すぎるために、つい深入りしてしまったのだ。

 これではまるで――

 カジュが杖を頼りに立ち上がり、眉間に皺を寄せた、そのとき。

「そうよ」

 彼女の背に巨大な影が覆い被さった。

「袋のネズミっつうわけよ!!」

 息を飲みつつ最速構築。背後に一斉展開した《光の盾》の5枚重ねでの巨大剣を受け止める。だが威力が想定を遥かに越えている。《盾》が次々に叩き割られる。最後に残った1枚でどうにか直撃だけは避けたものの、その衝撃は容赦なく《盾》ごとカジュを弾き飛ばす。

 10m近くも飛ばされ、墜落寸前で《風の翼》を発動。体勢を立て直し、かかとで地面を削りながら着地、すぐさま地の利を求めて宙へ飛び上がる。

 が。

 不用意に浮遊してしまったカジュを、左右の崖上から爆炎が襲った。

「うっ。」

 カジュは焦燥の呻き声を上げ瞠目どうもくした。この爆炎は魔術ではない。術なら発動前にカジュが気付けなかったはずがない。つまりこの炎は純然たる物理現象。肉体の機能によって生み出されたもの。ということは敵は――

 轟音が、彼女の思考を打ち砕いた。炸裂する爆炎。衝撃で崩落する崖。もうもうと巻き起こる砂煙を唖然と見つつ、敵、竜人ボスボラスがわめきだす。

「あ……あーっ!! てめえコブン! なァんてことしやがるっ!? 勝手に手ェ出すなつっただろーがァー!!」

 大音声で叱られて、崖の上からひょっこりとひとりの竜人が顔を出す。カジュに爆炎を浴びせたのはこの男である。

「すんましぇーん! なんか役に立ちたくってつい……」

「ありがとうよっ! だが殺す!!」

「ヒェー! 許してくださいボスゥー!」

 本当に殺しかねない剣幕でぎゃあぎゃあやっていたボスボラスだが、風に流れはじめた砂埃の中に動く影を認め、たちまち機嫌を直した。影が《死神の鎌》の一振りで、周囲の砂塵を吹き散らす。積み上がった土砂の上に仁王立ちする“灰色の魔女”カジュ・ジブリールへ、ボスボラスはさも愉快そうに口の端を吊り上げる。

「ほお。ちっちぇえ身体で頑張るねえ。うちの若い衆の爆炎を耐えきるたあ立派なもんだ。魔術かい?」

 カジュは無言。《水の衣》と《鋼の体》の同時発動で熱と衝撃の両方をしのいだのだが、手の内を明かす義理はない。ボスボラスは大口を開けて馬鹿笑い。

「うっははははは! うっかり口滑らすこともねえか。わけェのに戦い慣れしてやがらァ!

 いやね、聞いてくれるかいお嬢ちゃん。くそボケ魔王がよ、どーしてもお前さんとれって言うもんだからよ。やんなきゃ首が飛んじまうのよ……比喩表現でなしに」

 ボスボラスは憎々しげに顔をしかめ、首元を指さした。握り拳大の腫瘍がボスボラスの肩の付け根あたりで不気味に拍動している。あれはおそらく魔王の血か肉の一部を移植したもの。聖体の拝領、といえば聞こえはいいが、要ははねっかえりの部下をいつでも制圧できるように爆弾を埋め込んだというわけだ。

 ――苦労してるね、も。

 目を細めるカジュに、ボスボラスはひょいと巨大剣を担ぎなおす。

「そんなわけでだ! お前さんをおびき出さしてもらった。まァ弱い者いじめは趣味じゃねえんだが、どうやら遠慮も要らなさそうだしな。

 そうら! 出てこいてめえらァ―――――ッ!」

 呼び声に応え、谷の左右の崖上から筋骨隆々の猛者どもが姿を現す。いずれも背丈は軽く3m超。ぶら下げた斧や棍棒は目を疑うほどに重厚。堅牢無比の竜鱗には《爆ぜる空》すら通じるかどうか。耳まで裂けた大口で、百万の釣鐘を打ったが如き咆哮を轟かせる彼らこそ、魔王軍最強部隊“ドラゴン旅団”。ボスボラスは剣を振り上げ咆哮し、竜人どもが天を引き裂かんばかりに呼応する。

「言ってみろ!!

 世界でいちばんつええのは!?」

『ボス!!』

「誰より男前なのは!?」

『ボス!!』

「この世の天辺てっぺんるべきなのは!?」

『ボス! ボス! 我らがボス!!』

「そぉぉぉぉよ!! ここなるオレ様こそが最強無敵のボスボラス!!

 “灰色の魔女”カジュ・ジブリール! いざ尋常に、勝負せいやァ―――――ッ!!」

 大喝采を背負ってボスボラスが走る。凄まじい速さ。あの巨体、あの体重で、身の軽さは緋女にすら匹敵している。カジュの目では到底捉えきれるものではない……が、敵がごちゃごちゃと場を盛り上げている間に対策の術式は構築済みだ。

「《暗き隧道》。」

 ずどん!!

 カジュ自身の足元を中心としてすり鉢状に穿うがたれる落とし穴。これなら動きが見えようが見えまいが関係ない。剣の間合いまで接近したボスボラスは「うおっ」などと呻きながら落下。カジュは同時に発動しておいた《風の翼》で浮遊し、真下のボスボラスへ向けて次なる術を投げおろす。

「《砂の侵略》。」

 岩や土壌を乾燥した細かな砂に変える術。本来は土木工事で邪魔になる岩盤などを崩すための術だが、それを落とし穴の側壁にかければどうなるか?

 崩れ始めた砂が四方八方からボスボラスを押し包み、たちまちのうちに巨体を腰ほどまでも埋めてしまう。無論ボスボラスも這い上がろうとするものの、そのたびに新たな砂が崩れ落ち、藻掻けば藻掻くほどにかえって深く埋もれてしまう。

「なんだこりゃァ!? うおわっ」

 蟻地獄の原理である。どれほど力に優れようと、いや力があればあるほどに、自重と腕力のために砂を激しく崩してしまう。ここから自力でい上がることはどのような剛力の戦士にも不可能。

 これはカジュが対ボスボラス用に練っておいた戦術。この5ヶ月、カジュはただ戦争に身を投じていたわけではない。いずれ来る決戦のために、四天王それぞれの特性に応じた対策は考案済みである。

 ボスボラスの足を止めておいて、カジュは悠々と落とし穴の縁まで移動し、着地。谷間へ朗々と呪文を響かせて、五指にひとつひとつ炎の輝きを灯していく。

「は……ぜ……る……。」

「お、おい、なんだその技? お嬢ちゃん?」

「そ……ら。」

 5つの炎を握り固め、穴底目掛けて投げ下ろす。これがカジュの最大火力。

「《5倍爆ぜる空》。」

「ちょっとタンマァァ!?」

 大爆発がボスボラスを飲み込み、その巨体を大地ごと吹き飛ばした。



(つづく)

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