第18話-03 愛の火を探して



「情緒の獣が人間として生きるなら、折り合いの首輪を受け入れるしかないのだ。

 それが解らぬ貴公でもあるまい……剣聖デクスタ」

 デクスタは剣のように背筋を立て、薄暗い部屋の中心にじっと佇んでいた。セレン魔法学園が寄越した詰問の使者たちはまばたきもせず、およそ人間味を感じさせない無表情を剣聖へ向けている。デクスタの顔色、息遣い、髪の一房ひとふさの微かななびきに至るまでを、一切見逃さぬよう目を凝らして。

「あの双子、失われしまことのローア」

「“力ある九頭竜パワー・ナイン”が一柱……全てを飲みこんでなお飽き足らぬ貪食の業火、“火目之大神ヒメノオオカミ”」

「その顕現であることはもはや疑う余地もない」

企業コープスどもが目を付けたのも確信あってのことだ」

「奴は世界を滅ぼしますぞ、剣聖!」

 次第に熱を帯びていく使者たちの“説得”。諸国の王をすら黙らせてしまう学園の権威にも、デクスタは眉ひとつ動かしはしなかった。静かに眼を伏せたまま、鋭く一声、問い返したのみだ。

「――殺せと?」

「それが最善。次善はこれ」

 使者のひとりが席を立ち、剣聖デクスタへひとつの呪具フェティシュを差し出した。

 首輪、である。希少な鉄剣竜フェラム・ヴルムの皮革で作られた黒い首輪チョーカー。留め金は巨人鋼製で、中心には超純ホタル石の小さな結晶が吊るされている。一見すれば単なる装飾具。しかしこれには、世界最高の術士たちの手になる強力な呪詛が編みこまれている。

「“折り合いの首輪”。身に着けた者の全筋力と魔力を封じ、暴走を完全に防ぎます」

「そしてに生きていけと言うの。立つことも、話すことも、食事も排泄も自分ではできない肉の牢獄へ、9歳の子供を閉じ込めたまま……」

「遺体さえ残さず滅却されたレンスクの住人1万2千、その無念を思えばこれでも軽い。人類われわれにできる最大限の妥協です……お辛いなら、実行はこちらで」

 デクスタは目を開けた。

 首輪。人が背負った業の象徴。この世の醜さを煮詰めた澱。人類が快適に生き延びるという大正義のためならば、子供ひとりがどのような地獄を味わおうと構わない……そんな吐き気のするような生物種としての本音を、あからさまに体現する呪物。

「あたしがやる」

 使者の手から、デクスタは首輪をむしり取る。

「そのかわり……ひとつ約束してもらうわ」

「は?」

 眉をひそめている使者を、デクスタは切りつけるかの如くにめつけた。



   *



 あれから3日。収まるどころか刻一刻と激しさを増す吹雪の中を、双子はひたすら逃げ続けた。

 猟師シバの死を目の当たりにしたあの時、緋女の中にいた怪物が目覚めた。彼女の口から、髪から、目から、手から、皮膚のあらゆるところから、一斉に真紅の炎が噴き出し、生きた獣の如く周囲を暴れ狂って、20余りもいた敵を一瞬でさせたのだ。

 その後なにがどうなったのか、緋女自身にも分からない。ただ無限に湧き出る猛烈な憤怒に突き動かされ、ひたすら叫び続けていたことしか覚えていない。ふと気が付くと、渦巻き状に融け固まった焦土の中心で、游姫ユキが自分を抱いてくれていた。

 炎はいつのまにか消えていた。

 ふたりはすぐさまその場を離れた。久しく忘れていたこの感覚……野性の勘が、ここに留まっては危険だと告げていた。敵は明らかに緋女と游姫ユキを狙っていた。なら、きっとまたやってくる。その前に少しでも遠くへ逃げ、身を隠さねばならない。幸い双子には、犬に変身する能力がある。野山で鍛えた足腰がある。走ることなら大得意だった。

 しかし誤算があった。この吹雪である。猟師シバは移住先として故郷にほど近い北方の辺境を選んだが、その寒さは双子にとっては未経験のもの。犬は寒さに強い、といっても限度はある。猛烈な寒気がふたりの体力を容赦なく奪い、ついに游姫ユキは雪山の真ん中でうずくまってしまった。脚が凍傷になりかかっている。これ以上は走れまい。しかし足を止めれば敵に追いつかれる。

 ここで幼い緋女は必死に考えを巡らせ、どうにか対策を捻り出した。

 人間の姿に戻って、妹を背中に担ぎ上げたのだ。

「よーし! やるぞー!」

 ふーっ!! と力強く鼻息吹いて、緋女は再び歩き出す。

 緋女の血肉は野生のたくましさで出来ている。り潰さんばかりに叩き付ける吹雪、執拗に足腰へ絡みつく積雪、猛禽のくちばしさながらに切り立った山肌。環境全てが敵に回るこの状況で、しかし緋女の胸に湧く感情はただ、闘志。嵐が迫れば我が身を妹の盾となし、妹が倒れれば自らの疲労も忘れて背にぶう。疑問も愚痴も頭に過ぎりさえしない。それが緋女という人物なのだ。

「……おねえちゃんの熱血は、わたしにはちょっとあつすぎる」

 と、游姫ユキがこぼした苦笑の意味も、緋女にはもうひとつ飲みこめない。

「どうゆういみ?」

「いいの」

「あ! バカにしてんだあ? ねえちゃんアホってェ」

 唇とがらせる姉が愛しくて、すがりつく腕に力がこもる。

「尊敬してるの」

「わかんない!」

「すきってこと……」

 游姫ユキの息が耳にあたり、緋女はくすぐったそうに笑った。

 真っ白な吹雪の壁に包まれ、ここには姉妹ふたりきり。ずっとこのままでいられたらいい、と游姫ユキは思う。だがそれが叶わぬ願いであることは分かっている。シバから習った狩人の技で、ふたりは足跡をごまかし、匂いを消し、わざと見当違いの方向へ痕跡をつける工作もした。知りうる全ての手段を駆使してここまできた。だが敵はそれでもふたりの背中へついてきている。執念深く、じわじわと、しかし確実に距離を詰めてくる。諦めるつもりはないらしい。

「おねえちゃん」

「ん?」

「シバさん、しんじゃったねえ」

「しんじゃったねえ……」

「しんだら、どうなる?」

「んー……」

「どこ、いくのかな、わたしたち……」

「しなせないもん」

 緋女は己自身の不安を踏み潰すかのように、力任せに雪を踏み締めた。

「しなせないもん!」

 そのときだった。

 不意に游姫ユキの身体が強張った。その異変を緋女もまた背中を通じて感じている。緋女が足を止めてふり返る。その耳元で游姫ユキが声を震わせる。

「きた」

 奴らだ。敵だ。姿は見えない。匂いも音も感じない。だが游姫ユキの感覚は、緋女のそれを遥かに上回って鋭敏だ。彼女が来たと言うからには、相手は確かにそこにいる。

「よし」

「こわいよ、おねえちゃんっ……」

「こわくない!」

 そんなわけない。だが緋女の中のいささか暴走気味な勇気が、恐怖など存在しないのだ自分自身に思い込ませた。そしてひとたび思い定めれば、どのような客観的事実にも増してそれが真実。

 緋女の頭脳、というより野獣の直感が、ここではまずいと叫んでいた。こうも開けた場所では簡単に見つかってしまうし、魔法や弓矢で狙うのも簡単だ。もっと身を隠す物のある場所がいい。ざっと辺りを見回すと、少し離れたところに大きな岩がひとつ見つかった。妹を背から降ろして岩を指差す。

「はしれ」

「でも」

「うるせーいけっ!」

 一喝に怯え、妹が雪玉のようにまろびながら岩の影へと逃げ込んでいく。

 緋女自身は背後を振り返り、雪を踏み締めて敵を待ち受けた。、と己の中のへ呼びかける。輝くような赤毛を逆立て、瞳を炎そのものの如くに燃やし、満々に吸い込んだ息で胸をふたまわりほども膨らませ、激情の熱を制御不能の領域にまで引き上げていく。

 悟っていたのだ。たった一度の暴走で、自分の中にとてつもない化物が潜んでいることを。学んだのだ。実体を持たぬ精神の力でしかないはずの感情を、“こちら側”へ顕現させる方法を。理屈でも理論でもなく、ただ経験と感性のみによって。そして求めてしまった。

 ――

 己の情念という幻想、我が身すらも焼き滅ぼす貪欲の炎、その再臨を。

 ――!!

 吹雪のとばりの向こう側で、敵が魔術の凶光を閃かせる。

 その瞬間、が緋女の願いに応えた。



 “企業コープス”の追跡部隊は足を止めた。ネズミの頭を持つ異形の術士が3人と、大鬼なみの巨躯を誇る戦士が4人。忌々しい禁呪によって“企業コープス”が生み出した怪人たちだ。

 彼らは捜索3日目にしてついに双子を発見し、すぐさま予定通りの行動に移った。ネズミ頭の術士が遠距離から《光の矢》を打ち込み、足止めしたところで鬼人戦士が近づいて捕えようとしたのだ。殺しさえしなければ手足の1本や2本もいでもよい、と指示されている彼らに躊躇はない。

 だが《光の矢》が炸裂し、その閃光が収まったところで、彼らは予想だにしなかった事態を目の当たりにして硬直した。

 緋女がいない。

 《光の矢》は確かに緋女の脚に命中したはずだ。動けるはずがない。仮に死力を振り絞って逃げたとしても、あの一瞬ではほんの数歩すら進めるはずがない。鬼人戦士たちが駆け寄り、辺りを確認する。雪の中へ埋もれたのでもない。坂の下へ転がり落ちたのでもない。正真正銘、忽然と消えた。手負いの子供が、一体どこへ――?

 困惑した怪人たちが、互いに顔を見合わせた……そのとき。

 くぐもった悲鳴が、吹雪の中にこだました。

 全員の視線が声のした方へ集中する。

 そこにがいた。

 燃えるような赤毛は今や本物の火炎に姿を変え、全身の皮膚から立ち上る火は豪風の中でうねり狂い、口から洩れる呼気は灼熱の陽炎となって漂い流れる。だらりと伸ばした腕の先には、鷲掴みにされた鬼人戦士の首。完全に炭化したその首が、ぼろりと崩れて転がり落ちる。

 絶句する敵へ向けて、

「オオォォォォォオアアアアアアッ!!」

 緋女の咆哮がほとばしった。

 緋女が跳ぶ。姿が消える。鬼人戦士が剣を構えるより速くその首元に緋女は取りつく。直後、緋女の手を通じて恐るべき高熱の火炎が鬼人の身体へ燃え移り、たちまち全身を包み込む。絶叫。人の脂の焦げる匂い。みるみるうちに炭と化す鬼人。融け、蒸発し、川を為しはじめる足元の積雪。戦慄する敵を睥睨へいげいし、緋女は次の獲物へ跳ぶ。悲鳴が起きる。怒号が飛ぶ。殺意と敵意と悪意の中を縦横無尽に緋女は駆け抜け、次々に敵を消し炭に変えていく。

 その姿はまるで、いくら喰っても満たされぬ、無限の餓えに駆られた野獣のよう。

 震えあがるネズミ頭を、緋女の炎眼が捉えた。



 少し離れた空の上、空艇魔獣コバンザメの船室で、呑気にナッツなどつまみながら、コープスマンはその光景を眺めていた。望遠鏡を覗き込む彼の眉が呆れたふうに持ち上げられる。

