第16話-(終) カタストロフ
――まだだ。まだ終わってない。
にわかに空に暗雲が湧き出し、乾燥した冷たい風が古城を洗い始めた。カジュは窓から外を見上げ、軽く鼻息を吹く。広間の中に視線を戻せば、ヴィッシュはまだ緋女の胸に顔を埋め、子供のように肩を震わせ続けている。その背を撫でる緋女の手は母の優しさ。
気持ちは分かる。だが今は、他にやるべきことがあるはずだ。
カジュは意を決してふたりに歩み寄って行った。杖を床に突き、ノック替わりに音を立てる。
「で。まだ何も解決してないよね。」
「おいカジュゥ」
「……いや。カジュが正しい」
ヴィッシュはようやく緋女から顔を離した。汚れた泥が涙で溶けて、ひどいありさまになっている。それを拳で乱暴にぬぐい取り、立ち上がり、緋女を軽く抱き寄せ、そしてついに彼はひとりで立った。まだ右手は緋女の手を握っていたが、もう誰にも寄り掛かってはいない。
「ナダムが蘇ったのは魔神の力によるもの……そうだったな?
「それに彼が最後に言ってた。“おれは成し遂げた”。“あのおかたが顕現する”。」
「ってことはつまり、“あのおかた”ってのは……」
「そういうことだね……。」
「どういうことだよ!」
「世界は滅亡する、ということさ」
瞬間。
3人は弾かれたように飛び退いた。揃って一方を睨み、太刀を抜く。魔法陣を編む。剣を両手に握りしめる。三者三様の驚愕が彼らの中を駆け巡っていた。どこから現れた? なぜ匂いも感じなかった? どうして《警報》の術を破られた!?
あらゆる疑問を一身に受け止め、少年が、暗闇の奥に佇んでいた。
少年。年端も行かない子供。カジュと同年代の、10歳かそこらであろうか。全身を漆黒のローブに包み、目深にかぶったフードの下に微笑の口元のみを覗かせている。あの赤い唇の、なんと艶めかしく優美なことか。気を抜けば見惚れてしまいそう――それでいて、吐き気をもよおすほどに非人間的。
そんな少年が、誰にも何の気配も察知させず、全く突然に、3人のすぐそばに出現したのである。
「なんだ……てめえ」
緋女の額から脂汗が垂れる。彼女の苦しげな表情が如実に語っている。この少年が放つ、圧し潰されそうなほどの存在感を。巨人ゴルゴロドンと対峙したときも、道化の剣士シーファと斬り合ったときでさえも、これほどではなかった。
いや、それらとは全く異質。強い弱いなどという尺度では測ることさえできないかのような。
少年はくすくすと無邪気に笑う。
「それはとても難しい、しかし極めて価値のある問いかけだ。僕自身ずっと問い続けているけれど、いまだ明確な答えを見出せずにいる。そういう意味では、僕も君たちと変わらない。この宇宙にあまたある、生命というちっぽけな星の、はかない煌めきのひとつに過ぎない――」
「……お前か」
ヴィッシュの剣の柄革が、固く握り締められ苦しげに軋む。
「ナダムをあんな目に遭わせたのはお前かッ!?」
少年の微笑が、
「半分はそうさ。残り半分は――君がしたことだろう?」
嘲笑に見えた。
ヴィッシュが走る! 打ち込みをかける。猛火のような憤怒が彼の剣に力を与え、かつてないまでの剣速で少年の脳天に襲い掛かった。が、刃が軽く弾かれる。少年のすぐ頭の上に生み出された《光の盾》が、いとも容易くヴィッシュの剣を受け止めたのだ。
――行くぞ!
――了解。
目配せひとつで意思を固め、緋女が少年に肉迫する。と同時にカジュが魔術ストックを5つまとめて発動する。《光の矢》《闇の鉄槌》《刃の網》《火焔球》そして隠し玉は《見えない光の矢》。どれひとつとっても必殺の術。しかも特定の返し技でまとめて防ぐこともできない組み合わせ。既にあの少年は《光の盾》を発動している。仮にカジュを上回るストック6枠と見ても防御だけで手いっぱいのはず。その後に来る緋女の太刀は防げない!
その、はずだった。
一瞬の後。その場から微動だにせず、優しく微笑んだまま立ち続ける少年の姿がそこにあった。
《空気圧縮》で《光の矢》を屈折させ、《精神防壁》で《闇の鉄槌》を弾く。《解呪》を《刃の網》に、《水の衣》を《火焔球》に。《見えない光の矢》は《波長変化》で無力化する。そして首筋を狙った緋女の斬撃は――あろうことか肌で直接受け止めた。
「冗談だろ……?」
思わずヴィッシュが本音を漏らした。
緋女の剣を避けた奴はいた。
カジュの術を速度で封じ込めた奴もいた。
だが、3人がかりで好きなように攻撃させておいて、その全てを受け入れ平然としている――そんな敵はかつてなかった。
少年がヴィッシュに冷たい笑顔を向ける。
「最悪の事実は、往々にして冗談にしか思えないものさ」
――悪寒!
緋女が飛び退いた。ヴィッシュも退いた。だが間に合わない。少年の周囲に突如漆黒の闇が湧き起こり、鞭のようにしなってふたりを薙ぎ払った。辛うじて緋女は太刀で闇の鞭を受け流したが、反応の間に合わなかったヴィッシュはまともに腹に攻撃を喰らった。
途端。
激痛が彼の脊髄を駆けあがっていく。
「ッがああああああああああああッ!?」
絶叫しのたうちまわるヴィッシュ。床に転がる彼に、カジュが懸命に駆け寄り治療の術を編み始める。その前には緋女。素早く庇いに入り、両手に太刀を構えて少年を睨む。
とはいえ、攻めて来られれば防ぐ自信など全くない。強すぎる。格が違いすぎる!
「なんなんだよッ! てめえは!」
繰り返された問いに、少年は少し困り顔で首を傾げた。
「そうだね……こういうのはどうかな? 僕自身が僕を定義することは難しい。だが他者との関係を紐解けば、そのものの在りようを解明することができるかもしれない」
「タシャぁ?」
「最適なひとが近くにいるんだ。ほら――来たよ」
まるでその声に呼ばれたかの如く。
窓から、一条の白光が飛び込む。
緑髪の男。先ほどヴィッシュを
閃光が走った。
一瞬遅れて音が静まり、続けて風が溜息を吐くように収まっていき、粉塵の中に、ゆらりと緑髪の男が立ち上がる。彼は油断なく大剣を手にぶら下げたまま、ゆっくりと背後を振り返った。その視線の先には、あの少年。崩れた瓦礫の上に腰かけ、いつのまに拾い上げたのであろう――ナダムの生首を膝に乗せ、愛おしげに撫でてている。
「さすがだね。今のをまともに食らえば、僕といえども無事では済まなかった」
「……遅かった。してやられた。むざむざとお前を復活させてしまうなんて」
緑髪の男が、決意の瞳で少年を睨む。
「でも、お前はぼくが倒す!
もう逃がさないぞ――魔王クルステスラ!!」
予想だにしなかった名前に、緋女が唖然と口を開ける。聞きたくもなかった名前に、ヴィッシュとカジュが顔を曇らせる。ただひとり、少年――魔王のみが愉快そうに、くすくすと静かに笑っている。
「ほらね。やはり君と僕が揃わなければ話は始まらない。これでようやく物語が幕を開けるんだ。そう考えると、なんだかわくわくしてくるよ。
そうは思わないかい? 《剣を継ぐ者》――勇者ソールよ」
To be continued.
■次回予告■
闇の中に潜み続けた巨悪がついにその
次回、「勇者の後始末人」
第17話 “世界滅亡の
Overture:Ruin of the World
乞う、ご期待。
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