第18話-03 愛の火を探して
「情緒の獣が人間として生きるなら、折り合いの首輪を受け入れるしかないのだ。
それが解らぬ貴公でもあるまい……剣聖デクスタ」
デクスタは剣のように背筋を立て、薄暗い部屋の中心にじっと佇んでいた。セレン魔法学園が寄越した詰問の使者たちは
「あの双子、失われし
「“
「その顕現であることはもはや疑う余地もない」
「
「奴は世界を滅ぼしますぞ、剣聖!」
次第に熱を帯びていく使者たちの“説得”。諸国の王をすら黙らせてしまう学園の権威にも、デクスタは眉ひとつ動かしはしなかった。静かに眼を伏せたまま、鋭く一声、問い返したのみだ。
「――殺せと?」
「それが最善。次善はこれ」
使者のひとりが席を立ち、剣聖デクスタへひとつの
首輪、である。希少な
「“折り合いの首輪”。身に着けた者の全筋力と魔力を封じ、暴走を完全に防ぎます」
「そしてあの子に生きていけと言うの。立つことも、話すことも、食事も排泄も自分ではできない肉の牢獄へ、9歳の子供を閉じ込めたまま……」
「遺体さえ残さず滅却されたレンスクの住人1万2千、その無念を思えばこれでも軽い。
デクスタは目を開けた。
首輪。人が背負った業の象徴。この世の醜さを煮詰めた澱。人類が快適に生き延びるという大正義のためならば、子供ひとりがどのような地獄を味わおうと構わない……そんな吐き気のするような生物種としての本音を、あからさまに体現する呪物。
「あたしがやる」
使者の手から、デクスタは首輪をむしり取る。
「そのかわり……ひとつ約束してもらうわ」
「は?」
眉をひそめている使者を、デクスタは切りつけるかの如くに
*
あれから3日。収まるどころか刻一刻と激しさを増す吹雪の中を、双子はひたすら逃げ続けた。
猟師シバの死を目の当たりにしたあの時、緋女の中にいた怪物が目覚めた。彼女の口から、髪から、目から、手から、皮膚のあらゆるところから、一斉に真紅の炎が噴き出し、生きた獣の如く周囲を暴れ狂って、20余りもいた敵を一瞬で蒸発させたのだ。
その後なにがどうなったのか、緋女自身にも分からない。ただ無限に湧き出る猛烈な憤怒に突き動かされ、ひたすら叫び続けていたことしか覚えていない。ふと気が付くと、渦巻き状に融け固まった焦土の中心で、
炎はいつのまにか消えていた。
ふたりはすぐさまその場を離れた。久しく忘れていたこの感覚……野性の勘が、ここに留まっては危険だと告げていた。敵は明らかに緋女と
しかし誤算があった。この吹雪である。猟師シバは移住先として故郷にほど近い北方の辺境を選んだが、その寒さは双子にとっては未経験のもの。犬は寒さに強い、といっても限度はある。猛烈な寒気がふたりの体力を容赦なく奪い、ついに
ここで幼い緋女は必死に考えを巡らせ、どうにか対策を捻り出した。
人間の姿に戻って、妹を背中に担ぎ上げたのだ。
「よーし! やるぞー!」
ふーっ!! と力強く鼻息吹いて、緋女は再び歩き出す。
緋女の血肉は野生のたくましさで出来ている。
「……おねえちゃんの熱血は、わたしにはちょっとあつすぎる」
と、
「どうゆういみ?」
「いいの」
「あ! バカにしてんだあ? ねえちゃんアホってェ」
唇とがらせる姉が愛しくて、すがりつく腕に力がこもる。
「尊敬してるの」
「わかんない!」
「すきってこと……」
真っ白な吹雪の壁に包まれ、ここには姉妹ふたりきり。ずっとこのままでいられたらいい、と
「おねえちゃん」
「ん?」
「シバさん、しんじゃったねえ」
「しんじゃったねえ……」
「しんだら、どうなる?」
「んー……」
「どこ、いくのかな、わたしたち……」
「しなせないもん」
緋女は己自身の不安を踏み潰すかのように、力任せに雪を踏み締めた。
「しなせないもん!」
そのときだった。
不意に
「きた」
奴らだ。敵だ。姿は見えない。匂いも音も感じない。だが
「よし」
「こわいよ、おねえちゃんっ……」
「こわくない!」
そんなわけない。だが緋女の中のいささか暴走気味な勇気が、恐怖など存在しないのだ自分自身に思い込ませた。そしてひとたび思い定めれば、どのような客観的事実にも増してそれが真実。
緋女の頭脳、というより野獣の直感が、ここではまずいと叫んでいた。こうも開けた場所では簡単に見つかってしまうし、魔法や弓矢で狙うのも簡単だ。もっと身を隠す物のある場所がいい。ざっと辺りを見回すと、少し離れたところに大きな岩がひとつ見つかった。妹を背から降ろして岩を指差す。
「はしれ」
「でも」
「うるせーいけっ!」
一喝に怯え、妹が雪玉のように
緋女自身は背後を振り返り、雪を踏み締めて敵を待ち受けた。こい、と己の中の誰かへ呼びかける。輝くような赤毛を逆立て、瞳を炎そのものの如くに燃やし、満々に吸い込んだ息で胸をふたまわりほども膨らませ、激情の熱を制御不能の領域にまで引き上げていく。
悟っていたのだ。たった一度の暴走で、自分の中にとてつもない化物が潜んでいることを。学んだのだ。実体を持たぬ精神の力でしかないはずの感情を、“こちら側”へ顕現させる方法を。理屈でも理論でもなく、ただ経験と感性のみによって。そして求めてしまった。
――こい!