「あーあ、見ちゃいられないなァ。現場のひとに伝えてくれる?」

「どのように?」

 コープスマンは望遠鏡を下ろし、部下へ気さくな作り笑いを向けた。

「『難しい仕事に取り組むコツは、簡単なとこからやっつけることだよ』……ってね!」



 最後の1人が身体を火炎に包まれ、絶叫しながらのたうち回るのを睨みつつ、緋女は炎色の息を吐く。

 その耳へ甲高い悲鳴が届いた。弾かれたように振り返る。吹雪の向こうにかすむ大岩の下に、敵の別動隊の影が見える。そのうちのひとり、鬼人戦士の腕の中には、羽交い絞めにされた游姫ユキの姿がある。

 “企業コープス”の狙いはローアの入手。双子の最低限どちらか一方を確保できればそれでいいのだ。ならば暴れまわる緋女よりも、未覚醒の游姫ユキを狙う方が遥かに安全で簡単ということだ。

 緋女は吼えた。四つん這いになって駆け出した。走りながら身体が勝手に変身していく。手足に鉤爪と体毛が生え、頭の後ろへ三角耳が伸び、口元からは刃物のような牙がせり出した。だが胴体や顔の大部分は人間の特徴を残したままだ。

 緋女にはもう、自分というものが分からなくなりつつあった。人、獣、そして炎、3つのかたちの境界線が次第に曖昧になり、全ての形質をないまぜにした、何物ともつかない異形のものへと変化を始めていた。だが緋女は自分の変質に気付かない。気付けない。

 なぜなら緋女には、言葉が足りない。

 炎獣人と化した緋女が、わめきながら飛びかかる。

 だが敵は既に緋女の捕獲を諦めている。游姫ユキを捕らえた鬼人は後退し、他の者が進み出て壁となる。どうする!? と判断に迷って一瞬足を止めた緋女へ、左右からネズミ頭たちの魔術が飛来する。咄嗟に身をかわす緋女。さらに追いすがる《光の矢》の連射。そうこうするうちに游姫ユキは空艇魔獣へ運び込まれようとしている。

「おねえちゃん!!」

 泣きわめいた游姫ユキを、鬼人が平手打ちして黙らせる。ただの平手でも、あの丸太のような腕で叩き付けられればどうなるか。意識朦朧とした游姫ユキがぐったりと手足を落とす。抵抗しなくなった少女の身体を、鬼人が満足げにぶら下げていく。

 緋女が爆発した。

 憤怒、激怒、激高、憎悪、殺意、どんな言葉でも表し足りぬが、爆発した!

 赤が弾けた。炎が跳んだ。敵が燃える。融ける。骨まで残さず蒸発する。もはや高熱と呼ぶのもおこがましいほどの超常の熱が周囲の万物を滅却していく。怪人どもは何が起きているのかすら分からず、なすすべもなく片っ端から蒸気と化していく。游姫ユキを抱えていた鬼人が恐怖に駆られて緋女を振り返る。その顔面へ一直線に突っ込んでいく。鬼人の体液が沸騰する。

 情念の火が、あらゆるものを焼き尽くす。

 敵も。世界も。

 そして。

「あつすぎる」

 この世でたったひとりの――妹さえも。

 ようやく鬼人の腕から奪い返した我が妹を、緋女は抱きかかえ、呆然と見下ろした。白雪のように清らかな游姫ユキの肌。その上へ黒く焦げ目が走りだす。寝床のように心地よい游姫ユキの背中。そこへ真紅の炎が燃え移る。緋女からほとばしり出た情念の熱が、游姫ユキの身体を焼いていく。

「あつすぎるよ、おねえちゃん……」

 寂しそうに、苦笑して。

 游姫ユキは骨になり、蒸発して、消えた。



「撤収」

 望遠鏡を覗いたまま、コープスマンが淡々と言う。

「撤収ですか?」

 思いもよらない急な指示に部下が戸惑う。コープスマンは一瞥もくれない。

「死にたくなければね」



 その直後、緋女から――否、緋女から噴き出た火炎が、見渡す限りの天地万象ことごとくを消し飛ばした。



(つづく)

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