第18話-02 力ある九頭竜



 古伝承は語る。まだこの世に神々さえ居なかった頃、世界には3つの種族が繁栄していたと。

 源人オリジン

 ヴルム

 そしてローア

 3つの古代種は時に助け合い、時に殺し合いながらも、調和を保って共存していた。

 だがあるとき、世界に第4の存在が加わった。源人オリジンが思い描いた幻想ファンタジーの中から、神が生まれたのだ。

 概念の化身にして大自然の具現である神は、数え切れぬほどの恩恵をもたらした。農耕、冶金やきん、建築、医療、そして魔術……神にまつろう道を選んだ源人オリジンの子らはいっそう栄え、やがてヒトへと進化していくことになる。

 しかし、神による支配を頑として拒む者たちもいた。ヴルムローアの2種族である。

 彼らは種族中で最強の9頭をおさに頂き、神に対して戦を仕掛けた。おさたちの力はすさまじく、最上位の神ですら敵わぬほどだったという。一方で神々もまたしぶとい。ヒトの想いを力の源泉とする神は、この世に想いがある限り決して死なないのである。決着のつかぬまま戦乱は万日の万倍を万回重ねたよりも長く続き、いつしか戦いにみ疲れた両陣営は、全勢力を結集しての最終決戦を志向するようになっていった。

 この決戦で、多くの神々がその司る概念ともども滅尽し……

 竜獣のおさたちも、9頭すべてが八つ裂きにされて死んだ。

 その死の間際、おさは神々へこう告げたという。

「今は栄えるがよい、言葉から生まれし者たちよ。

 だが――

 肉の願いは常に我らと共にあり、必然、汝らも獣のことわりからは逃れられぬ。

 楽しみにしておくがよい。我等は何度でも蘇る。ローアの中に。ヴルムの中に。そして他ならぬ、ヒトの血潮と肉の中にだ」

 後の世、悠久の時の流れの中でローアの名は忘れ去られ、9頭のおさはもっぱら最凶のヴルムとしてのみ語り継がれるようになった。

 人々が“力ある九頭竜パワー・ナイン”と呼び恐れているものが、それである。



狼亜ローア族の血統は1300年も昔、聖女トビアの従者ウルリカを最後に途絶えたわ。でも不思議なことに、その後も何度かローアの出現が確認されてる。いずれも両親は狼亜ローア族と何の血縁もない人間や魔族……

 この事実から魔法学園はひとつの結論を導いた。

 『かつて神々に滅ぼされた“力ある九頭竜パワー・ナイン”が、何らかの術式によって定期的に転生を繰り返している』とね……」

 滔々と語られるデクスタの言葉を、猟師シバは押し黙ったまま聞いていた。いつのまにか彼の顔は横へ背けられ、乾ききった盃は机の隅へと追いやられていた。彼の拒絶が痛いくらいにデクスタへも伝わってくる。しかし口を閉ざすわけにはいかない。彼女は剣聖だ。人々を守るために戦うのが役目だ。

「あの双子もおそらく両親は人間のはず。変身能力のせいで化物扱いされて、赤ん坊のころに山へ捨てられた……とか、まあそんなとこでしょうね。皮肉なもんよ、その力のおかげでここまで生き抜くことができたんだから」

「どうするつもりだ」

 山刀で切りつけるようなシバの問いに、デクスタは苦しげに目を伏せた。

「あの子たちを学園で預かりたい。“力ある九頭竜パワー・ナイン”の力が伝説通りなら、1頭でも充分に世界を滅ぼしうる。最悪の事態になるまえにあの子たちの中にあるものを調査して、危険であれば手を打たなきゃ……」

「書生どもの実験道具にしようってのか」

「そんなことさせない。苦痛も与えない。楽しく暮らせるよう最大限努力する。もしその気があるなら学校にだって通わせて……」

「あいつらにってんだろーがッ!」

 思わず口をついて出た怒声。猟師シバはハッと我に返り、ベッドの双子へ慌てて目をやる。緋女が寝返りを打ち、游姫ユキがもぞりと身じろぎしたが……それだけだった。どうにか起こさず済んだらしかった。

「……帰れ」

「シバさん……」

「帰ってくれ。お前とケンカはしたくねえ」

「……わかった。でも最後にこれだけは言わせて。

 300年と少し前……ひとりのローアが覚醒し、人類を絶滅寸前にまで追い込んだわ。その時は異界英雄セレンと六使徒の力で事なきを得たけど、奴の力と意志は今もなお世界を脅かし続けてる。

 その名は“真竜ドラゴン”――あるいは魔神《悪意ディズヴァード》。

 あの子たちの中に眠ってるのは、それと同等の存在なのよ……」

 何も答えない猟師シバを残して、デクスタは山小屋を後にした。

 魔法の灯りを頼りに夜の山道を下りながら、彼女は何度も山小屋を振り返った。

 シバが動揺するのも無理はない。家族同然に過ごしてきた子供たちが実は化物かもしれない、といきなり言われて受け入れられるほうがどうかしている。だがこのままにしてはおけない。幸い、シバは話の分かる男だ。時間をおいて、彼の気持ちが落ち着いたころにまた訪ねてみるしかない……

「嫌な役目だわねえ」

 デクスタは満天の星空を仰ぎ見る。

「こんなことのために腕を磨いたわけじゃ、ないんだけどねえ……」



   *



 それ以来、シバは双子を人前へ出さなくなった。

 普段山中で暮らしている猟師でも、取引のために里へ下りることは無論ある。狩人仲間との連携も欠かすことはできない。いずれ双子を跡継ぎとするのなら、今のうちから交渉や寄合を体験させておくのは必要なことだ。だからこれまでシバは何度も里へ双子を連れていき、狩人仲間や取引先にも紹介していたのだ。

 だが教育のつもりでしたこの行為が、彼女らを危険に晒してしまった。“獣に変身する不思議な双子”の噂話から、魔法学園は彼女らの存在を察知したのだ。となれば、他にも気づいた連中がいるのではないか? あの双子がデクスタの言うような恐るべきもの、言い換えれば価値あるものであるならば、もっと強引な方法で狙おうとする者も現れるのではないか?

 ここはもう、危険だ。

 そう判断したシバは、大急ぎで引越しの準備を始めた。幸い彼は猟師。山さえあればどこででも暮らしていける。問題は新たな住居を確保することと、移住先の猟場で狩猟権を得ることだけ。伝手つてを頼って方々に交渉し、どうやらよい反応を得たと見えて、ひと月も経たぬうちにシバたち一家は忽然と姿を消してしまった。



 しかし、その年の冬。

 新しい土地にようやく身体が馴染み始めた頃。

 やつらは現れた。

 新居で朝餉の支度をしていたとき、突如、奇妙に不安な物音が頭上から響いてきたのだ。シバは素早く窓際に貼り付き、細く開けた木窓の隙間を覗き込んだ。

 上空に3頭のが泳いでいる。輸送用空艇魔獣“コバンザメ”――木々と納屋とを雑に圧し潰しながら着陸したその船体から、ピンとした身なりの男が、大勢の兵隊を伴って降りてくる。

「隠れろっ。ベッドの中だ」

 シバは声を押し殺しながらも厳しく双子へ命じた。双子は経験のない事態に、わけもわからず硬直している。

「早くしねェか!」

 その一喝で双子は飛び上がり、先を争って寝藁の中にもぐりこんだ。児戯のような隠れ場所だが、それでも少々時間を稼ぐことはできよう。ふたりの姿が完全に見えなくなったのを確認すると、シバ自身は愛用の弓矢と槍をとり表へ出た。玄関先へ仁王立ちして正体不明の来訪者どもに対峙した。

「なんでェ、てめえら」

 相手の男は眼鏡の裏で柔和な笑みを浮かべている。

「こんにちは! わたくしコープスマンと申します者で。こちらにお子さんがいらっしゃると、小耳にはさみましてねえ……?」

 “企業コープス”の代理人エージェント、コープスマン。彼が指を鳴らすと、後ろに控えた部下たちが足元へドンと金塊を積んだ。

「実はその双子ちゃんをスカウトしに参ったのですよ」

「スカウトだァ?」

「いやー今のご時世、有能な人材はどこへ行っても取り合いでして。青田買いと言っては聞こえが悪いですが、大人になってからの雇用をお子様のうちに約束させていただければ、そちらは将来安心、こちらも良質な人材を確保できてまさにWin-Win! 金塊これはほんの契約金でございまして……」