己の情念という幻想、我が身すらも焼き滅ぼす貪欲の炎、その再臨を。
――もういっかいこい!!
吹雪の
その瞬間、それが緋女の願いに応えた。
“
彼らは捜索3日目にしてついに双子を発見し、すぐさま予定通りの行動に移った。ネズミ頭の術士が遠距離から《光の矢》を打ち込み、足止めしたところで鬼人戦士が近づいて捕えようとしたのだ。殺しさえしなければ手足の1本や2本もいでもよい、と指示されている彼らに躊躇はない。
だが《光の矢》が炸裂し、その閃光が収まったところで、彼らは予想だにしなかった事態を目の当たりにして硬直した。
緋女がいない。
《光の矢》は確かに緋女の脚に命中したはずだ。動けるはずがない。仮に死力を振り絞って逃げたとしても、あの一瞬ではほんの数歩すら進めるはずがない。鬼人戦士たちが駆け寄り、辺りを確認する。雪の中へ埋もれたのでもない。坂の下へ転がり落ちたのでもない。正真正銘、忽然と消えた。手負いの子供が、一体どこへ――?
困惑した怪人たちが、互いに顔を見合わせた……そのとき。
くぐもった悲鳴が、吹雪の中にこだました。
全員の視線が声のした方へ集中する。
そこに炎がいた。
燃えるような赤毛は今や本物の火炎に姿を変え、全身の皮膚から立ち上る火は豪風の中でうねり狂い、口から洩れる呼気は灼熱の陽炎となって漂い流れる。だらりと伸ばした腕の先には、鷲掴みにされた鬼人戦士の首。完全に炭化したその首が、ぼろりと崩れて転がり落ちる。
絶句する敵へ向けて、
「オオォォォォォオアアアアアアッ!!」
緋女の咆哮がほとばしった。
緋女が跳ぶ。姿が消える。鬼人戦士が剣を構えるより速くその首元に緋女は取りつく。直後、緋女の手を通じて恐るべき高熱の火炎が鬼人の身体へ燃え移り、たちまち全身を包み込む。絶叫。人の脂の焦げる匂い。みるみるうちに炭と化す鬼人。融け、蒸発し、川を為しはじめる足元の積雪。戦慄する敵を
その姿はまるで、いくら喰っても満たされぬ、無限の餓えに駆られた野獣のよう。
震えあがるネズミ頭を、緋女の炎眼が捉えた。
少し離れた空の上、空艇魔獣コバンザメの船室で、呑気にナッツなどつまみながら、コープスマンはその光景を眺めていた。望遠鏡を覗き込む彼の眉が呆れたふうに持ち上げられる。
「あーあ、見ちゃいられないなァ。現場のひとに伝えてくれる?」
「どのように?」
コープスマンは望遠鏡を下ろし、部下へ気さくな作り笑いを向けた。
「『難しい仕事に取り組むコツは、簡単なとこからやっつけることだよ』……ってね!」
最後の1人が身体を火炎に包まれ、絶叫しながらのたうち回るのを睨みつつ、緋女は炎色の息を吐く。
その耳へ甲高い悲鳴が届いた。弾かれたように振り返る。吹雪の向こうにかすむ大岩の下に、敵の別動隊の影が見える。そのうちのひとり、鬼人戦士の腕の中には、羽交い絞めにされた
“
緋女は吼えた。四つん這いになって駆け出した。走りながら身体が勝手に変身していく。手足に鉤爪と体毛が生え、頭の後ろへ三角耳が伸び、口元からは刃物のような牙がせり出した。だが胴体や顔の大部分は人間の特徴を残したままだ。
緋女にはもう、自分というものが分からなくなりつつあった。人、獣、そして炎、3つのかたちの境界線が次第に曖昧になり、全ての形質をないまぜにした、何物ともつかない異形のものへと変化を始めていた。だが緋女は自分の変質に気付かない。気付けない。
なぜなら緋女には、言葉が足りない。
炎獣人と化した緋女が、わめきながら飛びかかる。
だが敵は既に緋女の捕獲を諦めている。
「おねえちゃん!!」
泣きわめいた
緋女が爆発した。
憤怒、激怒、激高、憎悪、殺意、どんな言葉でも表し足りぬ炎が、爆発した!
赤が弾けた。炎が跳んだ。敵が燃える。融ける。骨まで残さず蒸発する。もはや高熱と呼ぶのもおこがましいほどの超常の熱が周囲の万物を滅却していく。怪人どもは何が起きているのかすら分からず、なすすべもなく片っ端から蒸気と化していく。
情念の火が、あらゆるものを焼き尽くす。
敵も。世界も。
そして。
「あつすぎる」
この世でたったひとりの――妹さえも。
ようやく鬼人の腕から奪い返した我が妹を、緋女は抱きかかえ、呆然と見下ろした。白雪のように清らかな
「あつすぎるよ、おねえちゃん……」
寂しそうに、苦笑して。
「撤収」
望遠鏡を覗いたまま、コープスマンが淡々と言う。
「撤収ですか?」
思いもよらない急な指示に部下が戸惑う。コープスマンは一瞥もくれない。
「死にたくなければね」
その直後、緋女から――否、緋女だったものから噴き出た火炎が、見渡す限りの天地万象ことごとくを消し飛ばした。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます