■第17話 “世界滅亡の序曲”

第17話-01 最強 対 最強


■前回までのあらすじ

 突如舞い込んだ旧友の訃報。仇討ちのため故郷シュヴェーアを訪れたヴィッシュたちは、街を埋め尽くす死霊アンデッドの軍勢に遭遇する。それを率いるは不死の死術士ネクロマンサーミュート。しかしてその正体は、11年前に死んだはずの親友、ナダムであった。

 緋女とカジュをさらわれ戦意喪失するヴィッシュだったが、苦悩の末にミュートを倒し、仲間を救い出すことに成功する。しかしその直後、影からミュートを操っていた真の敵が姿を現した。

 その名は――

 魔王の圧倒的な実力に、ヴィッシュたちは為すすべもなく敗北。絶体絶命の危機に陥ったその時、光り輝く魔剣を携えた謎の剣士が駆けつけた。魔王が笑みを零し、謎の剣士に語り掛ける。その口から明かされた剣士の正体は、驚くべきものであった。

「やはり君と僕が揃わなければ話は始まらない。これでようやく物語が幕を開けるんだ。そう考えると、なんだかわくわくしてくるよ。

 そうは思わないかい?

 ――よ」




 「勇者の後始末人」

 第17話 “世界滅亡の序曲オーヴァチュア

 Overture:Ruin of the World




01 最強 対 最強



 暗雲立ち込める空の下、朽ちた古城に邪気が渦巻く。せ返るような《悪意》の霧を引き裂いて、剣戟の火花が弾け散る。閃く白刃。膨れ上がる闇。ふたつの影が宙におおきく8の字を描き、直後、勇者の咆哮が轟雷の如く鳴り響いた。

「だ―――――っ!!」

 勇者が吼える。勇者が走る。剣を真正面に突き出して、狙うは一点、魔王の首。稲妻さながらの打ち込みが魔王の5重《光の盾》に激突し、行き場を失った突撃のエネルギーが爆風と化してほとばしる。吹き飛ぶ城壁。倒壊しながら砕ける石柱。破片が刃混じりの暴風となり、辺り一面を薙ぎ倒す。床も、大地も、天空の分厚い雲さえも、人智を超えた激闘の余波で紙屑同然に引き裂かれていく。

 ――冗談じゃないっ。

 ヴィッシュたち3人の頭上に瓦礫の雨が降り注ぐ。とっさにカジュが飛ばした《光の盾》が破片を遮断する。だが爆風が強烈すぎる。鋭い石片やじ切れた蝶番ちょうつがいがひっきりなしに押し寄せる。矢継ぎ早に《光の盾》を張り直さねば防ぎきれない。カジュの額に浮かぶ脂汗。そのとき更なる脅威の影が彼女らの頭上に覆いかぶさり、カジュはくわと目を見開いた。

 根本の砕けた石柱がこちらへ向けて倒れ込んでくる。あの大質量は、カジュには到底止められない。

 それを悟るや、緋女は迷わず跳躍した。大太刀を抜き放ち、空中の石柱へ刃を叩き込む。

「どっ……おらァ!!」

 弾き飛ばされた石柱は軌道を変え、危ういところでカジュとヴィッシュの横へ落着した。だが《光の盾》の防御範囲外へ飛び出してた緋女は、無防備のまま瓦礫の嵐を浴びてしまった。彼女の美しい肌に、生き生きと盛り上がる筋肉に、汚れた石と鉄の刃が容赦なく次々に食い込んでいく。皮膚の裂ける不気味な音がぶちり、ぶちりと耳を騒がし、カジュは地上から悲鳴を上げた。

「緋女ちゃん戻ってっ。」

 着地した緋女が《光の盾》に逃げ込み、力尽きて膝をつく。血に塗れ、顔も腕も腹も足も棘山のような破片に突き刺され、それでもなお緋女は口の端に笑いを浮かべて見せる。

「だいじょうぶ……だな。よかった……」

「喋らないでっ。」

 カジュは片手で《盾》を維持しながら、もう片手を緋女に添え、早口に治療の呪文を唱え始めた。だがその唇に、他ならぬ緋女の人差し指が当てられる。

「あたしじゃない。ヴィッシュの方が……重傷、だよ……」

 緋女はとうとう、ヴィッシュの隣に卒倒してしまった。激痛にのたうつヴィッシュ、とめどなく血を流し続ける緋女、ふたりの間に挟まれて、カジュは癇癪を起した幼子のように悲痛にうなる。