 だがシバは金を一瞥し、鼻で笑った。彼の手はすでに弓の弦にかかっている。

「ひとンの納屋ァっ潰しといて何ぬかす」

「あらっ? おや。あははーっ、こりゃ失敬。では損害賠償と慰謝料を上乗せいたしまして……」

「ナメてんのかッ!」

「いーえいえいえいえいえとんでもない! むしろそちらさまを尊重しておりますので! 当社といたしましてはいくらお金を積んでも惜しくないという気持ちなのでございますよ。双子さん揃ってご入社いただけましたら莫大な給与に充実の福利厚生、週休2日と年2回の長期休暇が保証されたうえ家賃補助・医療補助からお誕生日のお祝い金に至るまで、可能な限りの手厚い待遇を……」

「嘘だな」

「ほんとです」

「ほんとに高待遇で迎えようなんてェつもりなら、軍隊チラつかせて脅す必要がどこにある?」

「おっと? ……これは鋭い」

 コープスマンが他人事のように目を丸くする。

 この態度が真相を物語っている。“企業コープス”が求めているのは人材などではない。実験動物だ。貴重な魔物としてのローア、デクスタが言っていた“力ある九頭竜パワー・ナイン”とやらいうものだ。

 そんな連中に大事な家族を渡せるわけがない!

「失せろッ!! なんでも金で買えると思ってんじゃねェぞコラァ!!」

 激高したシバが弦に矢をつがえ、まっすぐにコープスマンの心臓へ狙い定める。

「ま、確かになんでもお金で買えるわけじゃあありません」

 コープスマンは残念そうに苦笑し、人差し指でコリコリと頭を掻いた。

「が……なんでも手に入るだけのは、お金で買えちゃうんですなあ」

 その瞬間。

 四方から殺到した《光の矢》が、シバの身体へ針山の如くに突き立った。

 一瞬にして手足の腱を貫かれ、肺と喉とを焼き潰され、矢を放つことも、逃げろと叫ぶこともできぬまま、シバは倒れた。虫の息の彼を平然と踏み越え、“企業コープス”の軍勢が家へ侵入する。ほどなく双子が発見され、わずかな格闘の物音があり、やがて……網に捕らわれたふたりの少女が引きずり出されてくる。

 網の中から、緋女は見た。游姫ユキは見た。優しかったシバが。温かかったが。冷たい屍と化して倒れている。“企業コープス”が、が、シバの死体を踏みつけにして通り過ぎていく。

 憤怒の炎が、緋女のうちから湧いて出る!

 その瞬間。

 緋女をヒトの枠にめ込んでいたたがが、音を立てて千切れ飛んだ。



   *



 ――遅かった。

 ようやく尾根まで登り切ったデクスタは、その向こう側の光景に絶句した。息を落ち着けることも汗をぬぐうことも忘れ、呆然と眼下の地獄を見渡した。一面に広がる焦土。あらゆる草木が消し炭ひとつ残さず燃え尽き、土は飴の如く融けて固まり、高熱によって生成された硝子ガラスが夕陽を受けて残り火のようにきらめいている。生命はない。痕跡さえない。ただ死と空虚だけを孕んで地平の果てまで延々続く、美すら感じさせる異形の世界……

 目覚めてしまった。あの双子のどちらか――あるいは両方の中に眠る、“力ある九頭竜パワー・ナイン”の力が。

 シバが秘かに住まいを変えた後、デクスタは必死に彼の行方を捜していた。さすがにシバは熟練の狩人、居所を見つけるのは容易なことではなかったが、諦めるわけにはいかなかった。馬鹿な連中が余計なことをしでかす前に、どうにか双子を保護しなければ……その一心で捜索を続け、ようやく足取りを掴んだ時には、もう全ては終わっていた。

 から突如噴き出た超常の業火が、3つの山と1つの川、周辺十数村と都市国家レンスク、そこに住まう鳥獣虫魚と人間のことごとくを、一夜にして滅却したのだ。

 雪が降り始めた。

 赤熱する大地を慰め潤すかのように、しんしんと雪が降り始めた。

 固くデクスタは拳を握る。

 ――なにが剣聖だ。なにが英雄ヒーローだ。

 それは、かつて親友が漏らしたのと同じ弱音。

 ――だから戦う。でも……なにと?



(つづく)

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