「うーっ。うーっ……。うううぅぅぅっ……。」

 涙が止まらない。不安が片時も収まらない。だが泣いて何になる!! 泣きじゃくりながら、わめきながら、首を左右へ折れんばかりに振り乱しながら、それでもカジュは懸命に呪文を唱えた。魔法陣を描いた。意識下で術式を編み続けた。ふたりを治せるのは自分だけだ。手を止めるな! 絶望するな! いや、絶望しても構わない。

 ――絶望しながら、それでも動けっ。

 胸張り裂けんばかりのカジュの苦悶を、ヴィッシュは途切れそうな意識の中で聞いている。

 ――情けねえっ……

 たかが余波がなんたる威力か。カジュも緋女も、ただ自分たちの身を護るだけでこのありさま。今こそ自分が働かなければいけない時なのに、ヴィッシュは出会い頭で魔王にやられ、その傷の激痛のために立ち上がることさえできずにいる。

 握りしめた拳の骨が、折れんばかりに哭いている。

 ――俺には……見上げることしかできないのか!?

 ヴィッシュの視界に、遥か頭上の光景が映った。

 常人には決して手の届かぬ高みを彗星の如く自在に飛び交いながら、斬り合い、打ち合い、引き裂き合って、人智を超えた戦いを繰り広げるふたつの影。

 ――これが魔王……

 見上げた世界が、血涙色に濡れていく。

 ――これが……勇者!!



 《風の翼》で逃げた魔王を追い、勇者は上空へ跳び上がった。勇者の身体能力は、もはや並外れているなどいうレベルではない。彼の脚は地上においては音速を超え、その腕力は剣のひと振りで城壁さえも破壊する。跳躍すれば空飛ぶ魔王へたちまち追いつき、圧倒的な剣速によって斬撃は一筋の稲妻と化す。

 とはいえ魔王もさるもの。仮面のように不自然な美貌へ取ってつけたような微笑を貼り付けたまま、《光の盾》で勇者の突き上げを受け止める。剣と盾がひととき絡まり、その一瞬の隙を狙って魔王の《闇の鞭》が振り下ろされる。勇者は冷静に剣を引き、身を翻して鞭を魔剣で受け止めた。

 魔王の一撃によって、勇者は地上へまっさかまに打ち落とされた。そのまま床に激突し、石畳に亀裂を走らせる。単なる鞭の打撃がまるで大砲の直撃。常人ならばこの時点で即死だろう。

 だが、彼は勇者だ。止まりはしない――では。

 突如勇者の姿が掻き消えた。空中の魔王が目を見開き、僅かに驚きを顔に表す。《瞬間移動》したのか? いや、術式の気配はなかった。では勇者はどうやって……どこへ行った? 魔王が訝しんだその直後。

 背後へ勇者が出現した。

「う!?」

 魔王が反射的に《光の盾》を飛ばす。背中へ襲い掛かった魔剣の一撃を辛うじて受け流すも、間髪入れず今度は右からの斬撃が来る。次は下から。正面から。さらに加速してまた背後――と思いきや頭上から。四方八方上下左右、あらゆる角度から襲い掛かる嵐の如き連続攻撃。まるで数十人の勇者が一斉に斬りつけてくるかのよう。

 無論そんなわけはない。勇者は戦っているだけだ。跳躍し、斬りかかり、弾かれ落ちては位置を変え、再び跳躍して剣を振るう。それを愚直に反復し続けているだけだ。毎秒10回以上という非常識なまでの速度で。

 策はない。細工もない。ひたむきに鍛え続けた肉体の力を、ただまっすぐに叩き込む。

 これが勇者の戦いなのだ。

「なるほどね」

 魔王の額から汗が伝い落ちる。

「最強なわけだよ、勇者ソール!」

 称賛と同時に勇者の斬撃を弾くと、魔王は素早く地上へ飛び降りた。彼の指先から血赤色の魔力光が蜘蛛糸めいて走り、地面に無数の魔法陣を描き出す。

 勇者は新たな術を警戒し、魔王から距離を置いて着地した。彼の睨む前で、魔法陣の下からずるり、ずるりと人型のものが這い出でてくる。魔王だ。魔王と全く同じ姿かたちをした分身が次々に立ち上がり、勇者を取り囲む。その数ざっと4、50。

「《幻影の戦士》か……」

 勇者が油断なく周囲に視線を配りながら呟くと、50人の魔王たちが一斉に微笑んだ。

『そのとおり。君の神業に対抗するなら、これくらいの芸は見せなければね……』

 芸などという生易しいものではない。《幻影の戦士》は闘術士――魔術と武芸を組み合わせる流儀の戦士――がしばしば用いる、それなりにありふれた術だ。だが発生させられる幻影の数は通常3体程度。達人でもせいぜい5、6体が限界だ。50体ともなると、人智を超えているとしか言いようがない。

 緊張の面持ちで剣を構えなおす勇者に、魔王はくすくすと笑い声を漏らす。

『ずるい、だなんて言わないでくれよ。常識外れはお互いさまさ。こんな時でもなければ全力を発揮する機会さえないのが超人の寂しさだ』

「違うよ」

 勇者の言葉は、手中の魔剣にも劣らず冴えわたる。

「きみはまだ知らないだけだ。使を」

 魔王の表情が、一瞬、凍る。

 だがすぐに魔王は元の、絵にかいたような微笑を取り戻し、愉悦に目を細める表情を作って見せた。無数の魔王たちが一斉に《闇の鞭》を手の中に生み出す。勇者の視線が周囲を走り、本物の魔王の気配を探る。

 魔王たちの詠うような声が、崩壊した古城の、巨獣の骨のごとき瓦礫の中に、朗々と響き渡った。

『さあ、存分に戦おう!

 それが魔王と勇者ぼくらに課せられた、いにしえの格式というものさ!』



   *



 ――急がなきゃ。速くっ。

 カジュは内心の焦りを必死に押し殺し、涙を流れるがままに捨て置いて、ヴィッシュの治療に全力を注いだ。魔王の《闇の鞭》で打たれた傷はとうに塞いだが、激痛は一向に治まらないようだ。どうやらこれはただの肉体的負傷ではない。魂の奥底まで引き裂く傷、一種の呪いのようなものだ。解呪できなければヴィッシュは永遠にこの苦痛を味わい続けることになる。ものの数時間で充分に人を発狂させうるほどの痛みを。

 ――急げ。急がなきゃいけないのに……。

「難しいっ……。」

 カジュの歯が擦り減らんばかりに食いしばられた。知識と技術を総動員して分析を試みているのに、複雑極まる妨害術式に阻まれ、解呪の手がかりさえ見つけられない。もう認めるしかない。術者の技量に差がありすぎる。魔王の魔法的な実力はカジュを遥かに、彼女では足元にも及ばぬ高みに到達している。

 カジュの頬を洗う滂沱の涙を、ヴィッシュは激痛の中ですがるように見つめていた。この一年一緒に暮らしてきたヴィッシュには分かる。普段のふてぶてしい態度とは裏腹に、カジュは誰よりも繊細だ。彼女の胸中には、今どれほどの苦悩が渦巻いているだろう。

 もうこれ以上、手をこまねいている時間は――ない!

「緋女っ……やれそうか」

 かすれ声で呼びかけると、緋女は呻き声を返した。彼女の手から血の付いた瓦礫の破片が投げ捨てられる。緋女は最前からずっと、自分の身体に突き立った破片を自力でひとつひとつ抜き取っていたのだ。言葉で言うのは容易いが、破片に触れるたびに肉を抉る激痛が走るのだ。並大抵の根性でできることではない……

「さーな……目で追うだけで精一杯だったけど」

「頼もしいね。見えてはいるってわけだ」

「へへ……やる気だな? いいぜ、付き合うよ」

 突然わけのわからないことを言い出すふたりに、カジュが悲鳴めいた早口でまくしたてる。

「まだ無理だよ無茶しないでっ。」

「頼むカジュ。痛みでも止めてくれ」

 カジュが術式構築の手を止め、信じられないものでも見るように、ヴィッシュの顔を凝視した。彼の眼に灯る光にカジュは息を飲む。一片の曇りも混ざらぬ澄んだ瞳。彼は本気だ。

「……地獄を見るよ。」

 ヴィッシュが強がって見せたウィンクは、へたくそにしたってあんまりな出来。

「――これがくたばってられるかよ」



(つづく)

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